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1.学校の王子様


 秋が近づくたびに、なんとなく思い出す。

 この廊下を歩くときの、すこしだけ浮ついた気持ち。

 チェック柄のスカートが揺れて、誰かとすれ違うたびに、自分の中にある〝好き〟がざわつくような、そんな季節。

「ねぇねぇ、見た!? 今日の片桐(かたぎり)先輩、また朝からファンクラブに囲まれてたんだけど!」

「やばー、マジで王子様よね! てか顔面偏差値高すぎて、意味わかんない」

 隣でキャッキャと騒ぐ友達の声を聞きながら、私は笑ったフリをした。

 周りの誰もが——仲の良い友達すら、知らない。

 だって、私の彼氏のことなんだもん。

 そんなの、ほんとうは、ちょっとだけ鼻が高いに決まっている。


 けれど、心のどこかで、わずかに引っかかることがある。


 ——ねぇ、片桐先輩。

 私たちって、ほんとうに『付き合っている』のですか?



 今日も生徒会室には、静かな空気が流れていた。

 意図せず会長の片桐先輩と一緒になった、水やり当番の日だ。

 窓からオレンジの日が差す生徒会室で、先輩とふたり、ジョウロを探していた。

 生徒会役員である私、平野(ひらの)綾菜(あやな)は、生徒会長の片桐(かたぎり)蓮人(れんと)先輩と当番のペアだ。

 誰もが羨む先輩との活動、そして——彼女というポジション。

 だけど、不思議とドキドキはしなかった。

 付き合う前なら、きっと鼓動の音だけで胸がいっぱいになっていたはずなのに。


 最近は、大きな行事もなくて、生徒会室はいつも静かだ。

 水やり当番も、ただのルーティンみたいに過ぎていく。

 ときどき書類整理をしたり、備品を数えたり。

 そんな、なにげない仕事だけが、今の〝ふたりの関わり〟を繋いでいた。

「……これだね」

 低くて、すこしかすれた声。

 振り向くと、片桐先輩が無言でジョウロを差し出してくれていた。

 あぁ、やっぱりかっこいい。先輩はジョウロを持つ指先まで絵になる。

 でも、どこか遠い。

 付き合っているはずなのに。

 触れたくても、触れられない。微妙な距離があるような気がした。

「ありがとう、先輩」

 お礼を言いながら受け取ると、指先が一瞬だけ触れる。

 そのとき、私は慌てて手を引いてしまった。触れてはいけない、とっさにそう思ったから。

 けれど先輩は、まるで最初から〝何もなかった〟かのように、目を伏せたままジョウロを見つめる。その様子に、心がチクリと痛んだ。

「……花壇、行こうか」

 先輩はそれだけ言って、すぐに歩き出す。

 私は慌ててその背中を追いかけた。

 ——どうしてだろう。

 好きな人のはずなのに。私と先輩は両想いのはずなのに。

 どうしてこんなにも〝置いていかれる〟感覚があるのだろうか。


 先輩の背中を追いかけながら、ふと——去年のことを思い出していた。

 まだ、生徒会に入る前。名前も顔も、今ほどきちんとは知らなかったころの、あの日。

 文化祭前日の放課後だった。

 私は教室に忘れ物を取りに行く途中、たまたま生徒会室の前を通りかかった。

 なんとなく中を覗くと、薄暗い室内で、誰かがひとり黙々と作業をしていたのだ。

 段ボールを片付けて、机を並べ替えて、掃除機までかけている。

 その人こそ——当時も生徒会役員の、片桐先輩だった。

 誰に見られているわけでもないのに、先輩は黙々とサボることひとつせずに、けれど丁寧に、作業を続けていた。

 ときおり机に手をついたまま、ひとりぼんやり外を見る。その姿が、私にはどうしようもなく寂しそうに見えた。

 人気者の先輩だ。あのころも途切れることなく彼女がいたはず。それなのに、どこか寂しそう。

 日ごろ見かける先輩とは、イメージがかけ離れている。

 キラキラ笑顔で、王子様のような先輩はどこにもいない。

 ——この人も、こういうオーラを出すんだ。

 それが、先輩に対して初めて抱いた印象だった。

 私は、みんなが噂する先輩には、いっさいの興味がなかった。けれど、あのとき見た背中には、なぜか興味を惹かれた。

 理由なんてわからない。ただ、見てはいけないものを見てしまった気がして、あの日から、ずっと目が離せなくなっていたのだった。




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