幕間④ 勝敗を分けるモノ【いばら姫視点】
「で、アンタはどうして手ぶらなわけ?」
サマエルを送り出し、トイボックスの部屋から出ると、骸骨が壁に背を預けぼぉっとしていた。何故か、骸骨は花子を連れてこなかった。そして手には缶のカフェオレ。こいつ、飲み物だけ持ってきて……。
「まぁ、それを説明する前に、君から状況説明を僕にもしてほしいんだが」
「……仕方ないわね」
ため息を堪え、私はゼロの暴走や白雪セリカとの経緯を骸骨へ説明した。透が突然単独行動に走ったことや、オメガの暗躍、花子の現状、この世界が繰り返されている『運命の環』に囚われていることについても。
「僕が少し寝てる間に、随分色々あったみたいだね」
「大変だったわ。振り回されてたまったものじゃない」
「イライラしてるねぇ。君も飲むかい?」
コートのポケットから缶のミルクティーを出し、放り投げてくる。
「……人工甘味料不使用なら」
「甘いのは砂糖しか入ってないよ」
キャッチし、プルタブを開けて飲む。甘いだけの安っぽい味が味覚を刺激する。
「で? 花子を連れてこなかった理由は?」
「……とてもではないが、近づける雰囲気じゃなくてね」
「分かるように言いなさい」
「花子ちゃんは、既にSSSに片足を突っ込んでいる。僕ごときが近づけば、危うく消されかねない。透さんとも少し違うが……あれは間違いなく純然たるジェットブラックジェネシス。その炎の余波に巻き込まれかけて、慌てて逃げてきたってわけさ」
慌ててと言う割に汗はかいておらず、飲み物を取ってくるぐらいの余裕はあったようだ。ムカつく……。
「本気で言ってる? あんな燃え盛ってるだけの雑な空間に放り込んで、SSSに至れるものなの?」
《奈落之底》に堕ちた者は、永遠に漆黒の業火に身体を死なない程度に焼かれ続ける。そういう世界を具現化する能力だ。リリーの《拷問遊戯》には死か発狂という終わりがあるが、《奈落之底》に終わりはない。文字通り、永劫だ。たとえ発狂したとしても炎には焼かれ続けるし、焼死することもない。そして僕が死んでもこの能力のゲートは閉じるが世界は滅びない。終わりの無い炎の世界さ。そう、これを突破するには、世界そのものを白で相殺して破壊するか、同等の質量の黒で破壊するしかない。
透は、そう言っていた。
苦痛の限りを味わうだけでSSSになれるものなのだろうか?
それに、確率も13パーセントしかなかった。
「でも実際、《奈落之底》のゲートからは膨大な花子ちゃんの黒いジェネシスが零れていた。まだ濃度は薄かったし半覚醒ってところだろうけど、透さんのゲートが花子ちゃんのジェネシスに破壊されるのも時間の問題だと思う。あれは、もはや……」
「もはや、何?」
「……言語化するのは難しい。ただ一つ言えるのは、これから出てくる花子ちゃんは、もう僕らの知ってる花子ちゃんじゃないってことだけは確かだ。気配だけで何となく分かる。透さんや百鬼零とも違う、異質な黒となるだろう」
「…………」
「そして恐らくこれは勘だが……」
「まだ何かあるの?」
「《奈落之底》にいる花子ちゃんが、既にSSSに至ったことを透さんは気付いているんじゃないかな?」
「だとしたら、何? はっきり言いなさいよ」
「《奈落之底》のゲートは透さんの意志で自在に移動できるのだと思う。つまり、花子ちゃんが完全に覚醒してゲートが破られる瞬間に透さんが“別の場所”にゲートを開けば、そこに花子ちゃんが解き放たれる。ここまで言えば分かるかい?」
「……白雪セリカにSSSの花子をぶつけることができる」
「ま、問題は花子ちゃんが間に合うかどうか……ってところだろうけどね」
「サマエルだけでも……まだ足りないのか」
白雪セリカ。まさか、ここまで化けるとはね……。
「だが、まぁ、透さんの手札はそれだけではないと僕は勝手に思っているけどね」
骸骨は涼しい顔で缶のカフェオレをちびちびと飲んでいる。
「……透にまだ、切り札があるっていうの?」
「クク、透さんに一番近い立ち位置にいる君でも、分からないかな?」
「……」
骸骨の言い方にムッとして、思わず睨みつけてしまう。
「君は《全理演算》に頼り過ぎて、感覚的なものを疎かにしてしまっているんだろうね。もっと純粋直観も大切にした方がいいと思うよ」
「うるさいわね」
「透さんの最も恐ろしい力は、ジェネシスというより、あらゆる物事を“掌握”する力だ。人心、論理、ジェネシス、狂気、あらゆる全てをね」
「そのぐらいなら私にも分かってるわ。アンタが言うまでも無く」
「まぁそうムキになるなって」
「なってない」
「白雪セリカは恐らく、僕ら《赤い羊》では一生到達できない特別な力を持っているのだと思う。信念とか、意志とか、覚悟とか、勇気とか、希望とか、闘志とか? 僕らが死ぬほど軽蔑し、嫌いな言葉の数々だが、白雪セリカの強みは恐らくそこだ。この世界で透さんを殺せるような人間は、白雪セリカしかいないだろう。その白雪セリカが透さんを倒すために用意してきたであろう全ての武器、力、心理、その全てを透さんが“掌握”するのが速いか、遅いか、それが彼らの勝負の行方を分けるのだと思う」
「白雪セリカの武器……」
「君は、直接透さんを助けに行くつもりはないのかい?」
「サマエルを向かわせたわ。これで義理は果たしたつもり。それに、透と白雪セリカの戦いに下手に巻き込まれれば、死ぬのは私たちの方でしょ?」
何を当たり前のことを聞いているのか。
「ああ、そうだね」
「アンタはどうなの? 私とは違う理由みたいに見えるけど」
「僕かい? 僕は……。ただ、無粋な気がするだけだなぁ。彼らの戦いは、彼らだけのものであり、踏み込むべきではないという、僕なりに勝手に透さんを解釈して、何もすべきではないと判断したまでさ。だからこその、“解散”なんだろうしね」
「……アンタは、どっちが勝つと思う?」
サマエル開放後、《全理演算》で再計算したところ、現状の透が白雪セリカに勝つ確率は50パーセントまで上昇した。
だが、気になる点がいくつかある。5分ごとに再計算すると、43パーセントだったり、78パーセントだったり、確率が滅茶苦茶なのだ。これではもはや、確率の意味をなさない。
その要因は、サマエルの解放だけなのだろうか?
この世界が繰り返されているのだとしたら、透は全ての戦いで白雪セリカに負けていることになる。オメガのあの断言じみた物言いは、そういうことなのだろう。
だが、少し“妙”だ。何か、違和感がある……。
透は、繰り返される前の世界で、世界が繰り返されていることに気付いたのだろうか?
気付かずに負けたのか、気付いた上で負けたのか……。
どちらにせよ……負けは負け。そこに意味なんて……。
――――透さんの最も恐ろしい力は、ジェネシスというより、あらゆる物事を“掌握”する力だ。
「……っ!」
脳裏に天啓が閃く。
そう……か。ループに気付かず負けるのと、ループに気付いて負けるのは、全然違う。全く別次元の敗北だ。なぜ、今まで気づかなかったのか……。
ループの記憶は私たちには無く、透にも無い。もしあれば、もっと早い段階で動いたはずだし、そもそも最初から白雪セリカにジェネシスを与えないだろう。
つまり『運命の環』において、記憶というアドバンテージは私達には無い。
記憶のアドバンテージがあるのは、オメガだ。オメガは全てのループ前の世界の出来事を記憶していると、言動から見て間違いない。
だが、白雪セリカには過去の記憶があるような兆候は見られない。
恐らくGランクを目指す道において、過去の失敗した記憶、精神構造が邪魔になるのかもしれない。
まぁ、それはいい。今考えるべきことはそこではなく……。
ループ前の世界で、透が『運命の環』を見切り、掌握した可能性だ。それは計算したことがない。
《全理演算》――ゼンリエンザン――
(演算開始。ループ前の世界で透が敢えて負けた確率は何パーセントか?)
(演算終了。100パーセント)
もし世界が繰り返されてしまうのであれば、そもそも勝ちにこだわる必要が無い。
どうせ繰り返されてしまうのであれば、本気を出さず適当に手を抜いて”負け抜け”るという選択肢が生まれる。
……やはり化け物か。
敢えて完全敗北し死ぬことで白雪セリカに実力を騙し通し、ループ後の世界で本気で勝ちに行く。
そんな狂った戦略は誰にも思いつかないし、これは透にしか打てない手だ。
だが、もしそうだとしたら、気になる点が二つある。
一つ目は、白雪セリカのループ能力を把握していないと打てない手だということ。白雪セリカのループ条件、能力効果を詳細に把握している必要があるが、その条件を毎回満たせるとは思えない。どこで手を抜いて、どこで本気を出すか、そこをどう見極めるのかが、私には全く分からない。他に見極められるポイントがあるのかもしれないが、それは透にしか分からない指標だ。
二つ目は、あまりにも切羽詰まっており捨て身の一手だということ。透にしては、あまりにも余裕が無く、ギリギリ過ぎる戦略。他にもっと手は無かったのだろうか。
私の逡巡を知ってか知らずか。
「――――透さんが『運命の環』とやらを掌握していれば、“今回”は透さんが勝つんじゃないかな」
何も考えてないようなぼぉっとした顔で、けれど核心を突くかのように骸骨はそう呟くように答えた。