エピソード1
出会い
あなたは10年前の今日、どこで何をしていたのか覚えていますか?
「まったく覚えていない」という人がほとんどでしょう。
スケジュール帳を見ようとしても、さすがに10年も前になると残っている人は少ないのではないでしょうか。たとえスケジュールや記憶が存在していたとしても、時系列で何をして行動していたのかまでは分からないはずです。本当に特別な出来事がない限りは・・・。
私は若い頃、どんな職に着いても長続きしない時期があった。どうでもいい、つまらない事を理由に、自分に都合の良い言い訳をしては会社を辞め、職を転々としていた。
ある日、求人広告を見ていると、見覚えのある運送会社の掲載が目に止まった。
「たしか街中でこの会社のトラックをよく見かける。給料も悪くない。」そんな安易な考えで面接を受けようと思った。これといって何も考えず翌日には面接を受けに行き、早く人手が欲しい事が幸いし、経験のある私は翌々日に採用の連絡をもらった。また来週からは心機一転、新しい仕事が始まる事となり、さらにこれが私の運命の岐路となったのです。
私の仕事はトラックに乗り、荷主のセンター(物流倉庫)で荷物を積み込んで指定のお客へ届けるという、運送会社ではよくある内容の業務だった。しかし、唯一の想定外はセンター内で働いている人たちが「女性」ばかりだったのです。正直、私は女性と働くのが苦手。例え相手がオバちゃんだったとしても、それなりに気を使うし、何より女性の多い職場は何かと「派閥」を作る事が多い。案の定、入社し三ヶ月にしてこのセンター内でも、特定の仲良しグループに別れているのが分かった。表面上では誰もが仲良く協力しているように見えるが、一歩外に出てしまえば愚痴や文句のオンパレードだった。中にはイジメを受けた人までいると言う。こんな場所で深く関わればいつか自分にまで被害がありそうだと思っていた私は、余計な会話を避け、目立たないようにやり過ごしていた。
ある日、いつものように積み込みをしていると、私の元へ大川さんが近づいてきた。大川さんは私より七つ年上で、小学生の娘さんがいるシングルマザーだ。以前に会話した中で覚えているのはそれだけ。そんな人が私なんかに何の用だろう。私が仕事上で何かミスでもしたのだろうか?脳裏には不安しか過ぎらなかった。そんなおどおどしている私の気持ちとはうらはらに、大川さんから意外な言葉を掛けられた。
「今度の週末に飲み会をするから来てほしい」
という誘いだった。センター内の女性陣と我々ドライバー陣で親睦会を開くらしく、私以外はOKを貰っているのでこの場で返事がほしいと言うのだ。私は一瞬で「行きたくない」と思ったが、即答で断ると後で何を言われるか分からないし、名目上では親睦会となっているので渋々出席する事にしたのだ。当日、往生際の悪い私は仕事を理由にしてわざと30分程遅れて店に入った。座敷には同僚のドライバーが三人と、女性陣が四人。そこに私が加わり四対四。これではまるで「合コン」だ。つべこべ言っても仕方なく、お開きの時間まで我慢したら後は逃げるように帰ればいいと気を取り直した。私の横には以前に数回会話した事のある「盛谷さん」が座っていた。何を飲むかと聞かれ、私はお酒が弱い事を告げると、アルコールの弱い甘いカクテルを勧めてきた。私も時間が来るまでシラフで乗り切るのもツラいと思っていたので、そのカクテルをちびちびと飲む事にした。盛谷さんは私より四つ年上で、小学生と幼稚園の二人の娘さんがいるシングルマザーだという事が分かった。世間話をしている最中も、小皿に料理を取り分けてくれたり、いっぱいになった灰皿を交換してくれたりと、とても気の利く女性だった。しばらくして私は久しぶりのお酒と週末の疲れから酔いが回ってしまい、解散後も店の外で休憩してから帰ろうとしていた。すると、さっきまで横にいた盛谷さんが酔い覚ましをしている私が心配で来てくれたのだ。いくら「大丈夫だから」と言っても、「子供を実家に預けているから私も暇だし付き合うよ」と、また世間話の続きが始まってしまったのだ。さっきまで飲みの席にいた時とは違い、端から見ればカップルが仲良くお喋りしているかのように会話は盛り上がった。娘さんの話、仕事の話、恋愛の話、会話は途切れる事がなかった。これまでの「女性が苦手」という私の概念と先入観はいつの間にか消えていて、知らず知らずに私は彼女の事を「ちゃんと一人の女性」として受け入れていたのかもしれない。気がつくと辺りのお店の看板は灯りを消し、歩く人の姿も見えなくなっていた。
「俺たちもそろそろ帰ろうか?」
すっかり酔いも覚めた私が言うと、彼女は黙り込んでしまった。そしてうつむきながら重い口調で「付き合ってほしい」と、告白されてしまった。私が入社し、真面目に黙々と仕事をしている姿が以前から気になっていたと言う。
「バツイチだし、子供もいるし、ダメ元だからあまり深く考えないでね」それまで私は、子持ちの女性と付き合った経験もないし、むしろ子持ちの女性と結婚なんてあい得ないという考えの持ち主だった。なにより出会ってから間もないし、彼女の事を何も知らない。彼女も私と同様のはずだ。私は彼女からの告白に動揺が隠しきれなかったが、なぜか「ごめん」の一言も言えなかった。今思い返せば、その時すでに彼女の魅力というか不思議な感情に入り込んでしまったのかもしれない。とりあえずその場は「友達から」と、連絡先を交換し、彼女を家まで送り届けた。
数日後、私は盛谷さんを食事に誘った。もちろん、お子さんに迷惑が掛からないように段取りをつけてもらうのが前提だ。そしてこの時までの私の気持ちは「友達のままでいよう」と告げると決めていたのだ。当日、食事を済ませ何気ない会話をしていると、彼女は別れた旦那さんの話をしてくれた。
「下の娘はまだ小さかったから父親の顔すら覚えていない。上の娘と私は、酔っ払った旦那から暴力を受けていた」
と言うのだ。それを聞いた私は、そんな事が実際にあるのだと心が痛んだ。
「今度は子供たちも一緒にメシに行こうぜ」
私は自分で何を言っているのか分からなくなった。付き合う事を断るつもりでいたのに、子供たちまで誘ってしまったのだ。だけど、何故か不思議と後悔はなかった。
それから何度くらい二人で会っただろうか、とうとう二人の娘さんと会う日が訪れた。私は彼女の自宅に招かれたのだ。彼女の自宅は住宅街にあるアパートの二階。緊張しながらインターホンを押すと、出迎えてくれたのは彼女一人だけ。
「娘さんたちは?」
と聞くと、恥ずかしいから奥に隠れていると言う。手土産を渡し部屋に上がると、彼女は子供たちに挨拶するよう呼びかけた。すると、奥の部屋から恥ずかしそうに、お姉ちゃんとその影に隠れるように妹が出てきたのだ。お姉ちゃんの名は「くみちゃん」妹の名は「明日香ちゃん」。とっても可愛らしく緊張している様子だったが、初めて会う私を警戒せずに温かく迎え入れてくれた。その日はあまり長居すると子供たちが気疲れしてしまうと思い、軽くお茶をしたら帰る予定でいたが、子供たちの話題を中心に話が盛り上がってしまった。そして私がそろそろ帰ろうとし立ち上がると、子供たちが寂しそうに玄関まで見送ってくれた。階段を降り、外からふと彼女の部屋を見ると
「また遊びに来てね~!」
と、子供たちがベランダから大きく手を振っていた。
「また来るから元気でいろよ~!」
私も手を振り返してから車に乗り込んだ。帰りの車中、私の頭の中は屈託のないあの子たちの笑顔でいっぱいだった。それからというもの、私は週末になると彼女や子供たちに会いに行っては一緒に遊んだり食事をして過ごし、休みの日がとても楽しくて仕方がなかった。
「これって、家族みたいだな?」
自問自答している私は、すでに盛谷さんの事が好きになってしまったのだ。そして今こそ彼女に言わなければならない事がある。
「俺で良ければ付き合ってくれないか?」
彼女は笑顔でうなずいてくれた。
それからは仕事が終わった後でも彼女の家を訪れる事が多くなり、その度に四人で晩御飯を食べては子供たちが布団に入るまで一緒の時間を過ごした。時には、彼女が休日出勤で家に居なくても、私と子供たちだけで過ごす事もあった。しかし、この充実した日々の中で私の脳裏にはいつも見え隠れしている悩みがあった。それは「このままでいいのか?」という事だ。正式に付き合い始め、子供たちからしてみれば私はママの彼氏。子供の教育上や実父へのトラウマなど、いつも問題がないのかと悩んでいたのだ。そんな私の気持ちは彼女にも気付かれていた。
「結婚している訳でもないし、無理に父親っぽくなる必要はない」
と、彼女は言う。しかしこれから彼女と付き合っていくという事は子供たちの「未来」も考えていかなければならないと感じはじめていた。それは、付き合い始めてから四ヶ月目の頃だった。
ある日の夜、いつものように晩御飯を済ませ子供たちが寝静まった頃、夜遅くなってしまった事と、翌日が休日という事もあり、初めて彼女の家に泊まる事となった。翌朝、私が目を覚ますとキッチンからは皆の声と美味しそうな香りがしてきた。寝坊してしまった私が慌てて起きると、三人は笑顔で挨拶をしてくれた。彼女は手馴れた手つきで朝食の準備をし、ちゃんと私の分を用意して待っていてくれたのだ。
「いただきまーす!」
四人揃っての朝食に、私は心から幸せを感じていた。
「できることなら彼女と子供たちを守っていきたい。幸せにしたい。」
そう思った瞬間でもあったのだ。
私は彼女と二人きりなる時を待って、今の気持ちを伝える事にした。
「負担にはなりたくない。苦労するよ。私なんかで本当にいいの?」
彼女は戸惑っていた。
「一緒にいたい。血の繋がりなんてどうでもいい。心の繋がりの方が大事だよ!」
彼女は泣きながら何度も何度も「ありがとう」と言って、私からのプロポーズを受け入れてくれたのだ。しかし問題は子供たちの気持ちである。父親というものにトラウマがある以上、私たちだけではこの先を決める事ができない。彼女に頼んで子供たちの気持ちを確かめてもらう必要があった。数日後、彼女の家に行くと真剣なおもむきで子供たちから話があると言うのだ。意を決し、私は子供たちの前に立った。正直、出会ってから日の浅い私が子供たちに受け入れてもらえるとは思ってもいないし、どんな断られ方をされても時間を掛けて隙間を埋めていく覚悟もできていたが、内心は何を言われるのか怖くて怖くてしかたがなかった。
「私たちのお父さんになってください。」
恥ずかしながらも笑顔で私を受け入れてくれたのだ!
「ママにそう言えって言われてないか?」
と、冗談ぽく聞き返すと、
「ずっと前からパパならいいなぁって思ってた。」
私はあまりの嬉しさに二人を抱き寄せた。
「よーし、それじゃぁ今から俺がお前たちの父ちゃんだ。よろしくな!」私は新しい家族を手に入れたのだと喜びに満ち溢れていた。不安なんて考えもしなかったし、彼女とならどんな困難でも乗り切れると信じていた。そして、私たちは付き合ってから四ヶ月で結婚をしたのです。
あれから数年が経ち、子供たちも違和感なく「パパ」と呼んでくれている。子供たちの成長とともに、小さいながらも一戸建ての家に引越し、それぞれの子供部屋も与える事ができた。また引越しを期に、私と妻は転職をして新たな一歩を歩き始めた。仕事も順調、子供たちも新しい生活にすっかり慣れていた。このままずっと幸せな生活が続いてくれますようにと祈っていた・・・。
つづく