第13話 ゼロの帰還⑤【透視点】
「あのガキ、殺していい?」
ドアを開けると、壁に寄りかかるようにしていばら姫が控えていた。気配を感じなかったから、彼女自身強く意識して気配を消していたのだろう。僕がドアを開けなければ気付かなかったぐらいだ。会話も聞かれてはいなさそうだ。
「君の質問に答える前に。治療は、問題ないのかい?」
「ヒキガエルをフル稼働して全員治療は終わったわ」
「……君の回復能力は使わないのかい?」
「アンタと同じよ。私も能力はあまり使いたくない主義なの」
「ヒキガエルが哀れだね」
「で。どうなの?」
いばら姫はイラつきながらも探るように目を細めながら、僕を見定めようとしてくる。普段冷静な彼女だが、一度逆鱗に触れたらなかなか元に戻るには時間がかかる。根本的な問題を解決しないことには、ずっと続くだろうねこのやり取りは。だがいばら姫は僕と違って見切りが早い。僕の返答次第では、一瞬で見限られるかもしれないね。コミュニケーションを計ろうとしてくるのはまだ取り返しがつく兆候だ。だが、だからこそ慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「……君の怒りは理解している。だが、僕以外のSSSは今まで見たことが無い。君としても、観察対象としての価値はあると思うが」
「リスクが大き過ぎる。リターンに見合わないわ」
「……ヒキガエルみたいなことを言うんだね」
「アンタは、あのガキを生かす価値があると言うの? 具体的に説明して」
「君は僕の望みを理解している筈だ」
「…………アンタの望み、ね」
フン、といばら姫は鼻を鳴らす。
「まぁ、そうだね。君相手だ。回りくどいのはやめにしよう。僕は、“僕を上回る悪”と出会いたい。その一心で、この《赤い羊》を作った。だが今まで生きてきて僕を超えるような悪はいなかったから、であれば作るしかないだろう? この発想にたどり着いた僕は、この手で究極の悪を“創造”し、“育成”し、“超越”させる。僕を超越する悪を……この手で生み出し、見届ける。いうなれば、“SSS以上”の悪。その深淵に触れたい。それが、それこそが、僕の二つ目の望みなんだよ。真の自由なんてものは建前でしかない。分かるだろう?」
「言葉の意味は分かるわ。思考の理解はできないけど。ド変人だものね、アンタは」
目をすがめ、僕から視線を反らすいばら姫は吐き捨てるように言う。
「で、その究極の悪とやらがあのガキな訳?」
「断定はできない。むしろ、僕が干渉する余地すら残っていないのかもしれないし、それ以前に何も無いまっさらな状態なのかもしれない。彼は未知数なのさ。僕の愛する悪なのか、あるいは……それ以外の何かか。まるで量りきれない。だから、殺すことはあり得ない」
「……ま、正直納得は全然してないけど、アンタに借りがあるのも事実。暴れ馬のあのガキの面倒はアンタが見なさいよ。次私を怒らせたら、分かるわね?」
まるで勝手に生き物を拾ってきた子供を叱る母親のようだという感想は飲み込みつつ、頷いておく。
「肝に銘じておくよ」
「ビンタ二発なんて安いもんなんでしょ? 次は百叩きくらいしてあげるわ。いっそ切り刻むとか? アンタ死なないしね、どうせ」
「……勘弁してほしいな」
聞こえていたか。《赤い羊》メンバーで随一の頭脳を持ついばら姫だと、僕もなかなか圧されてしまうね。ま、だからこそ彼女を気に入っているんだけど。
「《閉鎖空間》のホスト権限はどうするの? アンタが死んだ時に私に移ったけど、正直ジェネシスの消耗が激しいし邪魔なのよね」
《閉鎖空間》。それは今のこの場所を構成する、僕の空間干渉能力の名前だ。この能力は名前の通り、閉鎖された空間をジェネシスで作る能力だ。《発狂密室》の上位互換で、ホストとゲストを自由に指定することができる。発動者である僕がホストとなり、僕が指定した人間がゲストとなり、自由に行き来することができる。普段は僕がホスト権限を所有しているが、万が一に備え、僕が死ぬと自動的にいばら姫に権限が委譲するように設定していた。
ホスト権限を持つ者はSSSでなくとも、この空間の支配者になることができる。ホストとなった者はジェネシスは消耗するので、権限を返したいということだろう。とはいっても、僕がまた死んだらいばら姫に権限を戻すようにはしているが。
「分かった、僕に戻すといい」
「礼は言わないわよ」
「いや、礼を言うのはこちらの方さ」
僕はいばら姫と握手する。
「権限移譲」
「受け入れよう」
特に決まった形式は無いが、ホストがゲストに触れ、お互いに移譲の意思表示をすれば権限は移る。
「さて。君の話はこれで終わりかな? まだあるなら聞くが」
「77パーセント」
「……何の確率だい?」
「アンタが本当に死ぬ確率。ゼロが蘇ってからアンタの死亡率が77パーセントのまま動かない。そして、ゼロがアンタを殺す確率は0パーセント。不思議よね、ゼロが蘇った瞬間アンタの死亡率は0.1パーセントから77パーセントに上がったのに、ゼロはアンタを殺さないときている。さて、ここで問題。アンタを殺す確率が現時点で最も高いのは誰でしょう?」
「…………白雪セリカ、か」
メンバーの心の中でしか見たことが無い白き少女。
僕はあの少女に“恐怖”して、自らの主義思想を曲げてでも殺そうとした。記憶には無いが、僕は確かに彼女の持つ”何か”を恐れていた。
「SSSを超越する悪を追いかけるよりも先に、Fランクに足元を掬われないようにね。これは、警告よ」
「……Fランクか」
「アンタが“SSSの先”を見ているように、あの白い化け物が“Fランクの先”を見ていないなんて、限らないんだから。白雪セリカとアンタは、全く正反対の思想を持ちながら、全く同じような考え方で行動しているのかもね。薄気味悪い」
「Fランクの、先……?」
な、なんだ……それは。
落雷に打たれたような衝撃を受ける。
「それも、確率か?」
「Gランクが存在する確率。さっき計算したら0パーセントから、1パーセントへと上昇していたわ」
「1……パーセント……だと?」
あり得ない。あり……得ない筈、だ。
「透」
いばら姫は僕の目を真っすぐに見つめ、唇を開く。
「――――白雪セリカを殺しなさい。たとえ何があっても。生き残り、深淵の先を確かめたいのなら、ね」
そう言って、いばら姫は立ち去った。
僕はらしくもなく、呆然といばら姫の背中を見据えていることしかできなかった。