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after Day. 4


『現在までに見つかっている完全数が全て、一の位が6と8のどちらかである理由を答えよ』


 今日のマス部で蘭子から課せられた宿題に、わたしは苦戦していた。

 緩い部活なだけあって、いつまでに解いてこい、とまでは言われていないのだが、その気になれば小学生でも解ける問題を、高校生が一日で解けないのはまずいと思い、こうしてその日のうちに取り組んでいる。まあ、奮闘むなしく、取っかかりも得られていない有り様なのだが……。

 研究用のプログラムが完成目前に来ていることもあって、今日はひとまず小休止。自室の机にはお下がりのPCじゃなく、部活用のノートが広げられている。


「う~ん……見つかっている完全数は全部偶数だから、0、2、4、6、8のどれかになるのは分かるけど、ここから小学生の知識だけで絞り込めるのかな……」


 三十分くらい考え続けたが、いい方法は浮かばなかった。約数関数とかは、小学生にはまだ難しい概念だろうし、たぶん使わないと思うけど、じゃあ何を使えばいいのだろうか。


「……うん、延々と悩んでもしょうがないし、一旦別のことやってリセットするかぁ」


 頭が疲れて逃避行動をとるわたし。のめり込んだら危険なスマホを手に取って、適当なサイトを見ようとブラウザを開く。

 検索窓をタップしたら、直近の検索ワードがずらっと並んだ。『python 使い方』『素数 未解決問題』『ゴールドバッハ予想』『ペアノの公理』などなど、マス部関連で調べた言葉がズラリ。


「スマホまでマス部に染まってるな、わたし……」


 というわけで、スマホに逃避するのもあっさり諦めました。今の精神状態で何を検索しようとしても、数学関連しか思いつかないだろうし。


 頭を使ったら小腹が減ってきた。まだ夕飯前だけど、少しだけおやつを食べようと階下に向かう。

 リビングに来たら、姉の八重子(やえこ)がソファーでくつろいでいた。キャミソールにホットパンツという、身内でも直視したくない格好で横になっている。


「お姉ちゃん、何かおやつある?」

「んー? 冷蔵庫に水ようかんがあったと思う」

「水ようかんかぁ……ちょうどいいや、軽く糖分摂取しよ」


 わたしは冷蔵庫から小さなカップの水ようかんを取り出して、姉の足をどけてソファーに腰かけ、スプーンで食べ始めた。


「うまぁ……」

「あんた、よっぽど頭を使ったのね。安売りの水ようかんがそんなに美味しいなんて。今日の宿題は難しかったかぁ?」

「まあね……小学生でも解ける問題に苦戦中」

「まじか、それはヤバいな」

「マス部の先輩が出してきた問題なんだよ。当然のように教科書には載ってないやつでね、何も参考になるものが手元にないんだよ」

「普通の授業じゃなく部活の宿題かい。もんちゃんマス部に染まりすぎ」

「やかましい。あと足の指でほっぺたつんつんするのやめろ」


 姉は何を面白がっているのか、足の近くに座っているわたしの頬を、器用に素足でつんつんと小突いている。ちなみに“もんちゃん”は姉だけが使うわたしのあだ名だ。


「学校の宿題をほっぽって、家でも部活の続きをやってるんでしょ? 充分染まってるって」

「やめい」わたしは姉の足をぺしっと払いのけた。「小学生でも解けるって言われたら、高校生のわたしが一晩で解けないってわけにはいかないでしょ」

「世の中には分数の割り算ができない高校生もいるんだよ。ならば、大学生であるこの姉に相談してみなさい。かわいい妹のために一肌脱いじゃうよ」


 ソファーの上で起き上がって胡坐(あぐら)をかき、どんと自分の胸を叩く姉。ちなみに大学生である彼女の所属する学部は、経済学部。こと数論の問題に関しては、今ひとつ頼りにならない。


「……それ以上脱いだら素っ裸になるから駄目だよ」

「姉の威厳を踏みにじる拒絶ぅ!」

「そんなの元からない」


 いい歳した女子大生が実家から離れもせず自堕落生活しておいて、威厳もへったくれもない。相談しても無意味だと知っているわたしはとりあえず、不平そうに口を尖らせる姉を無視することにした。


「ぶー。おっと、もうこんな時間か」


 壁の時計で時刻を確認した姉は、リモコンを取ってテレビをつけた。画面には、ニュース番組の終盤が映り、ちょうど天気予報が始まるところだった。これが姉の夕方のルーティンである。


「明日は曇り……雨の確率は30%か。念のために傘持ってくか」

「お姉ちゃん、なんでいつもニュースは天気予報しか見ないの?」

「政治とか経済とかよそで起きた事件とか、どうでもいい。天気予報と違って、明日の自分に必要な情報じゃないんだから」

「経済学部が経済のニュースをチェックしなくてどうすんの……」

「私は必要なことだけ分かればそれでいいのだよ。あ、私も水ようかん食うわ」

「はあ……」


 姉はソファーから立ち上がり、冷蔵庫へ向かっていく。その途中でふと立ち止まり、ニヤニヤと笑ってわたしに振り向く。


「ちなみに、妹からの愛情は常時必要なんだよな~」

「そのまま飢えちまえ」

「ふみゃー、ラブ供給求むぅー」


 よし、ほっとこう。姉のこういう言動は今に始まったことじゃないのだ。わたしは姉の、ラブ供給を求める声を無視して、つけっぱなしにされたテレビに目を向ける。そして水ようかんをまたひと匙すくって口に含み、糖分を摂取する。

 ……ふと、さっきの姉の言葉が脳裏をよぎる。


(必要なことだけ分かればいい―――)

「…………」


 それは、天啓というにはあまりに単純だった。この問題で必要な情報は、一の位の挙動だけだ。かけ算だと、他の位は繰り上がりによって複雑に変化するけれど、繰り上がりのない一の位なら……。


「そうだよ、一の位以外を無視すればいいんだ!」

「えっ!? 何なに? 何事?」


 アイデアが降りてきたわたしは勢いよくソファーから立ち上がり、姉を驚かせてしまった。だが、そんなことに構ってはいられない。上手くいくか分からないが、とにかく確かめなければ。

 わたしは残りの水ようかんを呷ってかき込むと、叩きつけるようにカップをテーブルに置いて、リビングを飛び出し、駆け足で階段を上がっていく。

 そんなわたしの行動を見て、姉が呟く。


「……どんぶり飯でも食ってるみたいだったな」


 部屋に戻ったわたしは机に向かい、ノートを開く。そこには最初から、ヒントとなる式が書かれている。


 M(n) = 2^n -1

 P(n) = M(n) × 2^(n-1)


 ここには2の累乗が使われている。だったらまずは、2の累乗の一の位がどうなるのか、一つずつ確かめていこう。他の位を無視すると……。


 2 → 4 → 8 → 16 → 32 → 64 → 128 → 256 →…

 2 → 4 → 8 → 6 → 2 → 4 → 8 → 6 →…


「2→4→8→6を繰り返してる!」


 考えてみれば当然だ。2の累乗を順に並べるということは、2を繰り返しかけるということだ。6に2をかけたら12で、一の位が2に戻るから、こうしてループが出来上がるのだ。

 ということは……偶数の完全数を作る式を見ると、2の累乗から1を引いた値と、一つ前の2の累乗をかけ合わせているわけだから、一の位だけを見れば、


 1 → 3 → 7 → 5 →…

 6 → 2 → 4 → 8 →…


 それぞれこのサイクルで変化する。後は縦に並んでいる数同士をかければいい。もちろん一の位以外は無視して……。


 6 → 6 → 8 → 0 →…


「あれ? 0も出てきちゃった。おかしいなぁ……予想だとこのサイクルの4番目も、6か8になるはずなのに。ここは5じゃなく1なのかな。いや、6-1はどう考えても5だし……ん? 5?」


 そういえば、一の位が5の整数って、必ず5で割り切れるんだよな……5で割り切れるってことは……。


「素数じゃないってことじゃん! 確かM(n)のとこはメルセンヌ素数になるはずだし!」


 完全に忘れてた……完全数だけに。

 このサイクルの4番目は、そもそも完全数にならないから除外していいのだ。5の倍数の中で素数は5だけだけど、サイクルの4番目で一番小さいのは15だから、それ以上のどこにも素数は現れない。

 つまり、完全数になりうる3つのパターン全てで、一の位は6と8のどちらかになる。これで証明終了だ!


「やったー! できたぁー!!」


 喜びのあまり椅子から立ち上がり、わたしは両手を突き上げて声を張り上げた。

 ……すぐに、我に返った。


「数学の問題が解けて大声で喜ぶとか……マジでマス部に染まりすぎだろ!!」


 一気に自己嫌悪に陥り、愕然としたわたしは頭を抱えながら机に突っ伏した。いやまあ、自力で問題を解けたのはいいことだけど、わたしはこんなことで一喜一憂するキャラじゃなかったのに!


「おーい、そろそろ夕飯……」

「うがぁー、をぉー、うあー……」

「もんちゃーん、戻ってこーい」


 夕飯に呼ぶために部屋へ来た姉の声も、心が乱れたわたしの耳には届かなかった。ちなみに、一時間くらいこんな状態でした。


  * * *


 なんとか回復して夕食をいただくわたしは、ため息混じりに呟く。


「はあ……お姉ちゃんくらい無神経ならよかった」

「お? ケンカ売ってる?」


順調にマス部に染まっていく茉莉を、温かく見守ってあげてください。

次はコメディ全振りになるように頑張ります。

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