第六話 筋肉魔術
五年間共に修行に励んだ姉弟子の坂本雷華と別れた後。
パワーと武神老師は、北国ノウスタン王国に向かいながら新たな修行を始めていた。
「パワーよ、お前さんも身体が成長してきたし、そろそろ筋肉魔術を教えようと思う」
「筋肉魔術……ですか? 聞いたことのない魔術です。ですが老師様、俺には魔力がありません。その筋肉魔術というのも、使えないのではないでしょうか」
「筋肉魔術は儂が編み出した技で、魔力は一切必要ないんじゃ。だからお前さんでもできるんじゃよ」
「そんな……魔力を使わない魔術なんて存在したんですね。やはり老師様は凄いです。それで、いったい筋肉魔術とはどんな魔術なのでしょうか」
魔力を使わなくてもできる魔術と聞いて驚くパワー。
そんな凄い魔術を教えてくれると知って、胸中では久しぶりに子供の如くはしゃぎ回っていた。
早く教えてくれと言わんばかりに食いついてくる弟子に、師匠は「百聞は一見に如かずじゃ」と言って実践しようとする。
手頃の岩に二人で近寄ると、武神老師はバシンと突然岩に向かって拳打を放った。
意味不明な行動をしだす師匠に弟子が困惑していると、武神老師は「このように……」と言って、
「儂は今本気で岩を殴ったが、魔力無しではひびの一つもつかん」
「え、ええ……魔力を使わなかったら当たり前のことではないでしょうか」
「誰もがそう思うじゃろ。じゃが、儂は今からもう一度岩を殴る。勿論魔力も使わん。その上で今度はこの岩を真っ二つに叩き割ってみせよう」
そんなこと出来るわけがないと否定するパワー。
ただの人間が、魔力による肉体強化を使用しない状態で岩を砕けられる訳がない。
パワーに疑いの目を向けられながら、武神老師は腰を低く落とし、大きく息を吸って、一気に吐くと同時に拳を放った。
ズンッと、重く鈍い音が鳴り響く。
刹那、武神老師の宣言通り大岩が真っ二つに割れた。
有り得ない光景に、パワーはポカンと口を開けて信じられないといった表情を浮かべている。
「どうじゃ? 本当に割れたじゃろ?」
「老師様……いったい、何をされたのですか……」
その問いに答える前に、武神老師から問いを投げかける。
「パワーは普段、拳を振るう時にどうしている?」
「どうしていると言われても……できる限り力を込めているだけですが」
「それをしたのが、一回目じゃ。じゃが二回目では、力を込めるだけでなくあらゆる工程を加えておる」
「その工程とは……なんなのでしょうか」
「深く呼吸を吸い、拳を放つ瞬間に吐き出し、さらに身体に流れる力の全てを、岩に当てる衝撃の瞬間に放ったのじゃ」
「……申し訳ありません、言っていることがよくわからないです」
頭が良く理解力に長けているパワーでも、流石に一度で理解するのは不可能だった。
それは当たり前で、武神老師は詳しく説明する。
筋肉魔術で大事なのは、呼吸・流れ・点の三つであった。
呼吸は武神老師が独自に編み出した技法であり、これを行うことで通常の何倍もの力を引き出せるようになるらしい。
流れとは、簡単に言うと力の連鎖である。下半身から上半身、上半身から拳。拳を放つ際に腕だけで振るうのではなく、身体全体を使い力の流れを上手く伝えさせることで威力を増幅させることができ、最終的には何倍もの力となる。
点は、最終的に力を込める場所である。例えば殴る時に拳ではなく腕全体に力を込めてしまえば、込められた力が分散されてしまう。込めた力を拳の先の一点に集中し、衝撃の瞬間に放つことができれば尋常ではない破壊力を生み出すことが可能なのだ。
「この三つが、筋肉魔術に必要な技術じゃ」
「呼吸と、流れと、点……」
「魔力と同じように、どれも目に見えない力であろう? じゃが使いこなせれば、儂のようなジジイにだって岩を真っ二つにすることができるのじゃ。どうじゃ、魔術のようだとは思わんか?」
茶目っ気に言う師匠に、弟子は「はい」と子供のようにワクワクした顔で頷いた。
「筋肉魔術の鍛錬は身体に大きな負担がかかってしまう。本来ならば鍛錬に耐えられる身体ができるまで行わせるつもりはなかったんじゃが、パワーの身体は既に耐え得る身体に強化されておる。今のままでも、この岩を砕けるほどにな」
「そうですね……自分もまさか、こんな身体になるとは思いませんでした。恐らく神から授かった『不屈の体』のお蔭でしょうけど」
修行を始めてから五年が経ち、パワーの身体能力は常人を遥かに凌駕していた。
走る速度は馬よりも疾く、ジャンプすれば木を飛び越え、放つ拳は大岩を木端微塵に粉砕することができる。
二等級魔術師の魔力を使用した身体強化と同等の力を、魔力を一切使わずに引き出せるのだ。
普通の人間であったならば有り得ないことであっただろう。
だがパワーの身体は、鍛えれば鍛えるだけ天井知らずに強化されていったのだ。
その要因としては、神から授かった『不屈の体』という、全く使えないと嘆いていたギフトの恩恵によるものだろうという答えを、武神老師とパワーは出していた。
でなければ、普通の人間が人間離れした身体能力を魔力無しに手に入れられるはずがない。
二人の出した答えは間違っておらず、パワーが人間離れした身体能力を身に付けられたのは『不屈の体』の恩恵によるものだった。
ただ勘違いをしてはならない。
確かに『不屈の体』は鍛えれば鍛えるほど身体が強化されるギフトだが、人間離れした力まで成長したのはパワーだったからこそできたのだ。
ギフトの恩恵の効果を発揮するには、その時点の限界を超えた鍛錬を行わなければならない。
口にするのは簡単だが、実際に行うのは不可能に等しい。
大人でも一瞬で逃げ出すような辛く厳しい修行を、何度も何度もぶっ倒れ、血反吐を吐くまで身体を壊しながらやり続けられる人間なんて、この世にそうはいない。
それを、十歳にも満たない小さな男の子が毎日成し遂げていたのだ。
パワーが泣き言を一つも言わず限界を超えた修行に耐えられたのは、ただ一つの執念だった。
神託の儀において、魔力が0で神に愛されず、パワー・フレイルという全てを否定された。
この世に生まれてはいけない人間だったのと、一度は生きることさえ諦めた。
そんな子供が武神老師と雷華と出会い、新しい人生を歩もうとして、縋れるものは“強さ”しかなかった。
神から愛されず、魔力を貰えなかった自分の心の支えになるのは、何よりも誰よりも強くなることだったのだ。
強くなれば、何もないパワーという存在に価値ができる。
生まれてはいけなかったと告げられた自分の存在価値をこの世に証明できる。
その唯一の方法が、“強さ”だったのだ。
誰もが認めるような強さを手に入れるために、パワーは人間では耐えられない修行を耐えきり十歳にして人間離れした力を手に入れることができたのだ。
それはもう、執着と言ってもいいかもしれない。
同じことを言うようだが、『不屈の体』の恩恵を十分に発揮できたのはパワーだからであった。
武神老師は、パワーにこれからの修行を伝える。
それはこれまでより過酷なものだった。
「パワーにはこれから、筋肉魔術の修行を行う。それと並行して、普段の鍛錬も行ってもらう。それも、“これ”を身体につけてじゃ」
武神老師は地面から鉄の道具を拾い、パワーに渡す。受け取ったパワーは、道具の重さに目を見開いた。
「老師様、これはなんでしょうか」
「錘じゃよ。今日からお前さんにはこの錘を身につけて修行してもらう」
「何故、錘をつけて修行するのでしょうか?」
「儂が見たところお前さんの身体はこれ以上鍛えても強くはなれんじゃろう。じゃから、身体に更に負荷をかけた状態で修行をやってもらう」
「なるほど……錘を身につければ、さらに限界を超えられるということですね。確かにここ最近は、修行に手応えを感じられませんでした」
「そうじゃろ。お前さんのギフトは限界を超えるまで鍛えなければ効果は発揮されん。じゃから錘をつけて負荷をかける。慣れてきたら、もっと重い錘をつける。さすれば、お前さんの身体はこの世で一番屈強となるじゃろう。できるかパワー?」
「はい! よろしくお願いします、老師様!!」
一瞬の迷いもなく、パワーは老師に師事を頼んだ。
それからパワーは、錘を身に着けこれまで以上に激しい修行の日々を送った。
最初は錘に慣れなく、修行を始めた頃のような地獄を味わったが、強さを求めて歯を食いしばって、ぶっ倒れるまでやり続ける。
やっと慣れた頃にはもっと重い錘をつけ、再び地獄に舞い戻る。
筋肉魔術に関しては、武神老師が丁寧に師事してくれた。
頭が良くなんでもすぐに覚えてしまえるパワーでも、これに関しては一筋縄ではいかなかった。
頭では理解しても、身体で感覚を掴むのが至難である。
きっかけを掴むだけでも、二年もの月日を費やしてしまった。武神老師としては、生涯をかけて編み出した秘術を十歳そこらの子供がたった二年で感覚を掴んだことに悔しさを覚えたらしいが。
晴れの日も、風の日も、雨の日も、雪の日も、パワーは一日も休まず修行を続けた。
それが可能であったのも、『不屈の体』の恩恵だったかもしれない。
腹が膨れるほど沢山食べて寝れば、次の日には体力も全快するし、怪我を負ってもすぐに治るし、風邪などの体調不良は今までに一度もならなかった。
頑丈で超健康的な身体だったからこそ、過酷な修行を毎日やり遂げることができたのだ。
春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて。
季節は廻り、月日はあっという間に過ぎ去り。
パワーは十五歳になった。
完結までの続きらまた明日です!




