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◇◆◇



 村長から豊穣祭のことを教えられてから3日経った頃。

 私は恩返しという名目でせっせとハクヒさんの手伝いを申し出ていた。


「あら、知っていたのねぇ」

 

 おっとりとしたハクヒさんに「村長から聞いたの」と返す。

 皿洗いをするハクヒさんの隣で洗われた皿を拭いていると、豊穣祭について聞かれたのだ。


 綺麗に水気を拭き取り、棚に皿を片付けると、ハクヒさんに次の皿を渡される。


「そうだったのね。てっきり知らないものだと思っていたわ……」


 そう思われて当然だろう。


 ミオという少女は、外国からやってきた記憶喪失の異国の娘。ハクヒさんたちだけでなく、きっと村の人もそう思っているだろう。


 私は、意識を朦朧とさせながら森の中で倒れているところを救われた。

 発見された当時の服装は村の人たちには見慣れぬもので、黒髪黒目は珍しくないものの、顔立ちがこの国の者とは少し違っていたこともあり、異国の者ではないかと判断された。

 言葉は話せるものの文字は読めない、それ以前に記憶の混濁が垣間みえることから、記憶喪失なのではないかと。

 以上を踏まえた上で、さらに接する人々全てを酷く警戒していた様子は、私の境遇を予想する一因となったようだ。

 この少女は、余程酷い目に合ったのではないかと、どこからかやっとの思いで逃げてきたのではないかと――。


 はっきりと言われたわけではないが、彼らと接しているうちに、何となくそういう風に思われていると察した。



 概ねその認識で間違っていないので否定していない――あくまで概ねは、だが。

 否定しないと同時に、決定的なことも、私は誰にも話していない……誰かに話すつもりはこの先きっと訪れないと思う。



「お祭りが近くなるとね、村に王都へ行くための馬車が通ってくれるのよ」

「そうなんだ」


 普段は近くの街まで足を運ばないと馬車には乗れないが、祭りの期間中だけは小さな村にも通ってくれるようだ。


「賃金も街から乗るより安いしね。村の人は喜んで利用するわ」

「へぇ」


 最後の皿を受け取り、丁寧に拭く。

 その間にハクヒさんは、お茶の準備を始めた。


「さ、それが終わったら休憩にしましょ」

「うん」


 拭き終わった皿を片付け、お茶請けを持ってリビングの方へ行く。

 程なくして、ハクヒさんがいい香りのするお茶を運んできてくれたので、私たちは揃って席についた。


 花のイラストの入った可愛らしいカップを手に取り、お茶を一口飲む。ふわりとした花の香りが口内に広がり、ほっと息を吐き出した。

 持ってきたお茶請けのお菓子を1つ手に取り、口に運ぶ。

 とても美味だ。


「……?」


 その一連の流れをじっと見つめていたハクヒさんに首を傾げた。すごく注目されている。


「どうかした?」

「そうねぇ……ねぇ、ミオ。貴女王都に出掛けるつもりはない?」


 王都に出掛ける……口に入れたお菓子を飲み込み、一度お茶で喉を潤す。


「……王都というか、王都の豊穣祭に参加しないかってこと?」

「そう。どうかしら?」


 にこにこ、微笑みを向けられ、何とも言えぬ表情になってしまう。


「参加するのは嫌?」

「興味がないわけではないけれど……私、クプソン村以外に行ったことがないし……」


 歯切れ悪い私に、ハクヒさんが付け加える。


「もちろん1人で参加しろっていうわけではないわ。私たちも毎年参加しているもの。一緒にどうかなと思って誘ってみたのよ」


 さすがに私1人を向かわせるつもりはなかったらしい。

 むしろ、祭りの間この家で1人になってしまうので、一緒にどうかと誘ってくれたようだ。


「お祭りの期間中は、薬を売るため露店を開くの。ミオも色々と勉強になるんじゃないかしら」

「露店かぁ」


 いろんな店が並ぶんだよな……この国以外の商品もいろいろ持ち込まれるっていうし。

 ハクヒさんは悩んでいる様子の私に、笑みを浮かべて柔らかく言った。


「返事は今じゃなくても大丈夫。お祭りまでまだ時間があるもの」

「……わかった。少し、考えてみるね」


 私は頷いて、カップに口をつけた。



 




 ――私はこの世界の人間ではない――……私は、別世界からやって(・・・・・・・・)きた人間(・・・・)だ。



 与えられた自室に戻ってきた私は、扉を閉めると、そっと呟いた。


「――……水よ(アークヴォ)


 しゅるん、と目の前に現れた薄い水の膜は、まるで鏡のように私の姿を映し出した。


 じっと見返してくる黒目がちな猫みたいな目。日に焼けない白い肌。紅を差していなくても色味の強い唇。癖のないさらさらの黒髪の少女――どう見ても紛れもない、見慣れた冷泉(れいぜい) (みお)の姿だ。


 こてり、首を傾げたら、水鏡の中の少女も同じように首を傾けた。



「……異世界転移ってやつなんだろうなぁ」



 ――あの日……冷泉 澪(わたし)は、トラックに轢かれて死ぬ筈だった。

 


 冷泉 澪として生まれた私は、ある部分で非常に恵まれており、ある部分で非常に恵まれていなかった。


 両親は、共に美しい人たちであった。そんな彼らの一人娘として生まれた私も、それは美しい容姿をしている……らしい。

 恵まれた容姿を持った私は、色んな変態に狙われた。いっそ呪いか何かなんじゃないかと思うほど、狙われた。

 悲しいかな……痴漢・ストーカーは日常的に、時には連れ込みや誘拐なんてこともざらにあった。

 幸いなのは、痴漢とストーカー以外はどれも割と未然に防げたことか……本気で身の危険を感じたことはあるけれど、女性としての尊厳を失う事態には陥っていない。


 中には純粋に好意を寄せてくれる人もいたけれど、それは少数で、大抵は異常な性質の(ヤバイ)奴が多かった。……気持ち悪かった。


 そういう状況を今まで何とか切り抜けてきた中――ついに、事は起こってしまう。

 見守るだけでは満足できず強行手段をとったストーカーに追われ、道路に飛び出した私は逃げることに必死で、赤信号に気付かなかった。……迫ってくるトラックの影にも。


 死んだな、そう思った。



「……でも、生きてるんだよなぁ」


 確実に死んだだろう――しかし、気づけば如何にも怪しげなオークション会場で目が覚めた。意味がわからない上に、商品として競売にかけられた。


 どうしてこうなった、という気持ちでいっぱいだ。


「死んだと思ったら生きているし、目が覚めたら知らない場所……というか、知らない世界にいるってどんなファンタジー物語よ……」


 ぼすん、とベッドに仰向けで倒れ込んで、私は壁を見つめた。


 そこには、クシュンさんが飾ってくれた世界地図がある。これを見たら、何か思い出すんじゃないかと私を気遣ってくれたものだ――しかし、思い出すも何も、それは私の知っている世界地図じゃなかった。

 

 それともうひとつ、ここが地球と違う世界だと判断せざるを得ない要因。


「――風よ(ヴェント)


 呟けば、広げた手の平の上にひゅる、と音を立てて小さな竜巻が現れる。

 頭の中に思い描いたイメージ通りのそれは、私の中に流れる力を言の葉で具現化したものだ。

 私の生きた世界にはなかった……いや、空想上の話では存在した力がこの世界には存在していた。



 “大いなる力(グロースマハト)”と呼ばれる力、一般的にはもうひとつの別称で呼ばれていることが多く、それは私にも聞き覚えがあるものだった――魔術だ。


 

水よ(アークヴォ)火よ(ファイロ)雷よ(バルク)


 更に言の葉を紡ぐ。

 拳程の水の玉、火の玉、雷の玉を出現させ、先に作っていた小さな竜巻で玉遊びのようにくるくると回す。

 しばらくそうして遊び、消えろと心の中で命じれば、瞬時に全て掻き消えた。


 魔術(こんな力)が当たり前にある世界なんて――どう考えても私の生きた世界では有り得ない。



「――生まれ変われるなら、普通の人として生まれた変わりたい。……もしも、今世と同じような境遇に生まれてしまったその時は、“驚異を退けられるくらいの力が欲しい”」



 自分が死ぬだろうと感じたあの瞬間に思ったこと。


 恵まれた容姿は今世で十分だから、次はごくごく普通の人として生を受けたい。妙な変態に狙われることのない、普通の人生を歩みたいのだ、と。

 けれど、もしも今世と同じような境遇だった場合は、権力であれ、武力であれ、何でもいいから自分の身を守るための力が欲しかった。


 ――結果として、私は死なずに冷泉 澪(わたし)のまま異世界へやってきた。そして、魔術という力(武力)を手に入れた。


 これが夢でなく、また私の妄想でないことはこの2週間と少しの間で身に染みている。夢ならば、とっくに覚めているだろう――間違いなくここは現実世界なのだ。


「生まれ変わったわけでなく、地球と全く違う別世界にきちゃったわけだけど……魔術の力を手に入れられたことは本当に幸運としか言いようがないわ」


 魔術はこの世界では当たり前の力のようだが、使い方次第で頼もしい武器になる。


 日本での生活(元の世界)に未練はない。

 いい思い出もあったけれど、その思い出を一緒に作ってきた肉親はもういない。……心残りがあるとすれば、お墓参りに行けないということだけ。親しい友人も残念ながら皆無だし。


 通っていた大学を卒業したら、その先の予定は真っ白だった。とにかく静かに、平穏に暮らしたかったけれど、たぶん難しかっただろう――ああ、そもそも私はしつこいストーカーに(いつものように)追いかけられた挙句トラックに轢かれそうになったのだ。


 ――それに対して、こちらの世界での暮らしは快適としか言いようがない。

 私を助けてくれたクシュンさんもハクヒさんも、お世話になっている村の人たちも……みんなとても良い人たちだ。明らかに素性の怪しい私を、優しく迎えてくれたし、気にかけてくれる。

 そこに疚しい感情や下心はなく、私も安心して暮らせていた。


 私が異世界からやってきた人間だと伝えられず、いいように勘違いしてくれているのを否定せずにごまかしていることは、正直心苦しいのだけど……。


 魔術を操れるようになり、自衛に関してかなり期待ができる今――この世界で、私を助けてくれたこの場所で新しい人生を歩むことを決めた。


 今度こそ平穏で、自由で……痴漢やストーカーや誘拐などと無縁の安寧を手に入れるのだ。



「――うん。せっかく誘ってもらったんだし、ご好意に甘えさせてもらおう」


 思考は「豊穣祭」のことに移る。

 興味がないわけではないし、むしろこの国の中心地である王都には行ってみたいとは思っていた。


「ハクヒさんとクシュンさんも一緒だから問題ないはず……」


 この世界のことについて無知に等しい私が1人で王都に行くなど、いったい何年かかることやら。

 無知に加えて、身を置いているこの国の言葉も当然読めない。私が記憶喪失だと思われている一因である。文字を覚えるだけでも相当時間がかかりそうだし。


 今回王都へ行くのは前向きに考えてもいいかもしれない。


「参加するとして……」


 ただ、私が無知だということ以外にも懸念はある。

 国を挙げて開催する大きな祭り……その上人が確実に一番集まる王都……。


「祭りにいい思い出があまり無いからな……あ、」


 日本のお祭りで必ず売っている“あれ”。

 手に入れられたら懸念は軽くなるのではないだろうか。


「……よし」


 頷いた私は、ハクヒさんにご一緒する旨を伝えるため、部屋を出た。 





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