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ボイラー王国の終焉

 ひたり、ひたりと足を進める。依然として殺意は湧いてこない。もしかしたらと薄い希望をむが、しかし、初めて来たときと同じ、初めて出たときと同じ暗い横穴には、ほんの数日前までなかった臭いが充満していた。

 腐臭と呼ぶか、絶望の香りと呼ぶか、耐え難い悪臭に打ち負かされ、ミチカが膝をついた。


「……俺が訊くか?」

「……お気遣いありがとうございます。ですが、自分で決めたことですので」

「無理しなくていい」


 連隊の仲間は家族も同じと言っただろう。その言葉は心中で呟くに留めた。

 ミチカは胸元を強く押さえ、拳を握り固めた。


「誘いかけないでください。心が折れそうになる」


 ヘイズルは丸まるミチカの背中に手を伸ばし、触れる寸前、握りしめた。触れたら折れてしまうのではないか。撫でてどうなるものでもないだろう。しかし、

 ヘイズルは握りしめていた手を開き、肩に置いた。


「終わらせよう。ミチカ」

「――はい」


 ミチカはヘイズルの手を握り、震える声で呼びかけた。


「明くる日は夜もなく! 夜くる日は明日になく!」


 ざわめきが水溜まりに波紋を作った。返ってきた声は、


「……ヘイズル。何と返してきたか、分かりましたか?」


 今にも泣き出しそうなミチカに、ヘイズルは答えた。


「分からなかった。――もう、人の声とは言えないと思う」

「信じて、進んでいいのでしょうか」

「ああ。信じていい。敢えて言おう、ミチカ・ボーレット軍曹。君と、君の部下は、優秀だ。たとえどんな姿になろうと、君の声を忘れるはずがない」

「……しくじっても恨まないでくださいよ?」


 親指で払うようにして目元を拭い、ミチカは重そうに腰をあげた。

 影が、暗闇の奥で腕らしきものを振った。


 ――よくぞご無事で!


 そう言っているように思えた。


「ああ。周囲の安全は確保した。上に戻って皆に知らせろ。すぐに次の命令が出るから一箇所に集まって待機しておけ」


 喜び勇んでいるのか、影が、飛び跳ねるようにして梯子を登って行った。上では、元の人数を思えば想像しすぎるくらいの騒ぎが起こった。


「みんな、帰れる日を待っていたんでしょうね」

「帰してやるんだ。今から。弱気な顔を部下に見せるな」

「――はい」


 ミチカは軍人の顔になり梯子を昇った。ヘイズルも後を追う。鉄の梯子にはいくつもの黒い染みがあった。日に三度の交代を挟み、何度も、何度も、上り下りが繰り返したのだろう。

 ホテルの食料倉庫に這い上がると、あの日と同じように、ぎょっとするような足取りで、バリモア伍長が駆けてきた。


 ――おかえり! お姉ちゃん!


 そう言っているように思えた。


 ――ただいま。よくお留守番できたね。


 ミチカが唇を動かし、つま先立ちになって手を伸ばし、撫でた。


 ――頑張ったよ! ずっとずっと頑張ってたんだよ!?

 ――うん。知ってるよ。それじゃあ、お姉ちゃんからのお願い、聞いてくれる?

 ――いいよ! 何でも言って!

 ――それじゃあ、みんなを呼んで、玉座の間に集まってくれるかな?


 ホテルの、ボイラー室のことだ。二一一連隊のかつての長、バリモア伍長に全権を移譲したというヒュートロゥ大尉が、大臣こと副官の中尉たちとともに軟禁されているという部屋。結局、一度も御目に掛かれずに今日を迎えた。

 ミチカが振り向き、手の平でヘイズルを指し示す。


 ――こちらの、ヘイズル・パートリッジヴィル曹長から、お褒めの言葉を頂けるという。


 バリモア伍長が、人の手であれば見惚れたであろう所作で、敬礼をしてみせた。


 ――光栄です! パートリッジヴィル曹長!


 そう言っているようにしか思えなかった。腹の底に殺意がない。悲しみばかり募った。


 ミチカが小さく頷き、言った。


「さあ、行って」


 バリモア伍長の影が、その大柄すぎる体躯を小さな扉に捩じ込むようにして、出ていった。溜め込んでいた息をミチカが吐いた。声には出さなかったが、泣いているように見えた。

 二人は、少し時間を置いてボイラー室に向かった。狭い部屋は昏い熱気に満ちていた。傍にあった棚や箱をかき集め、すぐ倒せるように扉の脇へ積み上げ、頷きあう。


「やります」

「うん」


 それ以上の会話はいらなかった。ヘイズルが扉のノブに手をかけ、ミチカは右手に目に見えぬ火球を握った。重い鉄扉を開くと、


「総員! そこで待機!」


 大声で呼びかけ、ミチカが火球を放った。地に落ちるよりも早く扉を閉め、積んでおいた荷物を倒してバリケードを作る。鉄扉にはめ込まれた五センチ四方の覗き窓が割れ、真っ青な火焔を吹いた。


 耳を覆いたくなるような悲鳴がボイラー王国に響き渡った。

 ヘイズルとミチカは決して耳を塞がなかった。


 何度も、何度も、内側から鉄扉が叩かれた。

 二人はバリケードに背中を預け、悲鳴が消えるまで微動だにしなかった。


 やがて全ての音が消え、あとは黒煙が吹き出すばかりとなった。

 それから二人は、帰り支度を始めた。二手に別れて、イェール連邦の部隊がいた痕跡を消していく。戦時とはいえ、徴発は罪だ。今はそうでなくても、戦争が終われば、いつの日にか罪になる日が来る。連邦の負の歴史を示す証拠を積み上げ、火をかける。

 そして。


 すべて済ませた二人は、ボイラー王国の執務室で、隣り合って座った。

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