幕間⑥ 希望の正体【透視点】
「《千波万波》封印。相殺指定、《飛翔蒼天》」
白雪セリカの能力が発動すると、僕の時計塔の音が鳴り響き、針が『8』の数字を指す。
「…………」
「…………」
僕と4周目は視線を交わし、対峙する。
長らく、忘れていた感情、その片鱗を僕は思い出しかけている。
これは……この感情は、恐怖だろうか?
どんな人間も。そう、どんな人間も。
僕は全て読み切ってきた。何を思い、考え、恐れ、欲しているか。その全てが手に取るように分かったし、殺すのも懐柔するのも容易かった。
が、目の前の相手……白雪セリカは“何”だ?
僕の理解を超えている。『運命の環』、ダウングレード戦略、過去3人のジェネシスの具現化……そしてGランクへの執念。Gランクへの手掛かりを得る為に、僕を理解しようとするこの化け物は……一体何だ? ヒキガエルが白雪セリカに異常に怯えていたのも、今なら頷ける。
奇しくも、白雪セリカは僕の人間性たる感情の象徴、恐怖の残滓を蘇らせることには成功した。白雪セリカは僕を理解しながら怪物へと近づき、且つ僕の人間性を呼び覚まそうとしている。
だが、4周目であるところの白雪セリカは、僕を異常なほどに警戒し、近づいてこない。
正しい判断ではあるが、既に《鐘楼時計》で死のタイムリミットは設定した。待っているだけ、臆しているだけでは彼女に勝機は無い。
そして。殺し合いを続けながら、僕は『運命の環』についてずっと考えていた。
白雪セリカとオメガの『運命の環』の掌握率は、85パーセントといったところか。
通常、人間の人生というものは一直線の形状をしている。直線、というと語弊があるか。もっと厳密にいうなら、始点と終点がある線分の形状。
生という始まり、死という終わり。生で始まり死で終わる線分。それが人生の形状。
が、宗教観によっては“死後”の世界や、『輪廻転生』といった“生まれ変わる”という思想もある。正しいか正しくないかは置いておいて、もしそれらも考慮して再設計するのであれば、人間の人生は“線分”ではなく“円”の形状になる。
無限に繰り返し続けるという性質が、円にはある。それが、輪廻転生の考え方だ。
この思想を、ジェネシスを用いて応用するとどうなるか?
始点と終点を“再設定”し、その期間を“循環”させる。
白雪セリカは何らかの能力を使い、これを実現した。
そしてこの円……『運命の環』をロジックツリーとして昇華させるほどの知能は、白雪セリカには無い。なので考案したのは間違いなくオメガだろう。ここまではいい。
僕と白雪セリカの殺し合いは、『運命の環』という視点で見れば、飽くまでも通過点でしかない。
最も重要なのは、『±0』地点。
白雪セリカとオメガが定めた、本当のタイムリミット。
タイムリミットの根拠は、既に3人いるからだ。そう遠くない未来、4周目も“終わり”を迎える。そこが始まりであり、終わりの場所。『±0』地点。
その期間までに、白雪セリカは答えを出し、Gランクへと至らなければならない。
だが、『運命の環』の循環期間である時間が短すぎることと、正解への手掛かりが皆無であることで、成功確率は限りなくゼロに近い状態。それによって4周目まで繰り返すことになってしまった。
これが成功するまで無限に繰り返せばいいという考え方もあるが、それは堕落への道になりかねない。人間から破滅するリスクを取り上げれば、必ず堕落する。大企業、宗教団体の幹部が腐敗したり、政治が腐敗するのも、運営側が絶対に破滅しない安心感があるのが最大の要因なのは疑う余地も無い。
皮肉な話ではあるが、困難な成功を獲得する為には、破滅するリスクは常に隣り合わせでなければならない。確固たる“安心”を得てしまった人間は、必ず堕落し、腐敗する。彼らの末路はただ一つ。快楽を貪り、ひたすら死を忌避する醜い豚にも劣る存在に成り下がるだけだ。成長とは対極の存在となる。
人間は“安心”を得てはならない。僕にとっても他人事ではなく、花子とヒキガエルの育成に時間をかけすぎてしまったことを自省しなければならない。
つまり白雪セリカは敢えて破滅するリスクを飲んで、その上でGランクを掴みに来ている。この点においての白雪セリカの精神力は、間違いなく強靭としか言いようがない。
と、ここまでは過去の僕でも考えただろう。問題は“その先”だ。
過去の僕は、恐らく……『運命の環』の“脆弱性”に対して考察した筈。
1周目、2周目、3周目、そして今は4周目か。
1周目から2周目へのバトンパスに関しては完全にミッシングリンクであり、どう足掻いてもその空白を推察することはできないが……この世界は少なくとも、4回繰り返されている。
そして“過去の僕”は、1周目、2周目、3周目と殺し合い、敗北した。
過去の僕の思考を、汲み取るのであれば。
繰り返される世界において必ずしも勝つ必要はない、ということだ。
飽くまでも想像でしかないが、恐らくは。
1周目は『雪の女王』として僕を超える悪を極める存在となった。
2周目は『運命の環』の構築と、情報収集に努め、3周目以降を育てる為の捨て石としての存在。だが全ての『赤い羊』を殲滅し、3周目以降を統率できる大局的視野を持つ存在となった。管理職やマネージャーのような視点に特化していると考えてもいいかもしれない。
3周目はGランクを目指すが、何らかの要因で失敗。失敗した理由までは分からないが、3周目は“正義”を極め過ぎてしまったように見受けられる。正義とは悪を断罪する存在。3周目では白雪セリカが求めるところの、百鬼零をも断罪することになり、正義と愛のダブルバインドを克服できていないことになる。
白雪セリカの強さの根源は“柔軟性”であり、関わった人間の特製を肌で学びながら無限に進化し続ける性質を持つ。だから2、3、4でジェネシスの方向性も異なっている。大器晩成型の厄介なところでもある。
問題は、4周目だ。
この僕を以てしても、読み切れない。
2、3と比較すればジェネシスは最弱。意志や覚悟、精神力も恐らくは2、3に比べたらやや劣る。
では、ただ退化しただけなのか?
いいや、違う。4周目だけの強みは、それは最も感情理解に優れているということ。
1周目は僕を完全に理解し、悪の覇道を継いだのだろう。
2周目は僕に苦汁を飲まされ、未来に希望を託し自分は影に徹する道を決めたのだろう。
3周目は正義を極めることを決意し、それが故に悪を否定する道しか選べなかったのだろう。
では、4周目は?
ダウングレードしながら、この4周目は“何”を極めようとしている?
そして、過去の僕は『運命の環』のもたらすループをどう予測し、見切ろうとした?
4周目については分からないが、過去の僕が予測した勝ち筋には心当たりがある。
それは、白雪セリカのダウングレード戦略の、精度を落とすことだ。
2周目、3周目に学習させないこと。
さっきの《鐘楼時計》で確信した。この能力は、この鐘の音を聞いた人間の寿命を強制的に10分に縮小する能力。だが2周目と3周目にこれといって特別な反応は無い。
過去に敗北し、侮らせ、温存した能力で殺し切る。
これが『運命の環』を打破する僕の戦略となるが、問題は何故過去の僕はそんなことをしたのか、だ。
これがどうしても分からない。
考えられる可能性としては……。
ループする回数に制限がある。回数制限があるなら、できるだけ消費させてから殺すのが安定した戦術となる。
もしくは……僕自身のデストルドーか。僕を上回る悪、もしくは正義に殺されたいと言う欲望。
それも、あるのかもしれない。
だが……。
腑に落ちそうになるが、今一つ納得できないような気持ちもある。
そして、その納得できない気持ちを深堀して自己分析すると、ある行動が言葉として浮かんでくる。
――――“見守”ろうとしたのか、僕は。白雪セリカの成長と足掻きを……。
僕は、この手で希望を手折ることに、躊躇したとでもいうのか……?
絶対に否定したい感情とともに、一つの謎が紐解ける。
1周目から2周目のミッシングリンクの正体は、まさかこれなのか? この感情なのか?
Gランク。その正体の片鱗に僕は僅かにピントが合ってしまった気がする。
僕は白雪セリカが“整う”まで、敢えて殺され続けこの時を待ったのかもしれない。
Gランクの器として、白雪セリカが完成するのを。
我ながら感傷的だと自虐したくなるが、それも白雪セリカの影響かもしれない。他者から与えられる自己への影響など、考えたくも無いが、認めざるをえまい。
……これ以上は考えるだけ無駄、か。
「さて。白雪セリカ、君は手札を出し切ったように見えるが、次は何を仕掛けてくるつもりかな?」
「……」
「そう怯えるなよ、もう君も立派な怪物だ。僕を滅ぼし得る存在なのだから、もっと胸を張るといい。今更人間のフリをするなよ」
「あなたは……」
「なんだい?」
「……いや、やっぱりいい。言葉は必要ない。決着はジェネシスでつけよう。あなたが何に苦しんでいるのか、もう少しで分かる気がするから」
「…………」
白雪セリカは僕に怯えながらも、それでも目を反らさずに、白き天使の輪とジェネシスを輝かせて《諸刃之剣》を静かに構えた。
やはり……白雪セリカは一筋縄ではいかないらしい。
恐れながらも迷わない。弱者と強者の二面性……。
いよいよ。僕たちの戦いも、終盤に近付いてきている。
4度目の死を迎えるのは、僕か。それとも君か。
それこそ、運命のみぞ知るといったところか。