4.本音の吐露
「……よしっ」
今日は、すこしだけ頑張ってみようと思った。
いろいろ考えたけれど、やはり私は片桐先輩が大好きなのだ。だから先輩の心に、もっと近づきたい。それで、すこしだけ、イメチェンをしようと思った。
校則違反にならない程度に、ほんのすこしだけ髪を巻いて、リップも明るめの色をつけてみた。
いつもよりも時間をかけて制服のスカートにアイロンをかけて、ベージュのカーディガンを羽織る。
この色は、先輩が前に『似合いそう』と言ってくれた色だ。
だからこそ、先輩なら何かしらの反応を見せてくれると思った。
『似合うね』
その一言だけでも、先輩に言ってほしかった。
私にとって、〝たったそれだけ〟のこと。
だけど、生徒会室に入った瞬間、私のその〝たったそれだけ〟は、音を立てて崩れる。
「——風邪ひくよ、それ。寒くない?」
「……え?」
先輩は私の顔はいっさい見ずに、服装だけを見てそう言い放ったのだ。
いつもの優しい笑顔を浮かべている。
だれど、まるで私の顔など見えていないようだった。
——え、待って。それだけ?
『似合うね』でも、『今日かわいいね』でもない。放たれたのは、まさかの注意みたいな一言。
それが、先輩の答えだった。
「……え……あ、そうですかね、なんか、すみません」
「……」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。
表情が強張るのもわかる。不自然に口角が上がり、抑えきれない。
それなのに胸の中では、洪水みたいに何かが大暴れをしていた。
——単純に、気づいてほしかった。
〝似合うね〟、〝かわいい〟って言ってほしかった。
……ああ、みじめだ。みじめで、虚しくて、あまりにも自分が憐れでむかつく。
私はただ、先輩に変化を気づいてほしくて。それで普段よりすこしだけ、勇気を出しただけなのに。先輩の心に近づきたいと思っただけなのに。どうして、こんなにみじめな気持ちにならなければならないのか。
「……」
感情が、抑えきれない。
握りしめた拳が震え、全身に熱がこもっていく感覚がする。
そして、喉まで出かかっていた言葉が、ついにこぼれてしまった。
「せ……先輩って……私のこと、ほんとうに好きなんですか?」
息を呑む音が聞こえた気がした。
生徒会室の空気が、一気に変わる。大好きな先輩は目の前にいるのに、どこか遠くにいるみたいだった。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
ナンデ。
——そう聞かれると思ってなかった。
だって、私が求めていた返答ではないから。まさか、疑問に疑問が返ってくるなんて、まったく思っていなかった。
私は『ほんとうに好きか』と聞いたんだ。
違う、違う。
別に彼を問い詰めたかったわけではない。
ただひとこと、〝好きだよ〟って、言ってほしかった。ただそれだけもらえたら、また私は安心して、先輩の隣にいることができたのに——。
心が崩れていく音がする。
一生懸命に蓋をしていた感情が、次々と溢れて止まらなくなっていた。
「……だって、せっかくお付き合いしているのに。私ばっかり、先輩のことが好きみたいだから」
視界が歪んだ。喉が詰まって、息がうまく吸えない。
でも、絶対に泣きたくなかった。泣いたら、すべてを〝面倒な感情〟にされてしまいそうだったから。
私は泣かない。泣いてはダメだ。
にじむ涙をこらえながら、もう抑えきれない感情を吐き出し続ける。
「メッセージも、返してくれない。デートも、どこか上の空。私から話しかけても、ぜんぜん目を合わせてくれない。手すら、握ってくれない。そのうえ、〝好き〟って言葉すら、一度も聞いたことがない!!」
自分でも、いつのまにこんなに積もっていたのだろうと思うくらい、ほんとうに言葉が止まらなかった。
「私、先輩のこと大好きなのに。どうして、私はこんなにも、孤独で不安な感情を抱いているの? 付き合っているって何? 肩書きだけなの? 私、片桐先輩と、もっと恋人らしいことをしたいの!!」
先輩は、静かに目を伏せていた。
手に持っていたプリントを机の上に置き、小さくため息をつく。
どうして、先輩がため息をつくの?
ため息をつきたいのは、こっちなのに——。
先輩は目を伏せたまま、小さく言葉を発した。消え入りそうなくらい弱々しい声に、頭が痛くなりそう。
「……綾菜、ごめん。俺、うまくできないんだ。そういうの」
ただ、それだけだった。
弱々しいけれど、まるで〝別に君が悪いわけではない〟と言わんばかりの優しい声で。
でもその中途半端に思える優しさが、今はいちばん苦しかった。
——〝好きではない〟って言ってくれた方が、まだよかった。
「……ふーん。そっか!」
なんて思いながらも、口は勝手に笑っていた。
明るい声を発し、先輩を見つめる。
瞼が熱い。鼻の奥がツンとする。
涙なんて絶対見せたくなかったのに、結局ひと粒、ぽたりと落ちてしまった。
ああ、ダメだ。
これ以上ここにいたら、もう立っていられなくなる。
言わなくてもいいことを、ぽろぽろとこぼしてしまう。
「……ごめんなさい、今日早退してもいいですか? 片桐会長」
椅子を引く音だけが、生徒会室に響く。
私はそのまま鞄を抱えて、扉に手をかけた。けれど、背後からは、何も声がかからなかった。
——たった一言でよかった。
『待って』でも、『行かないで』でも、『綾菜』でも。
どんな言葉でもよかった。それが、なにもなかった。
片桐先輩が生み出したその沈黙が、いちばん残酷だった。