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前哨基地報

 連れ出したのは砦の屋上だった。遠くに噂の山二つと、合間に瓦礫の街が見える。すでに安全だとみなされているのか、見張り一人いない。地上には急造の櫓や歩哨の姿もあるが、砲撃でできた穴と、戦闘の跡として燻る煙を見る瞳は、みな一様に怠けていた。


「――酷いものですよね」

「ああ。酷い。基地をもっと前進させるべきだ」

「――そちらではなく、ここの雰囲気の話ですよ」


 ミチカは嬉しそうに微笑し、戦場に背を向けるようにして壁に寄りかかり、腰を下ろした。


「ここはきっと煉獄です。山の間にあるのが地獄への門なんです。みんな、ここで苦しみ、許された者だけが、国に帰れる。許されなかった者は地獄に送り込まれるんですよ」

「戦場には死者しかいない」

「生きていられるのは一時(いっとき)だけです。日常に感じられたら、もう死んでいます」

「同意する。数日前、どういうわけか風呂に入れてな。久しぶりに生きていると思えた。だが今はもう元通り、死にかけだよ」


 苦笑するミチカに安堵の息をつきつつ、ヘイズルは中佐に渡されたファイルを開いた。


「資料は黒塗りばかりだ。軍曹のことも名前と以前は補給部隊にいたとしか分からん。――二一一連隊とは、どんな部隊なんだ? 簡潔に頼む」


 ミチカは冷え切った赤っぽい豆煮を一匙、口に運び、冷めた目でヘイズルを見上げた。


「二一一連隊はヘイズルの考案した『A戦術』の研究、拡張、実践のための特設部隊です。隊員は全軍から選抜された精鋭だとか。少なくとも私はそう説明を受けました」

「俺が受けた説明と同じだ。もう少し具体的に、隊の構造を教えてくれ」

「最初に集められたのは私を含む二十人くらいの兵士です。階級も元の所属もバラバラで、規則性があるようには思えませんでした……」


 一室に集められたミチカたちの前に現れたのは、中佐と、これから隊の総指揮をとるという大尉と、副官となる少尉だった。

 中佐は小冊子を配り、宣言した。


『諸君らの奮闘が今後の戦局を左右する。それを頭と胸に刻み、訓練に励め』


 小冊子の表紙には『A戦術要綱』とだけ書かれていた。


「――隊は増員しながら訓練を重ね、いくつかの戦地で実地テストに入りました。すると、すぐに訓練では分からなかった課題が明らかになりました」


 最初に問題となったのは支援砲火との連携だった。A戦術の肝は塹壕正面への集中砲火による混乱の誘発と敵兵の陽動にあり、突撃部隊には迅速な進撃が求められた。


 しかし、遠方の支援部隊に送れる合図は狼煙か信号弾くらいだった。突撃前に何度も演習を重ねはしたが、実戦となると攻撃地点と時間がうまく揃わなかった。そんななか、次なる大問題として部隊の突撃能力――言い換えれば、火力が立ち塞がった。


「一つ越えてもすぐ次の塹壕に当たる。単発式の小銃に塹壕用の散弾銃、拳銃、銃剣、手榴弾――速度を維持するには武器を減らすしかない。だが、最深部にある最も防御の固い指令部を破壊するには余剰火力が必須となる。――たまらんよ」

「仰るとおりです、ヘイズル。ご自身でもお気づきになられていたのですね。私たちも同じ悩みにぶち当たったんです。ヘイズルはどのように克服されたのですか」

「克服なんてできなかった。夜のうちに潜入するか、死体になりすますか――とんでもく遠くから防御陣地を迂回し、背後から叩いたこともあった。その場しのぎだ」

「なるほど。分かります。ですが、その点ではうまく――いえ、うまくいったと言っていいのか分かりませんが、私たちは別の方法で克服することができました」


 いつ、どこの戦場だったか――転戦しすぎて正確には覚えていないという。

 あるとき、突撃部隊の隊員の一人が文字通り目にも留まらぬ速さで銃座に迫り、射手を絶命させることに成功した。距離にして三十メートル強。音もなく、秒の間もなく、一瞬で接近し銃剣を用いて殺害したのだ。隊員は近辺の塹壕内にいた兵士をやはり一瞬で全滅させた。


「どうやって、そんな――」

「私が聞きたいくらいです。戦いに殉じてきたがために、神が力を貸してくれたのだとか、そんなことをいう隊員もいました。最初は私も信じていなかったんです。でも――」

「軍曹も力に目覚めた」


 ミチカは匙をトレイに置き、両手を見つめた。


「そうです。手榴弾を投げるつもりが手元には何もなかった。初めての経験でした。疲れていたのかもしれません。なぜか、何かを投げようとした。そのときです。投げる直前の手のひらの中に、火球があった。ちょうど、野球のボールと同じくらいの大きさでした」

「……野球のボール?」

「ご存知ありませんか。面白いスポーツですよ」

「名前だけは知っている。観戦したことはないが」

「機会があれば、ぜひ見てください。きっと――」


 明るくなった声音に気が引けたが、ヘイズルは淡々と話を遮る。


「それより続きを。火球はどうなった」

「……飛んでいって、塹壕の中で爆発――というか、燃え広がりました。なぜそんなことができるようになったのか全く分かりません。ですが、同じように隊員たちのなかに特別な力を使える人間が増えていきました。最終的には私を含む十二人が力に目覚めています」


 二一一連隊は能力者を中心に据え、編成単位を役割ごとに三中隊に分割、一中隊を二小隊にし、一小隊は二分隊からなるよう再編した。そうして転戦を重ね――


「一分隊が約二十人ですから、だいたい二百五十人――もっといるかもしれませんね。ともかく、それくらいの隊として、今もガルディアの向こうにいます」


 言ってから、ミチカは自嘲気味に口元を緩めスプーンを手にとった。


「もっとも、もはや連隊としての機能は停止していますが」

「……停止しているとは?」

「言葉通りですが……口で言ってもご理解いただけないかと思います。包み隠さず文章化して報告した結果が、ヘイズル――あなたの派遣です」


 つまり、中佐が連絡員=ミチカの正気に疑義を抱くような内容だった。

 報告に虚偽が含まれていないのなら、常軌を逸した状況にある。

 地獄の門と称されたガルディア峡谷とそこにある要塞都市の影を見つめ、ヘイズルは大きく息を吸い込み、目を伏せながら吐き出した。


「行ってみるしかないのか……」

「そうなりますか」


 ミチカは食料のようなものを全て平らげ、匙と空になったトレイを脇に投げ捨てた。酷く軽薄な音が鳴った。見咎める者も、聞き咎める者もいなかった。


「……ヘイズルは何をしにここへ来て、何をしにあそこへ行こうというんですか?」

「……向こうにも二人で話せるような場所はあるか?」

「あります。まず無事に基地まで戻れるかどうかが問題ですが」

「軍曹は何度も行き来していると聞いている」

「私は慣れていますからね。一人なら身軽ですし。ですが――」

「エスコートを頼む。俺が途中で死んだら、ここに戻って中佐に連絡を取れ」


 ミチカは素早く立ち上がり、見惚れるほど美しい敬礼をしてみせた。


「了解です。出発はいつになさいますか?」

「今すぐと言って、出れるのか?」

「可能です」


 薄ら冷たい笑みを浮かべ、続けた。


「ヘイズルは途中で死ぬでしょうが」

「準備が要るならそう言え、軍曹」

「ヘイズルが、私のことをミチカと呼んでくれるのなら」


 澄んだアメジストのような瞳は微塵も揺るがない。正気か、狂気か、目の色も言動も判断材料になりそうにない。


「安全に前哨基地にたどり着くために必要な装備があるなら言ってくれ、軍曹」

「……では、まず、ヘイズルの小さな顔にぴったりなガスマスクを探しましょう」


 冗談には聞こえず、ヘイズルは自らの前途にため息を禁じ得なかった。

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