第2話 7
その日、わたくしはクレアと西市街の物見衛士からの連絡を受けて外門までやって来ていた。
わたくしが学園に入学する時は開発が始まったばかりで、まだ外壁とその周囲を取り囲む田畑の世話をする百姓達の家しかなかったというのに。
公都アンゲラから東西に延びる橋の袂には、いまや市街と呼べるほどの街が広がっているわ。
その西市街を取り囲む外壁に設けられた門の上。
物見塔に上がって、わたくしは衛士から望遠鏡を受け取る。
もうじき苗代の為に、すでに水の張られ始めている一部の田の間を通る街道の先に。
「……先遣隊というところかしら?
目的は陣地構築?」
望遠鏡でもかろうじて点に見えるような距離に、無数の<兵騎>が陣地を構築しているのが見えた。
護衛として同行した、ウチの筆頭騎士――アルドワに望遠鏡を渡して尋ねると。
「数から行って、西市街の占拠も狙っているのかもしれませんね。
王国としては、独立される前に反逆として処理したいでしょうからね」
「なんにしても遠すぎるわね。
――斥候を出す?」
わたくしとアルドワが対処を検討していると。
「――それならイフューに頼んだ方が早いよ。
イフュー、ちょっと行って来て」
クレアが事もなさげにそう告げて。
「うん。着いたら連絡するね~」
イフューは身を震わせて鴉へと転じ、西の空へと飛んで行った。
「何度見ても不思議なものですね……」
アルドワはイフューが飛び去った方を見つめて呟いたわ。
「魔女の使い魔ですもの。
ね、クレア?」
「そうそう。
わたし達を人の世の理で捉えようとするだけムダなんだよ」
と、クレアは腕組みしてうなずく。
「そういうもの……と理解するように努力します」
生真面目なアルドワの返事に、わたくしはクレアと顔を見合わせて笑ってしまったわ。
そんなわたくし達の目の前に、不意に半透明な遠視板が開いて。
『お待たせ~。
ちゃんと見えてる?』
イフューの舌っ足らずな声と共に、遠視板に王国陣地を見下ろす映像が映し出されたわ。
陣地上空をゆっくりと旋回しているのか、<兵騎>が作業しているのがよく見える。
草原を西に延びる街道の南側に、無数に設置されている天幕。
そしてそれを囲うように鉄柵が張り巡らされ、それを支えるように土嚢が積み重ねられている。
<兵騎>同士の野戦を想定しているのか、鉄柵の高さは対<兵騎>用のそれね。
「――<兵騎>大隊規模ですね。
これはやはり陣地構築目的というより、西市街占拠を目的としていると見るべきかと」
「……そうみたいね」
わたくしはそばにいた衛士に、お父様に報せるよう指示をしたわ。
「アルドワは騎士達を召集してちょうだい。
準備でき次第、西門前に配置。
あと、わたくしのドレスも持ってきてね」
「――姫様まで出られるのですか?」
アルドワが目を丸くして尋ねてくる。
「あれだけクレアにやられたのに、まだ懲りてないアホがいるようでね」
わたくしは遠視板の中、一際大きな天幕の前で偉そうにふんぞり返っているアホを指差して見せる。
「……ダブリス侯爵家の小倅でしたか?」
アルドワはお父様から、彼らがわたくしになにをしたのか聞かされているようね。
眉をひそめて不快さを隠そうとしない。
「――アン、なんならわたしがもう一回、アッ――してやろっか?」
クレアも両手を握り締めて言ってくれるけれど、わたくしは首を横に振って見せる。
「……クレア、そう言ってくれるのはありがたいのだけれどね。
わたくし達でどうにかできる時は、なるべくわたくし達にさせてちょうだい」
すべてをクレアに頼り切りになってしまっては、公国が独立する意味がなくなってしまう。
それならクレアを女王に据えて、興国した方が早いもの。
でも、クレアはそんな立場を望んでいないし、わたくしもそんな重荷を彼女に負わせるつもりはないの。
だからこそ、人の手でできる事は人の手で行わなくてはね。
「――クレアには万が一に備えて、街の守りをお願いするわ。
攻めるのは、わたくしの仕事よ」
手の平に拳を打ち付けて、わたくしは遠視板の中のクレイブを見据える。
「こないだは殴り損ねたものね。
今度こそ、きっちりとやり返させてもらわないと!」
わたくしの言葉に、引きそうにないと理解したのかアルドワがため息をついたわ。
「わかりました。
ただちに取り掛かります」
そうしてアルドワもまた城に戻って行き――
『――ねえ、クレア、アン。
なんか馬に乗ったヤツがそっちに向かったんだけど』
イフューが言う通り、遠視板の中で馬に乗った兵士が街道を走っているのが見えた。
「――攻撃?
でもひとりだけって変だよね」
クレアが首をひねるのだけれど、わたくしは鼻を鳴らしてしまったわ。
「きっと降伏勧告のつもりなんじゃない?
もしくは最後通牒かしらね。
あれだけの力の差を見せつけられても、まだ数の力でどうにかなると思っているのよ」
わたくしはクレアを連れて物見塔を降りて、門の真上の胸壁に腰掛ける。
そうして少し待っていると、遠視板に映っていた使者がやって来た。
門の前で衛士が槍を構えて行く手を遮る。
「――王都よりの使者である!
速やかに道をあけよ!」
率いている者がアレだと、使者までアレになるのかしらね。
明らかに従騎士とわかる年齢と出で立ち。
なのに王国の名を笠に着て、衛士相手にこのイキりっぷり。
あからさまに戦の用意を整えておきながら、どうして門を通れると思うのかしら。
「――大公女アンジェラが聞き届けるわ。
そこで告げなさいな」
胸壁に腰掛けたままそう告げてやると、使者はこちらを見上げる。
「――私は大公に直接……」
「――その手間を省いてあげると言っているの」
「お、女に政や戦がわかるものかっ!」
明らかにわたくしを――いいえ、女を見下した物言いで。
「ねえ、アン。
アイツさ、ぶっ飛ばしちゃおうか?」
ほら見なさい。
この子はわたくし以上に気が短いのよ。
ポーチからなにに使うのかよくわからない、右手だけの篭手のような魔道器を取り出すクレアを手で制して。
「はやくなさいな。
わたくしが魔女を留めておける間に、ね」
すでにクレアは篭手を装着して臨戦態勢よ。
見せつけるように胸壁から身を乗り出して、使者を指差している。
……ねえ、それ本当になんなの?
クレアの無言の圧力に恐れをなしたのか。
使者は引きつった顔でクレアを見上げながら、腰の文筒から書面を取り出した。
「――最初から素直にそうすれば良いんだよ」
へらりと笑ったクレアは、身を戻してわたくしの隣に控えた。
「つ、告げる!
ブラドフォード大公息女、アンジェラの暴虐に端を発する王太子殿下への不敬の数々。
並びに魔女を僭称せし女との共謀による、騎士団隊舎への破壊工作活動」
どうやら騎士団の中では、クレアの鬼道による一撃は、なんらかの破壊工作によるものと認識されているようね。
オズワルドやクレイブは目の前で見ていたというのに。
ああ、クレイブはお尻が大変でそれどころではなかったのかしら?
ともかく、認識が甘いとしか言いようがないわね。
「――そして王国から離反し、独立を企てているという報をもって、殿下並びに貴族院はブラドフォード大公家を反逆の意思ありと認むる」
「……あら、陛下の裁量じゃないのね?」
なぜ陛下の名を出さないのか不思議で、わたくしは思わず呟いた。
これは後で調べさせる必要がありそうね。
わたくしが思考を巡らせる間も、使者の言葉は続く。
「――これは最後通牒である。
ブラドフォード大公並び息女アンジェラは速やかに王都に出頭し、裁きを受けるならば良し。
断るのならば、王国騎士団の武をもって王都に引き立てる所存。
――如何かっ!?」
書面を衛士に渡し、わたくしを見上げる使者に。
「……悠長なことね」
思わず哂ってしまったわ。
「良いこと? 使者殿。
先日、わたくしはとうに殿下に宣戦布告を済ませているの。
そしてシルトヴェールを滅ぼすというのは、守護貴属の意思でもあるわ」
わたくしの言葉に、クレアが腕組みしてうんうんうなずいているわ。
「――しゅ、守護貴属?」
「国防の要たる騎士団に所属していながら……勉強不足ね。
果ての魔女の事よ」
「そ、そんなお伽噺を持ち出して、煙に巻こうというのかっ!?
使者に対して無礼であろう!」
……思わずため息が出ちゃうわね。
「この程度の者が使者だなんて。
……おまえでは話にならない事が良くわかったわ。
帰ってクレイブに伝えなさい」
わたくしは追い払うように手を振って使者に告げる。
「わたくしは魔女のように優しくはないわよ?
――今度はおしめで済むと思わない事ね」
一度は見逃してあげたのだもの。
それでもなお食い下がるのだから、もう行き着く処まで行くしかないでしょう?
「わたくしの鉄拳、もう一度味あわせてあげるわ!」