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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ザ・パーパスインライフ

作者: 風丸

 大都市、ラグーディアの中心部には10代から20代を迎え入れる大きな学生寮があった。その名も、「セントラルドミトリー」。高い塀、その外観はお城のような豪邸を思わせる造りになっており、歴史の匂いがするレンガは文化財的な価値を漂わせている。

 管理の行き届いた庭はきらきらと日陰にきらめき、庭木や花が青い空気の中でさわさわ揺れていた。

 シェフの作る高品質な食事に、大きな図書館、運動施設、広く綺麗な個室、ふかふかのベッド、誰もが羨むようなものが全てが揃った学生寮。

 資産家や富豪はこぞって我が子をこのセントラルドミトリーに入寮させた。それはこの時代に生きる彼らの一種のステータスでもあったからである。



 リリィは決して裕福ではないが勤勉な学生であった。幼い頃から探究心が強く、特にその関心は医療の分野に向き、幼いながら不治の病の治療に貢献し政府から数々の賞を授かる秀才であった。20歳を超えた現在は寿命を延ばす――すなわち延命にむけた研究に精を出す日々だった。

 そんなリリィに政府は今後の期待を込めて金銭の援助と、このセントラルドミトリーへの入寮の権利を与えた。研究さえできればと場所にこだわりのないリリィにとってこのセントラルドミトリーへの入寮権利は特別喜ばしいことではなかったが、寮内に自身の研究スペースと専用のデスク、本棚が与えられることが分かると断る理由はなかった。



 セントラルドミトリーは寮でありながらも多くの執事やメイドを雇い入れていており、その仕事内容は清掃や食事の支度、学生の送迎や、マナー教養のレクチャーなど多岐に渡る。

 そんな使用人の中で、一際目を引かれる存在がメイドのエリーだった。



 彼女が寮にやってきたのは数年前のこと。それは夜――雨の日のことだった。1日中研究室に缶詰め状態になっていたリリィは息抜きに外の景色を窓越しに眺めていた。太陽の光はない。闇に包まれた世界に弱々しく光る灯りがかろうじて寮の入り口付近を照らしている。コンクリートの地面に打ち付けられた雨の微かな音に耳を傾けていると、うめき声のようなものが僅かに混じっているのが分かった。

 驚いたリリィはすぐさま部屋にある懐中電灯を手に取り、声のする方に光を向けた。照らす光の先、寮の玄関口で蹲って倒れている銀髪の少女に雨粒は容赦なく打ち付けていた。



 驚いたリリィはすぐさま寮の管理人である赤毛の長髪が特徴的な男――ラーダンの元へ走り事情を説明すると、銀髪の少女は間もなく保護された。

 少女は記憶を喪失しており身元不明で名もなかった。疑わしく思ったラーダンは、長髪の赤毛を揺らしながら身元調査のために少女を徹底的に調べ上げた。

 身ぐるみを剥がし、一糸まとわぬ姿の少女の前に立った。少女の下腹部には独特な淫紋いんもんが刻まれていた。その身体的特徴からラーダンは彼女が「サキュバス」という種族であるということを看破したのであった。



 当時、サキュバスは不確かながらも、存在するものとして人々に語り継がれてきた。主に男性の精気をエネルギー元として生きており、一定期間性的な交わりがないと死に至る。一番美しい姿で成長は止まり、精気を摂取し続ければ「永遠の命」とも言われるサキュバスの下腹部にはタトゥーに似た淫紋があるとされており、人間の肌に墨を入れる技術は当時の彼らには成しえないことであったために見分けることは容易であった。



 そんな名のない彼女に、第一発見者であるリリィに命名の権利が与えられた。研究に集中していたリリィはそんなことは枝葉末節であったが、不老不死の万能薬を意味する「elixir(エリクサー)」から文字をとって「エリー」と彼女に名付けたのであった。



 欲深い男であるラーダンはエリーを保護したことを警察に届け出ず、そのままメイドとして雇い、サキュバスであるが故の夜の仕事も兼任させた。もちろん、こうして夜の仕事で手に入れた金はラーダンの懐に入ることになる。



 エリーはサキュバスであるがゆえに美しかった。男性を魅了するための外見を生まれながらに持った生き物だからである。

 そんな銀髪の美しいエリーを当時の人々は興味深い眼差しで見ていたが、それは最初だけであった。夜な夜な性交を行うことを避けられない彼女をふしだらな存在だとして、特に同性である女性からは嫌悪され煙たがられた。一方男性も日中は、独特な雰囲気を醸し出す彼女に対して親しげに話しかけられるような者はおらず、日が差し込む時間帯にエリーの周りには人がいなくなっていった。



 エリーが夜な夜な不特定多数の男子学生と寝室に消えていく後ろ姿をリリィは何度か目撃していた。金はラーダンの懐に入っているという噂も聞いた。小さく華奢な背中を見て、あの夜自分が彼女を助けたことが本当に正しいことだったのかと自問自答する。

 彼女がサキュバスである以上、生を望むのであればそれは必要なこと。何も気にすることはない、と思いながらもエリーのことを度々考えてしまう。

 首を左右に振り、頭から外に押し出そうとするが、なかなか離れていかないそれにイライラが募る。今はやるべきこと、いや、やらなければならないことが目の前にある。リリィは自身のデスクに強引に向き合うのであった。



 とうとう研究が行き詰まり、思うように成果を出せなくなると政府はリリィにある打診をした。それは研究のサポートに加え、身の回りの手伝いをこなしてくれる「専属メイド兼助手」をつけることだった。これにより、より研究に集中できるだろうと政府は踏んだのだ。

 ただでさえ、執事やメイドに囲まれた生活に違和感を抱くリリィは最初はその申し出を断ったのだが、政府の厚意を受け入れるが吉という周りの助言もあり、仕方なくその申し出を受け入れた。



「お嬢様……」


 

 セントラルドミトリーで1番よく働き、信頼も厚いメイドがリリィの専属メイドになるという取り決めの元、連れてこられたのはエリーだった。

 エリーはリリィの元へ跪くと手の甲に唇を添えた。度々自分の頭の中にいた存在が目の前に現れ、リリィは心の静かさを失っていた。



「そんなお嬢様なんて呼ばないで。慣れないから」


「それではリリィ様と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか……」


「お嬢様よりはその方が……」


「承知いたしました、リリィ様」



 エリーは非常に従順なメイドであった。朝、リリィが目覚めた頃には紅茶を部屋まで運び、脱ぎ捨てた服も全て回収して洗濯し、畳まれた状態でドレッサーに収納する。疲れた表情のリリィの肩を揉み、デスクで居眠りをする頃には毛布をかけ、とにかくメイドの仕事の範囲を超えて尽くした。

 そんな従順で健気なエリーに、最初の方こそそこまでしなくて良いと遠慮したが、これが仕事ですからと決して手を抜くことはなかった。

 リリィは思うのであった。この子は私が望めば毒の入った瓶も飲んでしまうのではないかと。



 ある夜のことだった。その晩、リリィは酷く酔っていた。

 人を殺めることは簡単だ。でも命を延ばすということはそれとは比較にならない程に難しく、困難なことだ。

 酒に元々あまり強い方ではないのだが、研究の成果が依然と出ないことに日々のストレスが蓄積し、感情的になったリリィはもう何もかも投げ出したくなり、ふらっと街に出ては薄暗い酒蔵に入り、浴びるほどの酒を喉元に注いだのだった。酒を飲めば日々の鬱憤を忘れることができる。現実に背を向け、たらふく胃袋に流し込んだ。そうしているうちに酒蔵は閉まり、帰路をとぼとぼと歩くの足取りはおぼつかなかった。

 そんなリリィの帰りをエリーは門の前でずっと待っていた。その日の交わりを断ってまで待ち続けていたのだ。

 リリィの姿を見かけるとエリーは彼女の元まで駆け寄った。



「リリィ様」


「……まだいたの? 先に寝ていてくれて良かったのに」


「なかなかお戻りになられないので心配でした」



 リリィが何かに躓き、転びそうになるところをエリーは懸命に支えた。



「ごめんなさい。少し酔ってしまったみたい」


「お気になさらないでください」



 エリーに支えられて、部屋までたどり着く。

 ベッドに腰掛けて定まらない視点の中、窓を通じて見える真っ黒な世界をぼんやりと見ていた。



「リリィ様……大丈夫ですか?」



 エリーはそんなリリィの顔を覗きこんだ。



「最近モヤモヤしてて……人肌が恋しい」



 両親の笑顔を思い出して辛くなる。自分が成果を出さなければ両親への仕送りもできず、きっと見放されてしまう。そんな思いがリリィの中にはあった。



「溜まっていらっしゃるのですか」


「そうかもしれない」



 この「溜まっている」という解釈はそれぞれ違った。

 エリーは性に関すること、リリィはストレスに関することとして捉えていた。



「リリィ様をお慰めするのもわたくしのお役目……」



 エリーは優しく抱擁した。

 ストレスに負け、酒に酔いつぶれている自分の帰りを待ち続け、ここまで介抱してくれるエリーに愛おしさがこみ上げてくる。



「エリーは優しいよね。私が望んだら何でもしてくれるんじゃないかって思ってしまう時がある」


「はい。リリィ様のおっしゃることなら何でも……」



 エリーはゆっくりとリリィに顔を近づけた。

 お互いの呼吸の音が聞こえる距離感。リリィは目の前の状況が理解できずに、ただ固まっていた。



「キス……してくださらないのですか」


「え……」



 サキュバスであるエリーが何故女である自分とのキスを求めているのか。

 リリィは廻らぬ頭の中で考える。



「私は男じゃないよ?」


「私を求めてくださることは、専属メイドとしての喜びでございます……」


 襟元を引かれるまま酔いに任せてリリィはエリーに口づけをした。

 大丈夫、こんなことはきっと今日だけである。きっと今日だけ……。

 


 舌と舌の絡み合う熱い夜であった。



 この2人の関係が徐々に変化していくのはその晩からだった。



「エリー、あなたは自分の意思がないの? 言われたことだけではなくて、自分が好きなようにして良いのだからね」



 ある日のこと。

 まるで自分の意見を持たないエリーに、リリィは痺れを切らして言った。



「では……私からリリィ様に触れても……よろしいのでしょうか」



 思わぬ返答にリリィはたじろいだ。

 あの晩から、まるで何事もなかったかのようにいつも通りの日常が過ぎていた。しかし目の前のメイドは今、自分に触れたいと言っているのだ。



 エリーは座っているリリィを後ろから優しく抱きしめた。



「リリィ様。ずっと私は貴女様に触れたかった……」


「どうして……? どうしてなの?」


「私の命の恩人だからです。それに……リリィ様は私のことを一人の人間として扱って……見てくださいます。こうして優しく話しかけてくださいます」



 エリーは助けてもらったあの日からリリィのことをいつも気にかけていた。自分の名付け親。一度で良いから話してみたいとずっと思っていた。

 しかし研究に没頭し部屋から出ることのない彼女とコンタクトを取る術はなく、与えられた仕事をただ忠実にこなすしかなかった。日々の仕事の成果からリリィの専属メイドとしての配属が知らされた時、エリーは生きてきた中で1番の喜びを感じていたのだった。

 専属メイドになってからというもの、自分をサキュバスとして煙たがるのではなく、「人間」として、1人の女性として見てくれるリリィにエリーは惹かれていった。



 一方、リリィもそうだった。リリィは昔から研究のために生きてきた。誰も自分に興味など持ってくれない。自分の出す「成果」にしか関心がないと思っていた。成果が出せない自分は、ついに誰からも認められずただチリに埋もれて行くという恐怖がいつも彼女を支配していた。

 しかし、エリーは研究成果に関わらず、どんな時でもいつも尽くしてくれた。自分自身を認めてくれている。たとえメイドとしての仕事だとは分かっていてもリリィにとっては嬉しいことだった。そして口付けをしたあの晩から密かに秘めていた思いが胸の奥で広がっていた。

 政府からの期待に応えなければ専属メイドを失ってしまうかもしれない。リリィの研究のモチベーションはいつの間にか、エリーを繋ぎとめるためのものとすり替わっているほどに惹かれていたのだった。



「エリー……」


「リリィ様……愛しております」


「私も……」


「今夜は私に身を委ねてくださいませんか」



 エリーの問いにゆっくりとリリィは頷いた。



 セントラルドミトリーの夜、リリィの研究室に灯された小さな灯りは消えることはなかった。










 闇の濃度の濃いある晩のこと。

 布団の擦れる音と身体に感じる重みでリリィは目を覚ました。

 自分に覆いかぶさる人の影がそこにはあった。



「エリー!? どうしたの?」


「リリィ様……」



 エリーは頬を紅潮させ、懇願するかのような表情を浮かべたままそのまま唇を奪った。



「リリィ様……好き……リリィ様」


「――んふっ……はぁっ……」



 触れたい、もっと自分を見て欲しい。そんな欲求は日に日に膨れ上がり、エリーは気持ちのコントロールが追い付かないほどにリリィに惹かれていた。

 交わりは生きるための作業。しかしリリィとのセックスはまるで別物だった。男から精気を摂取した後、決まってエリーはリリィの寝室を訪れ、自身の記憶を上書くように求め、行為に及んだ。



「私からは、精気は手に入らないでしょう?」



 暗闇の中、唇が離れた隙に呼吸を乱しながらリリィは尋ねた。



「はい。でもリリィ様だけなんです……私にはリリィ様だけ」



 有無を言わさず再び塞がれる唇。口内を弄られ、舌から何かを搾り取るかのような愛撫にリリィは喘ぎ声を漏らした。

 自分と交わっても精気は手に入らない。それなのに、エリーは私自身を求めてくれる。そんな事実にこの上ない快感をリリィは覚えた。夜な夜なエリーが男と交わるのを快く思っていなかったこともあり、できるなら自分だけがエリーに精気を分け与えられるようになりたい。リリィがそう思ったのはこの時からであった。



 リリィは不老不死の研究の傍ら、サキュバスの生態についての研究、調査にも力を入れた。男性の精気をエネルギー元として体内で変換するロジック解明に勤しんだ。従順なエリーは、リリィからのいかなる頼みにも断ることはなかった。どんな試験薬でも口にし、血液の摂取や体を使った実験にも一助となったのであった。



 月日は流れた。 

 試験管の中には透明な紫色の液体がゆらゆらと揺れている。そこに短髪を1本入れ、泡立ったところをリリィは一気に喉に流し込んだ。



 部屋の灯りを消し、そのままエリーをベッドまで誘導し愛し合った後のこと。



「感じます、リリィ様の精気……」



 エリーは限りない喜びに満ち、肩を震わせた。実験は成功したのだ。

 リリィが開発した秘薬は男性の髪の毛をほんの少量、1本でも入れることで化学変化を起こす液体で、それを口にすればたとえ女性であっても一定時間はサキュバスに精気を分け与えることのできる体質に変化するものであった。



 この薬が開発されるやいなや、エリーは男との交わりを一切絶ち、リリィからのみ精気を得るようになっていった。

 エリーが夜の依頼を度々断るようになり、セントラルドミトリーの男たちは困惑した。中でも1番このことを良く思わなかった男は管理人のラーダンであった。自分の懐に金が入らなくなったためである。



 ラーダンはエリーの腕を乱暴に引いてある場所を目指した。

 管理人室のクローゼットの奥には隠し扉があった。扉を開け、石階段を下り、換気装置がいくつも連なる薄暗い空間をしばらく進んだ先にある部屋。中にはベッドの他にトイレ、洗面器など生活に必要な一通りのものが揃っており、コンセントにつながれたランプが妖光をひらめき渡らせていた。

 この地下室は戦時中に使われていた隠し部屋であったが、時代の変化により人々の記憶からは忘れ去られ、寮の運営側の人間はこの部屋の存在を認知していなかった。しかし、たまたまラーダンの上着が隠し扉に繋がる板に引っかかったのを機にこの地下室の存在を知ることになる。

 地下室は地上とは距離もあり、音も籠るので良からぬことをするのにはうってつけの場所であった。特殊な性癖を持つラーダンはここに鞭や拘束具を常備していて、たびたび若い男を連れ込んでいたのだ。

 

 

 エリーを地下室に連れ込むやいなや、ラーダンはエリーを地面に叩きつけるようにして投げ飛ばすと、大声で怒鳴りつけた。

 

 

「どういうつもりだ! 稼いだ金はどこに隠した!?」


「……申し訳ございません」



 エリーは弱々しくうずくまり自らの頭を手で押さえた。

 

 

「この野郎っ! 俺にたてつく気か! 誰のおかげでここにいられると思ってるんだ? あぁ?」



 サキュバスである以上、交わりは絶てない。きっとどこかに金を隠している。そう疑ったラーダンはなんとかして隠し場所を吐かせようと、部屋の壁に立てかけてある鞭に手を伸ばしてエリーの顔面にそれを放った。エリーの頬は傷つき、血が頬を滴った。

 ラーダンはそれを見て後悔する。それは自らが女に手をあげてしまったことに対してではない。売り物である彼女の顔に傷をつけてしまった為だ。


 

「今週の稼ぎは一銭たりとも残さず俺に渡せ。今回はこれで済ませてやるが次も払えないようなら次はお前の体中に傷がつくことになるぞ」

 


 どうせ暗闇の中じゃ身体の傷は誰にも分かるまい。俺に逆らえばどうなるのかを思い知らせなくてはならない。女には興味はないがやむを得ない。ラーダンはこの部屋をエリーの拷問部屋にすることにしたのであった。



――



「これ、ペンダント。探していたでしょう」



 ある昼のこと、リリィは赤く光るペンダントをエリーに差し出した。

 セントラルドミトリーでは執事やメイドは従者の印として階級に応じて違う色のペンダントを身につけることが義務付けられていた。

 しかしエリーはここ最近でペンダントをどこかに落としてしまい、それを気に病んでいたのだった。



「ありがとうございます。見つけてくださったのですね」


「つけてあげる」



 リリィはエリーの背後に回った。



「……ねぇ、エリー。首のところ、痣が出来てる……」



 エリーの首元には青あざができていた。

 他の誰かと交わるくらいなら、鞭で打たれても構わないと思っていたエリーはあの日以降も男と交わろうとはしなかった。それ故にラーダンにひどい拷問を受けていたのだ。



「階段で転んでしまいました……」



 リリィに心配をかけぬよう、控えめな笑顔でエリーは笑った。



「この前の顔の傷といい、誰かにやられたの?」


「いいえ……ただの私の注意不足でございます」


「……。もう階段から転ばないようにして。見ていられないくらいヒドイ痣だよ。エリーに何かあったら私はもう……」



 リリィはため息をついて目頭の部分を押さえ、悲痛な表情を浮かべた。



「リリィ様がそのようなお顔をされるなら……もうこれ以上は転ばないようにしなくてはなりませんね」



 自分が傷つく分には良いがリリィに心配はかけたくない。リリィのそんな顔はもう見たくない。エリーは何かを決心したかのように呟いたのであった。



 事件が起こったのはその数日後のことであった。

 突如ラーダンはセントラルドミトリーから姿を消したのだ。どこを探しても消息はつかめず、何者かによる拉致である可能性が浮上すると、警察はたびたび寮を訪れるようになり、セントラルドミトリーはパニック状態になった。

 事態を恐れた寮生の数人は一時的に他の場所に避難するなどの措置をとった。

  

 

「ラーダンの件、どう思う?」



 警察の取り調べの様子をリリィは研究室の窓から眺めていた。



「私は……リリィ様だけがいてくれればそれで良いですから」


「そういうことを聞いているのではなくて……ラーダンが寮に住んでる誰かに殺されてたらどう思う?」


「今は……リリィ様との時間が増えたことがただ嬉しいです」


「ねぇ、エリー。もしも私もこの寮を出ると言ったら?」



 窓越しに鳥が鳴いているが、その音はエリーの耳には全く入ってこなかった。

 リリィの放った言葉は鋭いナイフとなってエリーの心臓に突き刺さったのだ。



「どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。リリィ様がいなくなったら私は……きっと死んでしまうでしょう。もう私はリリィ様以外の精気では生きようとは思いません」



 ここまで尽くしてきたのに、ここまで好きなのにそのようなことを口にされ、絶望を通り越してエリーの眼光は閉ざされていた。



「でもね、人が1人いなくなっている。腰を据えてここで研究するのは現状、難しいように思う」


「大丈夫です」


「大丈夫?」


「私が一生お守りしますから」


「……少し考えさせて」



 エリーが不安を募らせる中、うやむやな関係のまま時は流れた。

 ラーダンの遺体がセントラルドミトリーの庭から発見されたのはその1週間後のことであった。

 ――捜査班が死因の特定を急いでいる頃。



「エリー、受け取って欲しいものがある……」



 リリィは手のひらサイズの黒い塊をエリーに渡した。



「これは……」


「手榴弾。万が一の時に使って欲しい」


「こんな物騒なもの私には必要ございません」


「いいから。あなたが心配なの。使い方は、相手から十分に距離をとった状態で投げるだけ。殺傷性は低いからあくまで目くらましだと思ってもらえれば良いから。ただ、天井が低いところで使うと崩れて生き埋めになる可能性があるからそこだけは気を付けて」



 断固として引こうとしないリリィに、エリーはしぶしぶ手榴弾を受け取った。



「エリー、自分の身は自分で守って。私がいなくてもなんとかなるように」


「リリィ様、まさか……」


「私はそろそろここを出る」


「……どうして」



 エリーは自分の身体の力が風船のように抜けていくのが分かった。その言葉は自分にとっては「死」を意味していたからだ。



「遺体が発見された。ここは安全でない場所。それが全て。ごめんなさい」


「そんな……! 嫌です、リリィ様……。私も連れて行ってください」


「あなたはここのメイドでしょう。勝手に連れ出すわけにはいかない。本当は誰にも見つからないような場所で……エリーと一緒にいられたらと思うのだけれど」



 『誰にも見つからないような場所で一緒にいられたら』

 取り残された部屋の中、その言葉はエリーの心の中で深く木霊こだました。



――



「リリィ様……お見せしたいものがあります。ついてきてくださいますか?」



 荷物をまとめているリリィにエリーは尋ねた。



「……? 分かった」



 エリーは管理人室のクローゼットの奥にある隠し扉を開けて地下に続く道をリリィの手を引いて進んだ。

 

 

「リリィ様はおっしゃいましたよね。誰にも見つからないような場所で一緒にいられたら、と」



 石階段を下りきった頃にエリーは口を開いた。



「そうだけど……何してるの?」


「リリィ様からいただいたこちら……ここで使わせていただきます」


「……!?」



 爆発音が響いてわらわらと天井は崩れ、地上に続く道は瞬く間に塞がれた。



「私のことを軽蔑なさいますか? でもこれでいいんです……これで……死ぬまでずっと一緒にいられるのですから……」


「……エリー、そこにある箱を開けてみて」


「これは……」



 箱の中には大瓶に入った紫色に光る液体と、髪の毛の束が入っていた。


 

「ここで実験することもあったから。爆発する手榴弾の開発はここで行ったんだよ。念のため薬も置いておいて良かった。死ぬ必要なんてないよ、エリー」



 精気を得るために口に含む量は少量で良い。

 必要な髪の毛も長いこと生きるのには十分な量であった。



 リリィは優しく微笑んだ。

 エリーは唖然とした。自分は許されないことをしたという自覚はあるのに、リリィが微笑んでいるからだ。



「……この場所をご存じだったのですか」


「うん。エリーが顔に傷を作った時あたりに偶然見つけた。無くしたと言っていたペンダントも実はここで見つけて……」

 


 エリーが無くしていたペンダントはラーダンから拷問を受けた際に落としたものだった。


 

「しかし、それでは私だけが……」



 自分だけが生き延びても意味がない。

 ただ死を待つだけだと思っていたエリーは困惑した。



「その箱の中に茶色のビンが入っているでしょう」


「これのことでしょうか?」


「うん。それ、不老不死の薬。実は研究はうまくいってたんだ。サキュバス(エリー)の体について研究した時、エネルギーの変換ロジックを知ってそれが細胞の再生への大きなヒントになった。まだ試験段階だったから公表は避けていたけれど、これは紛れもなく不死の薬と言って良いものだよ」



 リリィは茶色の液体をその場で飲み干した。



「……よろしいのですか」


「もう崩れてしまった壁は直すことはできないでしょう。だから良いんだよ、これで。私たちは永遠にここで生きられる。ずっと2人きりだよ、エリー。私を選んでくれてありがとう」



 リリィはエリーの頬をそっと撫でた。



「嬉しい……。愛しております、リリィ様。永遠に」



 2人は静かに口づけを交わした。

 ランプの妖光に照らされながら、紫色の液体と赤毛の長い髪の毛が不気味に光っていた。

謎解きの解説はこちらに記載しています。

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/2533510/

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