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エピソード3

最愛なる妻


2011年2月14日・・・

私は今まで生きてきた人生の中で、最愛の人を失い、そして・・・

最大の後悔を背負って生きている。


「ごめんね 美香 守ってあげられなかった・・・」


妻からの最後のバレンタインプレゼント 

それは 果てしなく遠い空から舞い降りた たくさんの雪でした・・・




2011年4月3日・・・

妻がこの世から旅立ち、仏の道へ進む日、四十九日だ。告別式の時とは違い、小さめの部屋で執り行われた。親しい仲間と親族のみの参加だったが、皆、妻とのお別れのために、忙しい中にも関わらず参列したくれた。

私は祭壇に飾られている妻の遺影をずっと見つめ、込み上げる悲しみを押さえる事に精一杯だった。それと同時に、四十九日前夜に私の夢の中に出てきてくれた妻の事を思い出していた。

優しく抱きしめて微笑んでいる妻・・・たぶん、妻からのお別れの挨拶だったのだろう。




またいつものように会社と自宅の往復の日々が始まる。ただ今までと違うのは、帰宅しても妻は出迎えてくれない。車庫入れする時のエンジン音がすると、玄関を開けて待っていてくれている。時には、夕飯の支度をしながらキッチンから「さとし、おかえり!」って。今は娘がたまに出迎えてくれるが、うれしくもあり、悲しくもある。

晩御飯を作るのは基本的に私の役目。妻のような美味しい物は作れないから「男の料理は豪快だ!」と、言い訳に過ぎない「焼くだけ・揚げるだけ、チンするだけ」の簡単な物を作る。それでも子供達は美味しいって言ってくれるから助かっている。今まで以上に家族の時間を作らなくてはと思い、残業しないように帰宅する日々。しかし、寝室に入るといつも孤独と寂しさに襲われてしまう。妻の事を思い出さない夜はない。生前、私は妻にいつもベッドに入ると同じ言葉を言っていた。

「ちょっと前までは会社で会うだけの人だったのに、今はいつも横にいるね」って。

結婚しても、私は妻との生活が新鮮で楽しく、いつでも恋人の感覚でいたのだと思う。今は・・・妻の枕の上に亡くなるまでかぶっていたニット帽を置いている。そして私が離さず持ち歩いている「結婚指輪と遺骨の入ったペンダント」をそっとその上に置いてから横になる。

私の寝室には、妻との思い出の品や写真が所狭しに飾ってある。長い一日のうち、必ず妻との時間を作るには、誰も居ない自分の寝室くらいしかないからだ。

妻を失った寂しさを少しでも紛らわせる事が出来ないかと、私は、とある本を購入した。そしてそこにはこう記されている。

「亡くなった人をいつまでも悲しみ思い続けるのは執着である。それよりも、故人を安心させて、元気に過ごしている姿を伝える事が大事である」と。

私には正直分からない。分からないというよりも、このまま時間が過ぎて行き、少しずつ妻のぬくもりや思い出が薄れていってしまうような気がして、自分の未来が怖く感じてしまうのだ。本当に妻は一人で旅立ってしまい寂しい思いをしていないだろうか?私はいつもそんな事を考えながら眠りについている・・・。


このまま永遠に目が覚めなければどれだけ楽か・・・。



季節は初夏を迎えようとしている。8月には新盆を執り行う為に、今度はお墓の手配をしなくてはならない。妻の実家に何度も足を運び、妻の実家としての墓石を建てる事にした。以前、お義父さんが購入していたという墓地があるというので、始めはそこを見に行った。第一印象はあまり良くないイメージが正直な気持ち。家からも遠いし、木々が生い茂っていて、暗い感じだった。次に見学に行った所は霊園。きちんと整備されており気軽に立ち寄れる雰囲気だった。私は義父達の前では言葉に出さなかったが、この霊園がいいと決めていた。そしてその場で石材屋の方に見積もりをお願いしてしまった。


7月20日・・・

妻の39歳の誕生日。私はケーキを用意し仏壇に供えた。子供達の手前、明るく振舞っていたが、私の心の中は「こんな悲しい誕生日」を迎えるのは辛かった。でも、この気持ちは子供達もきっと一緒なのだろう。お互い口にはしないが、それぞれが悲しい気持ちに打ちひしがれているに違いない。みんな、まだまだ妻を・・・お母さんを感じていたいんだ。

「美香、誕生日おめでとう。また俺と5歳差になったね。」

この言葉は、毎年妻の誕生日になると、私との歳の差が5歳開くといった、妻を冷やかす表現だった。あと一ヶ月もすれば私の誕生日がきて、また4歳差になるのに。こうやって私は、妻をかまうのが日常であり大好きだった。でも、もう妻の歳は、ずっとあの日のまま・・・。そのうち私が妻の歳を追い抜いてしまうのだろう。そう思うと、やはり7月20日は切ない誕生日となってしまう。


8月 墓石のデザインも完成し、着々と工事が始まっている。石材選びは意外と簡単に決める事ができたが、やはりデザインには少々意見がぶつかった。墓石の文字や柄など、それぞれの意見があるのは当たり前だ。でもいつまで悩んでも仕方ないので最終的には大半のデザインは私が決めてしまった。墓石の中心には妻の名前から美香の「美」の文字。もちろん美香の「美」でもあるが、

「美しい家族」「美しい絆」の意味も含めている。墓石の左側面には「永遠にともに」の文字。

「永遠にともに」とは、結婚して一年くらい経った頃だろうか、私と妻がお互い違う場所に居たにも関わらずたまたま同じラジオから流れる曲を聴いていて、二人とも気に入ってしまった「コブクロ」の曲のタイトルだ。それからはこの曲を携帯電話の着信音にしたり、CDを購入して車の中で聞いたり歌ったりしていた。言い過ぎかもしれないが、二人の「テーマソング」みたいな物だった。だから私は、妻との過ごした日々をこの文字と一緒に墓石に捧げたのだ。


8月7日 暑い日ざしの中での納骨式。妻の遺骨は仏壇から墓石内に安置されるのだ。住職にお経をあげてもらい、滞りなく式は完了した。お義母さんは娘をお墓に置いて帰ってくるような気がして寂しそうだったが、遺骨がいつまでも側にあって毎日悲しむよりは、お墓に安置してたまに会いに来るぐらいで良いだと思う。だって、遺骨はお墓にあるかもしれないけれど、美香の魂はいつだって皆の心の中にいるはずだから・・・


8月14日新盆

親族や友人達が我が家に集まった。立派な祭壇を用意して、準備は万端だった。20名程集まっただろうか、リビングと和室がいっぱいになってしまった。妻に会いにこれだけの人が来てくれたのだ。

住職に経を賜り、軽い食事を振る舞った後、ふと私はある事に気が付いた。お義母さんが離れた場所から悲しそうな顔で祭壇(遺影)を見ている。当たり前だが、娘を失った悲しみが少しも癒えないのだろう。ここに集まった全ての人も、私やお義母さんとは違った愛情と悲しみを抱いているのだと改めて感じた。

翌日、妻をお墓に送り、新盆を滞りなく済ませる事ができた。しかし私の気持ちはいつでも妻と一緒にいるのだと思っているから、寂しい気持ちはあまりなかった。これからは必ず月命日にはお墓参りをして、妻が安心できる日々の報告をしてやるんだと誓った。





夏も終わりに近づき、秋の気配が出始める。青空が透き通って、その青さは果てしなく遠くまで続いている。季節の変わり目が原因なのかは分からないが、また私は、妻との思い出に更けてしまう事が多くなっている。一年前の今時期に、妻と二人で公園に散歩に出掛けた事が印象深く残っているからかもしれない。手をつなぎ、落ち葉を踏みしめながらゆっくりと一緒に歩く。木漏れ日を浴びながら・・・妻の病気の事なんてすっかり忘れてしまうくらい楽しかった。

妻と一緒にいられるなら、本当に場所なんてどこでもよかった。だから、今の私がどこで何をしていても、妻との思い出を振り返ってしまうのだろう。今になって痛感させられたのは、本当に妻が大好きだという事だ。

これからの私は何をどうして行くのか正直分からないが、はっきり言える事は、妻が一番気に掛けている事を私が代わりにやってあげる事だと思う。「くみ、明日香」二人の娘が学校を卒業し、就職、恋愛、結婚・・・自分の新たな居場所を見い出せた時、私の役目はひとまず終わりかなと思う。その時までは私も一生懸命に生きるしかない。子供達が独立して私の手から離れたら、きっと妻も安心してくれると思う。

最後の最後まで私は妻を守ってやれなかったし、何もしてやれなかった。こんな情けない私を妻は愛して頼ってくれていたのに・・・。やっぱり今の私には、悔やんでも悔やみきれない程の後悔しか残っていない。だから、妻の分まで子供達を私は育てると決意したんだ!

「血の繋がりなんて関係ない。心の繋がりが大事なんだ。」



季節は本格的に冬へと近づいている。掛け布団も一枚多くし、冷えた部屋では毎朝布団から出るのも一苦労だ。一年前なら妻の声で起こされる日々だったが、今は誰も起こしてくれない。自力で起きるのが当然の話だが、ふと、妻が寝室に向かって起こそうとする叫び声が、たまらなく懐かしく、寂しさを蘇らせる。こういった事は、朝に限って起きる訳ではない。仕事をしていても、運転をしている時でも、テレビを見ている時にでも起きる。

公園の近くを通れば、「手術前に散歩しに来たなぁ」とか、会社にいれば、「妻とここで仕事をするはずだったんだなぁ」とか、本当に何気ない日常の中に妻との思い出が溢れ出てくるのだ。夕暮れ時に思い出すと、涙まで込み上げてしまい、いつまでたっても妻の事を思い浮かべる。逆に、妻を忘れてしまうという事は、もう・・・それは私ではないとも思う。

12月、クリスマスがやってくる。ちょうど一年前は手術前の病院でクリスマスを迎えた。妻とのメールでは「離れてクリスマスを過ごすのは初めてだね」と、確かに結婚生活7年間で初めて別々にクリスマスを迎えた。当時は、クリスマスが別々でも、また元気に退院して一緒に過ごせる日が来るのだから何とも感じなかったのが本音だった。こうして現在、こんな事になるくらいなら、もっともっと側にいてやりたかった。またここでも後悔の念が押し寄せてくる。

年末年始はこれといって正月気分にもなれず、私は仕事に明け暮れていた。会社で仕事に没頭していると、多少ながらも気が紛れるからだ。正月といえば、妻が毎年作ってくれた「おせち」を思い出す。妻と一緒になって初めて食べるおせち料理もあり、とても印象的で美味しかった。今年からはその美味しさを味わえなくなると思うと、また妻の存在が大切に思え、同時に寂しさを感じるのだ。


1月も終わる頃、関東圏では雪が舞った。私はやはり仕事に明け暮れていたが、妻の親友から届いたメールで動揺する。

「雪を見ていると、美香が亡くなった日を思い出すね」

妻が天国へ旅立った日は、珍しいくらいに雪が降り、辺り一面を真っ白に染めていたのだ。もうすぐ・・・妻の命日が訪れる・・・。






2月1日 結婚記念日。

一人ぼっちの記念日を迎えてしまった。仕事帰りにコンビニへ寄り、仏壇へ供えるケーキを買っていった。


2月12日 一周忌法要。

法要は霊園にて執り行われた。20名程の人達が参列してくれ、喪主として私は皆を出迎える。冬空の下、この日は風が強く、日向にいても身体の芯から冷え込む寒さだ。あの日から、もう一年が経とうとしている。そして、この一年が、長い夢であってほしいとも思う。私が言いたい事は、妻が旅立ったあの日から何も変わっていないし、変わろうともしていないって事だ。一年という節目を迎えたところで、妻への気持ちは変わらない。執着と言われればそれでいい。きっと本当に未練や執着だけであれば、きっと私は妻を追いかけもうこの世にいないと思う。ただ、気持ちの整理が未だにつかないだけなんだと思う。


私はこの先はいったいどうなるのであろう?

妻を失い、今の目標というか、生きるための義務というか、私の存在価値は天国にいる妻を安心させてやることなのかな?でも・・・ぽっかり穴の開いた心を埋める手立てが未だに無いのも事実。妻が今、一番望んでいることは、いったい何だろう?

美香の声で・・・美香の言葉で・・・美香会いたい・・・。

そして、私との結婚生活が幸せだったのか?もう一度だけでいい、妻の笑顔に触れたい。妻を守れなっかた悔しさを、もう一度謝りたい。


そして、いつの日か、娘たちにも教えてあげたい。


「ママは一生懸命に病気と闘った。

辛くても辛くても、弱音を吐かずに生きようと戦い続けた。

ママは最後までとても格好良かったんだ。

だから、そんなママを誇りに思い、これからを生きなさい。」と。


                         END


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