〈2〉奇跡の夜
ふわふわとした微睡みの中で不意に意識が浮上する。
暗闇の中薄らと瞼を上げれば、ひんやりとした空気が彼女を包んでいた。
上半身を起こし、少女に与えられた部屋をぼんやりとした頭で見渡す。
ベッドも布団も与えられていない少女が唯一持っている古いカーテン…否、掛け布団がするりと少女のガリガリに痩せた肩から落ちる。
(冷たい、とは思ったけど……。これは…)
雲の隙間から出た月が、凍った部屋を青く照らしつける。
青い光を受け輝く氷はさも芸術品のような美しさを持っていた。
普通の人であったのなら一瞬で氷像になってしまうような極寒。
アメラリアは恐らくその強い魔力で無意識のうちに身を守っていたのだろう。
(こんなに冷えたのは久しぶり……だな)
氷に魅られた少女はふと素足で氷の上に足を乗せた。
そのままペタペタと窓と呼べるかも危ういそれを覗き込み、月を見上げた。
(一の月、二十日)
変わったばかりであろう日付を思い出し、少女はもう何年も動かしていない表情筋を少しだけ緩めた。
ガリガリに痩せた少女の指が軽く握られ、氷に満ちた部屋に暖かい風が吹き込んだ。
(私ももう十歳…)
そう、今日はアメラリアの誕生日であった。
人間らしい生活など送ったこともない少女が誕生日を祝われることなどありえない。きっと今日も散々コキを使われた挙句に暴力を受けるのだろう。
それでも少女にとって今日は唯一愛をくれた母と一瞬でも共にあれた特別な日なのだ。
そして。それと同時に終わりを数える切ない日でもある。
魔女は短命である。
それは魔力量の多さに比例し、才ある者こそ早く死んでいく。
まるでこの世界を一人の少女によって動かされるのを嫌うかのように、自分勝手な神という存在は魔女を集って排除しようと動くのだ。
(あと、七年)
そして、魔女史上最高といっていいほどの魔力を持って生まれた少女はぼんやりとだが自分の余命を理解していた。
自分の体に日に日に溢れてくる魔力があとどれ程で決壊するかを考えれば、自然と『十七年』という年は導き出されてしまうものだった。
もし万に一つ。
少女の果てのない魔力が空になるという世界崩壊の事態が起きない限り、少女の余命はあと七年で揺るぐことはない。
(あぁ…早く消えてしまいたい)
しかしそれは少女にとって悲観すべきことではなかった。
それこそこの地獄のような日々が続くのであれば、だれにも愛されず認められず死してしまったほうが楽であろう。
それでも、神はどこまでも〝魔女〟に対して意地悪であった。
「―――っ!?!」
月の光が強くなる。
青で満ちた部屋がどんどん明るくなる光に連れて白に染まり―少女は頭に溢れる膨大な情報量と感じたこともない神聖な魔力によって意識を失ったのだった。
▽▽▽▽
忙しなく街を行く人々。情報で溢れる社会。
どんどんネオンに染まっていく町並みはいつしか某漫画のように一つのポケットから様々な道具が出てくる時代になるのだろうか。
しかし、と『少女』は続けて考える。
百年前からは考えられないほどの超進化を遂げた世界は、恐ろしいほどに孤独だ。
もしも漫画のように進化したとして、果たして笑顔溢れる温かな世界になるのだろうか?
家族のいない家。心を許せる人のいない学校。お世辞を並べるSNS。
『少女』を囲む世界はそれが全てだった。
だからだろうか。
いつしか『少女』の中には死ぬことしか考えられなくなっていた。
いや、実際に少女は何度となく自殺を経験していた。首吊り、溺死、飛び降り…。何度となく自身の腕をカッターで汚し、何度となく彼女は首にナイフを当てた。
しかしそれでも彼女は決して死ぬことなどなかった。
日に日に増える傷には包帯を巻き、それを揶揄ってくる人達には笑顔で嘘を吐く。
孤独、寂しさ、悲しさ、虚しさ。
すべてが少女の胸を占め、生きていることが不思議なほどの闇を抱えてた。
どんな言葉でも彼女の心を表すには足りないだろう。
強いて言うのならば、少女は毎日毎時間毎分毎秒、世界へ対して失望し絶望していた。
だからだろうか。
やっと自分の〝死〟を感じられたとき、少女は心の底から安堵していたのだ。
―なのに。
なのにである。
この状況はいささか酷いのではないだろうか。
神的に自殺と自傷行為は頂けなかった?
…そんなまさか。今時珍しくもないだろうに。
「…やっと成功した自殺の先が、余命七年の奴隷紛いの扱いを受ける魔女とか信じられないんだけど……」
ぽつりと零した独り言は、わずかに顔を出した太陽によって照らされたボロボロの小屋に飲まれていった。