第二話 追放
神託の儀を終えたその日の晩、パワーは当主のボイラーの私室に呼び出されていた。
コンコンと扉をノックし「父上、パワーです」と告げると中から「入れ」と命令されたパワーは扉を開けて中に入る。
ボイラーは豪奢な椅子に深く座っていた。
いつも油で塗り固められ綺麗に整えられている赤い髪は、海藻の如くぼさぼさに散らかっている。
表情も暗くすさんでいて、こんなくたびれた父を見るのは初めてであった。
口を閉ざしじっと立ったまま言葉を待っていると、ボイラーは重たい唇を開く。
「パワーよ……お前には心底失望した」
「……申し訳ございません」
「お前が生まれ、その黒い髪を一目見た時、期待と恐怖が半々だった」
黒髪はウエスタン王国の歴史上一人として存在しない。
その未知に、ボイラーはどう感情を表せばいいのか分からなかった。
史上初と喜べばいいのか、前例のない異質に恐怖すればいいのか。
非常に困惑してしまったのだ。
「だがお前は代々続く火属性の名門、五大貴族の生まれ、私の息子なのだ。きっと、黒髪は不吉なことではなく良きことであると信じた」
平民の生まれであったなら、黒髪は異端として忌避していただろう。
だがパワーはフレイル家の長男。自分の息子だ。異端ではなく、“特別”なのだと信じる他なかった。
「現にお前は幼いながらも理解力に優れ、言葉も早く覚え習い事も素直に受け上達も早く、子供にして大人……いや貴族としての風格があった。そんな子供がいたら、誰もが期待するだろう。神童と呼びたくもなるだろう。やはり私は、間違ってなどいなかった」
パワーは他の誰よりも賢く大人びていた。
この子はやはり普通ではない。神に選ばれた人間なのだ。そう思うのも致し方なかった。
ボイラーはパワーを睥睨する。
その眼差しは怒りに満ちており、親が子に向ける目ではなかった。
「だが今日のあれはなんだ。魔力がない? ギフトが役に立たない? 神に愛されなかった? ……ふざけるな!!」
ドンッ!! と机を叩きつける。
その拳は熱く燃えており、机の表面は焼け焦げていた。
だが、パワーは微動だにせず立っている。
「国王陛下や他の貴族たちの前で、貴様は私に、フレイル家に恥を晒したのだ!!」
「申し訳ございません」
「謝って済む問題ではない!! 貴様に期待した私が愚かだった!! 貴様など、生まれた時にどこかへやってしまえばよかったのだ!! いや、生まれてこなければよかったのだ!!」
実の親に、生まれてこなければよかったなどと酷い罵声を浴びせられたパワー。
彼は泣きわめく訳でもなく、ただ父の期待に応えられかったことを無言で悔やんでいた。
「次期当主はバーナーにする」
「はい」
それは至極当然のことだろう。
パワーは火属性の適正がないどころか魔力がない。
純粋赤色で魔力量もギフトも恵まれたバーナーが当主になることは誰もが願うことだろう。
ボイラーは役立たずの息子に、残酷な宣告をした。
「パワー、お前をフレイル家から追放する」
「追放……というのは、家から出されるということでしょうか?」
「そうだ。だがただの追放ではなく、お前とは縁を切る。今後一切フレイル家を名乗ることは許さん」
「――っ!?」
もしかしたら家を追い出されるかもしれない。
それぐらいの覚悟をパワーはしていた。だが、縁まで切られるとは思いもしなかった。
これには今まで冷静だったパワーも驚き、心が砕かれてしまう。
意気消沈している我が子に、父は残酷な言葉を放った。
「明日の朝にはこの家から出て行ってもらう」
「……はい」
「お前はフレイル家の面汚しだ。そして、この世に存在してはいけない人間なのだ」
◇◆◇
「まさか……家族の縁まで切られるとはな」
実の父から縁を切ることを申し付けられたパワーは、ベッドの上で黄昏ていた。
生まれてきてから今日まで、パワーは必至に生きてきた。
五大貴族の長男として誇りを常にもち、誰からも敬られるような人間になるべく精進してきた。
貴族としての振る舞いを身につけ、遊ばず勉強し、誰からも認められようと努力した。
自分が唯一無二の黒髪で特別なことは受け入れたが、決して驕ることなく、フレイル家の当主になろうと日々邁進してきた。
「その結果がこのザマか……」
父だけではなく国王陛下や国中が期待していた中、結果は魔力を与えられず使えないギフトだけ授けられた。
そのせいで父から罵倒され、家族の縁を切られ家から出ていけと言われてしまう。
余りにも無慈悲だ。
神を恨んでも仕方なかったが、パワーは神を恨まず、神に愛されなかった自分自身を恨んだ。
自分は一体何者だろうか。
存在してはいけなかったのだろうか。
そんな風に自問自答を繰り返していると、突然部屋の扉が叩きつけられるように強く開かれた。
「よお愚兄! あっもう兄でもなんでものないのか。それどころか平民以下のクズだもんな!」
「……バーナー」
許可なく勝手に入ってきて好き勝手言うのは双子の次男バーナーだった。
その口ぶりからすると、既にパワーが家から追放されることは知っているようだ。
きっと自分を馬鹿にしに来たに違いない。
その予想は当たり、バーナーは下卑た面を浮かべながら近寄ってくる。
「俺はなぁ、お前のことが大嫌いだったんだよ! 生まれてくる順番が違っただけで、当主にもなれず誰からも期待されなかった。理不尽だろ? 純粋赤の俺は、本当だったら周りからもてはやされたんだ。みんなに期待されたんだ。なのにお前がいたせいで、俺は誰からも見向きもされなかった!」
自分の胸にあった黒い憎しみを吐き出していく。
弟がそんな風に感じていたなんて思ってもみなかったパワーは戸惑い、言葉が出てこなかった。
バーナーはベッドに上がると、パワーの胸倉をグッと掴んで思いっきり投げ飛ばす。
「ぐっ」
壁に叩きつけられて呻くパワーの上に乗り、小さな拳を力の限り振るう。
「なにが黒髪だ! 何が神童だ! 調子に乗りやがって! お前なんか魔力もないクソみたいなギフトを貰っただけのクズなんだよ! 神様に愛されなかった出来損ないなんだよ! あの時みんながお前を笑ってたな! 俺もすっげー嬉しかったぜ! ザマーみろってなぁ!」
「うっ……」
バーナーは何度も何度もパワーの顔面に向かって拳を振るう。
パワーは反撃せず、両腕でガードし耐え続けた。
「お前のその目が気に入らないんだよ! 俺なんか眼中にないみたいなスました目ぇしやがって! ふざけんじゃねえ! お前なんかより、俺の方がずっと凄いんだよ!!」
「……」
「どーだ悔しいだろ!? 遊びもせずに勉強ばっかしてたお前が、遊んでばっかの俺に当主の座を取られるんだ。悔しくて悔しくて仕方ないだろ!? さあ泣けよ、悔しいですって泣けよ!」
「……」
もう一度胸倉を掴まれ、脅されるパワー。
だが彼は泣くどころか、散々罵倒され殴れているのに関わらず、全く感情を見せることはなかった。
いつものように、冷静な眼差しでバーナーの顔を窺っている。
「だからその目が気に喰わないって言ってんだよ! 立場をわきまえろよクズ! 俺は凄くて、お前は平民以下のクズなんだよ! お前なんて、生まれてこなければよかったんだ!!」
「――ッ!!」
その言葉だけは、許容することはできなかった。
パワーは一瞬でバーナーとの位置をひっくり返し、拳を振りかぶる。殴ろうとした瞬間、バーナーが泣きそうな顔で懇願した。
「い、いいのか!? 貴族で次期当主の俺に、クズの前が怪我させたら死刑だぞ!!」
「……」
「ひっ!」
命乞いのような言葉で、パワーの拳は鼻先で止まる。
恐くて目を瞑っていたバーナーは「へ、へへへ……」と乾いた笑い声を上げると、
「さっさと俺の上からどけよクズ!」
「ぐっ」
パワーの身体を押し退かし、ベッドから立ち上がる。
項垂れているパワーに、バーナーは最後にこう告げた。
「お前なんか、どっか遠い場所で野垂れ死んじまえ!!」
そう言って、笑いながら部屋から去っていく。
「は、ははは……」
パワーは笑った。
笑うことしかできなかった。
父親からは縁を切られ、双子の弟には死ねと言われる。
これが笑わずにいられるだろうか。
普通の子供であったならば、悲しみに暮れ泣き叫んでいただろう。
だが普通の子供ではなく、ついさっきまで神童と呼ばれた子供は、泣くことさえできず、壊れた機械のように笑うほかなかったのだった。