Day. 14 アナザーワールドの作法
『矛盾を含む形式的体系は完全である』
この言葉を聞いて、率直にどう思いましたか? 数学的には正しい主張です。哲学問答ではありません。
意外と知らない人の多い“論理”の世界、その端っこを覗いてみましょう。あまり踏み込みすぎるとあっちの世界へ行ってしまうのでご注意を……。
「『“たいぐう”がおかしい!』と、瑠衣が叫んでいました」
本日もお日柄のよく、数学研究クラブ略してマス部は、いつものようにダラダラと駄弁るだけの部活動を始めました。開始早々、わたしは二人の先輩たちに、何の前触れも前置きもないまま、お昼の出来事を唐突に打ち明けたのです。
まあ、何の前置きもなく唐突にこんな事を言われたら、ポカンとするのはごく自然なことであって、蘭子と杏里ももちろんその例に漏れない。ホワイトボードで何やら乱雑に計算式を書いていた手を止めて、二人はわたしに視線を向ける。
「んーと、なに? 瑠衣がバイト先で何か嫌な扱いを受けたの?」
「その“待遇”じゃないです。そもそもうちの学校はアルバイト禁止です」
わたしが蘭子にツッコミを入れたら、即座に杏里が口元を押さえて噴き出した。相変わらずダジャレへの耐性が低い杏里である。
「というか、マス部なら論理学用語の“対偶”を真っ先に思いつくはずでは?」
「スマン、あの瑠衣の口から数学の言葉が出てくるとは微塵も思わなかったものでね」
「分からなくはないですが失礼ですよ」
と言ってはみたけど、分からなくはないとか口走った時点で、わたしもちょっと瑠衣に失礼だったかもしれない。確かに瑠衣が数学を苦手にしていることは、先輩たちもよく知っているけれども。
「そういえば、今日は瑠衣ちゃん来ないの?」
「何で瑠衣も来るのが当然だと思ってるんですか……普通にテニス部の練習ですよ。この間はたまたま休みだっただけで」
「あぁ、そういえば前にテニス部だって言ってたな。それで? “対偶命題”の何が気に食わないと瑠衣は言ってたんだ? まあ大体予想はつくが」
大体予想がついてしまう辺りは、さすが数学の猛者だと言えよう。
「ほら、少し前に、フェルマーの二平方和定理の話になったじゃないですか。その話のさわりの所だけ、今日のお昼ご飯の時に瑠衣に話したんですよ」
「昼飯の話題まで数学とは、実にマス部の部員らしいな」
何とでも言えばいい。蘭子のからかいを無視して、わたしは話を続ける。
二平方和定理の根幹にあたるのは、素数pが二つの二乗数の和で表せることと、pを4で割った余りが3でないことが、同値であるという性質だ。このうちの片方、pが二つの二乗数の和で表せたらpを4で割った余りは3でない、という性質は、高校生の範囲でも簡単に証明できると話した。
すると瑠衣はこんな事を言い始めた。
「その同値ってさ……要するに何なの? 違う内容に見えるけど、実は同じことを言ってるってこと?」
「うーん……あくまでわたしの印象だけど、同じことを言ってるというより、どちらで言い換えても大丈夫、って感じかな」
「何じゃそりゃ」
「例えば三平方の定理って、『直角三角形である』ならば『a^2+b^2=c^2である』という内容だけど、実際は逆向きの関係も成り立つから、この二つは同値だと言えるでしょ?」
「えっ……」
「え?」
瑠衣は訝るような視線をわたしに向けた。
「なんか、茉莉のその言い方だと、逆向きの関係は当たり前に成り立つわけじゃないって言ってるように聞こえるけど……」
「うん、そうだよ」
「マジか」
「だから例えば、三辺の長さが3、4、5の三角形は直角三角形になるけど、その事は三平方の定理からは言えなくて、三平方の定理の“逆”を証明して、初めて直角三角形だと断言できるわけ」
「ふうん……面倒だねぇ。直角三角形になるかどうかなんて、実際に図形を書いて角度を測れば済むことなのに」
「瑠衣……」
以前だったらわたしもその考えに同意しただろう。しかし、マス部で数学のエッセンスを散々見てきた今のわたしは、そんなことを言う瑠衣を白けた目で見てしまう。
「それは算数の発想であって、数学としてはダメダメな考え方だよ」
「そこまで言うかオイ」
「だって、正確に三辺が3、4、5の三角形を作図するのも、内角の大きさを正確に測るのも、現実的には不可能だからね。ほんの少しでもズレたら、直角三角形とは言えなくなるじゃない」
「ほんの少しのズレくらい大目に見てもいいじゃん……」
「考えてもみてよ。三辺の長さが3.01、4.01、5.01の三角形は、紙に書いたらほぼ直角三角形だけど、実際には三平方の定理の式を満たさないから、直角三角形ではないんだよ。『ほぼ直角三角形』が『間違いなく直角三角形』だと断言するには、数式と論理できちんと証明するしかないんだよ。それが数学の考え方だよ」
「茉莉、入部三ヶ月ですっかり数学の鬼だな……」
ガクンと肩を落として、瑠衣は疲れ気味に言った。鬼というのはさすがに過言だと思うけど、この三ヶ月で数学への向き合い方が変化したのは確かだ。
すると、瑠衣は何かに気づいて首をかしげる。
「ん? ちょっと待って。三平方の定理からは、三辺が3、4、5なら直角三角形だと言えないのに、3.01、4.01、5.01なら直角三角形でないと言えるって、おかしくない?」
「おかしくはないよ」
「だってさっき、三平方の定理は、直角三角形ならa^2+b^2=c^2って式が成り立つって言ってるだけで、逆向きの関係はそれとは別だって言ってたじゃん。数式から直角三角形かどうか断言できないなら、三平方の定理から直角三角形でないと断言することだってできないんじゃ……」
「違う違う」わたしは手刀を横に振って否定のジェスチャー。「元の定理と無関係なのは“逆”の方で、わたしが使ったのは“対偶”の方だよ」
「たい、ぐう……?」
ポカンとして、オウム返しに呟く瑠衣。そういえば、この辺の話は数学の授業でもまだ扱われてなかったな。わたしはマス部で何度も触れたから慣れているけど。さて、どこから説明しようかな。
「えっとね……定理の内容とかもそうだけど、数学で扱う主張は“命題”と言って、YesかNoのどちらか一方に必ず決まるわけ」
「あー、前にマス部の蘭子先輩がそんなこと言ってたな」
「命題の言い回しは色々あるけど、基本的には……」
○○ならば△△である
「という形式になるんだ。ものすごく複雑な文になることもあるし、単純に『○○は△△だ』みたいな言い回しもあるけど、その辺の違いはあんまり重要じゃないね。もちろん、この形の文章ならみんな命題になるわけじゃなくて、あくまで大事なのは、正しいかそうでないかが明確に決まることだから」
「明確に決まらない文章もあるってこと?」
「例えば、『杏里先輩はかわいい』という主張は、人によって正しいかそうでないか変わってくるので、命題とは言えないってわけ」
「なるほど、確かに人によっては、杏里先輩をかわいいと思わない人がいるかもしれないよね」
……その発言はちょっと聞き捨てならないなぁ。わたしは両目をかっぴらいて瑠衣に照準を合わせた。
「杏里先輩は誰が見てもかわいいでしょ。滅多なこと言ったらぶちのめすからね」
「お、おぅ……目がギンギンに決まってるなぁ。しかもかつてないほど声が重低音だし」
「ま、そうは言っても」わたしは気を取り直した。「こういうのは個人の感覚の問題だし、元より数学で扱うようなものでもないけどね」
「どの道、命題にはなり得ないってことか。じゃあ例えば、三平方の定理の内容なんかは、命題と言っていいのかな」
「うん、それは命題だね。あと、命題は真偽が定まることが大事だから、確実に間違っている主張も命題になるよ。例えば『1は素数である』とか『2進法で1+1は2である』とか『円周率は3.14159より小さい』とか」
「なんで一瞬『ん?』って言いたくなるような微妙なラインの命題ばっか並べるかな……」
瑠衣のその疑問の答えは簡単。ぜんぶ蘭子の受け売りだから。
「一応聞くけど、その三つはぜんぶ正しくないんだよね? わたしはちょっと自信をもって『確かに間違ってるね』って言えなくて」
「うん、どれも正しくないよ」
数学に不慣れな瑠衣では、わたしの挙げた三つの命題が本当に正しくないのか、確信が持てなかったらしい。確かにどれも、数学にちゃんと触れていないと、正しいと誤解する人がいてもおかしくないかも……。
ちなみに、正しいと確定する命題を『真の命題』、間違っていると確定する命題を『偽の命題』と言います。
「そして、ある命題の言わば“主語”にあたる部分と、“述語”にあたる部分を、否定したり入れ替えたりすることで、新たに別の命題を作ることもできるんだ。まず一つ目は“逆命題”。これは主語と述語を入れ替えた命題のこと」
元の命題『AならばBである』に対し……
逆命題:『BならばAである』
「二つ目は“裏命題”。主語と述語を入れ替えずに、両方とも否定した命題のこと」
裏命題:『AでないならばBでない』
「三つ目は“対偶命題”。主語と述語を入れ替えて、さらに両方とも否定した命題のこと」
対偶命題:『BでないならばAでない』
「実はこの三つの命題のうち、元の命題と真偽が一致するのは、対偶命題だけなんだよ」
「ん? どういうこと?」
「つまり、元の命題が正しいときは対偶命題も正しいし、逆に元の命題が間違っていれば対偶命題も間違っている、ってこと。何かの命題を証明するのが難しいとき、代わりに対偶命題を証明する方が楽になるってパターンもあるんだよ」
「なるほどねぇ……じゃあ、逆命題とか裏命題は、元の命題が正しくても、間違っている場合があるってこと?」
「そうだよ。簡単な例でいうと……」
元の命題:『6の倍数ならば3の倍数である』
「これは正しいけれど、逆命題や裏命題は……」
逆命題:『3の倍数ならば6の倍数である』
裏命題:『6の倍数でないならば3の倍数でない』
「どっちも、3や9のような反例が無数にあるから、正しくないでしょ?」
「おぉ、確かに」
「つまり対偶命題の真偽は元の命題と常に一致するけど、逆命題や裏命題の真偽は、元の命題とは無関係だから、新たに別の形で証明する必要があるってこと」
「なるほど、逆向きにしたものがぜんぶダメになるわけじゃないんだね。茉莉が使ったのは三平方の定理の“対偶”だから、確かめるまでもなく正しいっていえるわけか」
「そして、元の命題と逆命題、両方が正しいと示されたとき、主語にあたる部分と述語にあたる部分は“同値”である、と言うんだよ」
「あっ、同値ってそういう意味だったんだ」
かなり遠回りしたけど、ようやく最初の話に戻った。三平方の定理はただ具体例として出すだけだったのに、思いのほか話が変な方向に膨らんでしまった。
「つまり同値っていうのは、どちらからでももう片方を数学的に導ける関係ってこと。『直角三角形である』ことと『a^2+b^2=c^2である』ことは、互いに互いを導けるから、同値だといえるわけだね。だから同値な関係であれば、片方をもう片方にそのまま言い換えることが可能になるんだよ」
「なんかいいね、互いに互いを導ける関係って。一方的じゃなく、お互いにリードし合って支え合い、相手のことを理解し合っている親友のような……そう、まんまわたし達みたいな感じじゃない!?」
「……わたしは時々瑠衣のことが理解できないけどね」
「おい親友!」
偽らざる本心を伝えたら突っ込まれた。瑠衣がわたしとの関係をそんなふうに思ってくれるのは嬉しいけど、彼女がたまに見せるエキセントリックな言動についていけなくなるのも事実だしなぁ。
「というか、さらっと流されそうになったけど、対偶命題って本当に元の命題と真偽が同じになるの? 逆命題と裏命題がそうでないのは納得できたけど」
「そのはずだけど……そういえばその辺りはまだ詳しく聞いてないな」
「だってさ、例えばテニス部だとよく『雨が降ったら屋外での基礎練はしない』ってコーチが言うんだけど、その対偶は『基礎練をしたら雨は降らない』ってことになるよね? それが本当だったら基礎練によって天気を自在に操れることになるけどそんなの無理だから、対偶が嘘なら元の言葉も嘘ってことになって……雨の中でずぶ濡れになりながら素振り100回するってことになるじゃないか畜生めーっ!!」
テニス部で何があったのか、瑠衣は鬼気迫る表情でペラペラと並べ立てた挙げ句に、両の拳と顔面を机に叩きつけながら叫んだ。よく分からないけど、元お嬢様学校に似つかわしくないほど理不尽なことが、テニス部であったのかもしれない。
瑠衣の悲痛な愚痴はともかく、わたしは瑠衣の疑問について考えていた。彼女の示した対偶命題の例はどう見ても正しいと言えず、元の命題と真偽が一致すると思えない。一体何がおかしいのだろう。それとも対偶命題が元の命題と真偽が一致するのは、数学に限った話なのだろうか?
すると、不意に瑠衣が顔を上げた。
「とにかく!」
「うわあ」びっくりしたなぁ。
「わたしが言いたいのは、対偶がおかしい! ってこと。あともうすぐ昼休み終わるからさっさと食べちゃおう」
「……うん、そうだネ」
数学の話はここまでで終わらせて、わたしと瑠衣は残ったお弁当を無言でかき込んだ。話の最中もちょっとずつ食べてはいたけどね。
そして放課後になって、瑠衣は対偶命題について蘭子たちにちゃんと聞いておくように釘を刺してから、駆け足でテニス部に向かった。次の大会に向けて練習が一段とハードになるという。雨の中でも練習なんて事態にならないことを祈りながら、わたしもマス部に顔を出すことにした。
「……というわけです」
「テニス部かぁ……あそこ、去年新しく入ったコーチが、強豪校での実績があるガチめの人だって聞いたことあるな」
「うちの運動部は基本的に緩めだったから、新しい風が吹き始めているって感じだね」
「台風並みに強烈な風が吹いてますよ、それ」
まあよその部活の事情はおいといて、今は瑠衣の疑問に向き合うこととしよう。
「それより、瑠衣の疑問のことはどう思います? わたしもよく分からなくて……」
「どうって……そもそも瑠衣が言ったことは、対偶命題の例として正しくないわよ」
「え?」
蘭子からの予想外の答えに、わたしは驚いて目を見開いた。瑠衣もわたしも、『雨が降るならば基礎練はしない』の対偶は『基礎練をするならば雨は降らない』になると思っていたけど、それ自体が間違いだと蘭子は言いたいらしい。
「で、でも、対偶は『AならばB』に対して『BでないならばAでない』ですよね? ちゃんとこの形になっているようですけど……」
「形だけは、ね。他にもこういう、おかしな対偶命題の例があるわ」
『山田君は先生に注意されないならば、山田君はいたずらをやめない』
この対偶は、
『山田君はいたずらをやめるならば、山田君は先生に注意される』
……これが正しかったら、山田君は絶対にいたずらをやめないだろうなぁ。どこの山田君なのかは知らないが。
「ここで挙げた二つの例はどちらも、対偶に関してある誤解をしていることが原因だ。それは、“ならば”という接続語が、因果関係を示していると思っていることだ」
「……それって何かおかしいですか?」
「いや? 日常的に使う分には、“ならば”が因果関係を示していてもおかしくはない」
だんだん混乱してきた。確かに数学って、日常的な感覚と噛み合わない所がたまにあるけど、今回は本当に蘭子の言っていることが理解できない。どういうことだろうか?
「ただ、対偶というのは前提と結論の順番を入れ替えるものだから、因果関係に適用するとどうしても不都合が生じる。なぜなら、因果関係は『原因』の後に『結果』が現れる、という形で、順番が決まっているからだ。普通はこの順番を逆にすることはできないし、原因を結果に置き換えることも、ましてその逆もできない」
○ 原因 → 結果
× 原因 ← 結果
「だから因果関係に対して対偶を考えると、どうしてもさっきのような、違和感のある文章が生まれてしまうわけだ」
「でも、数学では普通に対偶を使いますよね。数学だけは例外なんですか?」
「例外なのではなく、そもそも数学で扱うのは『因果関係』ではないんだよ」
「…………はい?」
疑問符の噴出が止まらない。これまで数学でさんざん見てきた“ならば”という言葉は、実は因果関係ではないという。日常的な感覚だったら、因果関係以外の何物でもないと思うのだが。
「高校の教科書で扱うことは少ないが、一つ以上の命題を組み合わせて、新たな命題を作る方法には、それぞれ専用の名前がついている。代表的なものだと……」
AかつB …… 連言(論理積)
AまたはB …… 選言(論理和)
Aでない …… 否定
AならばB …… 含意
AとBのどちらか一方 …… 排他的論理和
「ならば、に当てはまる言葉は『含意』になる」
「なんか、因果関係っぽくない名前ですね」
「だって因果関係を表す言葉じゃないもの」
「茉莉ちゃん」いつの間にか背後に回っていた杏里が言う。「この間、論理と集合が不可分だって話を純先輩がしていたでしょ?」
ああ、パラドックスの話をしたときか。あの日に瑠衣と沼倉が初めて顔を合わせて、変人と変なもの好きで意気投合したのだった。
「確か、集合に入るための条件を記述するときは、YesかNoのどちらかに必ず決まるものでないといけない、って話ですよね」
「そう。命題はまさにその、YesかNoのどちらかに必ず決まるものだから、集合の条件を記述するにはうってつけってわけ。例えば、さっきの茉莉ちゃんの話に出てきた、3の倍数と6の倍数の関係だけど……」
『6の倍数ならば3の倍数である』
「これは集合の表現を使って、こんなふうに言い換えられるでしょ?」
『xが6の倍数の集合に属する』ならば『xは3の倍数の集合に属する』
「ということは、この命題は“6の倍数の集合”と“3の倍数の集合”が、こういう包含関係にあることを示しているってこと」
「なるほど……つまり命題で扱う“ならば”は、こういう包含関係を表しているんですね!」
「基本的にはそうなる」と、蘭子。「もちろん包含関係も、見方によっては因果関係の一種と見ることもできる。だが包含関係はあくまで集合同士の関係であって、そこには“原因”と“結果”という区別は存在しない」
「だから順序が逆になっても大丈夫なんですね……」
「そして、元の命題が“集合同士の関係”を示しているように、対偶命題は“補集合同士の関係”を示している。図を見れば明らかだが、補集合同士の包含関係は、元の集合同士の包含関係から逆転している」
「ゆえに、元の命題が真であるなら、対偶命題も真であると常に言える。そして元の命題は、“対偶命題”の対偶でもあるので、対偶命題が真であるなら、元の命題も真である」
「つまり二つの命題は同値だから、必ず真偽が一致する、ということですね」
わたしはようやく腑に落ちた。“ならば”という言葉の解釈が曖昧だと混乱するけど、集合の包含関係のことだと考えれば、対偶命題の真偽が元の命題と一致するのは、ごく自然なことだと分かる。
試しに、山田君の例を使って、同じことができるか確かめてみると……。
『山田君は“先生に注意される生徒の集合”に属さない』ならば『山田君は“いたずらをやめる生徒の集合”に属さない』
これは、“いたずらをやめる生徒の集合”が“先生に注意される生徒の集合”に常に含まれていれば、対偶も成り立つと言えるだろう。だけど、それは機械的な解釈だ。この二つの集合は、一方がもう一方の中身を状況次第で変えてしまうことがありうる。集合は“属する”か“属さない”か、どちらかに必ず決まらないといけないから、状況次第で要素が変わるものを集合で表現するのは不可能だ。
要するに、因果関係があるという時点で、集合の包含関係の話に置き換えることはできず、したがって対偶も考えることはできない。瑠衣の持ち出した対偶命題の例が間違っているというのは、そういうことだ。
「山田君、残念だったねぇ。対偶を使った言い逃れは失敗だったみたいだよ」
「……架空の人物を慰めてどうする」
「あれ、声に出てました?」
「まあ、どうしても対偶を適用したいなら、原因と結果を固定するように言い換えた方がいいだろうね。こんな具合に」
『山田君は先生に注意されないなら、いたずらをやめない』
↓
『山田君がいたずらをやめるとするなら、先生に注意されるからだ』
「なるほど、これなら原因と結果が入れ替わることはないですね。あまり面白味はないですけど」
「面白味がなくて悪かったな」
「でもこれで納得しました。数学で“ならば”と出てきたら、まずは包含関係だと考えたらいいんですね」
「そんなことないよ?」と、杏里が言う。
「えっ……?」
「例えば、三平方の定理を使って証明をするとき、“ならば”という言葉も出てくるけど……」
『直角三角形ならばa^2+b^2=c^2』かつ『三角形ABCは∠ACBが直角な三角形である』
↓ならば
『三角形ABCはAC^2+CB^2=AB^2が成り立つ』
「この二つの“ならば”は少し意味合いが違うのよ。命題の中にある“ならば”は含意だけど、命題から命題を導くときの“ならば”は『推論』と呼ばれるの」
「推論……」
「日常的な感覚だと、『推論』は当てずっぽうだったりいい加減な印象があるかもしれないけど、数学や論理の世界だと全く違う。推論というのは、形式的な規則に従って、既存の命題から新たな命題を導く手法のこと。だから前提としている命題が全て真であれば、推論によって導かれる命題も必ず真であると言える」
『命題A』『命題B』『命題C』…
↓推論
『新しい命題』
「数学の証明は基本的に、この推論を適切に組み立てたものを言うんだ」
「だからきちんと証明された事実は常に正しいと言えるんですね」
以前に聞いたことがあるけど、ある数学者は数学の本質を“永遠の若さ”であると表現したという。そのとおり、数学で証明された事実は、永遠に揺らいだり覆されたりせず、ずっと正しいものであり続ける。それは証明が、明確なルールに則って組み立てられているからこそなのだろう。
「まあ逆に、規則を無視していい加減な推論を組み立てたら、いい加減な結論ばかりが導かれることになるんだけどね」と、笑顔の杏里。「そしていい加減な人はいい加減な推論をしていることにも気づかないで、規則そのものがいい加減だなんて言いがかりをつけるんだよね」
「あ、杏里先輩、その辺で……」
「ホント、そういう人にはクルト・ゲーデルの爪の垢を100倍に煎じて飲ませたくなるのよね。ふふふ」
「うわあ……」
「100倍濃いものを飲ませるのはなかなかの拷問だぞ、杏里」
過去にいい加減な人に言いがかりをつけられたことでもあるのか、杏里は最高の笑顔でおぞましいことを言っている。推論を間違えることはさておいても、推論のルールにケチをつけるのはやめておこう。特に、彼女の前では。
「まあ杏里の言うことは多少過激ではあるけれど、間違った証明や推論のほとんどは、前提に間違いや見落としがあるか、または推論規則の適用に誤りがあるか、だからな」
と、そこまで言って蘭子は何かに気づく。
「ああ、それと……証明を間違えたり混乱したりする要因の一つに、数学の“作法”を知らないというのもあるな」
「数学に作法なんてあるんですか?」
「数学って、厳密な論理を使って展開するものだから、言葉の扱いにとても厳しいんだよ。どんな言葉にも明確な定義が存在して、その定義から外れた使い方は絶対に許されない」
「社交界や冠婚葬祭よりも厳しい作法なんですね……ちなみに、その作法を破ってしまったら、どうなるんですか……?」
恐る恐る尋ねたところ、蘭子は眉間にしわを寄せてきっぱりと答えた。
「死ぬ」
「えっ!?」
「数学的に」
「社会的に死ぬみたいに使ってます!?」
どうやら命に関わることではないみたいで安堵したけど、いわば数学的に致命傷になるということらしい。どこか一ヶ所でも間違っていれば、それ以降の証明全てが台無しになるのだから、あながち過言でもなさそうだ。
「で、その作法の一つに、“または”の使い方があるんだよ」
「“または”ですか」
「例えばさっき私が言ったこと……証明を間違える要因のほとんどが」
『前提に間違いや見落としがある』
または
『推論規則の適用に誤りがある』
「と言ったわけだが、これを聞いて茉莉はどう解釈した?」
「そうですね……日常的な感覚だと、前提が間違っているか推論規則の適用に問題があるか、どちらか一方だけだと思っちゃいます」
「まあそんなもんだよな」
「でも確か、数学の“または”って、両方ある場合も含みますよね」
数学の“または”の意味は、『少なくとも一方が成り立つ』なので、どちらか片方が成り立つだけでなく、両方成り立つ場合も含んでいる。マス部に入ったばかりの頃に、このことを注意された覚えがある。
「そのとおり。だからこの場合、前提にミスがあるうえに推論規則の使い方も間違っている、という可能性も含んでいる」
「証明としては最悪の部類ね……」
杏里は腕を組んで唸りながら言った。ちなみに、どちらか片方だけが成り立つことを表すには、先ほどちょっと出てきた“排他的論理和”を使います。
「あと、数学の証明で頻繁に使われる“三段論法”というのもあるな」
「あっ、それはわたしも知ってます! 三段構えの論法ですよね!」
「いやまあそうなんだけど、あまりにそのまま過ぎるな……それに三段論法は、ただ三段構えになっていればいいわけじゃない。その形式はきちんと決まっていて、それに従っていないものは三段論法とは言わない」
三段論法:
『AならばB』かつ『BならばC』
↓ならば
『AならばC』
「これも集合に置き換えると分かりやすい」
「なるほど、三重の包含関係ってわけですね」
「三段論法は必ずこの形でないとダメなんだけど、その作法を知らない人間が間違った使い方をすると……こうなる」
『猿も木から落ちる』かつ
『葉っぱも木から落ちる』
↓ならば
『猿は葉っぱである』
『安い伊勢エビは珍しい』かつ
『珍しいものは値段が高い』
↓ならば
『安い伊勢エビは値段が高い』
わたしと杏里は呆れて苦笑した。
「これは……ひどいですね」
「特に二つ目は、最初の前提が二つ目の前提の反例になっているから、組み合わせたら矛盾するのは当たり前なんだよね」
「そうそう、“矛盾”という言葉も、日常語と数学でギャップがあるよな」
「確かに……日常語だとなんか、筋の通らない滅茶苦茶なこと、みたいな雰囲気がありますよね」
「もちろん論理の世界では、そんなふわっとした定義じゃない。矛盾にもきっちりとした定義が存在する」
矛盾:ある命題Aとその否定¬Aが同時に成り立つこと
A∧¬A
(Aであり、かつAでない)
「相反する命題が同時に成り立つ状態のことを矛盾と呼ぶのですね」
「そして、矛盾する命題は必ず偽の命題になる。なぜなら、否定命題は真偽が逆になり、連言命題は両方が真でないと真にならないからだ」
・Aが真のとき、¬Aは偽。
・Aが偽のとき、¬Aは真。
・Aと¬Aは同時に真とならない。
・A∧Bは、AとBの両方が真のときだけ、真となる。
・だからA∧¬Aは常に偽である。
「ところで、大事な推論規則の一つに、『否定導入』というものがある。必ず偽となる命題が導かれたら、その前提となる命題は否定される、という規則だ」
『Aならば、常に偽である命題Xが成り立つ』
↓ならば
『Aでない』
「この規則を利用して、証明したい命題の否定をあえて仮定し、わざと矛盾を導くことで元の命題が真であると示す、という論法が可能になる」
「それって……背理法ですか?」
「そう。背理法だって推論規則に則った立派な論法なんだから、ひねくれた手法だなんて毛嫌いしてはいけないよ?」
「…………」
背理法にいい印象を持っていないわたしへの、ささやかな皮肉であるのは明らかだった。わたしだって、背理法がそれなりに有用なのは認めているつもりだ。
ちなみに本によっては、この否定導入を推論規則に含めないこともあります。また、ヒルベルトが提唱してウカシェビッチが整理した、命題論理の最もシンプルな体系では、モーダス・ポネンス(分離法則)を唯一の推論規則とするなど、体系によって推論規則の内容は異なることがあります。
「さらに、矛盾という概念は、論理の世界から“意味”や“解釈”を排除して機械的に扱う、『形式的体系』の中で、日常的な感覚に全くそぐわない事実を生み出す」
蘭子はパイプ椅子に腰かけて、ひと息置いてから告げる。
「それは、『矛盾を含む形式的体系は、完全である』というものだ」
「…………?」
確かにその言葉は、日常的な感覚では全くといっていいほど飲み込めない。おかげでわたしは、混乱して二の句が継げなかった。杏里はちゃんと理解しているのか、いつものようににっこりと微笑んでいるけれど。
「この事実は、『矛盾』や『完全』という言葉の定義を知っていれば、論理的に極めて自然なものだと理解できる。数学や論理の世界で、厳密に決められた言葉の定義を理解し、その定義に厳密に従って推論を重ねることが、いかに重要なことなのか分かるだろう?」
「うーん、確かに……ちゃんとした言葉の定義を知らないと、さっきの言葉が正しいかどうか全然分かりませんね。むしろ変な主張にしか聞こえません」
「『対偶』に関しても同じだよ。勝手な解釈をすればおかしな結果になるけれど、“ならば”の厳密な定義を知っていれば、対偶も正しく扱えるわけだ」
「これこそが数学の“作法”なんですね……」
つくづくこれは、別世界の物語だ……現実世界と何かしらリンクはしているけれど、こっちの世界でしばしば曖昧にされてしまう色んな言葉を、向こうの世界ではきっちりと定義していて、使い方も厳しい。それゆえに、こっちの世界とはたまに感覚がズレてしまうのだろう。瑠衣も以前に、数学と現実で感覚がズレることがあると、嘆いていることがあったっけ。
「それで、なんで矛盾のある体系が完全ってことになるんですか?」
「その説明の前に、形式的な世界のことを解説しよう」
蘭子は再び椅子から立ち上がり、ホワイトボードに書き込んでいく。
「わたし達が普段、教科書などで目にしている『定理』という言葉は、『証明された事実の中でも特に重要なもの』という、数学らしからぬ極めて曖昧な使い方をされている。しかし、形式的な数学の世界では、『定理』にも厳密な定義が存在する。最初に、証明なしで前提として使っていい命題を『公理』として定める。この公理と、これらから『推論規則』を用いて導かれた命題を並べた、命題の列を『証明』と呼ぶ。そして、ある命題が、公理から推論規則を有限回使って導くことが可能である時、その命題を『定理』と呼ぶ。まとめるとこんな感じだ」
ある命題Bに対して、命題の列A1、A2、A3、……、An(=B)があって、各命題が、
①公理である
②それより前の命題から、推論規則で導かれる命題である
このいずれかであるとき、Bは『定理』といい、対応する命題の列を『証明』と呼ぶ。
「はあぁ~……ついには『定理』とか『証明』っていう言葉まで、きっちり定義するんですね」
「まあ、数学の厳密さが行く所まで行った結果だな。ちなみに形式的な世界では、命題の真偽は基本的に考えない。あくまでも、最初に設定した公理から、機械的に導けるかどうかが全てだ」
「命題なのに真偽を考えないんですか!?」
「忘れたか? 命題はあくまで“真偽を判定できる”かどうかが基準だったでしょ。その命題が真であるか偽であるかは、公理が都合よく設定されているかどうかに依存する。形式的な世界で重視するのは、設定された公理から導けるかどうかであって、公理そのものが現実的かどうかなんてどうでもいい」
開いた口が塞がらない……形式的な世界というのは、本当に文字通り、形でしか考えない世界だ。その中身を考えることは、形式的な世界とは別の世界でやることなのだ。それはまるで、コンピュータの思考回路を覗いている気分だ。
「さて、形式的な世界というのはざっくりこんな感じだが、ついて来れてるか?」
「な、何とか……マジで別世界の話ですね」
「別世界ゆえに、同じ数学でも見える景色は全く違う。ここまで説明したのはあくまで、形式的な世界での命題論理の話だ。命題論理は数学の基礎で、それ自体がとても重要なものだけど、それだけで数学が成り立っているわけじゃないだろう?」
「まあ確かに、数が扱えないと数学とはとても言えませんよね……」
「そのとおり。だから形式的な世界でも、数を扱えるようにしておきたいわけだ。ではここで茉莉に質問。ありとあらゆる数を扱うためには、最低でもどんな公理が必要になるでしょう?」
「数を扱うために必要な公理……何でしょう」
すると杏里が、わたしの背後から話しかけてきた。今日はわたしの後ろに立っていることが多いな、この人……。
「茉莉ちゃん、全ての数はこの公理から始まる、というのがあったでしょ?」
「あっ! ペアノの公理!」
「正解」蘭子が得意気に笑う。「他にも必要なものはあるけど、最低限、ペアノの公理を設定して、自然数くらいは使えるようにならないと、お話にならないからね。それと、“束縛記号”のことは覚えてる?」
「確か、AとかEをひっくり返したような記号でしたっけ」※詳細はDay.3にて。
「まあ、そうだな……∀は“全ての○○について”という意味で、∃は“ある○○が存在して”という意味になる」
「数を扱う時は自然と、こういう束縛記号を使うことになるから、これも形式的な世界で扱えるようにした方がいいわね」
杏里は当たり前のようにそう言うが、今までの人生で“全ての”とか“ある”とかは、全部日本語の文章で記述していたから、それすら記号で表すのが自然だという感覚は、今のわたしにはまだない。数学をするのであれば、どんな言葉も数学語で表現する必要があるのは、マス部に入って以来何度も耳にしたから、まあ理解できるけれども。
「束縛記号は必ず変数に添えられる。束縛記号のついた変数は『束縛変数』といい、ついていない変数は『自由変数』という。そして、自由変数を含まない命題のことを『文』と呼ぶ。つまりどの変数も束縛されているような命題のことだな」
「あぅ……専門用語が次々と……えっと、何の話をしていたんでしたっけ?」
「大丈夫。もうそろそろ結論に入るから。この『文』だけど、命題なので、ペアノの公理を始めとする様々な公理から、推論規則で導けるものと、そうでないものがある。理想的なのは、どんな文でも、肯定と否定のどちらか一方に、証明が存在することだ。その一方、肯定にも否定にも、両方に証明が存在する、つまり両方とも公理から有限回で推論できる、そんな文があるとしたら?」
「それはつまり……『矛盾』ですか」
「そう、形式的な世界での『矛盾』だ。そして、矛盾した『文』には、『爆発律』と呼ばれる性質がある」
「文が爆発するんですか!?」
わたしは思わず、文章がバラバラに爆散するところを想像してしまった。なわけ 分かっ 学の話 がないと たのに。 数 だからそん てい
「まさに芸術的な性質よね、蘭子ちゃん」
「ややこしくなるからそっち方面に話を広げるのやめろ。爆発律というのは、『矛盾した命題からはどんな命題も導ける』という性質だ。これは、『無関係な命題を“または”で繋げてもいい』『“AまたはB”と“Aでない”が同時に成り立てばBである』という性質を使って証明できる」
『Aかつ¬A』→『Aが成り立つ』
→『AまたはB』※Bはどんな命題でもいい
→『さらに¬Aも成り立つ』
→『“AまたはB”と“Aでない”が同時に成り立つ』
→『Bである』
この証明は一例です。形式的な世界では、設定した公理の内容によって、証明の手順が異なります。
「ある文と、その否定……片方だけが証明できるのが理想だけど、そうでない場合を矛盾と呼ぶんですね」
「違うよ」
「あれっ!?」
「もうひとつ、起こりうる可能性を見落としている。ある文と、その否定の、両方とも証明が存在しないというパターンだよ」
「肯定も否定も証明できない、って……それ、前に沼倉先輩が言ってた!」
先日、瑠衣が部室に来たときに、沼倉が最後にその話をしていたのを思い出した。ZFCという集合論を組み立てたことで、あらゆるパラドックスを回避できた一方、証明も反証もできない命題が残されることになった……そう沼倉は語っていた。
「証明も反証もできない……つまり、最初に設定された公理から、どんなに推論規則を適用しても、肯定にも否定にも到達できない。そういう性質を持った命題は、『決定不能』であるという。ある形式的な体系の中に、決定不能な命題が含まれている時、その体系は『不完全』であるといい、逆に決定不能な命題が一つもなければ、その体系は『完全』であるという」
「ようやく『完全』という言葉の定義が明らかになりましたね……」
「ここまでくれば、『矛盾を含む形式的体系が完全である』という言葉の意味も分かるんじゃないか?」
「矛盾を含むということは、爆発律によって、あらゆる命題に証明が存在するってことになるから、どんな命題でも、肯定にも否定にも証明が存在することになる……つまり、肯定も否定も証明できないような命題は存在しないので、“完全”である、ってことですね!」
「な? ちゃんと言葉の定義を理解していれば、正しい主張だと分かるだろう?」
確かにそのとおりだ。今ほど、言葉の定義や使い方を理解しておくことが重要だと、実感できたことはない。何も知らなければ、『矛盾した世界が完全である』なんて滅茶苦茶に聞こえるが、数学における定義を知っていれば(あと爆発律のことを知っていれば)、当たり前のことだと納得できる。数学の主張を読み解く時は、言葉の定義を蔑ろにしてはいけないのだ。
「かつて数学者たちは、形式的な数学を組み立てることで、『矛盾』がなく『完全』という、極めて理想的な数学の世界を作ろうと試みた。しかし、ペアノの公理を含んだ形式的体系は、その体系の中で作った“文”の中に、どうしても決定不能なものが現れてしまう……という事実が、クルト・ゲーデルによって示されてしまった。これが有名な、『ゲーデルの不完全性定理』だ」
ゲーデルの不完全性定理……
①ペアノの公理を含む、充分に大きな、矛盾のない形式的体系には、決定不能な文が存在する。
②ペアノの公理を含む、充分に大きな、矛盾のない形式的体系では、その体系自体に矛盾がない事を証明できない。
※“充分に大きな”の部分は、原始帰納法を用いて加法・乗法・べき乗・階乗・順序関係など、自然数を扱うための道具は最低限使えるくらいの範囲で、という意味
「では、数学には埋められない欠陥があるってことですか?」
「そうではない。不完全性定理は『理性の限界を示した』などと言われることがあるが、実際は逆だ。むしろ『数学はどこまでも発展する余地がある』と示している」
蘭子は両手を大きく広げて言い切った。なんか、とても清々しそうだ。
「ゲーデルの仕事によって、現在、当たり前に使われている数学の体系では、証明も反証もできない命題が存在すると明らかになった。つまり、その手の命題を証明するには、現在の体系よりもっと大きな、別の体系を組み立てればいいんだ。そして、ペアノの公理を含む矛盾のない体系は、その体系の中で、それ自身に矛盾がないことを証明できないと、不完全性定理②は示している。通常、何かの形式的体系に新しく定理(公理も含む)を加えても、その体系が拡大するとは限らない。でももし、何らかの定理を加えたことで、元の体系に矛盾がない事を形式的に証明できたとしたら……?」
「そっか……その新しい定理は、元の体系とは全く別の所にあるもので、加えることでもっと大きな体系を作ることができるんですね!」
「二つの不完全性定理によって、数学、厳密には自然数を扱う『算術』の世界は、公理が有限個である限り、不完全であり続けるけれど、その分、今はまだ見つかっていない問題解決のヒントが、既存の枠組みの外にあるかもしれないという、数学者たちにとっての希望の光も見つかったのよね」
蘭子と杏里が熱く語る、形式的な数学の世界は、わたしの想像を超えて大きな広がりを見せた。かつて数学者たちが夢見た、完全で矛盾のない数学の世界は、幻に終わった。だけど、どこまでも不完全だからこそ、数学者たちは手元にある“証明も反証もできない”問題を解くために、今見えている世界すら飛び出して、新しい未知の公理を探そうとしている。
もし数学の世界が本当にどれも完全だったなら、そこで数学者たちの挑戦は終わっていた。不完全性定理は数学者たちに、自分たちの物語はまだ終わらないという事を、教えてくれたのかもしれない。
「ふう……」蘭子はひと息つく。「長々と語ってしまったが、今後もさらに広がりを見せていくと期待される数学の世界の、端っこだけでも見せられたんじゃないかな」
「壮大すぎて端っこだけでも満タンになりそうですよ……」
対偶の話から始まって、数学の言葉の作法の話に繋がり、終いには数学をガチガチに形式化して、実は不完全だったというオチが待っていた……ここまで話が大きくなるなんて思わなかったよ。
「途中から本当に、現実離れした別世界の話に突入するかと思いましたし……まあでも、マス部でやるなら端っこだけで充分ですよね。現実世界を抜け出して別世界に行かなくても、できる数学はいくらでもありそうですし」
「「…………」」
マス部はたまに真面目に研究するくらいで、基本的にはダラダラと駄弁るだけの部活だ。現実世界の物事を数式でちょこっと弄るくらいが身の丈に合っていて、別世界の数学なんてお呼びじゃない。そう思っているわたしを、蘭子と杏里は真顔でじっと見ていた。
「そうとも言えないんじゃないか?」
「え?」
「私が去年研究した、三次元版シェルピンスキーのギャスケットは、人間に知覚できない一般次元にそのまま拡張できるし……」
「わたしが題材にしたガウス整数も、現実にふさわしいモデルのない複素数を使うし、1の原始立方根を使ったアイゼンシュタイン整数にも応用が利くし……」
「え? え?」
「数学を嗜む者はね、現実と違う世界に移動するなんて、日常茶飯事なんだよ」
困惑しているわたしをよそに、なんだか、心の距離を大きく開けたように、蘭子と杏里は寄り添いながら不敵な笑みをわたしに向ける。わたしの理解や感覚が遠く及ばないと言わんばかりだ。
「果たして、まだまだ数学初心者である茉莉にとって、私たちは本当に、同じ世界の人間だと言っていいのかなぁ……?」
ちょっ、嘘でしょ。さっきまで狭い部室で一緒にいたはずなのに、妙にあの二人が遠くにいるように感じてしまう。まさか、最初から二人は、別世界の住人だったというのか。形式化された、どんな言葉も厳密に定義された、曖昧さも失われた、不思議な現象がいくつも起こる別世界に、あの二人はずっと身を置いていたとでもいうのか~~~!
「あっ、あうぅぅ……」
「冗談だよ」
「茉莉ちゃんは置いてかないから心配しないで~」
涙目でその場に立ち尽くしながら、二人に向かってフラフラと手を伸ばそうとするわたしに、二人はそう言ってあっさりと現実世界に戻ってきた。
* * *
先輩たちの茶番劇はそれとして、わたしは後日、「たいぐうがおかしい!」と叫んでいた友人に、対偶命題の正しい使い方に加えて、数学の言葉の作法や形式的な世界のことを教えた。
ちーん。
途中から瑠衣はあんぐりと口を開けて、白目を剥いて天を仰ぎ、あっちの世界へ危うく逝きかけたそうである。
やはり『数学ガール』シリーズは名著だと思います。数学におけるロジックの妙は、ほとんどこのシリーズで学んだと言っても過言じゃありません。不完全性定理をもっと深く知りたい方におススメです。
ちなみにゲーデルは、『完全性定理』も世に打ち出しています。変数のみを∀や∃で束縛できる単純な論理の世界では、変数にどんな値を入れても真となる論理式は、必ず公理からの導出が可能だという内容です。不完全性定理は、単純な論理だけでなく算術も含めたより広い世界での法則なので、この二つは扱っている世界が全く違うのですね。
センセーショナルな言葉に惑わされず、定理が主張する内容をきちんと論理的に紐解いていけば、誤解をすることはないはずです。




