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青い半魚人  作者: 松下真奈
第二章
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トコヨノクニ――想い人

 金曜日の夕方。部活を終えた侑子は、高校の最寄り駅前で待ち合わせをしていた。

 夏至を目前に控えた夕方は、まだまだ昼間のように明るい。


「お待たせ! ごめんね。待った?」


 改札から小走りでやってくる愛佳が見えた。彼女の通う高校は、この駅から二駅隣にあった。


「大丈夫。私が早く着きすぎたの。今郵便局行ってきたところ。ちょうど良かったよ」

「切手?」

「うん」


 愛佳は郵便局という単語から、すぐに侑子がどんな用を済ませてきたのかを察した。侑子の切手の消費スピードは尋常じゃなく早い。その理由もよく承知している。


「今日は一円とか二円切手じゃないよ。綺麗なの出てたから、それにした」


 侑子が鞄から取り出したそのシートを目にして、愛佳は「おお」と声を出す。


「八十二円? いつもより随分奮発したね。サイズも大きい」


 侑子は笑った。

 毎日日記以上のペースでユウキへの手紙を出すので、切手代節約のためにいつもは一円や二円などの少額切手を貼るのだ。未使用の切手であれば金額不問で届くのは、どういう道理なのか分からない。しかし学生の身分ではありがたかった。


「ユウキちゃん、喜んでくれるといいね」


 愛佳の言葉に、侑子はにっこり微笑む。そんな従姉妹の顔を見て、愛佳は少しだけ複雑な心境になるのだった。


「愛ちゃん、どこのお店行きたいの?」


 今日の待ち合わせの目的は、愛佳の買い物に付き合うことだ。この週末、彼女は恋人と出かける予定になっている。そこで着る服選びに付き合って欲しいと言われていたのだった。


「ゆうちゃん、ありがとね。そうだなぁ。駅ビルの中見に行っていい?」


 腕を引いて、愛佳は目的の場所へと侑子を誘っていった。



◆◆◆



「本当にさっきの服、おかしくなかった?」


 ファストフード店の窓際の席に、従姉妹二人は並んで座っていた。不安げな愛佳の声に侑子は吹き出す。この席に座るまでに、同じ質問を既に十回近く繰り返されていた。


「大丈夫だって。似合ってたもん。いつもとイメージ変えたいからって、思い切って選んだんじゃない。自信持ちなよ」

「そうなんだけど。先輩に可愛いって言ってもらえないと、意味ないし」


 本当は一つ年下の従姉妹。そんな彼女の顔を、侑子は首を傾けて覗き込んだ。長い睫毛と大きな瞳は母親譲りで、愛嬌のある唇は双子の片割れと瓜二つだった。柔らかい線を描く頬は、ほんのりと色づいている。愛佳は可愛らしい顔をしていた。


「愛ちゃんは可愛い。鈴木先輩の話をしてる時は尚更だよ。本当に可愛い」


 思ったままそう口にした侑子に、愛佳は「もう」と顔を赤らめて笑った。


「ゆうちゃんはすぐに私のこと可愛いって言ってくれるんだから。可愛いを叩き売りしすぎだよ」

「だって本当にそう思うんだよ。恋してるんだなって。だから大丈夫だよ。鈴木先輩、可愛いって言ってくれるよ」


 中学の軽音楽部で、侑子たちより一学年上だった鈴木竜介。同じ楽器担当だった愛佳と竜介は、付き合って二年が経っていた。二人は今同じ高校に通っている。竜介は一見寡黙な印象を受ける顔つきをしているが、実際には喋りも上手く、よく気のつく性格をしている。彼なら愛佳の懸念は無用だろう。


「ゆうちゃんは好きな人いないの?」

「うん」


 初めてする質問ではなかった。侑子の答えはいつも同じだ。言い淀む間も、歯切れの悪さも感じさせない返事。

 だけど今日は、もう少しだけ踏み込みたいと愛佳は考えていた。テーブル上のスマートフォンにちらりと目をやり、再び侑子に問いかける。


「ユウキちゃんのことは? 恋の好きとは違うの?」


 侑子の文通相手であり、よく彼女との話題にも上る緑の瞳の青年。幾度も写真を見てきたので、一度も会ったことはないが、愛佳にとっては一方的な顔なじみだった。侑子に倣ってユウキちゃんと呼ぶことにも、すっかり違和感がなくなっている。


「……分からない。大好きだけど」


 どこを見ているのか曖昧な視線は、質問主の方を見なかった。侑子は窓の外に向けて頬杖をついたまま、再び口を開く。


「本当に分からない。愛ちゃん、恋するってどんな感じなの? もしもう一度ユウキちゃんに会って声を聞けたら……分かるような気がするんだけど。それってかなり希望薄いと思うんだよね」


 煮えきらない侑子の言葉に、愛佳は溜息をついた。


「すごくカッコいい人だよね、ユウキちゃんって」

「そうだね」

「歌ってる時の写真なんか、神がかってたし。楽器も上手で、声も素敵で、おまけに優しい。モテるだろうね?」

「モテるよ。ユウキちゃんのファン、女の人多かったもん」

「ユウキちゃんに彼女がいても、ちっとも気にならないの? 一ミリも?」


 ようやく侑子は窓の外から目を外し、隣の愛佳を見た。その顔は困ったように眉根が下がっていた。


「気にしたって、どうもならない」


 視線が泳ぎ、侑子は下を向いた。


「彼女、いるかもね。多分いるよ」


 手紙には書かれたことはなかったが、恋人がいたとしてもおかしくはない。侑子より五つも年上で、ユウキには過去に数人の恋人がいたのだと、ハルカから聞いたこともあった。

 いつも隣を歩いて笑っていた自分の場所に、他の誰かがいるのだと考えると少し寂しい気がするのも確かだ。しかし、それは嫉妬とは違う気がする。どこかに置き忘れてしまった宝物を、子供心なりに諦める心境に近いと思えた。

 侑子は分かっていた。


――多分、もう会えることはない


 交わす手紙の数が増えれば増えるほど、一緒に過ごした時間はより過去の出来事として遠ざかっていった。

 いつかまたあの世界に行けるかもしれない。そんな頼りない希望は、時間によって少しずつ、しかし確実に風化していくのだ。侑子がいくら抗おうとも叶わなかった。年齢を重ねて知識を得る度に、自分が経験している摩訶不思議な現象を説明することは、不可能だろうと理解が進むのだ。


「どんな人だろう。ユウキちゃんの彼女。きっとすごく美人さんなんだろうな」


 ユウキからの手紙を読んでいる時、送られた写真や青い鱗を数える時には、確実にユウキもヒノクニも近くに感じる。

 それなのに、一歩部屋から外に出て、こうしてヒノクニから切り離された自分の生活を歩むうちに、あちらの世界のことは夢幻のように思えてしまうのだった。


――それだけ毎日が楽しいってことなんだろうな。充実してる。だから……


 侑子はそう結論づけている。毎日は楽しい。高校生活にも慣れてきたし、親しい友人もできた。部活も、ギタースクールも、家族と過ごす時間も楽しい。

 もしも逃げたいと思ったら、真っ先にあの世界のことを思い浮かべてしまうのだろう。しかし、今の侑子にはそんな心境が遠かった。

 ただ、ユウキのことを思う時は違う。苦しくなった。


――これが恋だったら、あまりにも望みがなさすぎる


 鬱血したような苦しさから逃れるように、侑子は愛佳に告げた。大きめな声だった。


「私も彼氏がほしいな」

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