第13話 ゼロの帰還④【ゼロ視点】
「さて、どこから話そうか」
俺と透は応接室のような場所で食卓を共にし、向かい合っていた。
ローストビーフとハンバーグカレードリア、シーザードレッシングのかかった生ハムサラダ、コーンスープというラインナップだ。割と手間のかかった食卓になっている。
「僕は気楽に雑談するということが苦手でね。質疑応答の形式にしようか。君が質問し、それに僕が答える。君は君の知りたいことを知り、僕は君の関心を知ることで君を知る。それが良いと思うな」
「飯は俺とアンタだけか?」
サラダを平らげつつ、問いかける。
「君は血の気が多いし、他のメンバーを刺激してもいけないからね。とはいっても、僕たちが食卓を共にすることはあまりない。各自適当にやっている。リリーは割と皆で集まって食卓を取るのが好きだったが、もう死んでしまったようだし、今後は減るだろうね」
上品な所作でコーンスープを飲む透。こいつの佇まいは高貴な貴族を彷彿とさせる。実際この目で貴族を見たことはないが。
「良くも悪くも僕たちは個人主義だよ。我が強い者ばかりだし、君もそうみたいだ」
興味深げに俺を観察してくる透を、真っすぐに見返す。
「俺は適当にやっているだけだ。まぁ、そうだな。では俺について聞くが、俺は何者なんだ? お前らとはどういう関係だ? 何故あの眼鏡は俺の肉体の主導権を握っている?」
「率直に言うと、君は僕らと敵対していた。お互いに殺し合い、君と僕は死んだ。そして生き返ったのさ。生き返らせたのが、さっき君が焼き殺そうとした青年。骸骨だ」
「このジェネシスとかいう妙な力を使ったって訳か。俺の記憶が無いのは、死んで蘇生された副作用みてえなもんか。生き返らせたのが骸骨って奴のせいで、奴の支配下に置かれてるのか。なるほどな」
このカレードリア美味いな……。
「理解が早くて助かるよ。君は頭の回転は速いようだね」
「俺は何故アンタらと敵対してたんだ? つーか、敵を生かしておく理由もよく分かんねえな。生き返らせてまで何がしたかったんだ?」
「善では悪に勝てない。だが、善は悪よりも強い」
「意味がわかんねえが、どういう意味だ?」
「君が言った言葉さ。生前の君がね。僕自身は覚えていないが、メンバーの思考を読んで僕は生前の君を僅かだが知っている。君のあの言葉は、一体どういう意味なんだい?」
「覚えてねえな」
「君を生き返らせた理由は、僕を殺せるような男を失うには惜しいし、何より花子の望みでもあったからね。だが今僕が一番強く心惹かれるのは、この言葉の意味を君から問いたいという思いだ」
「だから、覚えてねえよ」
「そうか、それは残念だが、安心したという思いの方が強いな」
「安心だと?」
「生前の君は善というものに焦がれていた。君自身の本質が悪だからこそ、善の価値を誰よりも深く理解していたんだろうね。善の本当の意味での価値は、悪にしか理解できないというのは皮肉な話だがね」
「善だの悪だのくだらねえな。そんなもんはその時代と場所で生きる多数派が好き勝手に決めることであって、未来の人間が後付けで善を悪に、悪を善にすることもあんだろ。そんなこと気にするようなみみっちい男だったんだな、俺は。つまんねえヤツ」
「君は、生前の自分を知りたいとは思うかい?」
「と、思ってたが、今ので萎えたわ。善悪を気にするような小物に成り下がる気はねえ。俺は俺のやりたいようにやる。過去には興味ねえな。んなことよりも……」
「なんだい?」
「さっき、どうして避けなかった?」
「避ける?」
「ビンタだよ。気の強い女に二発貰っただろ?」
「君のせいでね」
「テメェなら避けられた筈だ。目であの動き、追えてただろうが」
「女性が本気で怒っている時は、その激情の全ては受け止めて発散させるべきだと考えている。下手にかわそうとする方が、後々に響くからね。形だけの謝罪や、言い訳、論破、逃亡、反撃などもってのほかだ。全ての怒りを受け入れ、怒りの切れ目に謝罪を入れる。おかげで、彼女はすぐに落ち着いていただろう? 彼女の信頼回復に繋がるのならビンタの一発や二発、安いものさ。どうでもいい女性はそれなりに扱うが、価値がある女性には完璧に対応しないと、ね」
涼しい顔をして、透は微笑する。
「……意味がわからねぇな。別に、気に入らなければ殺せばいいだろう。お前は人間を殺せないのか? とてもそうは見えねんだが」
「僕は殺人そのものを否定する気はない。殺人行為は人間の営みの一つに過ぎないからね。全ての殺人行為を否定する者は、即座に自殺すべきだと僕は考えている。何故なら、僕らの先祖は必ず誰かを殺しているからだ。血の一滴も流さずに、人類の始祖から現代まで子孫を残し続けられたなどと楽観的な考えを僕は持たない。食べ、交わり、生きる。その過程の中でどれほど人間は人間を殺してきたのか、法ができるよりも前の時代、殺人行為は日常でしかなかった筈だよ。ならば、全ての殺人行為の否定は祖先をも否定する愚行だ。僕らの命が存在するのは、祖先無くしてはあり得ない。祖先の否定は、自らの存在を否定する行為だ。ならば殺人を否定する者は即座に自殺せねばなるまい。その責務がある」
「……独特な考え方をするんだな、アンタは」
「僕の愛する者には生きて欲しいし、そうでない者は生きていても死んでいてもいい。一般的な考え方だと思うよ」
「……一般的か」
「ま、君の目で、僕の価値を見定めると良いさ。漆黒まで到達した者は、僕は君しか知らないものでね。勝手に親近感を感じているよ」
漆黒。ジェネシスの色のことか。記憶は無いが、不思議とすんなりと状況を理解できる。
「……で。アンタが俺に期待していることは何だ?」
「へぇ、この短い時間で少し変わったね。他者にどう思われているか、気になるのか」
奈落のような瞳で、俺を観察する透。
「別に恩に感じたり報いるつもりもねえが、一応知っておこうと思ってな」
「それを答えるには、まだ早すぎるかな。もう少し時間が経ってからにしよう。僕と君の信頼関係は無いに等しいしね」
「まどろっこしいな」
「ところで君は……ジェネシスには会ったのかい?」
「ジェネシス?」
「……そうか、その様子では会えていないようだね」
「誰だ、それ」
「僕もうっすらとしか覚えていないよ。どういう対話をしたのかさえもね」
「なんだそりゃ」
「忘れてくれ。つまらない話をした」
「なら最初から言うな」
「フフ、そうだね」
不気味に透は微笑む。
「俺は……自分自身とひたすら殺し合っていた。同じ顔をした俺自身とな」
「……それは興味深いね。いや、待て」
「どうした?」
「…………蘇生体については謎が多い。もし仮に生前の君が、蘇生する前に“何か”したとしたら…………マゼンタ、スノーホワイト、新たな色の誕生…………辻褄が合う…………」
「いきなり一人の世界に閉じこもんなよ」
「おっと、失礼。少し気になる事ができてね」
「俺がいないときにしておけ」
「そうだね。そうしよう。さて……何の話をしていたっけ」
「自分自身と殺し合ってたって話だ」
「勝敗の行方は聞かずとも明らかかな?」
「いや……。白黒つけられなかった。あいつには……勝てなかった」
思い出しただけでも、はらわたが煮えくり返りそうになる。
「引き分けといったところか。時間切れで蘇生の君が引き上げられたという話かな」
「ちっ……。まぁ、そうだ」
「では、改めて聞こう。“今の君”がやりたいことは何だい?」
そう問われ、見覚えのない景色がフラッシュバックする。
大量の生首が転がるプールと、電気椅子の上で絶叫しながら痙攣する男、悪鬼のような女と殺し合った興奮、生ぬるい血の味と死体の山。何より鮮烈なのは、俺自身との殺し合ったあの赤い満月の夜だ。
懐かしい……ただただ懐かしい。見覚えのない景色と記憶に、何とも言えない郷愁を覚える。間違いなく俺自身のアイデンティティとも言えるルーツは、血と殺戮の中にある。だがそれを欲望として上手く言語化するまでは、頭が整理できていない。
「俺のやりたい事。それは、この世界を知ることだな。まずはそっからだ」
「世界を……知る?」
「なんもわかんねえから、まずは知ることから始めねえとな。その上で今後のことを決める。誰の指図も受けるつもりもない」
「なるほど……。それもそうか」
「てことで、ちょっと散歩してくるわ。ここはどうやって出るんだ?」
「ここは僕の空間干渉能力で作った場所だよ。入るのも出るのも僕がゲートを創らないことには何もできない」
「じゃさっさと作れ」
「その前に、だ。君の外出には付き添いを付けさせてもらうよ」
「監視役か? 邪魔なら殺すぞ」
「一つ言わせてもらうが、君の生殺与奪はこちらが握っている。骸骨が蘇生能力を解除すれば君は一瞬で死体へと様変わりだ。ある程度の勝手は認めるが、メンバーへの危害は今後一切許さない。これは命令ではなく警告だよ。君自身の為のね」
「…………ちっ」
「さて、では人選はこっちで決めさせてもらうよ。二人、君に付ける。三人で仲良くお散歩してくるといい」
「誰を付けるつもりだ?」
「それは見てのお楽しみだね。ま、ここで食べながら待ってなよ。呼んでくるから」
透は食べ終わった食器を手に持つと、ドアの向こうへと消えていった。
「不気味だが、掴みどころのない奴だな……」
食事中も一切隙が無かった。俺がいつ暴れても即座に対応できるよう、静かに備えていたのが分かる。
透が消えたドアは閉まり、静まり返っている。
善は悪よりも強い、ね。
透が言った過去の俺の言葉とやらが胸に引っかかる。
……癪に障る言葉だ。もし生前の俺がそんな薄気味悪い考え方をしていたというのであれば、俺はそれを否定する為に生きようと思う。
――――俺は俺を否定する。
それが成し遂げられた時、初めて俺は自分の存在を獲得できたと、そう思えるような気がしてならないからだ。
ま、子供じみたくだらない感傷だがな。
俺は取り留めのない思考をしながら、自嘲した。