元人の神狼は何が為に生きるのか
狼の頭、熊の体を持つ5メートルを超える赤黒い巨躯の化物を視界の中央に捉え、刀を構えて接近する為に走る。
そうして相手の攻撃圏内に侵入すれば、さっそく棘がびっしりと生えた剛腕が振るわれた。
姿勢を下げて駆け、その剛腕を潜り抜けて斬撃を振るう。化物の体の鱗と分厚い体毛に阻まれて攻撃が通らなかったが、気にせずにもう一撃放って防御を削る。
そこでこれ以上の深追いは危険と判断して最後に一度斬撃を放つとともにバックステップで距離を取れば、丁度化物がさっきまで俺が居た場所に噛みつき攻撃を行なっていた。
もし退避が数瞬遅ければと肝が冷える思いだが、同時に下がっている頭を攻撃するチャンスだ。
一歩で化物の懐に潜り込んで目ん玉に刀の切っ先を向ける。そして、跳躍と同時に腕を突き出してその化物の目から脳まで穿った。
一気に暴れ出した化物から距離を取る為、刀を残して一時的にその場から後退するとその化物はより動きを激しくして俺に襲い掛かり、爪が届く寸前で、
―化物は赤い粒子となって消え去った。
それを見届けた俺は刀を回収し、腰の鞘に納刀した。
『ふぅ…なんか懐かしい夢を見たなぁ』
大体五年くらい前の記憶を夢で見て、俺は目覚めた。
夢だからか、かなり短縮されていたが"精霊との契約"を結ぶ前に戦った唯一の魔獣戦は結構な頻度で魔獣と戦うようになった今でも、思い出してみれば結構詳細に覚えているもんだ。
とは言っても、それは当然といえば当然かもしれない。なんと言っても人だった頃の唯一の魔獣との戦闘経験なのだ。人として…いや、俺としての自我を保つ為に人としての俺の記憶にしがみついている俺からすればそう簡単に忘れられる記憶じゃない。
そんなことを思いながら俺は、あの後に発現した〈能力〉【神狼】の力に呑まれ、巨躯の白狼と化した体を立ち上がらせた。
『さてと、水でも飲みに行くか』
立ち上がり、力強く地に立つ四本の白い体毛に覆われた狼の足で悠々と歩き、近場の川に向かう。
数分ほどして到着した川に顔を近づければ、澄んだ清水が流れる川の水面にどこか威厳を感じさせる容貌を持った蒼い瞳の狼…今の俺の顔が映った。どこか物憂げですらあるその表情から目を背けて、川の水で喉を潤す。
《浄化》の魔法で体を清めた俺は川に浸かった。
そこらの上質な鉄よりも遥かに秀でた硬度をしているのに羽のように軽やかで柔らかい体毛が水分を吸い、体がずっしりと重たくなる。だが、そんなことは気にせずに全身を川の中に沈めた。
ここの川は川幅や流れの速さの割に水深が俺の全身を浸けてもまだ余裕があるほど深い。それにそのまま流れにそって泳いでいけば、街中に姿を見せることなく結構遠くまで遠征することが出来るのだ。
もうちょっとここに滞在するつもりだったが、気が変わった。嫌な気配も近付いてきているようだし、そろそろ移動させてもらうとしよう。
しばらく川の中を駆けるように泳いでいると、なにやら川の水を伝って微弱な振動が伝わって来た。
体内に流れる蒼白の魔力を練り上げて魚を模した魂を宿さない擬似眷属を作り上げ、視覚を共有して先行させれば視界の中に青い影を捉えた。
その影がなんなのか察した俺はぐんっと速度を上げた。
接敵するまでの僅かな時間を使って自身の体に蒼白の魔力を纏わせる。起動した《魔装》によって強化された身体能力を使い、周囲を凍られながら走れば相手も相手も凄まじい速度でこちらに向かって来ていた。
その場に残した擬似眷属を見て俺の存在に気付いたのだろう。俺の姿を見るなり牙を青く輝かせながら噛みつきかかって来た。
それに対して俺はその攻撃ごと切り裂くつもりで爪に蒼白の魔力を込め、爪による斬撃を放つ。
高密度の魔力を込められた爪と牙は衝突と同時に共鳴を起こし、大規模な魔力爆発を引き起こす。
その爆発により、俺とそいつ…青い巨大な蛇のような東洋龍のような姿をした魔獣は水面から外に弾き出される。
俺が衝撃を逃すように宙返りをして地面に着地すると龍蛇は周囲の水を集めて水球を作り、その中に入ることで対空する。さらに俺たちとともに跳ね上がった川の水を集め、自身の魔力を込めて《水弾》の魔法として放って来た。
『ガァァァァッ!!!!!』
俺は魔力を乗せて咆哮を上げ、それらの《水弾》に込められた龍蛇の魔力を吹き飛ばしてただの水に戻して上で強く冷気を放ち、凍った元水弾の氷塊を足場にして龍蛇に接近する。
そして、龍蛇の水球に爪を突き入れその中に詰まった龍蛇の魔力に干渉して水球の安定を削ぎ、俺の魔力を流して氷結させた。
しかし、その氷結は途中で抵抗され、その隙に龍蛇はその水球から外に出てしまった。
しかも川に戻り、そこから口の中に魔力を収束させて《魔力砲》…俗にブレスと呼ばれる攻撃を放って来た。咄嗟に俺は手を突っ込んだままの水球にさらに強い魔力を送り込んで一気に凍結させ、それを足場に跳躍した。ついでにその氷塊を防壁となるように蹴飛ばして来たので、一瞬くらいはブレスを遮れるだろう。
俺はそうやって生まれた一瞬を使い、同じように口内に魔力を収束させて一気に放出し、体が吹き飛ばないように魔力で足場を作った。こちらからも放たれた《魔力砲》は、俺と龍蛇のいる位置の丁度中心で激突して拮抗する。
俺は《魔力砲》として放出する魔力にさらに力を加えながら、爪にも魔力を込めていく。俺が行うのはブレスが終わると同時に生まれる僅かな隙を突いた奇襲だ。チャンスは一度切り、二度目以降は警戒されて効かないだろう。
そんなことを思いながら魔力で作っている足場に過剰なほど魔力を送り込み、足に力を込める。
そして…、
『今だっ!』
放っていたブレスが終息すると同時に真っ直ぐに跳躍し、足場に込める魔力を一気に上げて制御を手放して過剰な魔力供給により溜まりに溜まっていた魔力を爆発させた。
そうして爆風で加速しながら、前方に《加速》の魔法陣を多重展開してさらに加速する。
結果、1秒にも満たないうちに龍蛇のもとに到達した俺は爪の魔力を解放して蒼白い残光を引きながら龍蛇に一切の躊躇なく突っ込み、綺麗に真っ二つに両断した。