第3話 生首プール⑩
「セリカが、セリカが、死ぬ……このまま、では」
この狂おしいほどの倦怠感と、安らぐような心地。
――――ああ、微睡んでいたい。
甘い倦怠感と、結の柔らかい身体の感触に心が堕ちそうになる。
だがこれに身を委ねたら最後、セリカが終わる。
「……駄目、だ。やめろ。セリカが……」
「セリカ。セリカセリカセリカセリカセリカ。いっつもそう。子供の頃から、兄さんはいつだってセリカのことばっかり。私がどんな思いをしてきたのか、それを思い知らせたい。兄さんにも、そしてセリカにも……」
まるで口づけをするかのようにまで顔を近づけてくる結。その黒曜石のような瞳が、俺だけを見つめている。その黒いガラス玉のような瞳に、俺だけが映っている。
「結……。拘束を、拘束を解いてくれ! このままでは、セリカが……っ」
「ふふ、ふふふ……。それこそが私の望みだよ、兄さん。何度この力を使って、兄さんがセリカを嫌うようにコントロールしようとしたか。その逆も、何度も何度も考えた。セリカを殺すことも考えた。このジェネシスの力を使えば、何だってできる。セリカさえ消えれば、私の幸福は永遠のものと、なる。兄さんが私を好きになるようにもできる。なんだっって、思い通りになる。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっと、ずーーーーっと、それだけを考えてきた。そのことだけを夢見てきた。だから、私はセリカの破滅を望む。心の底から、私はセリカの破滅を――――」
「……嘘、だな。それは」
「……っ」
「悪は、迷ったりしない。だから、本当のお前は誰よりも優しい。この力はもっと前から、いくらでも悪用できた。でも、俺たちの日常はどこまでも平和そのものだった。それは、お前が自分の悪を理性で殺したからだ。お前は、誰よりも優しいよ」
「…………」
俺がそう言うと、結は泣きそうな顔で俺を見つめる。まるで縋るように。
「嘘だよ、そんなの。私は優しくなんてない。親友の恋を呪い、あまつさえそれを奪い取りさえしようとする、実の兄を男として愛する忌むべき女。そんな、おぞましい女だよ……」
「……結。俺はセリカが好きだが、それが恋愛感情かといわれれば分からない。お前の言うとおり、俺自身が醜いからこそ、美しいものに憧れているだけなのかもしれない」
「…………」
「だが、それでも、どんなことがあろうとも、セリカは助ける。それを邪魔するなら、たとえお前でも俺は許さない」
俺は結のか細い手首を、僅かに強く握る。
「……うん、そうだね。知ってるよ……私がセリカに勝てないことなんて、ずっと前から……」
寂しげに結は微笑み、キスをするかのように俺の額に自分の額を当て、目を閉じる。
《堕落遊戯》――ダラクユウギ――
「この1分間の記憶を消失しなさい」
結の言葉を聞くと、俺はいつのまにかぼぉっと突っ立っていた。
「な、にをしているんだ、俺は?」
「……行こう、兄さん。セリカを、助けるんでしょう?」
結は何故か何かを諦めたような、悲しげな笑みを浮かべ、俺に手を伸ばしてきた。
「…………あ、ああ」
「時間がないよ、急ごう」
手を掴む前に、結は行ってしまう。
俺は慌てて、その背中を追いかけた。
掛け替えのない、夢のような時間を、俺は忘れているような、そんな気がした。
――――だがきっと、それは気のせいなのだろう。
そう、思うことにした。




