幕間① ヒキガエルといばら姫【ヒキガエル視点】
《魂魄転移》――コンパクテンイ――
《解除》
異能力を解除し、僕は白雪セリカ達といたポイントから魂を移す。
ゆっくりと目を開けると、そこはいつもの僕の部屋。
ゲームの途中で転移したからか、画面の向こうでは操作キャラクターのライフがゼロになって死んでおり、黒い背景画面と悲壮なBGMと共にGAMEOVERの赤い文字がデカデカと表示されている。
そう、僕が持つ異能力の中には操った肉に自分の魂を移す効果があるものがある。ジェネシスの消耗が激しいので日に何度も使えないのが難点だが、絶対に勝てない敵に遭遇した時に必ず逃げ切ることがきる僕の切り札の力。
それが、《魂魄転移》だ。
そして、この異能力の存在を知る者は透のみ。
“いざという時”に《赤い羊》を切り捨てて逃げ延びることができる、逃亡、偵察特化の異能力。
「あら、遅かったのねヒキガエル。どうだった、白雪セリカの印象は。やっぱり雰囲気変わってた?」
安心したのも束の間、耳元で囁くような女の声が冷たく意識を凍り付かせてくる。
これは、チャネリング……!?
声の主はいばら姫だ。部屋の中には僕しかいない。そして、背中に嫌な掌の感触。振り返らなくても分かる。これは、形態化したジェネシスの手の独特な温かさだ。
「何のことか分からない……。僕は、うたた寝してただけ」
「命拾いしたわね。もしあの時、白雪セリカ達に私たちの情報を売っていたら、流石に優しくて誰よりも寛容な私でもあなたを殺さざるを得なかったわ。永遠のうたた寝にならなくて済んだわね」
「…………」
全部バレてるっぽい。僕は冷や汗を流しながら、さっきからうるさい自分の心臓の鼓動をどう落ち着かせるか考えて現実逃避していた。
「花子にバレたら、八つ裂きにされちゃうわね。今日の晩御飯はヒキガエルのから揚げかしら?」
……どうする。《魂魄転移》を使って逃げるか? でも掌は既に背中にある。逃げようとするそぶりを見せれば、恐らく間に合わない。
「ま、いじわるはこのぐらいにしてあげる。私は優しくて寛大だから」
「…………」
そのセリフをどこまで信じられたものか。
いばら姫の言葉には怒りや侮蔑等は無い。いつも通り不気味な楽観的な声色。それが逆に感情が読めず、得体が知れなくて気持ち悪い。それに掌は僕の背中に当てたままだ。いつでも僕を殺す力を発動できることには変わりない。
「……僕を、監視していたのか?」
「その質問に答える前に、少し雑談をしましょうか。あなたも知ってる通り、透はメンバーの中でもある程度役割を決めているの。暴力はヒコ助、治癒はヒキガエル、拷問はリリー、指揮と決断は花子、死体管理は骸骨、そして私。私のこのチームでの役割は何だと思う?」
「…………情報」
「正解ではあるけど、かなり不完全ね。ヒキガエル、馬鹿と知恵者の違いが何なのか、私なりの解釈を聞かせてあげる。あなたは馬鹿だけど、いずれは成長して透に追いつく可能性があるものね。余興で手伝ってあげるわ」
「……余計なお世話だ」
「ふっ。……続けるわよ。全ての概念には大小の含有関係がある。その答えだとまだ足りない。情報は四つの概念の内の一つでしかないのよ。内訳を全て言うのであれば、小さい順でデータ、情報、知識、知恵よ。あなたの趣味であるところの料理で例えていうのであれば、データは素材。情報はレシピ。知識はレシピをアレンジして更に美味しくする自分だけのノウハウ。知恵はそれらを活かして完成させた料理そのもの。もっと言えば、冷蔵庫の広さと質は脳のキャパシティー。どれだけ多くの素材を保存し、品質を長く劣化させないか。これら全てが秀でていて、初めて頭が良いと定義される」
「…………どれか一つじゃ駄目なのか?」
「人参もかぼちゃも調理できなければ価値は著しく落ちるでしょう? データだけには価値が無い。データを組み合わせた解釈、すなわちレシピになって初めて料理には価値が生まれる。でもレシピだけじゃ他と差別化できない。だからオリジナリティを加える為に更に自己解釈、例えるなら特別な香辛料、絶妙な温度調整、調理器具の使用工程を加えてノウハウを作る。でもノウハウは飽くまでも結果を出す為の手段でしかない。だからノウハウを使って結果を生み出す。その結果が、知恵と呼ばれるもの。馬鹿はどれか一つ特化してるだけですぐ自分を知恵者だと勘違いして得意がる。古今のアカデミックスマート、ギフテッド達の嘆かわしい一面ね。データという過去をなぞるだけなら、誰にでもできる。既存の概念を突破するような新たな知恵に到達して、初めてその知性には価値があると言えるの、ヒキガエル。……でも稀に、ノウハウ無くしてセンスだけで優れた結果を出す天才もいる。今の《赤い羊》に足りない人材がいるとすれば、そういう人間が一人ぐらい欲しいかしらね」
「……なるほど」
「話を戻すわ。さっきの質問の答え。私の役割は、集められたデータを分析して情報に昇華させ、その情報を更に分析して実用性を見出し、記憶、記録し、最終的にはいくつもの知識を組み合わせたり照合しながら知恵と到達させて透へ提供すること。私は正直、透の理想にも《赤い羊》にも興味は無いけれど、ジェネシスを探求するのはなかなか有意義な暇つぶしなのよ」
面倒くさがりないばら姫にしては、珍しく饒舌だ。だが、この女が饒舌になるときは決まって、何かしらの知的好奇心が絡む話題であることは経験則で分かっている。
「結局、何が……言いたい」
「――――私は今のこの場所、居心地が良いの。だから、壊すような真似をしたら、本当に殺しちゃうから。優しい私に、そんな残酷なことはさせないでね?」
クスクス笑いながら囁くような声とともに、ジェネシスの爪が背中に食い込んで激痛が走る。
「おま、えは……何故僕の動きが読める?」
「あら。さっき質問には答えてあげたじゃない。私は《赤い羊》の知恵担当。誰がどう動くかなんて、手に取るように分かるんだから。ただ、取引の3日間の休戦協定は良い仕事だったわ。褒めてあげる」
「僕の機転が無ければ二人のFランクに強襲されていたかもしれない。僕が動かずとも、そのリスク管理もお前はできていたというのか?」
「当たり前でしょう? 私には《自在転移》があるのよ? このアジトが突き止められたところで、いくらでもやり過ごせる。坊やが私の裏をかこうだなんて、一億年早いわ」
「なら一億年生きて追いつく」
「ハハ、その答えは予想できなかった。アキレスと亀のパラドクスみたいな禅問答ね。ま、私を笑わせたご褒美に、今回のことは内密にしてあげる。私が優しいお姉さんで良かったわね」
毒々しく笑ういばら姫のジェネシスの腕が、ようやく僕から離れてくれた。少しだけ、緊張が解ける。少なくともこの流れなら殺されることは無さそうだ。
「で、話の続きなんだけど……」
「?」
どうやら、今までのは前振りだったらしい。
「――――白雪セリカの印象を教えて」
声しか聞こえないのに、何故か、妖艶に化け物が微笑んだような気がした。
新しいおもちゃを見つけたような、そんな声で。
3章前にいくつか掌編を入れる構成にします。