第16話 White≒Clear③【白雪セリカ(4周目)視点】
黒い、黒い、黒い……ジェネシス。
ああ、なんて落ち着く。
腕も、足も、感覚すらもない、何も無い。
私の身体は黒いジェネシスの中に溶けていた。人間と言うハードウェアを与えられるよりも前の、記憶ですらない、何か。
委ねたい。全てを……この心地に。血よりも温かい、優しくて穏やかな……。
母体の中の羊水に漬かっているような、原始的な安心感。
絶望も、苦痛も、悲哀も無い、穏やかで、何も無くて、でも心地よい温度。
ここから外に、出たくないなぁ……。
“同じ”に、なれたらいいのに……。
でも、いつまでもこうしちゃいられない……。
なんで……だっけ。
どうして、私は……ここから外に出なくちゃいけないんだっけ?
分からない。分からない。だけど……。
ふと気づくと、目の前に、何かが浮いていた。
それは、青い鎖。
掴まなきゃ、と本能的に思った。
何も思い出せないのに、その強迫観念だけは確かで、身体が無いのに私はそれを掴もうとして……“腕”が生まれた。
私の、腕。でも、腕だけじゃ伸ばすことしかできない。掴まなきゃ。
掴む、為には……。
“手”が、必要だ。
鎖を掴んでから、私の身体は再び具現化する。
でも服は着ていて、だからここは夢の中なのだろうと気付く。
ぼんやりと空を見上げると、綺麗な流れ星。
綺麗……。
思わず手を伸ばして、そこで私の視界は切り開かれ、目の前に透が現れた。
夢心地だった頭は嘘のように晴れ、私は為すべきことを思い出す。
「――――“終わり”にしよう、透」
《諸刃之剣》――モロバノツルギ――
冷たい集中力。《明鏡止水》すら使わずに、私は後ろに下がりながら、ジェネシスの“腕”を形態化させる。アンリの得意技だ。あの鎖を掴むときに手を伸ばした感覚は、現実でも作用した。
《生殺与奪》の射程範囲から逃れる為に、後ろに跳びながら、“腕”で《諸刃之剣》を掴みながら、透を切りつける。
「《生殺与奪》封印。相殺指定、《一騎当千》」
9つ目の能力を、封印。
透の即死能力を押さえ、私は中距離能力を対価に捧げる。
“腕”があれば、中距離も問題ない。
《聖女抱擁》を発動し、全身の傷を癒しながら、冷静に思考に身を委ねる。
体中から力が、ジェネシスがみなぎってくる。
さっきまでの絶望は嘘のように掻き消えていて、身体は熱いのに、頭の芯は冷たい。
なんていうか、かつてない程に絶好調だ。
いくらでも戦えそうな気がする。
「……」
透は珍しく、隙だらけだった。私の攻撃を意に介した様子すらない。
何かを思案するような表情をしている。
(予定変更。透は“3人”で倒す。少し、ナメ過ぎた)
(確かに、そうですね。分かりました)
2周目からチャネリングが飛んできて、3周目が淡々と応答している。
私が返答するまでもなく、2周目と3周目は透の退路を断つように近づいてくる。
「……フッ、まったく」
透はこんな時だというのに、自嘲げに唇を歪める。
「……?」
「いばら姫の、“腕”の形骸化か。僕にもできなかったのに、君はどこまでも進化していくんだね。その進化の果てに選択したのが退化だというのだから、贅沢な話だ」
「私一人じゃ、ここまで来られなかったよ」
「謙遜も過ぎれば嫌味だ。だが、まさか1周目があれほどとはね。最初から僕に勝ち筋は無かった、ということか。屈辱なのだろうが、不思議と心地よい。あの化け物は僕を食い尽くした先にしか生まれ得ない、ということだからね」
「1周目……」
やはり、そうなのか。“小さな私”の正体は……。
断定はできなかったけど、透がここまで言うのだから、きっとそうなのだろう。
あの黒いジェネシスの羊水のような感覚も、1周目のもの……。
「だが、2、3、4の君たちであれば、まだ確定的敗北とは言えない。1周目が僕を殺さなかったのはGランクという足かせがあるからだろう。僕なりに、最後の悪あがきをさせてもらうことにするよ」
「あなたも、私のこと言えないぐらい、負けず嫌いだよね?」
「君とは相容れないが、そこは素直に認めておくことにしよう」
ザッ、と足音がして、透の背後に2周目と3周目が立つ。
正面には私。
透を取り囲むようにして、逃がさない。
数の力で卑怯かもしれないけど、それでもたった一つのケアレスミスで皆殺しにされるような恐ろしい相手だ。侮るわけにはいかない。
ここで、確実に討つ。
「最初からこうしておくべきでしたね」と、3周目。
「いやぁ、本当にね。まさか実力を隠したまま負け抜ける戦術を展開してくるとは思わないじゃん? やられたよね、完全に。瞬殺される無様な姿を晒したお詫びに、ここから先は全力でやらせてもらうよ」と、2周目。
「……悪く、思わないでね」
「この僕が、まさか4対1でボコボコにされるとは思わなかったよ。大人数にイジメられる、という経験も言いようのない、苦いものがあるね」
透は意味深に微笑みながら、2周目と3周目へ振り返りながら手をかざす。
《奈落之底》――ナラクノソコ――
地面が真っ黒なジェネシスの沼となり、そこから“何か”が出てくる。
「そろそろ仕上がっただろう。僕も助っ人に頼ることにしよう」
透は言葉を区切り、悪意と殺意が入り混じった、冷たい笑みを浮かべた。
「――――なぁ、花子?」
透が呼びかけると、深淵のジェネシスを身に纏った、ヒトノカタチをした何かは、無言で迸る殺気とジェネシスを巻き散らしながら、笑った。