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6.偽りない感情


 生徒会室を飛び出した私は、とぼとぼと校門に向かって歩いていた。

 夕暮れが、濁った茜色で校舎を染めていく。

 さっき先輩に言われた言葉が、耳の奥で何度も反響して、胸の奥を鋭く抉る。

 わかっていたのに、いざ言われると、胸が痛くてどうしようもない。

 逃げるように俯いた私の頬に、ぽたりと涙がひとつ落ちた。


 ——そう。ほんとうは、ずっと前からわかっていたのだ。


 片桐先輩は、私のことが好きではないこと。

 目の前にいるのに、いつもどこか遠くを見ていた。

 一緒に笑っていても、心はずっと別の場所にいた。

 でも、最初はそれでもよかったんだ。

 私が惹かれたのは、完璧な〝王子様〟ではなくて、その仮面の下に隠された孤独だったから。

 誰にも見せない、欠けたような横顔。

 その珍しい孤独で寂しそうな姿を、素直に支えたいと思った。先輩のかっこよさなんて、正直どうでもよかった。

 先輩を支えられたら満足だ。だから、先輩が私を見てくれなくても、私が先輩を見ていたらそれで満足——だったはずなのに。

 いつの間にか私は、〝王子様の彼女〟という立場に、どこか酔い始めていた。

 女子たちの羨望、噂話。

《生徒会長の彼女》

《あの〝片桐蓮人〟と付き合っている》

 自分でも気づかないうちに、いつの間にかそれを誇りに思っていた。

 虚勢だった。

 だけど、たとえ虚勢でも、私は誰かの特別でいたかった。

 先輩にとって私は〝なんでもない人〟だったとしても、私が誰かに〝羨まれる存在〟になれるのならば、それだけですこしは救われたような気がした。


 結局私も、先輩も、最初から互いを鏡みたいに使って、自分を守っていただけだったのだと思う。

 利用し合って、寄り添うふりをして、ほんとうの気持ちは、ずっと心の底に沈めたままで。

「……でも、私は今も、本気で好きなんだけどな」

 その言葉に、偽りはいっさいない。

 声が震え、涙で前が見えなくなる。

 それでも、あの文化祭前日の記憶だけは、今でも鮮明に焼き付いていた。

 あの日に見た〝王子様〟ではない先輩の顔。

 付き合い始めてからも、なんだかぎこちなくて、他人行儀で。だけど、私に向けられる表情は、日ごろの〝王子様〟とはまたほど遠くて。迷いながら、戸惑いながら、それでも私をまっすぐ見つめてくれた、先輩の横顔は、すくなくとも特別に思えた。

 あれはきっと、嘘ではなかったと思いたかった。


 そのとき、不意にスマホが震えた。

 画面に浮かび上がるのだ、片桐先輩の名前だ。

 表示されたメッセージに、私は思わず息をのむ。

《今どこ。話したい》

「……」

 それは、先輩から発せられた、初めての〝お誘い〟だった。

 私は既読もつけずに、スマホをポケットにしまう。


 ——私の足は、自然と踵を返していた。



 校舎内に戻り、宛てもなく先輩の姿を探した。

 まだ生徒会室にいるのだろうか。

 そう思いながら、階段を駆け上がった。


 人気のない放課後、赤色の陽が窓から差す。

 さきほど飛び出した生徒会室に向かって歩みを進めると、中から片桐先輩が飛び出してきた。

 目を見開き、驚いたような様子の先輩。

 まっすぐ私の顔を見て、小さく口を開いた。

「……既読、つかなかったから。読んでないのかと思った」

 いつも通りを装っているつもりなのかはわからない。けれどその声は、今まで聞いたどの声よりも、震えていた。

 見たことのない悲しそうな表情は、なんだか新鮮に思える。

「ねぇ綾菜、さっきはごめん。俺……ずっと、怖かったんだ。誰かに本気で向き合うのが」

「……」

「〝ほんとうに好きか〟という問いに対しては、申し訳ないけれど、俺は最初は〝好きではなかった〟んだ。でも、そんなこと言えなかった」

 先輩は体も震わしながら、そう弁解した。

 初めて聞いた先輩の本音に、心が強く痛む。けれど、どこか清々しいような気持ちがした。

 だって、私だって、そんな先輩の気持ちに気づいていた。

「……うん、知ってる。先輩の眼中に、私の姿なんてない」

「……」

「そんなの、ずっと先輩を見てきたからこそ、わかっているの」

 静かに告げた私の言葉は、自分でも驚くほど穏やかだった。けれどその奥では、涙も怒りも寂しさも全部がぐるぐると渦巻いている。強く痛めた心の中で、今この状況でもまだ、先輩が好きだと思ってしまう自分がいた。

 先輩は眉を寄せ、何かを堪えるように口を開く。

「……俺、綾菜のことを、最初はどうでもいいと思ってた。君なら、俺に深入りしてこないって、どこかで思ってたんだ。俺は、君を隣に置いておけば、〝いらない虫〟が近寄ってこないと思った。明るくて完璧な綾菜だ。本人に言うのは心が痛いけれど、本気で、君なら申し分ないと思った。告白を受け入れた理由は、それだけだった」

 ひとつずつ、自分を剥ぎ取るようにして言葉を吐いていくその姿に、胸がきしんだ。

 薄っすらとわかっていたことなのに、いざ直接言われると、あまりにも心が痛む。それでも、先輩に対して怒りや悲しみをぶつけようとは思わなかった。

「これまでの彼女に〝重い〟って、言われたことがあるんだ。ほんとうに好きで付き合っていた子に、〝重い〟とか〝キモい〟って言われて、心が折れた。俺からの〝愛〟を、そんなふうに思われているとは、微塵も思わないじゃん」

 その声が微かに震える。

 先輩の言うその言葉には、心当たりがあった。

 数日前、非常階段で聞いた、うわさ話。それは嘘偽りのない、れっきとした事実であると、たった今、先輩自身が証明した。

 

「俺さ、彼女のすべてがほしくなるんだよ。気づけば、その人の感情すらも抱えたくなって……その結果、重たすぎるし、気持ち悪いと言われたわけだけど」

 ——だから、怖くなったんだ。誰かを本気で好きになることも、自分がまた〝壊してしまう〟ことも。

 そして先輩は、ふっと顔を上げた。

「もう二度と、誰とも付き合わないって思っていた。それで告白はすべて断っていたけれど、綾菜ならいいかなって、なぜか告白してもらったときに思った。それは最低な行為だと、思いもせずに。付き合っても、過去の恐怖から、綾菜を〝愛する〟ことはできないと、最初からわかっていたのに。俺は、綾菜を自分のためだけに、利用しようとしたんだ!!」

「……だから最近の俺は、綾菜に嫌われようとしていた。今だって、ほんとうの俺自身を打ち明けて、大嫌いになってもらって、そのまま別れようと思っていた。綾菜にまで〝気持ち悪い〟って思われる前に、自分から壊そうって……」

 そのときだった。

 気づけば、私は一歩を踏み出していた。

 先輩に近づき、悲しそうなその顔を見つめる。

 そして、小さく言葉を投げかけた。

「……先輩。他の女の子が〝重い〟って言ったって、そんなの、私には関係ないよ」

 心臓がバクバクする。唇が震える。

 けれど、それでも言わなければいけない言葉だと思った。

「私は、どんな先輩でも受け入れる。弱いところも、醜いところも、きちんと見せてほしい。偽りなんていらない。完璧なんて、求めてない。だって、私は〝片桐先輩〟自身が、好きなのだから」

 そして、すこしだけ唇を噛みしめ、小さく告げた。

「とはいえ、最初こそ先輩のことが好きで告白をしたけれど、付き合っていくうちに〝王子様〟の〝彼女〟であることに、誇りを抱いていたのも事実。先輩が、最初から私を好きではないことに気づいていた。けれど、それでも誇りを持っていたかったから、先輩に好かれていなくても、隣にいたいと願ってしまったの。ほんとうは、鼻が高くて、周りが先輩に向かって投げかける黄色い歓声が、異常なほど気持ちよかった」

 それは、私自身も初めてこぼした本音だった。

 偽りだらけだった私たちのあいだに、初めて生まれた本音の数々。

 ひとつも嘘はない。

 心のからの、言葉たちだった——。

「私は、片桐先輩が好き。別に、〝王子様〟ではなくてもいい。重くても、気持ち悪くても、なんでもいい」

「……」

「まずは、ほんとうの先輩を受け入れる。そして、それらに問題があるのならば、私はその都度言葉にするよ。そうして、ふたりだけの関係をより強くしていけたらいい。私は、そう思うんだけど」

 私の言葉を真剣に聞いていた先輩の目が、わずかに揺れた。

 潤んだ瞳の奥に、隠しきれなかった本音がにじんでいるように見える。

「……綾菜は、優しいんだ」

 先輩は静かにそうつぶやく。そして、ゆっくりと、笑った。

 その笑顔は、不器用で、ぎこちなくて、でも……今まででいちばん、優しかった。

「でもね、怖いよ、綾菜……俺、自分が壊れてることに、ずっと気づいてた。だから、君まで壊してしまうのが、怖くて……」

「先輩。もう、壊れてるよ」

「……え?」

 私は先輩に向かって、とびきりの笑顔を向けた。

 驚いた様子の先輩に向かって、一度だけ軽く頷く。

「……だって、先輩を好きになっちゃったから。こんなに苦しいのに、こんなに泣いてるのに、それでも……今でも、先輩のことが大好きなんだもん。どうしようもないくらい、好き。それは〝王子様〟の先輩も、その仮面が剥がれた先輩も。今はもう、全部が大好き。とっくに、私も壊れているよ」

「……っ」

 先輩の腕が、私を優しく引き寄せた。

 涙で濡れた頬をぴたりとくっつけて、呼吸を重ね合う。

 ——初めて、先輩に触れた。

 握手すらしたことがなかったのに、突然の抱擁に呼吸が止まりそうになる。

 先輩の体は、ほのかに温かい——。

「……ねぇ、綾菜。ほんとうは最近ね、俺も君のことが好きになっていたんだよ。俺、最初は綾菜のこと、都合よく隣に置いておけばいいと思って、でもそれだとダメだと思って、今度は冷たくして俺のことを嫌いになってもらおうと思っていた。だけど、それもダメだった。俺は、綾菜に最低な態度を取りながらも、ほんとうは、いつの間にか、君のことを好きになっていたんだ……!!」

 先輩は溢れる涙を拭うこともせず、ただ感情のまま、こぼし続けた。

 力強い先輩の腕が心地よい。ずっと欲しかったぬくもりに、私も涙が止まらない。

 〝王子様〟の仮面をつけた片桐先輩は、もうここにはいない。そこにいるのは、ひとりの人間——ほんとうの〝片桐蓮人〟のように思った。

「先輩。私も……ずっと、ずっと好き。どんな先輩でもいい。私はあの頃からずっと、〝王子様〟の仮面を付けていない先輩を見てきたのだから」

 本音はいくらでもこぼれ落ちてくる。

 結局私も、先輩に対して本音でぶつかったことなんて一度もなかったんだと、改めて実感した。

「……うん、ありがとう、そして……ごめんなさい」

 重なった体温に、壊れていた心がゆっくりと溶けていく。

 ぐしゃぐしゃで、不器用で、完璧とはほど遠い私たち。

 それでも、今だけは、お互いの心の奥にある〝本音〟に触れられた気がして、胸の奥が温まった。


 陽が半分ほど沈んだ生徒会室前で、お互いに見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねる。

 交わした初めてのキスは、泣きじゃくったあとの飴みたいに、優しくて、ほろ苦かった。


 壊れかけたふたりの距離が、ようやく重なった気がした。

 これは、恋のはじまりではなく、ようやくたどり着いた〝ほんとうの関係〟の始まり。


 ——王子様の皮を脱ぎ捨てた片桐先輩。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔に浮かべた、不器用な笑顔。それが今まででいちばん好きだと思った。







不器用な完璧たち  終




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