未来の世界にて
身体中に喪失感が広がり、尋常じゃない冷たさが襲ってくる。自身の腹に突き刺さった真っ白なナイフが視界に入り、そこから真っ白な液体が流れているのが見えた。それの匂いは鉄っぽい、どうにもこれは血らしい。そこで周りを見渡し、気がついた。
よくよく見てみれば世界が白と黒に埋め尽くされている。これはオレが色を失った、ってことか?
こんな状況でも冷静な思考がそう考える。
「げほっげほっ、がはっ」
喉から何かが上がってくる感覚があり、それが口から吐き出た。それは妙にサラサラしていて、匂いはやはり鉄っぽい。オレは血を吐いたのだと理解した。
それにしても嫌に思考がクリアだ。
心配しつつも近づいて来ない人々や、面倒くさがりで普段から嫌に冷静なオレを嫌っている奴らが薄ら笑っているのがよく見える。
ああ、ちくしょう。普段から冷静ならどんな時でも冷静でいろよ。変なとこでお人好しになりやがって、この偽善者がっ!ああっ!
オレはクリアな思考を使って自身を罵倒する。
その内も身体から力が抜け、血が抜け、体温が下がり、死が近づいてくる。そんな中でオレを懸命に助けようとしている一人の青年を見た。
唇の動きを読むにオレが庇った娘の兄のようで、オレが女だったら惚れそうなほどに真剣な表情で何度もお礼を言いながら、手慣れた様子で応急手当てを行なっている。
だが、そんな青年の努力も虚しくオレの意識は闇の中に葬られ、消え去っていった。
無くなった筈の意識が急激に浮上する。
森の中にいるような清浄な風が強く吹き、消え去った筈の嗅覚を…鼻腔を擽る。
何か硬いものに寄り掛かって立っているような感じがして、しばらく動かなかった後のように硬い体を動かして立ち上がり、同時に瞳を開いた。
「はっ……?」
そこで二つの光景が目に映り、流石のオレも一瞬思考が止まった。
映った光景の一つは周囲の世界、鬱蒼と木々が生い茂り、広大な森を築いている。ただし、人の管理がされている森ではないようだ。台風にでも倒されたのか倒木がいくつもそのままになっているし、陽の光が当たらずに痩せ細っている背の低い木も点在している。
これは開発が進んだ今の地球ではどこへ行っても見られない光景だ。森がなくなったわけではないが、こんな管理されていない場所は存在しない。
そしてもう一つ、オレを固まらせた光景は目の前に斜めに地面に突き立つガラス質の巨柱に映る、崩壊して森に呑まれた見覚えのない都市とオレの真正面…つまりはオレの映っている筈の場所に映っている小柄な可愛らしい少女の姿だ。どことなく落ち着いた雰囲気があるから最低でも15歳は行っているだろう。
「いやいや、そんなまさ…か?」
オレが映る筈の場所に映る少女。認め難い現実に声を出すが、その声は耳障りが良いながら高く幼く…少なくとも成人した男性が出す声ではない。それが嫌な予感を一層高める。それこそ、蘇ったんじゃないかという疑問を吹き飛ばす程に。
確証する為には自分の体を見下ろせばいいのだが、躊躇われる。ガラスに映る以上、正直疑いようもないのだが、ないだろう可能性に縋りつく余り、首が中途半端に止まってしまう。そこでもう一つ気付いた。
普段よりも地面が近く感じることに、そしてガラスに映る少女がオレと同じ動きをしている事に。
そこで完全にフリーズする。
もう色々諦めて自分の体を見下ろせば、そこにはガラスに映る少女と同じ鎧姿の小柄な身体が、それに破損したのかガントレットが外されている為に見える滑らかな白磁の肌が視界に直に映る。
これも当然察していたのでこれ以上現実を直視しない為に後ろを振り向けば、そこには身の丈程もある大剣が地に突き立っていた。どうやらオレは、この大剣に寄り掛かって立っていたらしい。
それと同時にガラスに映るだけだった後ろの廃都も目に映る。崩れた建物の至る所に青々とした苔が生い茂り、並みのロープよりも丈夫そうな蔦が絡みつく。都の中心にあるランドマークらしい高層ビルには巨木の如き蔦が絡み付いていて、今にも崩れそうなビルを支えていた。
細身ながらも筋肉質だったあの頃よりも強い力を感じ、それでいて軽い体を操り、大剣を背負いその廃都に向かう。
地に突き刺さっていた大剣は特に力を込めるでもなしにあっさり抜けた。大剣の中身が空洞とか、この大剣は選ばれし者にしか抜けないとか、そんな事は全く無さそうだし、信じ難いがこの身体は純粋に高い身体能力を持っているようだ。
よくよく考えれば感覚器も鋭敏になっているのが分かる、最低でも視力はここからかなりの距離がある都市の中心にある高層タワーに纏わり付く蔦の皺まではっきり見通せる。さらに言えば脳も強化されているようだ、普通ここまで見通せるなら、多過ぎる情報量に脳に負荷が掛かって酷い頭痛が発生する筈なのにそれがない。思考も死ぬ寸前のあの時並みにスッキリしているし、頭の中にゾーンのスイッチみたいなのも感じられる、明らかに一般人の身体ではない事が分かった。
道すがら身体を動かし、その変化を感じながら進む。大剣もある程度振り動かし、身体に馴染ませた。
VRゲームで双剣と拳の経験はあるけど、大剣はない。それにある程度は動けるとは言え、鎧一式の重装備は初めてだ。仮想とはいえ戦闘経験はあるが、武道の経験はないし、出来ればこんな何があるか分からない状態なら、自衛の装備として待つなら双剣か、籠手が良かったんだけどな。
「アオォォォォンッ!!!」
「…っ!」
そんなことを思いながら歩いていると巨大な咆哮が響き渡った。思わず、耳に響いた咆哮に近くの建物の影に隠れる。
廃都に入った途端にいきなりなんなんだ?狼の遠吠えのように聞こえたけど、廃都のランドマークっぽい高層タワーから聞こえて来たよな。外周のこの辺りまで聞こえるなんて一体どんな咆哮だよ。
警戒して大剣の握り手に力を込める。集中力を高めて、五感を鋭く尖らせ、さらに前に進む。
なんで進んでるのか分からないけど、なんだがそこに求めているものがある気がしてオレは進んだ。
その途中、身体の一部を機械化させている狼が身体から稼働音を鳴らしながらどこからともなく現れた。
直前まで駆動音すら聞こえなかったことやその身体の一部が機械であることから察するに、もともとそこに配備されていて、オレが来たことをなんらかの方法で察知して起動したのだろう。
「ガアッ!」
そんな考察を巡らせていると鋭く生え揃った牙を剥き出しにして襲い掛かってきた。
それをオレは軽く大剣を振るって迎撃し、そのまま弾き返す。宙に浮く狼に一気に接近して上段から叩き斬るように大剣を振り下ろせば、機械化した狼は地面に力強く叩き付けられ、その後に続く大剣によって掛けられた圧力にその身を二つに割った。
両断された狼の身体からはオイルのような黒い液体が辺りに撒き散らされる。生体部分があった外見とは違い、内面は完全に機械化されているようでそこから血が出てくることはなかった。
それを見届けたオレはさらに先に進む。
進むにつれて数を増やす機械化狼を鎧袖一触で片付けながらしばらく進行を続ければ、遠くに見えているだけだった高層タワーの入り口がついに見えて来た。
「…咆哮の主はアイツか」
高層タワーの入り口には、全長5mはありそうな巨大な狼が堂々と寝そべっていた。
その身は他の狼たちとは違って外見からして完全に機械化していて、静寂な包まれる都市に静かな駆動音を響かせていた。
そう観察しながらも徐々に近付いていると、そこで狼はオレの存在を視認したのかその巨躯を立ち上がらせる。その身は機械とは思えないほど滑らかに動いていて、今までの狼とは一線を画する実力を感じさせた。
狼が四肢に力を込めて戦闘態勢に入ったのを見て、手に持つ大剣を上段に構え直す。
その動作を見てかどうかは分からないが、狼は背中からスラスターを吹かせて突進して来る。上段に大剣を構えるオレはそれに対して迎撃を選んだ。
動作は単純に力を込めて振り上げ、重力と質量にオレ自身の力も込めて振り下ろす。タイミング良く振り下ろされた大剣は振るわれた狼の爪とかち合い、どちらも共にノックバックさせた。
次手で最初に動いたのはオレ、片足を軸に身体を旋回させて大剣に掛かる力のベクトルの向きを変え、遠心力も加えて素早く大剣を横薙ぎに振るって狼の前足を切り裂いた。
装甲に阻まれて傷は浅いが、ダメージがないわけじゃない。これなら…、
「いけるっ」
地面が砕くほど強く踏み込み、返す刀で斬撃を放つ。
だが、それは反応されて爪を合わせられて防がれるが、それならそれだ。
強く握っていた大剣を手放して狼の顔面前に身体を持って行き、一番装甲が薄いように見える眼球に手を突っ込み、そこにあるメインカメラを握り締めて破壊、戻って大剣を回収して視界を破壊した方に回り込み、振り上げ振り下ろし横薙ぎと三連撃を叩き込み、こっちに爪を振るいながら振り向いた狼の顔面に大剣の側面を叩きつけて斜め上にかち上げ、急に変わった光景にエラーを吐き出している僅かな隙を使って、装甲が一番薄いように見える腹の下に潜り込んだ。
そして、身体が安定するように腰を落として大剣の切っ先を真上に向けて一気に突き上げる。
ギャリギャリと音を立てて装甲を削る一方、削れた装甲の奥から黒い液体が吹き出して剣先を滑らそうとする。それを無理やりにずれないように押し込み続け、遂には腹部を貫いた。すると、急に機械狼の四肢が力が抜けるように動かなくなり、その身から聞こえていた動力の駆動音も一切が聞こえなくなった。
あまりのあっけなさに罠を疑い、突き刺さった大剣を引き抜いて距離を取るが、いくら経っても何かが起こる気配はない。本当に倒れたのか確認の為に警戒しつつも近付いて腹が上になるようにひっくり返せば、思いっきり大剣で貫いた腹のさきに動力炉のように見える球体が真っ二つに両断され、そこに存在していた。
…どうやら、本当に機能停止しているようだ。
それを理解したオレは、その残骸をそのままにして高層タワーの入り口に向かった。