第3話 5
イフューがテーブルの上で、不意に顔を東の方に向けて。
「――んんっ!?」
不意にそんな声をあげた。
明らかになにかを警戒するように、毛を逆立てている。
そんなイフューの様子に、わたしもエドワードも首を傾げた。
「イフュー、どうしたの?」
抱き上げようと伸ばしたわたしの手をすり抜けて。
イフューはテラスの手すりに飛び乗ると、後ろ足で立ち上がって夜の闇に目を凝らす。
「――クレア、あそこだ!」
前足で指し示されたのは――お城の東側にある牢舎の方。
お城を囲う城壁のそばに建てられたその建物の入り口で、焚かれた篝火に照らし出されて、無数の影が入り混じっている。
「……なにあれ? 戦闘してるの?」
イフューと違って夜目の効かないわたしには、細かいところまでよく見えないのだけれど、衛士がなにかと争っているのはわかった。
「――旦那様!」
と、エレナがテラスにやって来て。
「ああ、エレナ。
ちょうど良い。アレの事だろう?
なにが起きている?」
「はい。捕縛していたシルトヴェールの騎士達が、牢を破壊して脱走しました」
「――牢を?
魔封じも施した特別製だぞ?
いったいどうやって!?」
戦争中に、魔道に長けたランベルクの捕虜を留める為に特注したんだって、前にエドワードが言ってた。
シルトヴェールの騎士達を閉じ込める時に、わたしも確認したから効果は間違いない。
「……クレア。
あいつら<解き放たれた獣>だ……」
めったに聞かないイフューの震えた声色。
「それって魔道器官を操作されたって事?
――禁忌じゃない!」
人の世の理の外にあるわたし達魔女――貴属にも、守るべき理はあるんだ。
そのうちのひとつ。
他者の魔導器官の設定値を勝手に書き換えるのは、絶対にやっちゃいけない事だっておばあちゃんが言ってた。
理由はいくつかあるのだけれど。
一番の理由は、心と密接に関わっている魔道器官を操作されると、人は人でいられなくなるから。
――<解き放たれた獣>
それは魔道器官をいじられて自我を無くした人間のなれの果て。
生物の破壊だけを求めて活動するその様は、魔物の在り方に近い。
時間と共に心だけではなく、人としての形まで無くして、ただ破壊を振りまく存在へと変わって行ってしまうんだ。
「いったい誰が!?」
「それを考えてる暇はないみたいだよ」
牢舎の入り口を警備していた衛士は、後から後から現れる元シルトヴェールの騎士だった者達に抗えず、その数に呑み込まれてしまう。
「……ステータス変化による変貌が始まってる……」
イフューが震える声で呟く。
手脚が異様に太く長くなった騎士達は、まるでパーティーホールに灯された明かりに誘われるように、真紅に光る目をこちらに向ける。
――そして、跳躍。
「――クレア、来るよ!」
牢舎とこちらを隔てる回廊の屋根に跳び乗った獣達は、さらに跳躍してこのテラスを目指す。
「エドワード、エレナ、さがって!
――来たれ、鬼道傀儡!」
わたしはエドワードとエレナを背後に庇って、左右に両手を広げた。
宙にいくつもの魔芒陣が開いて、最果ての森の館から鬼道傀儡達が転送される。
他のテラスにいた招待客が、異変に気づいて悲鳴をあげて。
それに反応して、パーティーホールの中の招待客もテラスを覗き込んで悲鳴をあげた。
一気にパニックだ。
わたしはエレナにバレないように支度を終えたあとで、こっそり太ももにくくりつけてたポーチから腕輪を取り出す。
エレナがやられたって顔してるけど、今は無視。
「目覚めてもたらせ。バリアフィールド!」
パーティーホールを覆うように鬼道結界を結ぶ。
こちらを目指して跳躍した獣達は、虹色の多面体で造られた障壁に阻まれて、次々と中庭の地面に落ちる。
「――行け! 傀儡達!」
わたしの言葉に従って傀儡達がテラスを飛び出し、中庭で獣達と戦闘を開始する。
傀儡達は自律稼働する最小の<兵騎>だからね。
いくら魔道器官が狂った<解き放たれた獣>でも、初期症状の今なら負けやしないよ。
「――クレア! 捕虜全部が獣になってると思った方が良いよ。
館の傀儡を全部喚ぶんだ!」
「わかってる!」
牢舎からぞろぞろと出てくる獣達に、イフューがそう指示をしてきて。
わたしはうなずいて、次々と傀儡を転送する。
不気味なうめき声をあげて暴れる獣達と、わたしが喚び出す傀儡達が中庭でぶつかり合う。
……わたしとアンの大事な思い出の場所なのに。
踏み砕かれていく紅晶華達を見て、怒りが込み上げてくる。
パーティーで楽しかった気分も台無しだよ!
ああなってしまった人は、もう殺すしかないんだ。
騎士達の事は好きじゃないけど、殺すほど憎んでたわけじゃない。
けれど、わたしは傀儡達にそれを命じるしかなかった。
「……いったい、誰がこんなひどい事を……」
ホールでは混乱した招待客をなだめようと、エドワードが声をあげている。
わたしもホールに戻って。
「――このホールを結界で覆ったから安心して。
あいつらもわたしの傀儡で退治しちゃうから」
エドワードの隣に立って、招待客達にそう告げると安堵の色が広がっていく。
――なのに。
「――みんな騙されないで!」
主催者席の前に立ってた女が、不意にそう声をあげた。
「これはブラドフォードの……アンジェラ様の自作自演よ!」
「――はあ?」
わたし、思わず変な声出しちゃったよ。
アレって確か……シルトヴェールの王子の横にいた、ルミアとかいう女だよね?
なんでここにいるの?
そんな事を考えてる間にも、ルミアとかいう奴は芝居がかった動きで両手を広げ、それからわたしを指差す。
「みんなも見たでしょう?
そこの赤毛の子、次々に不気味な人形を喚び出してた!」
「わ、わたし?」
「あんなのを喚び出せる子だもん。
あの化け物だって、その子の……ああ、あなたが殿下が言ってた魔女ね?
正直に言いなさいよ!
あなたがあの化け物を用意したんでしょう!?」
一度は安堵に染まりつつあったホールが、再び不安の色に塗り替えられていく。
と、エレナに耳打ちされて事情を聞いていたアンが、主催者席から立ち上がって。
「――面白い考察ね。
でも、わたくし達にそれをするメリットがどこにあるの?
そもそも襲ってきているのは、シルトヴェールの騎士だそうよ?」
途端、ルミアの横にいた男――グレイブの記憶を読んだ時にあいつも出てきたね。
名前は確かミゲルって言ったっけ?
そいつがアンに指を突きつける。
「語るに落ちたね。
魔女の怪しげな術かなにかで、王国騎士達をあんな化け物にしたんだろう!?」
勝ち誇った表情を浮かべるミゲルに、アンはため息。
「……仮にそうだったとして」
「――認めたな!?」
あ、アンが呆れた表情した。
「仮にそうだったとして、なぜ、今ここで、騒ぎを起こす必要があるの?
どうせ暴れさせるなら、騎士達を王国に戻してからの方が、ブラドフォードに有利だと思わない?」
「――ぐっ……それは……
そ、そんな悪辣な事を考えていたのかっ!」
「――論点を逸らさず答えなさいな。ミゲル・アード。
あんな化け物を暴れさせて、わたくし達になんの得があるの?」
「……それは……それは……」
「――招待した領主達を襲わせて、領を乗っ取る為でしょう!?」
言い淀むミゲルの腕に、自分の腕を絡めながら、ルミアがそう叫んだ。
「あら、でも魔女はわたくし達を守っているわ」
「ルミア達が指摘しなかったら、なにか言い訳して襲わせてたはずよ!
ルミア達に見破られたから、今も守ってるフリをしてるんでしょう!?」
「……仮定に仮定を重ねた推察で、頭が痛くなるわね……」
アンはため息をつきながら首を振るけれど。
「……本当に魔女が?」
「そもそも魔女なんて怪しげな者を頼る公国を信じて良いのか、私は懐疑的だったんだ」
招待客から、不審を示す声があがり始める。
「わっ、わたしはそんなこと――!」
――してない。
そう叫ぼうとした瞬間。
ホールの入り口で硝子が割れるような音が響いて。
――鬼道結界が砕かれた!?
直後、ドアが吹き飛んで、入り口の枠を砕きながら一体の<解き放たれた獣>が飛び込んでくる。
勢い余って前のめりに倒れ込んだそれは、他の獣と明らかに違っていて。
膨れ上がった筋肉で身体が肥大化していて、三メートルくらいの巨躯になってる。
なのに顔だけは元のサイズのままで顔中に血管を浮き上がらせて、血走った目をして呻きながら、それはゆっくりと立ち上がる。
「……ああんんじぇらあぁ……」
「……グ、グレイブなのか!?」
ミゲルが驚愕の声をあげて。
「ほら、見なさい!
計画がバレたから、やっぱり襲う事にしたんだわ!」
呻きながら立ち上がるグレイブを指差して、ルミアが勝ち誇ったように言い放つ。
「……それならば」
アンは立ち上がって、静かに告げる。
スカートの上からパニエを落とすと、ゴトリと重い音がして、アンは足元に手を伸ばした。
――手甲と脚甲。
無骨な鉄色をしたそれを、アンは手早く装着していく。
アンもエレナに黙って、そんなのスカートの中に隠してたんだ。
鋼鉄に覆われた両手を打ち合わせれば、重いけれどひどく澄んだ音がホールに響いて。
またパニックに陥りそうだった招待客の注目を一身に集めた。
「皆様を守り切ったなら、おまえの説は成り立たなくなるわね」
アンは静かにそう告げて。
「あああああんんじぇえええらあぁぁ……」
軽やかな足取りで、獣となったグレイブの前に進み出る。
だから、わたしもその後を追って。
半身に構えたアンに並んで、ポーチから取り出した長杖を構える。
「――護るよ、アン」
「ありがとう。クレア」
わたし達は微笑み。
それから変貌したグレイブを見据える。
「……来なさい、グレイブ」
アンが変わり果てたグレイブに手招きして。
わたしは腰溜めに長杖を構えた。
そしてわたし達は声を重ねる。
「――理不尽の果ての力を見せてあげる!」
不思議だね。
思わず笑っちゃったよ。
こんな時でも、わたし達は息ぴったりだ。