第1話 殺人カリキュラム⑳
「花子、僕の余興に水を差した割に、長話が過ぎるようだが?」
透が苦笑しながら、花子へ声をかける。花子はばつが悪そうに顔をしかめると、頬を赤らめて首を横に振った。
「もう終わりよ。これ以上話すことなんて、ないわ」
俺から目を反らし、花子は恥ずかしそうに他の《赤い羊》メンバーの後ろに隠れてしまう。
「ふふ、可愛らしいですね、本当に花子は。あれほどの闇を抱え込みながら、恋心だけが少女の無垢さをそのまま残している」
「透、アンタの語る真世界とやらに微塵も興味はないが、俺の旧友を巻き込むな」
「名前も思い出せない人間が、旧友と?」
透は煽るように首をかしげ、俺を見据える。
「黙れ、お前のやっていることは間違いなく、悪だ。自分の利益のために、他人を犠牲にすることを躊躇しないお前の価値観は、許されないものだ」
「自分の利益のために他人を犠牲にする。そんなの、現代社会では悪とは言いませんよ。むしろ、正義です。企業は利益を上げられなければ、その企業に勤めている従業員は家族もろとも全員路頭に迷います。利益をあげるためには、他人を犠牲にしなければならない。同業他社だろうが、顧客だろうが、労働者だろうが、搾り取れるだけ金を搾り取る。事実不告知、不実告知、詐欺、脅迫、強要の法的要件さえ満たさなければ、ありとあらゆる印象操作で洗脳、催眠をかけ、ダブルバインドやハロー効果で事実とは異なるイメージに商材の印象を歪め、傀儡にする。それが、今の日本の企業の姿なのです。そして、企業とはそのまま社会を象徴します。利益を上げないこと、それこそが絶対的に許されない悪であり、大罪なのです。生きるためなら、生き残るためなら、どんなことでも許される。事実、従業員を過労死にまで追い込んだ殺人企業は利益をあげているので、淘汰されていません。あなたはまだ子供だから分からないのだろうとは思いますが、善悪など大人の理屈でいくらでも歪めることができるのですよ。その前提で、問いましょう。善悪とは、何ですか?」
出来の悪い子供に言い聞かせるような抑揚で、透は手を伸ばし俺にクエスチョンを投げてくる。
クソ、なんなんだこいつは……。理屈が一切通用しない。何を言っても、正論のようなことを言われ説き伏せられてしまう。絶対にこいつの方が間違っている筈なのに、なぜか正しいと思ってしまう。この男の持つ言葉の魔力は一体なんだ!?
「現代では別の大陸で戦争を、そしてつい百年、百五十年前までは、我々人間は長い戦争もしたし、日本人同士で殺し合いをしたし、たくさん殺人行為を行ってきました。殺せば殺すほど評価され、英雄として扱われた時代すらあります。長い長い人間の歴史の中、人は人を殺したし、犯したし、奴隷にしたし、医学の発展のために人体実験もしたし、飢餓により共食いもしたし、近親相姦もした。なのに、今さら倫理観だの善悪だの語られても、ナンセンスとしか言いようがありません。平和ボケしたくだらない人間のざれ言ですよ。我々の先祖は、確実に何らかの罪を犯している。そこから目を剃らし、善だの正義だの慈愛だの人権だの、僕にはさっぱり理解できません。脳と心が腐敗しているとしか、思えませんね……」
「だが、お前のやっていることの正当化にはならない」
「僕は僕のことを正しいとは思っていません。だって、この世界で”正しい”と言えるものは存在しないから。全てはすべからく間違っていて、僕もまた、その間違いのひとつでしかない。僕は僕自身のことを正しいと定義したことは一度も無い。自らの主義思想を是とし、それを他者に強いる者は救いようのない愚者か、精神的弱者だけだ。自分を正しいと思わないと生きていけない人間。そんな人間は、僕は心から軽蔑しましょう。一つ、面白い話をしましょう。あらゆる人間には信じたいモノを信じてしまうという確証バイアスという心理的なフィルターがかかっている。また、自らの言動、行動が間違っていても、その間違いを認めずに無意識的に別の正当性を見いだしてしまう認知的不協和という歪んだ正当性を見いだしてしまう欠点ばかりの動物だ。よって、それらの精神的フィルターを超越した絶対的正しさ、すなわちイデアには届かない。僕らがヒトである以上、愚者である事実からは逃れられないのです。だが問題は、自らを愚者としてきちんと自覚しているか、いないか。神に劣る人間が、人間同士でもし優劣を競うのであれば、自らの愚かさを知っているか、いないか、その違いしか無いと、僕は思っています」
ニッコリと、透は微笑する。凜としたその表情は、まるで貴公子を思わせる。
悪魔のような所行を行っておいて、語る言葉はどれも賢人としか思えない程に、理性的だ。
だが、こいつは、この男は、殺人鬼なのだ。ただの殺人鬼ではない。殺人鬼を従え、増殖させ、殺人鬼のための世界を創ると宣言するような、究極の狂人。
「自らの主義思想を是とし、それを他者に強いる者は救いようのない愚者か、精神的弱者だけだとアンタは言ったな。だが、殺人鬼のための世界を創造するというお前の主義思想に、俺たちを巻き込めば、お前はただのクズだろう」
「ですから、その為のジェネシスじゃないですか? 僕が一方的にあなた方を殺人鬼にするのではない。あなた方が、自ら積極的に殺人鬼になっていくのです。それを拒みたいのであれば、速やかに自殺するか、僕を殺してください。僕はあなたがたに殺すチャンスを与えている。ジェネシスというチカラを与えずに、あなた方に殺し合いを強要するのであれば、僕はただのクズです。だが、僕は与えている。あなた方にジェネシスというチカラを与えている……」
透は掌を俺へ向け、優しく微笑する。




