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青い半魚人  作者: 松下真奈
第二章
128/140

ヒノクニ――的中

「ユーコちゃん、随分変わったな」


 手紙に同封された写真には、袴姿の侑子が写っていた。中学校の卒業式で、軽音楽部の仲間たちと撮った一枚だった。

 アオイは大学の休暇を使っての帰省中だ。ユウキも巡業の合間に央里に帰っていたので、この日は久々に幼馴染たちが集うことができたのだった。


「なんだか突然大人になったみたいだ」


 次にアオイが眺めているのは、高校の入学式の写真だった。


「十七歳だもんね。ユーコちゃんと初めて会った頃の私達と、同じくらいってことね」


 薄紫色の酒で満たされたグラスが、ミツキの手で揺らされる。ほのかに甘い香りが漂った。


「そんなに前に感じないんだよな。でもつい昨日、ツムグと酒飲んだばかりだ。あいつももう成人して一年経つのか」

「ツムグくんってザルだよねぇ。全然酔わないの。意外」


 ハルカとスズカは紡久の話題で笑い声を上げている。

 ミツキが席を外したので、大きめのテーブル席の中央が空く形となり、自然とアオイとユウキが二人で話す流れになった。


「ユウキさぁ、覚えてる? ドーナツ俺の口に突っ込みながら二人で喋ったろ。俺の予言のこと」

「ああ」

「お。意外だったな。そこで素直に肯定するとは思わなかった」


 ユウキはグラスについた水滴を指で潰しながら、茶化すような視線を受け流す。しかし返事までないがしろにする気はなかった。


「ちゃんと覚えてるよ。今日お前がユーコちゃんの写真を見たら、きっと蒸し返すだろうなってことも予想できてた」

「へえ、そうなの?」


 声をひっくり返して驚くもじゃもじゃ頭に、ユウキは笑った。


「どんどん綺麗になっていくしね」


 アオイの手から写真を抜き取ると、そこに写る笑顔を見つめる。袴姿の結い上げた髪も、高校の制服姿の下ろした長髪も、ユウキのよく知っている黒い色をしていた。けれどその顔つきは、少女らしさから離れた、大人の女性特有の涼やかさを帯びたもので、ユウキにはやけに余所余所しく感じられるのだった。


「お前の言う通りだ。撤回するよ」

「え……」


 アオイは目を瞠ったが、ユウキは気にしなかった。


「ユーコちゃんが好きだよ。女性として。皮肉だけど、離れ離れになってからだ。どんどん好きになってる」


 ハルカとスズカが無言で此方に顔を向けている。戻ってきたミツキも、何かを察しているかのように、黙って椅子に腰を下ろした。


「会えない。声も聞けない。一緒に歌うことも出来ない。出来るのは写真越しに姿を見て、手紙でどうしているのか知るだけだ」


 他の客たちの話し声と、店内のBGMによって、その店は中々騒がしかった。しかしユウキの声は聞き取りやすい。元の声質に加えて、揺るがない意思を持った音だったからかもしれない。幼馴染たちに、彼の声は確かに届いた。


「それでも、なかったことにできない。気持ちを消すことはできない。どうしようもなく好きだ」


 両手で握り込むように包み込んだグラス。その中にあったはずの氷は、既に個体として形を留めていなかった。


「会いたい。触れたい。どうして側にいられないんだろう」


 溶けた氷が液体となるように、一度外に出た想いは、止まることなく言葉となった。

 たった今まで、いつものように笑みを浮かべていたはずだった。俯いたユウキの顔は、長い黒髪に隠れてすっかり表情を隠してしまった。

 語尾が震えている。きっと笑顔など、そこにはないのだろう。


「ユウキ」


 幼馴染たちは知っていた。今俯いて震えている背の高い男が、どのような顔でいるのか。そのようなことに敏い特別な(マタナ)のあるミツキでなくとも、手に取るようにユウキの心境が分かるのだった。


「これ、酒じゃないよな?」


 アオイはユウキの手の中のグラスを覗き込んだ。わざとおどけた声を出す。


「水だよ。今日は一滴も酒なんて飲んでない」


 顔を上げたユウキは、やはり笑ってはいなかった。


「実はあまり、お酒得意じゃないもんね?」


 笑ったミツキは、ユウキの背中を優しく撫でた。


「すぐに酔いが回る。正直味もどこが美味いのか分からない」


 薄く笑ったユウキの言葉に、スズカがふふ、と笑い、ハルカがからかうように言った。


「水筒にジュース入れて持ち歩くような甘党だもんな」

「ほんと。意外だった。ユウキはお酒強そうって思ってたもん。でもね」


 ひとしきり笑ったスズカが、優しい表情で言葉を続けた。


「ユーコちゃんのこと、そういう風に好きだったって気持ちは、全然意外じゃなかったよ」

「だよなあ。俺、四年前も絶対見当違いなこと言ってなかったって、自信あったもん」

「四年前の気持ちは今更分からない。今と違ったかも知れない。あの時はユーコちゃんが側にいたから、それだけで満たされていた気もするよ」


 ユウキは写真の中の侑子を、視線でなぞるように見つめた。


「どうしたらいいんだろうな。気持ちの落とし所が分からない」


 呟いたその問に、的確な助言が思い浮かぶ者はいなかった。



◆◆◆



 日付が変わる前に手紙を出したいとユウキが帰った後に、残った幼馴染たちの間には、やるせない空気が流れていた。


「切ないな」


 呟いたのはアオイだった。


「女の子のことであんな感じになってるユウキ、初めて見た。なんだあの情けない顔」

「それだけ本気なんだろうね。でも悲しいね……だって、報われるものじゃないでしょう?」

「しかもあっちの近況だけは、手紙と写真で把握し続けられるっていう」


 スズカの言葉に被せるように放たれたハルカの声に、ミツキは「生殺しだわ」と溜息をついた。


「ユーコちゃんがまたこっちに戻ってくることって、もう絶対ないのかな」


 無責任承知のアオイの発言には、誰も答えることができなかった。

 可能と不可能、どちらの方が確率として高いのか、誰にも確実なことは断言できないが、どちらかといえば後者のほうが濃厚なのではないかと口にしようと思える者もいなかった。


「膿を出し切ればいいんだ」


 ハルカはグラスに残った酒を一気に飲み干した。


「こういう時に、ああやって気持ちを吐き出させればいい。俺たちなら受け止めてやれるだろ。皆事情を分かってるんだ。ユウキのこともよく知ってる」


 店内の照明が一段暗くなった。流れるBGMの曲調が、ゆったりとしたものに変わった。


「ユーコちゃんに恋人ができたら、ユウキどうなっちゃうんだろう」


 スズカがぽつりと零した言葉は、全員が懸念として抱いていた思いだった。


「ユウキは告白しないのかな」

「手紙で? そんなことされたって、ユーコちゃんが困るじゃない。両思いだったとしても、お互い辛いだけだわ。ユウキはユーコちゃんが困るようなこと絶対しないでしょう」


 ミツキは隣のアオイのモジャモジャ頭を払うように手を振った。


「あーあ。切ないな」


 アオイは宙を仰いだ。


「こんなことになってるなんて、四年前全く想像なんてしなかった。ユーコちゃんと一緒にいるときのユウキって、すごく良かったじゃん。生き生きしてたしさ、歌ってる時なんて本当に格好良かった。男の俺ですらドキッとするくらい、色気があってさ」


 ユウキにいくつものドーナツを口に突っ込まれた日のことを思い出す。あの時アオイは、割と本気でユウキの口から言質を取ろうと考えていたのだ。


「ユーコちゃんいなくなってから、歌ってる時のユウキ、変わったもんね」


 頷くスズカに、ミツキも同意する。


「ユーコちゃんが来る前に戻ったのよ。あれはあれで良いんだろうけどさ。評価されてる。売れてるんだから」


 店内に四人がよく知っている旋律が流れ始めた。ユウキの曲だった。最近はライブハウスの外でも、録音された彼の歌声を耳にすることが増えていた。

 暫くの間、幼馴染たちは無言でその歌声に耳を傾けていた。


「見守って、話を聞いてやるしかできないな」


 沈黙を破ったハルカの声は、酷く穏やかだった。彼にしては珍しく抑揚の少ない話し方で、それだけで友人たちにはハルカが穏やかならぬ心境なのだということが分かる。


「いっそのこと、文通ができなくなってしまったら。そうしたら吹っ切れるのかもな」

「やめてよ」


 ハルカの呟きに、ミツキは眉をひそめた。


「そんなこと言わないで。本当になりそうで怖い」

「悪い」


 追加の酒を頼もうと上げた手を、ハルカはミツキの肩に置いて謝った。僅かに震える彼女の振動が、手に伝わってきた。

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