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王都サフィールは広い、しかし迷子になる率はその割に低いという。
その理由は、街の様子を見ると納得できた。
王都サフィールは、大まかに「赤石の街」、「青石の街」、「黄石の街」、「緑石の街」と、4つの街に分けられている。
「確かにわかりやすいわね」
4つの街のうち、緑石の街へやってきた私は、建物を見渡して呟いた。
目の前に若草色や薄緑色といった緑色を思わせる色彩で彩られた建物ばかりが立ち並んでいる――他は恐らく赤色系、青色系、黄色系といった具合で統一されているに違いない。
本当は、その4つの街をさらに細かく分けて地区ごとに管理されているらしいけれど、最低限、街の名称さえ覚えていれば、雰囲気で自分がどの街にいるかわかるわけだ。
「これなら迷子も、あんまり心配ない……かな?」
一応ハクヒさんとクシュンさんから王都についてレクチャーされたが、何せ私が旅立つまでにたった1日しかなかった。
必要最低限のことは教えてもらったし、余程のことがない限り大丈夫だとは思うけれど。
「ええと、こっちかな」
手書きの地図を確認しながら街の中を進む。
豊穣祭期間中、王都にある大きめの通りには露店が立ち並ぶことになっている。
私が目指しているのは、緑石の街のとある通りだ。豊穣祭期間中は「薬種商通り」という仮名がつく通りである。
祭りの運営側が管理しやすいのと、参加者が目的の物を求めやすいだろうと考えられたのか、提供する売り物の種類ごとに露店を開く場所が定められている。
私が商品として扱うのは傷薬や痛み止めなどといった薬関係なので、緑石の街の「薬種商通り」で露店を構えることになる。
字面からして、薬品関係を扱う露店が立ち並ぶ通りというわけだ。
「ああ、あの空いているスペースか」
やっと目的の場所にたどり着いた。
既に商売を始めている者たちの邪魔にならないよう、私はその空いているスペースでせっせと準備を始める。
露店を開く行商人は、祭りの前に予め王都側へ申請をし、場所の許可を得る必要がある。
場所取りの争いなどが起きないように配慮されている。これだけ大規模な祭りだと、何かと不便なことも多いだろうし徹底されているわけね。
私が教えられたこの場所も、きちんとクシュンさんが王都に申請してもぎ取った場所なのだ。
「――あら? クプソン村の方……かしら?」
ござに似た敷物を引いて薬を売っていた私に、年配の女性の声がかかる。
俯けていた顔を上げると、「まぁ」と驚かれた。
「こんにちは」
「こんにちは。初めて見る顔ね。もしかしてお孫さんかしら?」
「ええ、まぁ」
クシュンさんとハクヒさん夫婦は、クプソン村の薬師夫婦として知られているようだった。
一定の顧客がいたようでみんな買い求めに足を運んできてくれる。おかげで夫婦自慢の傷薬も痛み止めもよく売れていた。
この女性も常連の1人だったらしい。
商品を迷うことなく選び、ぴったりの金額と一緒に差し出してきた。
「こんな可愛らしいお孫さんがいたのねぇ」
ハクヒさんが用意してくれた女性客用の可愛らしい包装紙で丁寧に商品を包んでいると、女性は目元のシワを深くして笑顔を浮かべていた。
常連さんたちはみんな穏やかな人ばかりで、クシュンさんとハクヒさんの人柄を知っている私としては「類は友を呼ぶ」という諺を痛感していた。
そして皆さん私を孫として微笑ましく見てくれる。正直、2人に似ているところないと思うんだけどね。
丁寧に包み終えた薬を渡すと、女性はにこにことお礼を述べて立ち去ろうとした。
「あ、すみません」
それを呼び止めて、傍らに置いていた籠の蓋を開けた。中には紙袋に包まれた小さな包みを詰めてある。
「良かったら、これもどうぞ」
「これは?」
「クッキーです。私が焼いた物なので、無理にとは言いませんが」
「あらあら、貰ってもいいの? ありがとう」
たまたまお茶請けにと作ったクッキーをハクヒさんが気に入ってくれたことをきっかけに、無料配布として用意しておいたのだ。
用意したいことと、露店を構える規則的に問題ないかと伺えば「お金を取らないなら規則に引っかからないし、うちの常連さんたちならきっと喜んでもらえるわ!」と、了承も得た。
そしてハクヒさんの言うとおり、常連さんと思しき人たちにクッキーを差し出しているが、今のところみんなにこにこと受け取ってくれている。
用意した身としては、嬉しい限りだ。
薬とクッキーの入った包みを受け取った女性は、立ち去る前に再度お礼の言葉を述べ、機嫌よく帰っていった。
離れていく背を見送り、再び顔を伏せる。さらりと長い髪がカーテンのように顔を隠した。
これで何人目のお客さんだろう。
日が当たるとよくないので、見本以外の商品は全て鞄の中だ。かちゃかちゃと在庫数を調べていると、「こんにちは」とまた声をかけられる。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
営業スマイルとまではいかないけれど、なるべく愛想がいいような表情を作って顔を上げる。
今度は若い男だった。
「これは何を売っているんですか?」
「これとこれは傷薬です。後は、痛み止めですよ」
「へぇ」
私の説明を聞きながらも、ちらちらと商品ではなく私へ向けられる視線。……気のせいだとは言えないくらい見られている。
「これを貰おうかな」
「ありがとうございます」
指定された薬を丁寧に包装する間も、ちらちらと視線を感じる。
「あの、」
声をかけられ、手元から目を離す。顔を上げれば、緊張した面持ちの男と目が合った。
「あの、君は、祭りには1人で?」
「家族と一緒に。今は別々で露店をしています。この薬を売った後に合流する予定なんですよ」
全くの嘘だ。
にっこり、と笑顔を顔に貼り付け、更に聞かれてもいない今後の予定も付け足しておく。
男は少しがっかりしたような様子を見せて、代金を支払ってそそくさと去っていった。
……これで、何回目かしら?
受け取った薬代をせっせと財布替わりの革袋に詰めながら、私はため息をついた。
「面倒だなぁ……」
薬を買い求めにくるのは、大抵年配の方が多かった。扱っている薬も、肩こりや腰痛に効く湿布や痛み止め、水仕事で荒れる手に塗るための傷薬など、主に年配の方をターゲットにした内容がほとんどだ。
けれど、中には「腰痛や肩こりの痛み止め必要あるの?」って聞きたくなる程背筋の綺麗に伸びた若者がやってきては、少し会話した後痛み止めを買っていったり、今みたいに何を売っているか聞いてきた上で「それじゃあ傷薬」とまるで消去法で買うといった風の若者も多い。みんな私と同年代か、ちょっと上といった男ばかりだ。
そして、そういう若者の大半は「この後一緒に祭りに行かない?」と付け足すのだ。ナンパか? 薬を買うついでにナンパなのか?
もちろんにこやかに全て断っている。
ただの自意識過剰……とは思いたいけど流石にあからさまに誘われることが多いからちょっとげんなりしている。
「ま、断ればちゃんと引いてくれるし、今みたいに遠まわしな断りでも諦めてくれるし、平和でいいんだけどね……今のところは」
私の住んでいた地域が特別に物騒だったのかしら?
護身用に持っていたスタンガンを使ったことも一度や二度じゃない……うん、ほんと今更だけど一歩間違ったら新聞やニュースで事件として取り扱われる事案になった可能性もあるわね。……もちろん被害者として。
幸い事件になることもなく身奇麗なままで異世界で暮らしていることにホッとする。
誘拐やストーカーから守ってくれた家族ありがとう。自衛のためにと護身術などいろいろ学んだ過去の自分ありがとう。
自分の身が無事な事実に感謝をしつつ、中途半端になっていた薬の在庫を数え直す。
「……この調子だと、明日中には売り切っちゃうかもしれないわ」
おかしいな、薬は滞在する5日間で売り切れるか売り切れないかの数量って話だったんだけど。
首を傾げながらも、まぁ売れていることに変わりはないのだし、と思うようにして俯いた。少しでもナンパが減るように、と長い髪をカーテンがわりにするのを心がけて。