第13話 ゼロの帰還①【ヒキガエル視点】
「なんだ、この感じは……」
ここから近い場所で、凄まじい気配と悪寒を感じ、思わず震えあがる。
これは……間違いなくジェネシス。それも、今までに感じたことが無い程の重圧感。
僕は慌ててテレビゲームのコントローラーを投げ捨て、異能力を発動。
《気配察知》――ケハイサッチ――
あらゆる害意とジェネシスに反応する、索敵特化の異能力。奪ったものではなく、僕自身の力だ。
「…………っ」
感知終了。
この世の終わりのような絶望感に、崩れ落ちたくなる。
「この感じは新しい漆黒。SSS……」
透と似ている。が、決定的に違うのは……慈悲をまるで感じない。
悪を救う透には、悪への愛と慈悲がある。
だが……こいつのジェネシスには……っ。弱者への嘲笑と強者へのサディズム。あらゆる命に対する侮蔑と愉悦しか……無い。
白雪セリカの漆黒も巨大だったが、それとも少し違う。
何故気付かなかったのだろう。いや、死ぬ前はここまで酷くは無かった。本当に同一人物を蘇生したのか? ここまで変わるのか……人間というものは。
――――逃げるか?
《赤い羊》を切り捨てるなら今だ。
切り時を間違えれば、死ぬのは僕。
いや、待て。
錯乱する思考を無理やり抑え、僕は呼吸を整える。
《気配察知》の感じだと、まだ完全に覚醒した訳ではない。まだ覚醒したのはジェネシスだけで、意識はまだ眠っている。だがもう時間の問題だ。
もうすぐ起きる。そうなれば、手遅れになる。
「……殺すしかない」
この化け物を起こすわけにはいかない。
完全に意識が覚醒する前に、殺さないとまずい。
骸骨も、花子も、透も、いばら姫も、分かってない。
いや、死を恐れていない……からか。そこだけは、僕とは相いれない。
生物にとって最も重要で価値がある感情は“恐怖”だ。恐怖が分からない虫は平気で炎の中に飛び込むし、野良猫は道路に飛び込んで轢かれるし、馬鹿な鳥はガラスに突っ込んで頭蓋を粉砕させて死ぬ。
人間にも言える。恐怖が分からない人間ほど、早死にする。
死を恐れることこそが、生物にとって一番大事な感情だ。
死を恐れなくなったら、人間は終わりなんだ……。
「……花子が邪魔だな。だが」
あいつは寝ずの番で百鬼零を見守っている。僕が殺そうとすれば、あいつは必ず邪魔してくるだろう……。本気で戦って、無事で済む相手ではない。
花子と僕の力はほぼ互角。そしてあいつは、《赤い羊》の中で最も殺人の才能に特化した化け物だ。だがここで百鬼零を殺しておかないと……。
思考が堂々巡りになりそうになるが、まずは行動するのが先だ。
最悪、逃げればいい。
僕は恐る恐る気配を殺しながら、百鬼零が眠っている部屋に近づいた。
♦♦♦
壁の外で気配を殺し、僕は異能力を発動する。
《眼球成虫》――ガンキュウセイチュウ――
僕の左目がゴポリと音を立てて、抜ける。
僕の左の目玉を持つ羽を持った虫の形をした疑似生物をジェネシスで具現化する。これは二つまでしか生み出せないので、同時に何体も出せないのがネックだが、自分の視界と連結できる。ただし、右目まで使ってしまうと、僕本体の視界が遮断されてしまうので、結局は左目のみしか実戦では使ったことがない。目玉を消費した段階で、《人肉生成》で左目を治そうとしたこともあるが、目玉は再生した物の視力は失われたままだった。なので結局は一体の運用しか実用的じゃない。
実際に僕は赤染アンリとヒコ助の死闘をこの《眼球成虫》で監視していた。この虫には聴覚も宿っており、偵察用として重宝している。
また、《眼球成虫》は透明で、僕にしか見えない。建物などを物理的にすり抜けることはできない。なのでそっとドアを開け、虫を入れてすぐに閉じる。
「気配がしたので来てみたら、いやはや、これは驚いたね……まさかこれほどとは……。これほどの漆黒がこの世に存在したとはね。お陰で目が覚めてしまったよ」
「…………」
部屋の中には既に花子と透がいた。
ベッドで眠る百鬼零からは螺旋状に漆黒のジェネシスが溢れ出してた。
花子は固唾を飲みながら言葉すら失ってその光景に見入っている。
透は相変わらず呑気な声で緊張感が無い。
「……誰」
「――――っ」
花子の威圧的な低い声と同時に、ドアが吹き飛ぶ。どうやら花子が凶器化した剣をぶん投げたらしい。
部屋の中から花子が現れる。
「……ヒキガエルか、紛らわしい。気配を殺してどういうつもり?」
「いや、よ、様子が気になって……」
慌てて誤魔化しつつ、敵意が出ないよう細心の注意を払う。
「次私の間合いで気配を殺したら、お前を殺すわ」
腹部に衝撃が走り、胃液を吐きながら壁に背を打つ。全く手加減されていない一撃で、肋骨が何本か折れて肺に食い込んだ。
「……くっ」
蹴られたらしい。顔を上げると、僕の喉元には花子の剣が突き付けられていた。
「臆病なお前のことだから、どうせ零に怯えて殺しにでも来たんでしょ。馬鹿でグズでゴミのような底辺のお前の考えそうなこと」
嘲り笑い、花子は僕を見下す。
「…………」
好き勝手言われ、少しだけ頭にくる。
僕の敵意ある視線と、花子の殺意の視線が交叉する。
「……へぇ。いいわ、気が変わった。今殺してあ・げ・る」
花子の目は本気だった。殺しを楽しむ微笑みの形に顔が歪む。
いつもの脅しではないと、肌で感じるほどの燃えるような殺気と怒気。僕も本気でジェネシスを解放――――
「まあまあ、花子。その辺にしてあげなよ」
背後から、透。透の声で、かろうじて理性が戻る。
「メンバー同士の殺し合いはご法度。僕は君たち全員を“愛”しているんだ。どうか僕を怒らせないでほしい。花子。ヒキガエルもね」
「……ちっ、運が良かったわねヒキガエル。これに懲りたら二度と私の間合いに気配を殺して入らないことね。次は無いから」
「毎回いつもすぐに蹴りやがって……」
僕は悪態を吐きながら、《人肉生成》で腹部を再生させる。花子はそんな僕の耳にそっと唇を近づけて囁く。
「透がいない場所では気を付けることね。今度は八つ裂きにしてやるわ……」
花子は一瞬で僕から離れると、部屋へと戻っていく。
「やれやれ、いつも乱暴だね花子は。だが、ヒキガエル。今の感情は覚えておくといい」
透は意味深な微笑みを浮かべ、しゃがみ込んで僕の肩に手を置きながら、語り掛ける。
「……かん、じょう?」
「君は今恐怖を忘れ花子へ殺意を向けた。それは成長だよ。保守主義は良くも悪くも行動を読まれやすい。突然狂ったように感情のままに動き出す保守主義は全く行動が読めなくなる。冷静なのか狂ってるのかフェイクなのか判別が難しいからね。この先もずっと生き残り続けたいのなら、君は自らの恐怖を利用しようとする者をも退けなければならない」
「恐怖を、利用……?」
「強くなりたいなら、ジェネシスだけではなく精神面も鍛えておくことだ。強くなれるといいね、ヒキガエル」
透はくすりと笑いながら、花子の後を追って行ってしまった。
「…………」
僕は歯ぎしりしながら、痛む腹部を再生させて透の後を追った。
部屋の中に入ると、既に――――
――――百鬼零は、目覚めていた。
「……なんだお前ら? いきなり現れやがって、思わず斬っちまったじゃねえか。俺の部屋を汚すんじゃねえよ。急いで掃除しとけよな」
眠そうに片目をこすりながら、半裸の百鬼零は全身にドス黒いジェネシスを身に纏い、訝しむようにこちらを眺めていた。殺気や敵意がまるでないのが逆に不気味だ。そして右手には漆黒の剣があり、ボタボタと刃先から血をこぼしている。血?
僕は血の正体を探るべく、慌てて部屋全体を見渡す。
右腕を切り落とされ、うずくまる花子は声を殺して苦痛に呻いていた。
透がついていながら、何もできなかったのか?
花子にも一切隙なんてなかったはず……。こんな一瞬で致命傷を負わされて……まるで雑魚扱いじゃないか……。
寝起きの一瞬で、こいつは……一体何を……。
この時、僕は心底後悔していた。
花子を殺してでもこの男を殺しておくべきだったのだと。
あるいは既に全ては手遅れで、抗えない運命だったのかもしれないが……。
「まぁ、取り合えず説明しろ。俺が何者で、お前らが何者なのかを。それまでは生かしといてやるよ。取り合えずは、だけどな」
ふぁあ、とあくびを零しながら、百鬼零は退屈そうにそう言った。