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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

機械翼の天使

作者: 神崎 月桂

 前略


 空から女の子が降ってきました。






「重い! こんな重みのある翼で飛べるわけないでしょう!」


 少女が悪態をつきながら、装着していたものを取り外す。

 骨組みに取り付けられた数枚の薄い板。それらを展開すると板が羽根のような役割を担い、見た目上は翼のようになる。金属光沢のあるそれが、あまりも無骨なことを除けば。


「そうは言っても、今の僕に用意できる素材じゃそれが限界なんだよ。それでも魔導金属の中では軽量なミスリルを使ってるんだよ?」


「それが言い訳? そんなことをほざいてる暇があるなら、さっさと改良しなさいっ!」


 少女は翼を少年に突き返す。壊れないように慌ててそれを受け取った少年は、やはり自分で持ってみても軽いように感じる。

 けれど、これでもまだだめなのだろう。悔しさを覚えながら少年が顔をあげると、そこには純白の翼があった。

 今、彼の手元にある機械製のそれとは違い、柔らかで温かみのありそうな、翼。天使の翼だった。


 天使。神の使いとしてその生を受け、背中から生えた両翼によって空を翔けることのできる種族。少女は、天使だった。


 翼は敏感な器官だからと。少年は一度も触らせてもらったことはないが、この機械の翼ですら重いと言われるのだから、とてつもなく軽いのだろう。

 しかし、そんな天使の彼女には足りないものがひとつあった。天使の翼が、ひとつしかない。左の翼しか、ない。


 彼女は、片翼だった。


 少年が彼女と出会ったのは、森の中。フィールドワークに出ていた彼が、たまたま空から落ちてきた少女と出会ったのだった。

 見れば背中から大量の出血をしていた彼女を少年は慌てて家に連れ帰り、懸命に手当をした。

 その結果、なんとかその一命を取り留めることができて。……というわけでもないらしかった。

 曰く、事故で片方の翼を喪ってしまい、落下の恐怖から気絶してしまっていただけであり、出血も放っておけば治っていた、とのこと。天使はそんなヤワな種族じゃないの。と、彼女は自慢げに言った。


 早く天界に帰ってやらないといけないことがある。そう言う少女だったが。しかし、片翼では飛ぶことができなかった。

 とりあえずしばらくここに泊まればいいと言う少年。少女はその裏に不埒な感情があるのではないかと勘繰ったが、しかし少年からその対価として要求されたのは意外なことだった。


 天使の翼が空を飛んでいる原理を教えてほしい。


 聞けば少年は空を飛ぶことに憧れており、その関係で天使に憧れがあったとのことだった。

 実際、部屋の中を見回してみれば天使関連の伝承を纏めた本や、おそらくは空を飛ぶための機械の試作品であろうか。金属製のガラクタが散乱していた。


 もしかしたら、君の喪った翼の代わりを作ることができるかもしれない。


 純真で、真っ直ぐな瞳に。とうとう少女の側が折れて居候をすることになった。


 天使が翼で飛ぶ原理は、少年が思っていたよりも単純だった。

 翼は魔法を発動するための媒介となり、それを用いて強大な風魔法を発動させる。そうして飛翔や滞空を行い、翼の広げ方や傾きなので、飛び方を調整する、というものだった。


「うーん、とりあえずできそうな改造としては可能な限りを中空にして軽さを確保して。……でもそうすると今度は耐久性に難が出るし、なにより神経との連動魔法の機構に支障が出そう」


 突き返された翼を見つめながら、ブツブツと呟く少年に。少女はフンッと鼻を鳴らして部屋から出ていく。


 外に出て、空を仰ぐ。

 青々と広がる中に悠々と漂う白い雲。楽しげに飛び回る小鳥。その全てが恨めしく思えた。

 現状、彼が作ってくれた翼にある問題は彼女が告げたとおり重さだった。

 魔力の伝達から魔法の発動に至るまでは、最初の頃と比べれば随分と改善された。今日のものに至っては、暫く飛んでいないというブランクがあるとはいえ、左の翼と遜色ない程度の魔法を扱えていた。

 翼の操作感としても、本来のそれと比べれば多少のラグこそあれど、実用上ほぼ問題のない範疇に収まっている。


 しかし、重さの問題はあまりにも重篤だった。

 いくら軽量な金属といえど、金属製の翼はあまりにも重い。もちろん、見た目からしてみれば驚くほどに軽いのだが、しかし本物の翼と比べればその差は歴然。

 その結果、飛翔こそなんとか可能ではあるものの、滞空ができない。可能な飛翔であっても、飛び上がることのできる高さがかなり低い。

 なにより、左右の重さの差が姿勢を大きく崩す原因となり、まともに滑空すらできない。


 少女は態度こそ大きいが、しかしその実力は本物だった。

 事実、両翼が揃っていた頃の彼女は天界の中で同年代はおろか、大人を含めた競技で勝ちをもぎ取るほどにその飛行スキルはずば抜けていた。

 速度、持久力、技術。その全てで一流であった彼女は天才とまで称され、彼女自身、それは確かな自信として存在していた。

 そんな彼女ですら、まともに飛ぶことができない。で、あるならばおそらくは他の天使でも飛ぶことはできないし、少年に至っては飛翔すらままならないことが予想される。

 それほどにこの重量の課題は大きかった。


 なんの気無しにそのあたりを歩いていると、本来そこにないはずの看板に当たる。

 そこに書かれている文言を見て、少女は「またか」と嘆息を漏らす。

 異端児、であるとか。空に狂ったバカ、であるとか。それはそれは程度の低い罵詈雑言が雑多に書き殴られていた。


「本当に、人間というのはバカが多いようね」


 彼女はそう言うと、左の翼をバサリと広げる。

 直後、突き上げるような突風が発生して、看板たちを抜き去る。

 あとは風に任せておけばいいだろう。そのうちこれを立てたバカどもの頭に降り注ぐはずだ。


 少年をバカにするような発言に、どうしてかはわからないが我慢ならない怒りを覚えながら。……自分だって普段からバカにしているようなを発言していることは棚に上げながら。






 数ヶ月が経った頃。巷では噂が広がっていた。


 曰く、片翼の天使が天界から落ちてきていると。

 曰く、空に憧れた狂人の元に居候していると。

 曰く、空を飛べない異端児と、空を飛びたい異端児とが共生していると。


 ふむ、あながち間違ってはいない。街へと買い出しに来ていた少年は、自分たちに向けられているその噂になるほどと合点していた。

 しかし彼女にはあまり聞かれたくはないと同時に思った。自分は異端だのなんだのと言われるのには慣れているが、しかし彼女にとってはあまり好ましくない評価だろう。なにせ、自信家で高慢な彼女である。

 時折己に向けられている視線を無視しながら、少年は必要なものを買い集めていた。


 しばらくして、新たな噂を聞いた。


 曰く、天使がふたり、降りてきたとのこと。

 目的は不明だったが、各地で目撃情報があるらしかった。

 そして、それらはこの近隣に集中しているようでもあった。


 その噂に、少年は喜んで家に帰った。玄関を開けると、気怠げな声で迎え入れてくれる彼女。

 そんな彼女に、少年は聞いてきた噂について共有した。


「天使がこのあたりに降りてきてる?」


「もちろん噂レベルの話らしいんだが、どうも見たという数は少なくないらしい」


「ふーん。それで、それがどうしたの?」


「どうしたもなにも、その天使に頼めば君のことをなんとかしてくれるかもしれないじゃないか!」


 地上では。天使についての知見や技術のない地上では彼女の翼をどうにかすることはできない。

 しかし、もしかしたら天界に行けばなにかしらの治療が可能かもしれない。

 そうでなくても、たしか彼女には天界で早くしなければならないことがあったはずだ。彼がそう伝えると、彼女はどうしてか、少し困った表情になった。


「そう、ね。そういえばそんなこともあったわね」


 どうにも煮え切らないそんな反応に、少年は首を傾げつつも。

 しかしこれまで見えてこなかった突破口が見つかったような気がして、少年の気分は浮足立っていた。


 少年は噂伝いに必死に情報をかき集めた。しばしばバカにするとも呆れとも取れるような言葉を何度も投げかけられたが。そんなものは気にもせず、必死に天使の居場所を探した。

 そうして、確度の高い場所をいくつか見つけることに成功する。


 嬉々として報告してきた少年の様子を、少女はよく覚えている。

 同時、感じていた言い表しようの無い嫌な予感も、よく覚えている。


 その予感は、根拠があるものではなかった。

 しかし、ただひたすらに、ただ漠然と、嫌な予感がする。

 そんな、天使の勘だった。


 翌朝から、候補地を巡ってみよう。少年がそう言って少女を誘った。

 彼女はあまり乗り気ではなかったものの、けれども少年があまりにも楽しそうで、嬉しそうだったのでコクリと頷いた。


 しかし、事件は突然に起こった。


 吹き荒れる風、舞い上がる砂煙。室内にいたはずなのに唐突に起こったソレに少年も少女も、状況がうまく飲み込めなかった。

 しばらくして砂煙が落ち着いた頃に、やっとなにが起こったのかがわかり始める。

 壁が、ぶち抜かれた。なにによってかはわからないが、外への大きな出入り口が作られていた。

 そして、その原因がおそらくは聞こえ始めた声の主によるものなのだろうということ。


「キャハハッ、本当に生きてるっ! 笑っちゃうんですけど!」


「せっかくなら両翼とも折ってあげたほうがよかったかしら? ああ、でもそうすると普通の人間と見た目が変わらなくなってしまうから面白くないわね」


 あまりにも品のないその会話内容に少年は気分を悪くしながら、少年は声のする方向を睨みつける。

 だんだんと視界がクリアになっていき、そこにあるふたつの人影を認識できる。

 しかしその人影は、純白の翼をそれぞれ一対ずつ持ち、そして宙に浮いていた。


「ごきげんよう。憐れで醜い片翼の天使さん?」


 天使だった。

 現れたそのふたつの顔を見て、少女がギリッと歯軋りをする。その表情からは怒り、憎しみ、憤り、恨み。様々な感情がごちゃまぜで見て取られ、彼女らと初対面の少年にも、少女とこの天使たちが知り合いであることが察せられた。それも、悪い意味で。


「なんの用よ。卑怯者共が」


「あらあら怖い怖い。私たちはせっかく殺してあげたあなたが不幸にも死ねずに苦しんでるみたいだったから、こうしてわざわざ来てあげたというのに」


「誰があんたらに殺してもらってたまるもんですか!」


 牙を剥く少女に、しかし天使たちは微塵も怖くないという様子で高笑いする。


「いくら天才ともてはやされたことがある天使でも、翼をもがれ、片翼となってしまえば怖くないのよ」


「空も満足に飛べない、魔法も十分に使えない。そんなあなたが驚異に値するとでも思ってるのかしら?」


 その言葉に、少女はジリッと一歩引き下がる。やや冷静になり、状況の優劣を正しく判断する。

 万全な頃の彼女であれば、このふたりを相手取るくらいわけなかった。しかし、今は違う。

 攻めも、守りも、速さも。その全てにおいて負けている。


 攻撃は、容易く凌がれるだろう。

 防御は、簡単に破られるだろう。

 追いかけても逃げ切られ、逃げても追いつかれるだろう。


 ある種の詰みのようなものを感じながらも、しかし少女は諦めようとはしていなかった。


「翼、持ってきなさい」


「えっ?」


「早くっ!」


 少女にそう叫ばれ、少年は慌てて格納しているそれを取りに行った。

 当然ながらそれをみすみす見逃す天使たちではなかったが、しかし少女がそれを防ぐ。


「あんたらの用事の相手は私でしょうが」


「まあ、それにあながち間違いはないんだけど」


 いくら現状のパワーバランスに差があるとはいえ、多少時間を稼ぐくらいなら片翼とはいえわけない。

 あとは右の翼さえあれば――、


「持ってきたよ!」


 少年が両手で抱えてきたそれを、少女はやや強引気味に奪い取る。

 そして、右の背中に装着する。


「あら、それが噂に聞いていた義翼ってわけね!」


「キャハハッ! なんて醜いのかしら!」


「ねえ、知ってる? あなたたち世間でなんて呼ばれてるか」


「空を飛べない異端児と、空を飛びたい異端児ですって。とーってもお似合いね! ほんとうに似合ってると思うわよ!」


「最ッ高に滑稽で!」


 バカにするような言葉を無視して、少女は取り付けた翼に集中する。


(やっぱり、重い)


 これでは満足に飛ぶことはできないだろう。そのため、速度について改善されたわけじゃない。

 しかし、この翼はミスリル。魔導金属で作られたもの。もとより飛行のための魔法の媒介となるために作られたものだ。だから、


「うっそ、なんで!?」


 舐めてかかっていた天使たちの表情が崩れる。

 それまでと、今とで。少女が放っていた風の勢いが段違いに変わったからだ。


 やはり、全盛期ほどとまではいかない。右と左との魔法の使用感にはラグももちろんだが、多少の差がある。そのため、十二分の力をというわけにはいかない。


 ただ、この場においてこのふたりの攻撃を凌ぎ、そして反撃を叩き込んでやるくらいには、十分すぎる力はあった。


「五つ、数えてあげる。その間にここから離れなさい」


 少女としてもことを荒立てるのは嫌だった。これで引き下がってはくれないか、そう思っていたが。しかし、彼女らは思ったよりもしつこかった。


「ほんっと、そういう態度がずっと気に入らなかったの!」


「多少才能に恵まれた程度であんなにちやほやされて、それでいてそんなに見下した態度をとって! ほんっとーに気に入らない!」


 ああそう。勝手に言ってろ。少女にとってはそんな言葉は茶飯事だった。今更そう言われたところでどうということもない。

 まさか、それが原因でここまでやってくるバカがいるとは思っていなかったが。

 しかし、隣にいた少年にとっては、そうじゃなかった。


「さっきから聞いていれば、なにも努力をしてないくせに、頑張っている人間をバカにするようなことを言って」


「ちょっとあんた!」


 少女は焦った。その言葉は、目の前にいる天使たちにとっては痛いところを突くものだろう。それを、少女が言うなればまだいい。だが、彼が言うのはよくない。

 少女は自衛ができる。しかし、彼は天使たちに対して、自衛の手段がない。


「あら、空も飛べない下等種族がなにか言ってるわ」


 そう言い放つ表情には、明らかに怒りが見えた。

 少女は少年の前にバッと立ちはだかるが、咄嗟の動きだったため、飛んてきた魔法に吹き飛ばされてしまう。


「そういえば今のあなたも空を飛べなかったわね。ごめんなさいね? 仮にも()()()()は天使のあなたを下等種族扱いしちゃって」


 わざとらしく言ってくるその言葉に、少女は憤りを感じる。

 まだ五つ数え終わってはいないが、もういいだろう。少女が反撃の姿勢を取ろうとしたとき。


「まあいいわ、気に入った。まずはこの子から殺してあげましょう」


「……は?」


 一瞬、その言葉の意味が飲み込めなかった。

 直後、最初のように勢いよく吹き荒れる風により、少女は防御姿勢を余儀なくされる。今の彼女からすれば自身を守ることくらいならわけないが。しかし、


「ごめんなさいね? 苦しんでいるあなたを殺すのを後回しにしちゃって」


「それじゃ、この子。借りてくから」


「待ちなさいっ!」


 少女は必死で風の中を縫って進む。少年に向かって手を伸ばす。

 しかし、届かない。少年の手を、腕を、身体を。奪われてしまう。


「こんのっ!」


 飛び去っていく彼女たちを追いかけようと、空を飛ぶ。

 飛翔はできる。しかし、滞空と滑空がうまく行かない。


 そのまま、追いかけることはままならず、少女はひとり、その場に置いていかれてしまった。






 抱えられながらも、現在物凄い勢いで移動しているのがわかる。

 これからどこへ連れて行かれるのだろうか。なにをされるのだろうか。おそらくは、宣言どおり殺されるのであろう。


 死への恐怖は、ある。けれどどうしてか、ああやって言ったことに後悔はない。


 どうしても、どうしても。この天使たちが彼女のことを侮辱しているのが許せなかった。


 少年は、彼女が天界でどんな存在だったのかは知らない。そんなことを知るすべもない。

 少年の知る彼女は、地上で出会ってから今までの彼女だった。


 とても高慢で、自信家で、わがままで、好き嫌いが多くて、文句が多くて、注文も多くて。

 負けず嫌いで、カッコつけたがりで、悔しがりで。そしてなにより、努力家だった。


 少年が初めて気づいたのは、翼の調整をしようとしたときだった。

 翼に、見覚えのない打痕があった。よくよく観察してみると、擦過痕もいくつもあった。

 気づかないうちに落とすか倒すかしてしまったか? と思ったが、しかし昨日から今日に至るまで触ってもいないし、当然今朝これを持ち出したときも、倒れてなどいなかった。

 不審に思った少年は、その晩こっそりと収納場所を監視していた。

 犯人は思ったよりもすぐに、あっさりと見つかった。

 と、いうか。こんなものを持ち出して、盗みもせずに戻すような人間はひとりしかいなかったのだけれども。


 犯人は、少女だった。深夜にそれを持ち出しては装着し、なんとか飛ぼうとして練習をしていた。

 少年には文句ばっかり言っていたが、しかし他人任せにするだけではなく、自分でもなんとかしようと必死に足掻いていた。

 それを見た少年は彼女に声をかけようかと思ったが、しかしやめた。わざわざ夜中にこっそりやっているのだ。それが見つかるのは彼女のプライドに関わるだろう。


 翌日から、傷痕を頼りに形状を調整した。ときおり深夜に自室からこっそり飛んでいる彼女を観察した。

 彼女の頑張りを知ってから、少年はそんな彼女に応えたいと思った。

 たとえどれだけ文句を言われようとも、それ以上に彼女が頑張っているのを知っていたから。


 だから、そんな彼女の頑張りを否定され、なじられたのが。少年にとってはこの上なく許せなかった。


 死んでしまうことに悔いがないといえば嘘にはなるが、しかしあそこで切った啖呵には、むしろ誇りさえ覚えている。


 この天使たちは、まずは僕と言っていた。ということは、僕を殺したあとには彼女を殺しに行くのだろう。

 できる限りはなんとか耐えて、彼女が逃げられるだけの時間は稼ごう。


 これで己の生が終えてしまうと思うと、少し悲しく思えるが。

 決していいものとは言えなかったが、あながち悪くもないだろう。


 もしこの人生に、惜しむべくがあるとするならば。


 彼女の翼を完成させられなかったこと。

 彼女を飛ばせてあげられなかったこと。


 天使たちが、どこに降りようかと話し合っていた。

 覚悟を決める。僕がどれほど耐えられるかで、彼女の運命を分かつかもしれない。


 少年がそんなことを、思っていたとき。

 その隣を、とてつもない勢いで飛んでくる影がひとつあった。


 そして、次の瞬間。少年を抱えていなかった方の天使が、空高く蹴りあげられる。


「えっ……?」


 少年は、目を疑った。

 いや、目を疑ったのはこの場にいた全員だった。


 携えたのは、白銀(しろがね)の両翼。


 少女が、そこにいた。






 取り残された少女は、家に戻っていた。


 少年は、このまま殺されてしまうだろう。

 なんとか助けたいとは思うが、しかし自身の翼では追いつけない。

 速度だけならまだなんとかなるが、しかし空に逃げられてはどうにもできない。


 彼にはまだ言ったことはなかったが、現状では力押しで飛ぶことだけならできていた。

 それは滞空や滑空を無視し、連続で飛翔し続けることで強引に飛ぶ方法。

 しかしこれには、深刻な問題がふたつ。

 ひとつは、魔力が足りない。

 近距離を飛ぶならいざ知らず、遠くまで行こうとすると、無理やり飛翔をし続ける関係で魔力が枯渇する。

 元々の持久力には自信はあったが、しかし、連続飛翔で追いかては、おそらく体力勝負で負ける。

 そしてもうひとつ。無理やり身体を空宙に押し上げているだけなので、思ったようには飛べない。

 細かな調整などは困難で、クイックターンなどされようものならすぐに振り切られかねない。

 そもそもこのままでは、追いつくことが可能になれどそこから先がなにもできないだろう。


 少女は唇を噛む。このまま少年を見捨てて逃げることしかできないのか。

 少年を下等種族と罵られたとき、腹の底が煮えくり返るほどの怒りがこみ上げてきた。

 少女だって、最初は同じように思っていた。しかし、彼と過ごすうちに、そうは思わなくなってきていた。


 翼を持たずに生まれたからといって、空を飛べないわけじゃない。


 空に憧れた彼は、きっといつか、本当に飛ぶだろう。そんな確信が、少女にはあった。

 そんな少年を見捨てて、私は逃げるというのだろうか。


 少女が部屋の中を歩いていると、翼の格納庫の前に着いた。中を開くと、金属製の翼。

 いま装着しているものの、対となるものだった。


 少女は一度、なぜ両翼作るのかと聞いたことがあった。

 片方だけとはいえ本物の翼がある彼女には、片翼で十分だったからだ。


 その答えとして、いつか自分も飛びたいからと言っていたが、しかしそれは、半分正しく半分違っていた。

 ある朝、あんまり大きな音がしたので窓から外の様子をうかがうと、翼をつけた少年が頭から地面に突き刺さっていた。

 どうやら、少女に渡すその前に、ちゃんと使えるかどうかを。そして安全なのかどうかを。その身を以てたしかめているようだった。

 実際、その日は「今日は調子が悪くって」と言い、使わないでくれと言われた。


 そのための、左の翼。つまりは、使うことができる。

 手に取ってみる。左右対称に作られたそれは、当然ながらいつもの右翼と重さの差を感じない。


 少女の中に、ある考えが浮かぶ。

 それと同時に、葛藤も生まれる。


 少女は、丁寧にその翼を置き。

 ゆっくりと、己の背中へと手を伸ばした。


 翼の付け根を両の手で掴む。嫌な記憶がフラッシュバックしてくる。

 空から落ちるその直前。あのふたりに、右の翼をもがれた、その記憶。


 そうして残った左の翼は。彼女にとっての最後のプライドだった。

 天使としての、最後の矜持。これを喪えば――、


 ……いいや。どうでもいい。もはやどうだっていい。


 飛ぶこともできない、飛ぶことの邪魔にしかならない。

 そんな(プライド)など、今は捨てておけ。


 覚悟を決めて、己の翼を引き千切る。裂けるような痛み、喉を破って出てくる声。しかしそんなもの、今はどうだっていい。


 背中から尋常じゃない出血が起こるが、問題ない。天使はそんなヤワな種族じゃない。少し経てば、止まる。

 そんなことよりも、彼を追いかけねばならない。煩雑に止血だけしておいて。改めて彼女は翼を手に取った。


 重たく、無骨で。しかし、安心のできる。


 彼女がそれを背中に装着すると、不思議とそれは身体に馴染んだ。


 この翼であれば、滞空は難しいだろうが、しかし飛翔と滑空は問題なく行える。持久力と機動力が、これで担保される。

 速度は、端から問題にしていない。


 少女はまだ残る痛みから目を背けながら、力一杯空へと飛び立った。






「あら、あなた翼はどうしたの?」


「あんなゴミ、捨ててきた」


「あらあら、せっかく私たちが温情で残してあげたあなたの天使らしさをそんなふうに言われるだなんて、心外ね」


 少女と天使とが話し合っていると、先程蹴り飛ばされた方の天使が、フラフラと飛んで戻ってくる。


「しかし、滞空することすらままならないのに、それで私たちと戦うつもり? あんまり舐めないでよ」


「そんな私に蹴り飛ばされたあなたに言われても説得力はないわね」


「くっ、あんなの、ただの不意打ちじゃない!」


 そう。不意打ち。背後から突然攻撃を仕掛けた、奇襲。


「そうね。あなたたちが私の翼を奪ったときと同じ、不意打ちよ」


 少女が言い放った言葉は、天使たちにとって、逆上させるには十分だった。

 一対二で、人質も取られている。状況は少女にとって不利なはずなのに、取り乱しているのは天使たちだった。


「これで貸し借りなし。フラットってことでいいかしら?」


「こんのぉっ!」


 最初に動いたのは少年を持っていない方。怒りに任せたその攻撃は、勢いこそあれど、あまりにも真っ直ぐだった。

 少女はそれをいなし、逆に背中側に肘打ちを入れる。

 そのままの流れで強引に飛翔し、今度は少女の側から、もうひとりの天使に接近する。


「待てっ、こいつがどつなっても――」


 天使は少年を盾のように構え、少女へと向ける。

 しかし、そんなことは全く意味をなさなかった。


「僕ごと蹴り飛ばせ!」


「言われなくてもそのつもりっ!」


 少女は、思いっきり、少年ごと蹴り飛ばす。

 尋常じゃない痛みを感じるが、しかしおかげで天使の拘束が緩む。どうやら彼女は気絶しているようだった。

 なんとかその手から逃れることには成功したものの、しかし代わりに空中に身を投げ出されることになる。


「……ッ!」


 初めて感じる死の恐怖に思わず目が眩みそうになる。

 しかしここで意識を手放してはそれこそ終わりだと、少年は自分に言い聞かせて、なんとか考えを繋ぐ。


 上を見ると、少女がこちらに向かって飛んできてくれているのがわかる。少年は、必死にそちらに向かって手を伸ばす。


 直後、少年は浮遊感を感じた。

 しかしそれは、彼女に手が届いたからではなかった。


「ぐっ……この……下等種族どもが、私たち天使のことを舐めやがって……」


 少年の身体を引っ張り上げたのは、先程肘打ちをされた天使。なんとか体勢を整えて、再び飛び上がっていた。

 高く、高く。より高く。少年を連れて、その場から逃げ出すように。


「マズいっ!」


 少女は慌てて少年を追いかけようとする。飛翔で飛び上がろうとして、瞬間、左の背中に強い痛みが走る。

 痛みが今になって帰ってきた。たった一瞬のその差に、距離は遠く離されていってしまう。


 飛行だけならまだなんとかなる彼女だったが、しかしその重さ故に十分な距離と速度の飛翔。つまりは縦方向への高速移動はまだできなかった。


 上へ上へと逃げられると、このままでは追いつけない。

 けれど、追いかけるしか。


 必死に追いかける。しかし、やはり距離が縮まらない。

 少女の顔から焦りと悔しさと悲しみとが、雫となって流れていく。


「そんな人間風情が作った紛い物の翼で追いつけるわけがないでしょうが!」


「こんのっ!」


 力一杯込めて、上へと飛び上がったその瞬間。


 不思議なことが起きた。

 なぜか、天使の体勢が崩れた。


 それは少女にとっても、そして天使にとっても想定外なことだった。

 全ての想定外は、少年がそれを知っていたこと。

 そして、急に持ち上げることになったがために、少年がある程度自由に動けたこと。特に、腕が動かせたこと。


「ひっ!」


 天使が、悲鳴にも嬌声にも近い、そんな声を出した。

 その瞬間、天使が体勢を崩し、地面へと落ちていく。


 天使は、まさか知っているとは思わなかったのだ。

 しかし、少年は知っていた。


 日頃、触るなと言われていたから。

 翼は、敏感な器官だから、触るなと言われ続けてきたから。


 翼は流れる風を掴み、読むため、非常に敏感になっている。

 それを思い切り掴み、弄られようものなら。


「やめなさいっ、やめろっ! だから、やめなさいって、あははははははっ!」


 力が抜け、そのまま落ちていく。

 拘束が緩み、少年は天使から逃げることに成功する。

 ふたりは目を見合わせ、意志を疎通させた。


 先にこの天使を蹴り飛ばしてから、少年を助ける。


「さっき、ただの人間風情が作った紛い物の翼、と言ったな」


「ひっ」


 ついに隣にまで距離を詰めた彼女は、天使に向かってそう言い放った。


「ただの人間風情じゃない、紛い物の翼なんかじゃない」


 彼女はその場でバク宙をして、天使のことを蹴り上げる。


「この世でたったひとりの義翼技師が作った、最高級の翼だっ!」


 力の限り蹴り飛ばすと、どうやら彼女は意識を手放したようだった。

 これでこっちは大丈夫。もうひとりの方も、気絶してる。


 少女は、一層力を込め、急ぎ少年の元へ向かう。

 先程は届かなかったその手を。今度は、しっかりと。


「ありがとう。まさか助けに来てくれるなんて思わなかった」


「私がそんな恩知らずに見える? まあ、感謝の言葉は後に取っておきなさい。今はとにかく逃げるわよ」


 天使はしぶとく、そしてしつこい。それを知っている彼女だからこそ、あのふたりはすぐに立ち直って追ってくるはずだ、と。実際、最初に気絶していた方の天使が少し動き始めていた。

 少女は少年を抱え直し、そのまま滑空をしていく。


 しばらくそのまま飛び続けたが、逃げ果せることに成功したか、あるいは敵わないと察して追うのをやめたか。

 とにかく、どうやらもう天使たちは追ってきていなかったようだった。






 ――そして今、仮にも天界に対してケンカを売ったような形になってしまったため、各地を転々としながら逃げつつ、世界を見て回っています。

 そんな迷惑な身分にはなりますが、もしよろしければ一度、そちらに伺わせていただきたいなと思っています。


「ねえ、なに書いてるの?」


 少女が、少年に声をかけた。その背中には、機械製の両翼。


 あれからしばらくの間、僕たちは世界各地を逃げ回っていた。あのときあの場に残したあのふたりが、おそらくは天界にいろいろ吹聴したために、しばしば天使の追手がやってくる。

 少女曰く、おそらくはふたりの存在は「天界をバカにした奴ら」ということで、それに怒り心頭した天使たちが来ているらしい。

 天界の規則的にふたりを襲ってきている時点で、いちおうは罪人扱いしているはずだが、天界としてもプライドがあるため、内々で処理しようとしているとのことだった。

 だからこそ、少年たちは今のところ、逃げ回りこそしていたが人間界でほとんど不自由はしていなかった。


「ああ、僕に魔導機械の作り方を教えてくれた恩師に手紙をね。もしかしたら先生なら、もっとうまい翼の作り方がわかるかもしれないし」


「ふーん」


 少年が見せたその紙に、しかし少女は面白くないと言わんばかりにそっぽを向いて。

 小さく、うまく飛べる翼より、あなたの翼のほうがいいのに、と呟く。


「なにか言った?」


「なんにも言ってない! そんなことより今日の調整しなくていいの?」


「ああ、そうだった! とりあえず一旦外して。で、飛んでるときにどこか違和感とかなかった?」


「そうねえ。違和感は特になかったけど、やっぱり重いのだけは気になるわね」


「ぐっ、そればっかりは今はどうにも……」


「あははっ、わかってるわかってる。それじゃ、任せたわよ」


「うん。任された」


 少年と少女は、ときおり立ち止まりながらも。

 しかし今日も、歩き続ける。


 空を飛べない異端児と、空を飛びたい異端児が。

 いつか自由に揃って空を飛ぶことを夢見て。






 そんなこんなでいろいろと大変なことは多いですが。しかし、なんだかんだで楽しくやっています。

 先生の方もいい歳ですし、お身体に気をつけてくださいね。

 それではこれで失礼します。


 草々

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