ミニマリズム(こんとらくと・きりんぐ)
夜。街灯も看板もない草原の道をライトで照らしながら、涙色のクーペが走っていく。
運転席では殺し屋が開きっぱなしのウィンドウに肘を乗せて、ショートカットの少女、もしくは長髪の少年に見える髪を夜風になぶらせていた。
殺し屋は人差し指でハンドルをトントン軽く叩きながら途中の町で嫌というほどきかされた流行歌を鼻歌で鳴らしていた。
その歌はメロディはいいのだけど、歌詞が破滅的にくだらなくて、曲だけできければと何度も思っていた。
あんなにきいた曲なのに、三度目四度目と鳴らしているうちに、まったく違うメロディになってしまい、メロディまでが破滅的にくだらなくなったので、殺し屋は歌うのをやめた。
道路はライトが投げかける光のなかでしか見えないが、それでも時速六十キロは出しても大丈夫だと思った。星空が起伏のない地平線を縁取り、外から吹き込む風は露に濡れた緑のにおいがした。
殺し屋は車を路肩に寄せて停めた。
懐中電灯をつけて、手元に光が来るようにダッシュボードに置いた。
助手席には軍用拳銃が転がっていた。
殺し屋は手袋をしてから銃を取ると、スライドを引いた。
空っぽの薬室が見えた。
スライドストップを指で下げて、スライドを戻すと、きちんとグリースを塗られた金具がカチャと音を立てた。
殺し屋はグローブボックスを開けて、スポーツ用品店で買った三十二口径の弾薬箱を取り出した。赤いボール紙に32スペシャルと書かれた箱を開くと、弾丸は丸い底を上に向けて並んでいた。
殺し屋は銃から弾倉を取り出すと、弾をひとつずつ、弾倉に押し込んだ。
押し込むたびに弾倉のスプリングの抵抗を薄い手袋越しに感じた。
弾倉に七発の弾を込めると、今度は銃を手に取り、スライドをまた引いた。
空っぽの薬室に弾を一発入れて、スライドストップを指で下げた。
カチャッとスライドが戻った。いま、この瞬間から銃は人を殺せるようになった。
殺し屋は撃鉄を左手の人差し指で押さえた。そして、引き金を引いた。
撃鉄のストッパーが外れて、指に抵抗があった。
殺し屋は少しずつ撃鉄の上に動かしていき、静かにハンマーを撃針の位置へと戻した。
この銃には安全装置がついていなかった。陸軍の工場が工程をひとつ減らしたせいで、安全装置がつけられなかったのだ。
だから、撃鉄が安全装置の代わりになる。使うときはこれを指で起こして使う。
ただ、この状態だと撃鉄に何かが強くぶつかっただけで撃針が弾の底の雷管に突き刺さる。
薬室を空っぽにして、スライドを引く手もあるが、時間がかかり過ぎて、最初の一発を相手に撃たせることになる。
結局、相手に撃たれるか、銃が暴発して尻の肉をえぐるかのどちらかを選ばないといけない。
「だから、戦争に負けるんだ」
この銃をつくった工場は空襲で燃えてしまい、この銃がいつ作られ、どこに配られたかの記録は残っていない。指紋をつけずに現場に残していけば、絶対に跡を辿れない。
だから、この銃を使うのだ。
殺し屋は腰を浮かせて、銃をベルトの背中へ挟み、セーターを引き下ろして隠した。背中と座席のあいだに挟まれた銃に固いものがぶつかる心配はこれでない。
ダッシュボードの懐中電灯を消す前に、ターゲットの写真を再確認した。
下膨れの顔の男が目をきつくつむっている。
三年前のギャング会議に警官隊が踏み込んだときの写真だ。
警察署で写真をとられるとき、ターゲットはわざと目をつむった。
何度やっても、目をつむられたため、警察はこれで我慢したのだ。
写真をポケットに入れると、懐中電灯を消して、助手席に転がし、鍵をまわして、イグニッションボタンを押した。
涙色のクーペは走り出し、円錐形の光を前へ投げだしながら、道路を走っていった。
三十分ほど走ったとき、暗闇にひとつ、光が瞬いた。星とは違う、強い光で、それがだんだん大きくなり、食堂の窓の形になった。
ネオンサインがひとつ。〈カーソンズ・ダイナー〉。
駐車場には一台も停まっていない。
殺し屋はバックで入り口ドアのそばに停めた。
こうこうと光る電灯。外から見る限り、カウンターにもテーブル席にも客はおらず、ウェイトレスもいない。
いるのは店主だけだ。雑誌か新聞を読んでいる。
下膨れの顔に顎髭を目いっぱい生やした店主。
殺し屋はベルトの後ろから銃を抜き、銃を少し傾けながら、親指で撃鉄を起こした。
ガラスドアを開けると、バタンと音がした。
ドアの横に紐で吊るされた靴があって、ドアを開けると、紐が靴を巻き上げて、それから落ちる仕掛けがしてあった。
よくあるベルをドアの上につけるのとは一線を画した個性だった。
店主が雑誌から顔をあげた。
殺し屋はその顔に二発撃ち込んだ。
店主は雑誌をきつく握ったまま、コンロ台にぶつかって倒れ、タイルに血がはねた。
殺し屋は銃をカウンターに置いて、出ていった。
割と大きな町。
どのくらい大きいかというと、歓楽街の酒場が全て法律を破って、夜明け直前まで営業するほどには大きい町。
殺し屋は宿屋に車を止め、夜明け間近の薄暗い道を歩いて、酒場のひとつをたずねた。
階段を降りた先にドアがあり、開けると、スロットマシンが並んでいた。
店は閉まっていた。客は家に帰るか、酔っぱらって壁に寄りかかるかしている。白髪の黒人が洗剤をモップで広げて、客の吐いたゲロを片づけていた。
いかつい肩をして、ショルダーホルスターを見えるままにしている男が殺し屋を見た。
男は立ち上がろうとしたが、半分開けてある隣のドアから依頼人の声がした。
「いいんだ、ジョーイ。そいつは通せ」
男は座って、雑誌を読み始めた。
依頼人のオフィスは船の運航表が何枚も貼ってあって、飾られた写真は逆さづりにしたカジキマグロの横で釣り竿を持って誇らしげに笑う依頼人のものばかりだった。
依頼人は報酬の札束を三つ積み重ねて、たずねた。
「本当にやったんだな?」
「はい」
「そうか」
依頼人は札束をアタッシュケースに入れて閉じ、殺し屋のほうに押し出した。
「悪いがな、二十四時間以内に、この町を出てってくれ」
「わかりました」
殺し屋が部屋を出るとき、依頼人が疲弊したボクサーみたいにつぶやいた。
「兄弟だ。兄弟同然だったんだ」