after Day. 8
さて皆さん、宿題はちゃんと解けましたか?
もはやafterシリーズの名物(?)、鈴原家の姉妹のぐだぐだトークもお楽しみください。
「おーい、もんちゃん。お風呂上がりのアイスを一緒に食べんかね?」
「わたしがお風呂上がりじゃないからいらない」
その日の夜、お風呂から上がったばかりの姉の八重子が、アイスキャンディを二本つまんで軽く振りながら、わたしの部屋に入ってきた。もちろん、ノックもせずに。
わたしは机に向かって、今日のマス部で出された課題に悩まされていて、まだお風呂に入っていない。それなのにどうやってお風呂上がりのアイスを食べろというのか。
まあそれはどうでもいいが、部屋に入ってきた姉はまだ体から湯気が立っていて、肩にかかる髪は少し湿っていた。そして、ショーツ一枚と首にかけたフェイスタオルで大事な部位を隠しているだけの、あられもない格好になっていた。
「というかお姉ちゃん、パジャマくらい着なよ。身内でもその格好は目に余るから」
「だって最近ホントに暑くなってきたんだもん。もうブラつけるのもめんどくさい」
「いいから湯冷めする前に服を着なさい。それまでこの部屋に来んな」
「もんちゃん、視線も言い方も冷たい……おかげで涼しくなったよ、よよよ」
わたしが冷淡な視線を向けたら、さすがの姉もすごすごと部屋を出て行った。まったく、これが二十歳を過ぎた女の体たらくか。
ようやく課題に集中できる。前回よりもかなり難易度が高いから、心して取り組まないと。
『a^2+b^2=1908を満たす、自然数a、bを求めよ。ただしa<bとする』
蘭子いわく、大小関係が設定されたおかげで、答えは一つだけになったとのこと。1908の平方根は、電卓で計算したら約43.68で、つまりまともに探そうとしたら、43までの自然数のペアを調べないといけないことになる。電卓を使っても途方に暮れる。いや、そもそもコンピュータに頼るなと蘭子から釘を刺されていたから、電卓も使えないのだが。
……などと考えていたら、またもノックなしで、姉がドアを開けて入ってきた。今度はパジャマ姿だ。それも夏らしく露出の多いパジャマで……。
「お待たせー! 一緒にアイス食べよぉー!」
「そうね、ちょっとイラッときてるから糖分摂取するかぁ」
たびたび部屋への乱入で集中が切れているわたしは、そろそろ別の意味で切れそうだ。
というわけで、姉と並んでベッドに腰かけて、アイスキャンディをいただく。夜でもやや不快な暑さと脳の酷使で、アイスがことさらに美味しい。こんな時間に食べたら肥えるかもしれないのに。
というかさっきから、露出の多い姉のパジャマに嫌でも目がいく。胸元なんか第一ボタンの位置が低すぎて、谷間の先まで見えそうになる。
「お姉ちゃん、そんなパジャマ着て恥ずかしくないの? そもそもこんなの持ってたんだね」
「うふっ、大人の女の魅力で、誘惑するためよ♡」
「……誰をだよ」
一応突っ込んではみたものの、なんとなくその答えを聞く気にはなれなかった。普段から家ではだらしない格好しかしていない姉に、大人の女の魅力なんてものが備わっているとは、とても思えないし認めるのも癪だ。
「それにしてももんちゃん、またマス部の課題で苦戦してるみたいね」
「うん……今度は大学入試レベルの問題。今のわたしなら解けるはずだって渡された」
「小学生でも解ける問題の次は大学入試レベルって……緩急つけすぎでしょ」
「今度のは、前回とは別の先輩が出しているからね。てっきりもう少し易しい問題が出されると思ったんだけどなぁ……」
「どんな問題よ」
姉に聞かれたので、わたしは机の上に置いていたノートの、問題が書かれたページを見せた。アイスを咥えながら、首をかしげる姉。
「……それってそんなに難しい問題なん?」
「式は比較的シンプルだけど、答えが自然数だけというのがネックでね……」
「だったら自然数を一個ずつ入れて探せば? パソコンとか電卓とか使って」
「そういうの無くても解けるって聞いたけど」
「じゃあ無理だな」
「匙投げるの早っ」
経済学部の姉の知恵なんて初めから当てにしていないが、少しは考えるフリくらいしてもよかろうに。
「なんかヒントとかもらってないの?」
「1908が3の倍数であり4の倍数である、というヒントなら」
「何それ、ヒントになってんの?」
「たぶん……あぁでも、3の倍数ってことは、mod3でいえば0と合同ってことなのか」
「何じゃて? 日本語でしゃべって」
わたしは今日教わったばかりの、合同式について、姉に簡単に説明した。
「変わったこと考えるねぇ。余りが同じならみんな仲間ってか」
「もちろん割る数は一定だけどね。合同式って、整数以外の要素が絡まなければ、ほとんど等式と同じ扱いができるみたい。早い話、どんな整数も一定の数で割った余りに置き換えられるって」
わたしが完全数の問題を解くときに、一の位以外を無視して計算したのも、言わば10で割った余りに置き換えたことと同じだ。たぶん今回も、同じ要領でやればいいのだと思うのだが……。
「ふーむ……だとすると、例えば3で割った余りは、0と1と2の三つだけだから、この三つを使ったパターンだけ調べればいいってこと?」
「そういうことになるけど……足して0か3になる組み合わせは三通りあるし、しかも最終的には普通の整数の解を出さないといけないからね。面倒だってことに変わりはないよ」
0+0≡0 (mod3)
1+2≡0 (mod3)
2+1≡0 (mod3)
「確かに。答えが何通りもあったら、全部見つけるだけでも一苦労だもんねぇ」
「ああでも、先輩はこの問題の答えが一つしかないって言ってたよ」
「マジで? なんかいくらでもありそうだけどな」
わたしも同じことを思っていた。式そのものはシンプルだし、自然数の解に限定しても、何種類かはありそうな気がする。本当に解は一つしかないのだろうか……。
でも待てよ。考えてみれば、この式で書かれているのは2乗された整数だ。2乗数は普通の自然数よりパターンが少ない。ならば足し算のパターンだって多くはないはずだ。
(※2乗数が自然数より少ないのは有限集合の場合。無限集合だと両者は同じだけあります)
そうだよ、例えば6とか7は、どうやっても二つの2乗数の和で表すことはできない。実は二つの2乗数の和で表せる自然数が、元から多くないのかもしれない。ならば、足して1908になる二つの2乗数が、一つしかなくても不思議はない。
そして、2乗数の和のパターンが限られているなら、mod3で考えた時も、同じようにパターンが限られているかもしれない……。
こうしちゃいられない。わたしはアイスの残りを一口で放り込むと、すぐ机の前に戻り、広げたままのノートに書き込み始めた。ベッドにいる姉は放置して。
「おーい、どったの、もんちゃん」
「ごめんお姉ちゃん、少し待ってて」
「むー……相手にもされないのはお姉ちゃん悲しいよ」
姉が猫なで声で何か呟いたみたいだが、すでに集中モードに入っているわたしは聞こえなかった。
ろくに確かめていなかったが、mod3で2乗数がどうなるのか、きちんと計算しておこう。mod3で扱うのは3で割った余り、つまり0と1と2だ。これらをmod3の世界で2乗すると……。
「あっ、これって……!」
0^2≡0 (mod3)
1^2≡1 (mod3)
2^2≡1 (mod3)
「0と1だけで、2は含まれていない……」
つまり、3で割って2余る自然数は、絶対に2乗数にはならないということだ。ということは、mod3で0と合同になる組み合わせは、先ほどの三通りの中で、2を含まないもの……。
「a^2とb^2が、両方とも0と合同……つまり、どっちも3の倍数ってことだ!」
「おっ? よく分かんないけど、何か進展があったみたいね」
「うん、aとbに関する情報が見つかった! 後はこの情報を数式で表せば……!」
a^2=3c b^2=3d(c,dは整数)
「……いや、このまま置き換えたら、2乗が消えてしまうからよくないな」
2乗数はパターンが少ない分、絞り込みがしやすい。ここで2乗が消えたら、普通の整数の足し算になって、調べるべきパターンが一気に増えてしまう。
何とか2乗は残したいけど、二つの2乗数がどちらも3の倍数という手掛かりは使いたいし、どうすれば……。
あれ? 2乗数がmod3で0と合同になるのは、元の整数が0と合同な場合だけだったはず。だったら、2乗数そのものじゃなく、元のaとbが3の倍数としてもいいはず。
a=3c b=3d(c,dは整数)
すると問題の式は、
a^2+b^2 = 9c^2+9d^2 = 1908
c^2+d^2 = 212
「やった! 最初よりだいぶ簡単になった。でも3桁かぁ……もう少し数を小さくできないかな。あっ、まだ4の倍数ってヒントを使ってなかった」
じゃあ今度は、mod4で2乗数がどうなるか見てみよう。mod4で扱うのは0と1と2と3だから、それぞれ2乗して4で割った余りを出すと……。
0^2≡0 (mod4)
1^2≡1 (mod4)
2^2≡0 (mod4)
3^2≡1 (mod4)
このうち二つを足して0か4になるには、cとdがどちらも、mod4で0か2に合同である必要がある。それは、つまり……。
「cとdがそれぞれ、4で割って2余るか割り切れるかの二通りだから、全部で四通り……めんどくせぇ」
わたしが頭を抱えて机に突っ伏すと、後ろから姉が声をかけてきた。それが、思わぬ天啓となった。
「ねえもんちゃん。4で割って2余るか割り切れるかって、要するにどっちも偶数ってことじゃないの?」
「ああっ!」
確かにそうだ。偶数を2で割った時、その商が偶数なら4の倍数だし、奇数なら4で割って2余る。元の整数が偶数なら、どっちの場合もカバーできるから、場合分けの必要はなくなる。
わたしは後ろを振り向いて姉に言う。
「お姉ちゃん、珍しくナイスアシストありがと」
「おぅ、どういたしまして……って、珍しくは余計」
だってこんなに的確なアシスト、今まで姉からもらったことがないから。受験勉強の時だって、ろくなアドバイスをくれなかったから、結局自力で頑張って合格したし。
まあいい。とにかくこれで、cとdの両方が偶数だと分かった。このことを式にすると、
c=2e d=2f(e,fは整数)
c^2+d^2 = 4e^2+4f^2 = 212
e^2+f^2 = 53
さらに数が小さくなった。ここまでくれば、後は虱潰しでも見つけられる。要は、1から順に2乗数を53から引いてみて、その差が2乗数になるものを見つければいいのだ。
53-1^2 = 52
53-2^2 = 49 = 7^2
53-3^2 = 44
53-4^2 = 37
53-5^2 = 28
やはり一つしかない。これでe=2,f=7は確定だ。さらにこれは、元の整数aとbを3で割り、次に2で割った値だから、両方を6倍すれば答えが出る。
従って答えは、a=12,b=42だ!
「解けたよお姉ちゃん!」
「うぉわあっ!?」
達成感の余り興奮して、まだベッドに座っていた姉に、ダイブするように飛びついた。そしてそのまま、姉と共にベッドに倒れ込んだ。
わたしは仰向けに体勢を変えて、気分よく笑う。
「はははっ! あんなに難しいと思ってたのに、解けたら超気持ちいい!」
「あー、そう、よかったねぇ……」
妹に飛びつかれた弾みで、手に持っていた食べかけのアイスが吹っ飛んで、髪の上から額にべっとりと付着してしまった姉は、複雑そうに笑う。
「よしっ、課題も終わったし、わたしもお風呂入ってこようっと」
「お姉ちゃんもまた入りたいから、一緒に入っていいかい……?」
「え? なんで? やだよ?」
「うちの妹がアイスより冷たいよぉ」
結局、一緒にお風呂に入って、アイスで汚れた姉の髪をわたしが洗うことで、見逃してもらいました。
どうでしょう、答えは合っていましたか? まあ、ちゃんと検算すれば答えが正しいか分かることなので、見るまでもないかもしれませんが。
合同式を使ってこの手の整数問題を解く方法は、数学系のYouTube動画でもよく見ますね。ヨビ○リとかパ○ラボとか某大学生の神授業とか。合同式は比較的とっつきやすい概念でありながら、有用で、かなり奥深いものなので、今後も合同式の面白さをどんどん紹介していきます。……受験勉強への役立て方は、上記の方々に委ねますが。




