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青い半魚人  作者: 松下真奈
第二章
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トコヨノクニ――河原

 何も予定のない日には、侑子は目的もなく散歩をした。

 放課後は大体同好会の活動日だったし、遼と同じギタースクールに通うようになったので、学校が始まってから充実しつつも忙しい毎日を過ごしていた。

 冬休みに入ってから、久々に散歩をするなぁと思い出した程だ。


――向こうの世界では、毎日こんな風にただ歩く時間があったのに


 日本の学生とは多忙なものなのだなと、痛感する。


◆◆◆

 

 今日は何となく坂を下って、河原へと足を進めた。

 関東の冬らしい、乾燥した青空が広がる日だった。土手沿いに散歩する人や、サイクリングロードを滑走していく自転車がちらほら目に入る。侑子はその場所も超えて、雑木林を抜ける細い獣道を通った。そこから河原へと続いているのだ。足元にはゴツゴツした大きな岩が広がり、目の前には川面ばかり見える場所だった。ここまで来ると、流石に人はいなくなる。雑木林に隠されて、土手沿いのサイクリングロードから見えることもない――このことを発見したのは、つい最近のことだ。

 誰もいないこの場所で侑子は歌う。軽音同好会で練習する曲ではない。むこうの世界(ヒノクニ)で、ユウキが歌っていた曲の数々だった。


――あぁ、やっぱり難しいな


 ユウキのように自在に高音と低音を入れ替える歌い方は、侑子には再現が難しい。一緒に歌う時、いつも侑子は自分の声を出しやすい箇所だけを歌っていたのだから。丸ごとユウキの曲を一人で歌おうとすると、その難易度の高さを思い知った。


――それでも歌いたい


 彼のような歌声を出そうと追い求めてしまうのは、自分のものとしてしまいたい焦燥感からだろうか――もう二度と聴くことの出来ないであろう、あの歌声を。

 すっかり日課のようになったユウキとの文通。彼の筆跡を目で追う度に、そこに書かれている言葉を彼の声で再生してしまう。そしてそうする度に侑子は、あの歌声を聴きたい。声を聞きたいという欲求に駆られるのだった。決して叶わないのに。


――もしかしたら、いつか思い出せなくなってしまうのかも。忘れてしまうのかも


 ユウキの声は、侑子がこの世で一番好きな音だ。しかし自分の記憶力は過信できない。


――怖い。忘れたくない


「……はぁっ」


 大きく息を吸い込んで、思わず背後の岩にもたれ掛かった。空気は冷たいはずなのに、身体は発汗するほど熱を帯びている。マフラーを外して、コートのボタンを外した。


「すごい。今の歌、誰の?」


 突然背後からかけられた声に、びっくりして振り返った。

 ギターケースを担いだ裕貴が、そこに立っていた。



◆◆◆



「時々ここで練習するんだ。全然人来ないでしょ。家からも近いしさ」


 侑子の傍ら、比較的平らな場所を選んで裕貴はギターをケースから取り出している。


「まさかゆうちゃんと鉢合うなんてね!」


 大きく裕貴が笑ったその後は、彼の鳴らすギターの音だけが響いて、二人共無言だった。  

 侑子は裕貴の指がコードを抑える様を眺めたり、時折川面に降りてくる鳥の姿を目で追っていた。


「歌う?」


 大分時間が経った後で、裕貴が侑子に声をかけた。


「ああ。歌ったほうがいい?」


 何となくぼんやりしていたが、折角軽音同好会の会員二人で一緒にいるのだ。


「軽音でやってる曲じゃなくてさ。さっきゆうちゃんが一人で歌ってた曲。聞きたいな」


 大きな岩に腰を降ろした裕貴の言葉に、侑子は「ああ」と曖昧な声で濁した。


「上手に歌えないんだよね、難しくて」

「そうなの? 俺実は結構最初の方から聴いてたけど、そんなふうに思わなかったよ。確かにいつものゆうちゃんの歌い方とは声の出し方が違ったけど。新鮮だった」


 そうだったの? と聞き返す侑子に、裕貴は悪びれない笑顔を返してきた。


「ほら、歌ってみてよ」


 やや強引に促すクラスメイトに、侑子は頷く代わりに立ち上がった。

 根負けした訳では無い。実は侑子も歌いたかったのだ。ユウキの歌い方を早く会得したかったのかもしれない。先ほど歌っただけでは、何だか物足りなかったのだ。

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