第四話 修行
パワーが武神老師の弟子になってから、早くも三十日が経過した。
その間で武神老師と弟子の雷華がどういう人間なのかは、パワーなりに知ったつもりだ。
武神老師は武術を極めた闘神と謳われるほどの武闘家である。
本人はそんな大それた人間ではないと謙遜していたが、雷華が自分のことのように何度も自慢気に語ってくるので、恐らく事実であるのだろう。
彼は普段、放浪の旅をしているらしい。
若い頃、ひたすらに強さだけを求め続けた結果、自分は世界のことを何も知らないのだと気づき、旅を始めたそうだ。
その過程でたまに弟子を取ったりするが、大抵はすぐに逃げ出してしまい大成する者は少なかったらしい。
性格は穏やかだが、武術の修行に関しては鬼のように厳しかった。
決して理不尽に怒鳴ったりはしないが、優し気な笑顔で無茶ぶりをさせてくる。五大貴族の長男として、これまで多くの貴族の大人たちと接してきたパワーだったが、無言の笑顔がこれほどまでに恐ろしいと感じたのは初めてのことだった。
因みに彼は己の名を捨て、武神老師と名乗っている。
パワーは雷華と同じように、師匠のことを老師様と呼んでいた。
坂本雷華は、東国の名家の娘だそうだ。
代々坂本家は国に使える家系であり、五歳から十一歳まで子供を家から出し修行の旅に出す風習がある。
勿論一人で旅をさせるわけではなく、坂本家にゆかりのある者に師を頼み、師のもとで旅をさせながら立派な人間に成長させるのである。
武神老師は坂本家と関係する者ではなかったが、たまたま東国に立ち寄った時、坂本家当主に雷華の師となって欲しいと頼まれた。
余り乗り気でなかったが、坂本家には若い頃にちょっとした縁があり、また雷華の潜在的な才能に惚れこんでしまったため、当主の願いを承諾して雷華を弟子に取ることにしたのだった。
雷華の性格を一言で表すならばお転婆娘といったところであろう。
朝起きた時から寝るまでずっと元気で、一々声も大きくて弟弟子のパワーをからかってくる。
名家のお嬢様には全く感じられず、平民生まれのガキ大将の方がよっぽど似合う女の子だった。現に一歳年上で姉弟子の雷華は、すでに弟弟子のパワーを子分のように扱っている。
だが、若干六歳にして武術と魔術の才能は素晴らしいものだった。
六歳児と思えないほど戦う力を持ち、子供ながらに野生の熊を倒してしまう技量がある。
さらに彼女は純粋黄髪で、雷属性の適正が高く魔力量も一等級であり、『雷神の加護』という『精霊の加護』よりも上位の恩寵持ちである。
ふふ~ん、どうだ凄いだろう! と鼻高々と自慢気に話す雷華に嫉妬していないと言うのは無理があった。
自分は魔力を与えられず『不屈の体』という聞いたこともなく使えないギフトで神から愛されなかったのに、どうして彼女はこれほどまでに神から愛されているのだろうと、不公平な理不尽さを呪ってしまう。
だがそんな雷華の頭をこつんと叩き、武神老師は涙目の少女にこう言った。
「魔力と恩寵は他人から与えられたモノで、決して誇れるものではない。そんなものよりも、自分の力で掴み取ったモノの方がよっぽど価値あるものじゃと儂は思うぞ」
そんなものは欺瞞だ。
現に、この残酷な世界はどれだけ神に愛されているかで人生が決まってしまう。
平民でも神から愛されれば貴族よりも偉くなれるし、貴族でも神から愛されなければ平民以下のクズとなり果てる。
後者を実際に体験したパワーだからこそ、武神老師の言葉は軽く聞えた。
だが、何故かは分からないけど、その言葉を聞いた時、パワーはまた涙を流してしまう。
そのせいで、雷華から泣き虫認定されてしまうのだったが。
武神老師と雷華がどうしてフレイル領の森の中にいたのかというと、ウエスタン王国を旅している間に二人で迷ってしまったからだった。
どうやら二人ともかなりの方向音痴らしい。
森から出るために彷徨っていたところ、熊に襲われそうになっているパワーとたまたま出会ったのだ。
この三十日間、パワーは森の中で雷華とともに修行を行っていた。
森から出なかった理由としては、パワーのことを考えてのことだった。
五歳児のパワーでは、旅をしながらの修行は難しいだろう。なので少しの期間、森で鍛えてから旅に出ることにしたのだ。
自然の森には川があり、野生動物がいて、修行にはうってつけの場所である。
獣や魚に食用の雑草に茸など食料は豊富で、歩きづらい地面や川はよい修行の場であった。
正直言うと、パワーは修行を甘くみていた。
五歳児にそれほど過酷なことはさせないだろう。例えそうであっても、自分ならついていける自信があった。
そんな彼の驕りは一瞬にして打ち砕かれてしまう。
「かひゅー、かひゅー、かひゅー」
「なんだパワー、もうバテたのか~? お前泣き虫なうえにへなちょこなんだな!」
「雷華の言うとおりじゃ、休んでないではよ立たんかい」
まともに呼吸もできず這い蹲っているパワーに、姉弟子は馬鹿にしてきて師匠は優しい顔で命令してくる。
(くそ……! 雷華はなんでこんな余裕なんだ!?)
呼吸を整えつつ立ち上がりながら、雷華に化物を見るような眼差しを送った。
雷華とパワーが行っている修行は一緒だ。
森の中を駆け回り、川を泳ぎ、小さな崖を上り下りし、パンチやキックの型の反復。
だがそのメニューは休みが一切なく、子供が可能なレベルでは決してなかった。
実際、修行を初めてから七日間は半日ももたずバテてしまい、午後は身体を休めるしかなかった。
パワーは五大貴族の長男として、貴族としての振る舞いや勉学、楽器などの習い事に励んでいた。
身体づくりや大人との組手も多少はしていたが、それほど時間は割いていない。なので体力は一般的な子供と同じであった。
そんなパワーが、休み無しの過酷な修行についていけるはずがない。
だが、一歳しか変わらない女の子の雷華が、当たり前のように修行を行っている。これにはパワーもかなり男心が傷ついた。
大人たちから神童と呼ばれた自分が、一歳年上の女の子に全くついていけず馬鹿にされたのだ。神童という以前に男の子としてのプライドが傷つくのも無理はない。
どれだけきつくても、武神老師は意識を失うまでパワーを厳しく指導した。
辛い修行にめげそうになったことは何度もあったが、その度に悔し涙を流し、己を鼓舞し、何度も立ち上がった。
そんな彼の執念が成長として表れ始めたのは、初めの七日間を越えた辺りからであった。
雷華の修行の速さに徐々に追いついていき、半日でバテることもなくなって、意識を保っていられる時間も伸び、身体が食物を受け付けず全然食べられなかったり吐いたりしていたのがなくなり沢山食べられるようになる。
これには武神老師も酷く驚いた。
小さな子供が成し遂げられる修行内容では絶対になかったからだ。
雷華の始めの時もそうだったが、武神老師は弟子になったばかりの子に厳しく接する。それは子供としての甘えを一切合切捨てさせるためだった。
とくに雷華はやんちゃで、神から大きな愛を頂いたせいか天狗になり自分は偉いのだと勘違いしていたため、その鼻を叩き折るためにかなり厳しく接した。
多少しおらしくなって本人に甘えがなくなってからは、修行の難易度を子供レベル――普通の子供のレベルではない――に落として修行を再開したのだが。
それと同じように、武神老師はパワーの甘えを消そうと厳しい修行を課した。
パワーが貴族の生まれであることは本人から聞いていたため、根性のない甘ちゃん坊やだと思ったからだ。
ただ、彼の予想は大きく覆されてしまう。
雷華のように泣き言を一切言わず、パワーは意識を失うまで修行に励んだ。そんな諸行、五歳になったばかりの小さな子供が耐えられるだろうか。
否――できるはずがない。
武神老師はパワーを見くびっていた。
神に愛されなかった子供は、精神力が常人のそれを遥かに超越していた。彼からは“甘え”の二文字など微塵も感じられない。
武神老師は初めて、パワーの才能に恐れを抱いた。
その才能の名前を、闘神は“努力”と呼んでいる。
ただ、パワーは努力ができるだけの子供ではなかった。
頭や要領が良く、厳しい修行に歯を食いしばりついていきながらも、共に修行している雷華のことをじっと観察し、やり方や技術を自分で盗んでいた。
川の泳ぎ方も、崖の上り方も、拳の出し方も、食用の雑草の見分け方も、武神老師や雷華は一度も教えていない。
だがパワーは、二人の動作から目を離さず観察し真似ることで、すぐにやり方を覚えていった。
しかし頭が良くても努力ができても耐えられる修行内容では決してない。
パワーが順応できたのは、神から授かった『不屈の体』というギフトの力によるものではないかと、師匠は考えた。
聞いたこともなく、魔術や生活において役に立たなそうなギフト。
だがこのギフトはもしや、鍛えれば鍛えるだけ体が強くなっていくのではないかと、武神老師は予想を立てたのだ。
もしそれが誠の事実であるならば、パワーはいずれ闘神と謳われた己を越える武闘家になれるのではないだろうか。
そう期待してしまうのも無理はなかった。
「おいパワー、飯はまだか~雷華はお腹が減ってしょうがないんだぞ」
「もうちょっと待って下さい。というか、姉弟子も料理ができるようになった方がいいのでは?」
「うるさーい! 弟弟子の癖に雷華に意見を言うなんて百年早いんだぞ!」
修行を始めてから三十日も経つと、パワーと雷華も大分仲を深めた。
今ではまるで本当の姉弟のようで、武神老師は朗らかな表情で二人のやり取りを見守っている。
因みに夕ご飯の料理はパワーが行っている。
理由としては、武神老師よりパワーが作った料理の方が圧倒的に美味しいからであった。