〈1〉アメラリア=ハルドゥーン
一番嫌な死に方ってなんだろう。
踠き苦しみながら死ぬこと?それとも誰にも死んだという事実を知られないこと?
グルグルと回る思考の中で、私は様々なことを考えた。
ーいや、一番いやな死に方はきっと…
誰の記憶にも残らずに、この世から去ってしまうことだ。
『最低で最悪な私から、最期の願いを』
ーバシン
頬に鋭い痛みが走る。
この十年でもう慣れてしまった熱が、痛みとともに皮膚の下から湧き上がった。
叩かれたのと同時に下へと移された視界の先に、ボロボロになった自身の服が映った。
(また一つ、傷が増えてしまった…)
これ以上この服が汚れたらそれはもう服ではなく布になってしまうのでは、と頓珍漢なことを考えながら、少女はいつものように続くであろう甲高い声に構えた。
「この人でなし!『あの小屋』から出てくるなとあれほど言ったでしょう!なんでアンタなんかがここにいるのよ!」
ああ、まただ。
心の中の奥に乾いた感情が一つ積みあがったのを他人事のように感じながら、少女は輝きのない瞳でのろのろと怒鳴っている女性…エラリアのほうへと顔を上げた。
一週間に四回は繰り返されるこのやり取りは、もはや日常の一部と化していた。
住む場所を与えられる代わりに屋敷の掃除を言いつけられている少女は、できるだけ人目につかないところを選びつつも『彼女』と遭遇することを避けられなかった。
まず目に入るのは、痛いくらい鮮やかな赤色のドレス。キラキラと輝きを放つそれは、彼女の身分を表すかのように上質な素材でできていることが素人目でも分かった。
そして赤に反抗するような、これまた鮮やかな青が腰あたりから添えられる。それはこの一族…ハルドゥーン侯爵家を表す誇り高き『青』であり、髪を伸ばすのが常識なこの社会で、エラリアが何よりも自慢に思っているものでもあった。
そのまま視線を上へ上へと上げていけば、最後に少女をにらみつける水色の瞳があった。
髪色も容姿も何もかもにつかない彼女たちにとって、その瞳は唯一少女とエラリアの間に血縁関係があることを証明するものだった。
自分を見つめる同色の瞳に気づいたらしい彼女は、グっと憎しみをかみしめるように顔をしかめて持っていた扇を大きく振りかぶった。
特に機嫌が悪いときに起きる彼女のその行動に、反射的に少女は瞳を閉じた。
「――っ」
今度は痛みよりも早く熱を感じた。
無意識のうちに扇で叩かれた、先と反対側の頬に手を当てれば、べっとりとした鮮血が手を汚す。
少しの間呆然と赤に染まった指先を眺めていれば、その光景に溜飲が下がったのかエラリアはクルリと踵を返して少女に背を向けた。
数歩だけ前に進んだエラリアは上半身だけ振り返り、蹲る少女を睨みつける。
「―アンタさえいなければ…っ!」
強い憎悪と悲しみに満ちたその悲鳴を残し、エラリアは自室へ向かって振り返ることなく歩き出した。
乱雑に肩で揃えられた紫髪の少女は、まだ血の滲んでしまったスカートを見つめたまま動かなかった。
▽▽
『それ』は事故だった。
誰一人として望まなかった、悲劇だったのだ。
ハルドゥーン侯爵家の婦人が〝魔女〟であることは社交界の常識だった。
大きな力を持ち、かつては魔女狩りの被害に遭いながらも、魔術を愛し極めた特殊な人々―魔女。
何百年という抗争の果てに魔女たちは人権を得、今では国によって保護される存在とまで成り上がることができた。
尤も、魔女狩りによって個体数を減らした魔女は遺伝でも産まれることは稀であり、伝説レベルの存在になりつつあるのだが。
そんな彼女を妻にできたハルドゥーン侯爵は、彼女を溺愛していたし、その子供たるエラリアたちもまた彼女を愛していた。
そんな時だった。
婦人は“魔女“をその身に身籠った。
魔女の中でも特別強い魔力を持っていた赤子はどんどん婦人の魔力を吸い、成長していく。
何度となく侯爵は赤子を下ろすよう頼んだが、ついに婦人が首を縦に振ることはなかった。
そして、王国史上最も寒くなった冬のある日。
一人の愛されし女性の命は尽き、一人の少女が生まれた。
その少女の名を、アメラリア=ハルドゥーン。
ハルドゥーン公爵家の歴とした末娘であり、母親を殺した罪を背負わされた哀れな少女である。