幕間③ Dead And Alive
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、クソ、が……っ」
息が荒く、心臓の鼓動は馬鹿みたいに早い。
起き抜けに動きまくれば自然にそうなるのは当然か。
「しぶてぇなお前も……。いや、俺か……」
深く黒い夜の森が支配する静寂だけの世界で、俺は一人の男と対峙していた。
空に浮かぶのは赤い満月。だが赤黒い雲の群れが月光を遮断し、この世界の唯一の光を閉ざしている。
生物の気配は目の前の男と俺以外には無く、ここは恐らく地獄のような場所なのかもしれない。が、確証はない。
実際のところ、ここがどこかも自分が何者なのかも、それすら分からない。
目が覚めた瞬間、何故か俺は目の前の男にどでかい剣を叩きつけられそうになり、殺されかけた。何故殺されそうになっているのかも分からない。
とにかく俺は全力で抗い、無意識の内に「キルキルキルル」と唱え、剣を召喚し戦い続けた。誰に教わった訳でもなく、俺の闘争本能は殺し合いのやり方を知っていた。何故そうなのかは分からない。だが俺の本質は、殺し蹂躙し破壊する為に在るのだと、この短い時間で悟っていた。だが、何故か勝てない。あと一歩、どうしても目の前の男に及ばない。それが許せず、歯がゆい。
致命傷を与えうる決定打がないのだ。だがそれはヤツも同じこと。
とにかく、ふざけた状況であることに変わりない。
「テメェ……さっきからどういうつもりだ?」
「何って、見りゃわかんだろ。テメェを殺すんだよ。跡形もなくな」
「意味がわかんねぇ……。俺は俺が何者なのかすら分かってねえんだぞ? 何故殺されなきゃならねえ」
「同情はしねえよ。お前を殺すのは、俺の義務だ」
「なら、何故俺が眠っている間にやらなかった?」
「できなかったんだよ。蘇生中の精神体を殺す為《処刑斬首》でどんだけ斬ろうとしても防御結界みたいなジェネシスの網が邪魔でお前を殺せなかった。恐らくは骸骨の《冒涜生誕》の副産物の効果ってところか。相変わらずふざけた異能力を使いやがる……」
「は? 分かるように言え。ジェネシスって何だ? 何故お前は俺を――――」
俺の言葉が、止まる。
時が流れたからか、赤い月光が雲の隙間から差し込み、目の前の男の姿を照らす。
そしてまた、地面の水たまりも俺の顔を映す。
俺と目の前の男は、全く“同じ顔”をしていた。
そして、胸部に穴が開いており、そこからとめどなく血が流れている。こいつ、こんなに致命傷を負いながら俺とやりあっていたってのか……?
この状態のやつ相手に、俺は防戦一方だったというのか……?
「……どうやら時間切れだ。意識がぼやけやがる。お前の方に完全に肉体と意識の主導権が移るのも、数分ってところか」
男は諦念じみた笑みを浮かべ、そう宣告する。
「は? 勝手に始めといて勝手に終わらせんじゃねえよ。お前は俺が殺す。絶対にな」
「うるせえ、黙れ。お前の相手は終わりだ。お前を消せなかった以上、俺にはまだやらなきゃいけねえことが残ってる。お前が死んでくれればこのまま終われたのにな……我ながらクソウザい生命力だ」
「知らねえ。お前は俺が――――」
《監禁傀儡》――カンキンカイライ――
男が掌を俺に向けてかざす。
その瞬間、何故か、俺の体中に漆黒の鎖が巻き付く。
「ん、だよ、これ!?」
全力で抗うも、鎖はびくともしない。
「そのまま圧殺できればいいんだが……動かせねえ。ちっ、この程度の消耗でマジで……クソ、キツいな……。精神世界でテメェを殺す方法は《処刑斬首》しかねえのに……もう発動できる気もしねえ……」
男は吐血して、剣を杖代わりにして地面に刺す。
死にかけの分際で……何故こうも強く抗い不屈なのか。理解に苦しむ。
「……ジェネシスが俺にくれた時間は僅かしかない。お前とはこれでお別れだ。殺せなくて本当に名残惜しいが、死に場所ぐらいは自分で選ばせてくれよ」
「だから、な、んの……話だ」
男の言っていることは最後まで分からない。
何より、鎖がクソウゼェし邪魔だ。
だが、そんなことよりも……。
男の身体が、透明に透けていく。まるでこの世界から消滅していくかのように。
それと同じくして、鎖も消滅した。
瞬間、俺の中の何かが爆ぜた。その感情は怒りでも苦しみでもなく、焦りだった。
「おい! お前! 一つだけ、質問に答えろ! 俺は、何故お前に勝てない! お前なら分かってるんだろ! 殺し合ってやった礼儀として、これぐらい答えやがれ!」
生まれた瞬間から理不尽に力を叩きつけられ、かろうじて殺されることだけは免れたが、こいつを自分の手で殺すことだけは遂に叶わなかった。
何よりこいつは、死にかけなのだ。条件が対等ではない。とてもではないが、戦闘などできるような状態ではない。
生まれた瞬間から、俺は、自分の存在理由と挫折の両方を味あわされていたのだと、男に問い、その時初めて気付かされたような、そんな気がした。
「――――“運”だろうな」
「……あ?」
男のあまりにもふざけた答えに、俺は理解が一瞬追い付かなかった。
「生まれた時代、過ごした時間、場所、出会う人間、味方、敵、環境。個人の持つ力も選択も影響も、世界規模で見れば塵みてえなもんだ。そう考えると個人の力は、あってないようなもの。ましてや俺とお前の本質は“同じ”。なら勝敗の要因は運としか言えねえ……。少しでも何か条件が違えば、俺はお前を完全に殺せたかもしれねえし、逆にお前は俺を殺せたかもしれねえ。ただそれだけのことだ」
「…………」
その言葉は、憎み殺し合っていた相手とは思えないほど、何故か俺の中で腑に落ちた。
「“運”……か」
俺は馬鹿みたいに、目の前の男が呟いたその一言を反芻した。
「ああ、“運”だな……」
男は諦念じみた笑みを浮かべ、今度こそ消えた。
あいつにとっては大した意味はないのだろう。俺の質問に答えたのは、ほんの戯れに過ぎない。それもまた、どこまでも忌々しい。
けれど、俺の魂にとってはたった一つの到達地点、“あらゆる結果は運で決まる”という、ふざけた真理だけは本物だった。
俺の顔をした男は、完全に消滅した。この世界から消えて別の場所に向かったのか、あるいは今ので完全に消滅したのかは分からない。だが、一つだけ言えるのは――――
「クソ野郎が……」
俺の悪態を聞く者は、この世界ではもう俺以外にはいなかった。
「……あ?」
赤い光が徐々に強くなり、俺の目の前まで差し込む。
よく注視すると、その光は道になっていた。闇しかない、空へと続く光の道。その光はどこまで妖しく紅く全てを惑わすような残酷な色をしていて、だが俺はその光が嫌いではなかった。
「……来いってか」
まるで何者かが俺を呼んでいるような錯覚を覚え、俺はその光の道に足をのせる。すり抜けることなく、俺の両足は光の道に乗った。あとは駆け上がるだけだ。出口は夜空に溶けて見えず気持ち悪いが、この先に行けば俺はきっと、俺になれるのだろう。
ま、少なくともこんな闇と赤い月と森しか無い世界に留まるよりは、退屈凌ぎにはなるはずだ。少なくとも、ここから出て多くを学べば、あの男を殺せるぐらいに強くなれるかもしれない。それももちろん、“運”によるところかもしれないがな……。
「フッ、くだらねえ」
生まれる前から“運”に縋るような思考は、あまりにも弱者的過ぎる。
だが、俺は不思議とその思考が嫌いではなかった。
俺はそのまま光の道を駆けあがり、このふざけた世界に別れを告げる。
――――その先にある“未知”に、逸る思いを馳せながら。