第14話 七番目の月㉓【白雪セリカ視点】
二つの半月が重なる空の下、私とゼロは対峙していた。
シスターはボロボロでそのまま気絶し、アンリも倒れている。アンリは両手足が切断され、血まみれだった。アンリの意識喪失がトリガーとなり、赤い半月はそのまま消滅する。
住宅街は焼野原で、沢山の死体が無残に転がっている。
あまりにも……酷い状況だった。
「ようやくお目覚めか。雪の女王。お前の力は途中までしか見れてねえからな。少し遊んでやるよ。ま、あまり時間はないがな」
ゼロはつまらなそうに欠伸をしながら言う。
「ちっ、お前も運が操れるみてえだな。おかげでその赤い女を殺しそこなったが、俺も黒以外相手にムキになり過ぎたのは認める。お前らは強い。そこは認めてやるよ、ゴキブリ以上の存在価値はあるようだな」
「……先輩」
「だから……変な呼び方すんなよ。気持ちわりぃ。生前の恋人かなんか知らねえけど、俺は過去の自分が一番嫌いなんだよ。前世の自称恋人とかが目の前に現れても、気持ちわりぃだけだろ。それと同じ気持ちだ。過去の俺が命がけでお前を救ったと聞いて、お前をこの手で殺したくて仕方ねえ。お前は『プラス10』の女だ。どんな危機も運だけで乗り越えて、俺の死体を踏み台に生き残ってきたんだろ? 目障りなんだよ」
「……っ。でも……どうして……こんな酷い事するの? この場所の人たちは関係ないでしょ?」
「……お前はどうやら何も分かってねえみてえだな」
ゼロは呆れたように言う。
「……あなたは何が、したいの?」
「もう旧人類の時代は終わったんだよ。これからはより強いジェネシスを持つ新人類が新しい時代を作っていく。恐竜が死滅したみてえに、旧人類もこれから死滅する。いいじゃねえか、別に。知性も道徳も兼ね備えた究極の生命体なのにも関わらず、非支配社会も世界平和も実現できなかったカスどもだ。ここまで文明を育ててなお、未だに戦争なんかしてんだぜ、あり得ねえよなぁ猿かよ。いや、まだ猿の方がマシだ。もう見限られてんだよ、人間って生き物は。ほんの少し自然をいじるだけで、人間なんて全部死ぬのによ。80億の上位層でイキってるヤツらは、いったい何様のつもりなんだろうな? そうは思わないか?」
「見限られている……。“誰”に?」
「さぁ、誰にだろうな。神にじゃないか? 俺は誰にも膝を屈するつもりはないが、ジェネシスを与えた存在にだけは忠誠を誓い、信仰を捧げてもいいと思っている」
「ジェネシスは……」
「――――なぜジェネシスは殺人者に力を貸すのか?」
「――――っ」
「白。てめえだけだ。人間を肯定してそこまでの力を持つジェノサイダーはな。お前はジェネシスの“矛盾”だ。矛盾は正して、綺麗にしないといけないと思わないか?」
「……」
「ふっ、ダンマリかよ。せめてなんか反論してこいよ。張り合いがねえよなお前は! その赤い女の方がシビアでよっぽど良かったぜ。まーそうだな。お前は“良い奴”なんだろうな。良い奴は決断できない。いつまでもいつまでもくだらねえ善性に囚われて、残酷になりきれない。その甘さで別の犠牲を出しても、そこすら見なかったことにする。それが“良い奴”の正体だよなぁ。生前の俺を今の俺に重ね、お前は何の決断もできない腑抜けになっちまってるように見える。まぁちょうどいい。決断させてやるよ。そろそろ“時間”だからな」
時間? ……第一の死亡フラグか。
「黒い雨……っ」
ゼロは、どこで手に入れたのかもわからないスマートフォンを地面に投げ捨てる。その画面には見たことの無い少年が殺人を実況しているところが映っていた。
「制限時間は5分。5分以内に俺は頭上に“黒い雨”を降らす。これを浴びればお前らですら全員死ぬだろう。だが5分以内にお前が俺を殺せば、能力は解除される。5分以内に決断しろ。ウン十万人の人間を見殺しにて心中するか、俺を殺すか。“正しい”決断ってやつを、見せてくれよ。しょーじき、辛気臭いツラで迷いまくってるお前をぶち殺しても、全然愉しくねえしな」
「……っ」
「ほら、来いよ。俺を殺す“理由”を与えてやったぞ? 正義には必要だろ、裁く理由が。建前が。そして悪の存在がよぉ。自分が“正し”く、相手を“悪”と糾弾して追い詰めるのは正義にとっては“快感”なんだろ? キモチイイんだよな? 悪を裁く正義の快感、そのエクスタシーが正義の原動力なんだろ? もし正義のパフォーマンスが上手くいけば、あとは大衆と金目当てのマスメディアと企業がヒーローとして祭り上げ称賛してくれる。大量殺人者や戦争の英雄ですら、建前が成立すれば正義のヒーローと名前を変えて愚民が称賛してくれる。どれほど数多くの罪の無い人間を虐殺し尽くした、ただの卑しい人殺しだとしても……な。所詮はその立ち位置も、生まれた場所が良かったってだけの、ただの運でしかねえんだがな……」
「私は――――っ! 正義なんかじゃないよ……」
好きで、この色になった訳じゃない。
そしてその言葉は、結に別れ際に指摘された“正義の脆弱性”とフラッシュバックする。
あの時、結にこの指摘をされていなければ、崩れていたかもしれない。この胸の痛みを予め知っていたから、私はまだ自分を見失わずに済んでいる。
「そうか。だがもう1分過ぎちまった。いいぜ俺は、お喋りを続けても。お前に選ばせてやるよ」
「…………」
私は無言で、《白雪之剣》を構える。
正直、未だに迷いはある。
……でも。ここで戦わなければ終わりだ。
今まで必死に積み重ねてきた全てが、無駄になる。
私だけならいい。でも、そうじゃない。
アンリも、シスターも、アルファも、メアリーも、過去の私も、そして……結も。
薄氷の上でいつ砕けてもおかしくない運命の中、命がけで必死に手繰り寄せてきた今までの全てを……ここで終わらせてはいけない。
「はぁ、ようやくやる気になったか。なげぇよ、決めるまでが。よくこんな雑魚と付き合ってたな生前の俺は」
馬鹿にしたように言われ、少しだけカチンと来る。
「……それ以上。喋らないで」
「あ?」
「先輩を汚さないで、ゼロ。あなたは生前の先輩の足元にも及ばない、ガラクタ以下の存在だよ。心が無い。心を通して、何も分かることができない。それは致命的な欠陥。……あなたが生まれてきたのは、何かの間違いだよ。間違いは、正さないといけないんだよね」
もう先輩とは思わない。思えない。先輩だと思えば思う程、失望が大きくなるから。
先輩の肉体を別の意識が乗っ取って、骸骨が蘇生したとしか思えない。
中身が別人過ぎる。そうでも思わないと、ゼロと向き合っていることすら苦痛だった。
「……なんつった今。テメェ」
ゼロの目から、尋常じゃない殺気が迸る。
「先輩を語らないで、覚えてすらいないくせに。人間のことなんてなんにも分からないくせに、偉そうにしないでよ。私は、あなたみたいな人を好きになった訳じゃない」
ゼロの巻き散らす怒りと殺気には、僅かな恐怖を覚える。
それでも、どうしても言わずには気が済まなかった。
正義とか悪とか、正直どうでもいい。
戦う理由に、人殺しの理由に、言い訳する為の概念でしかない。少なくとも、私にとっては。
「何も背負ってない”ゼロ”のあなたには、私は倒せない」
空虚な思想。無味乾燥な真理。血の通わない正当性。
その全てはどれだけ正しくても、心が無いから無価値だ。
人間はロボットじゃない。間違ってるから皆殺しなんて、それこそ間違いだと思う。
人間はロジックや正当性だけの生き物じゃない。
心あってこその、人間だ。心すら否定するようになれば、それこそ人間の終わりだ。
人間の価値が消える時が訪れるとするならば、それは心が失われた時だと私は思う。
心を否定するような人間こそ、否定しなけばいけない。
それが、私とサイコパスの決定的な違い……か。
ゼロの人間否定の考え方は、到底受け入れられそうにない。
「――――倒す。私の全てを賭して」
《全身全霊》――ゼンシンゼンレイ――
能力を発動し、私は覚悟を決める。
間違っている人間という存在をジェネシスという力で殺して世界を正そうとするゼロを否定する為に、ジェネシスという力を使って否定しなければならないという矛盾に、胸がズキンと痛む。
そう、これが正義と善の”限界”。白の限界値だ……。
この弱さを克服しない限り、私はGランクにはなれないのだろうと直感する。
そして、「殺す」ではなく「倒す」と言ってしまったこと。
まだ心のどこかに残っている、私の弱さすらも……。
暑いですね。