第11話 ⍜⑪【白雪セリカ視点】
「少し冷静になりなさい。焦り過ぎよ。あなたが何に焦っているのかは、知らないけど」
呆れたようにシスターはため息を吐きながら言う。それでも一切の隙が無く、ヒキガエルに対しての警戒は怠っていないのは流石の一言に尽きる。
焦っている? 私が……?
――――今度はもう絶対に失敗できないから?
「……っ」
一瞬の思考は否応なく雷のような頭痛とともに消え、私はシスターの言葉を租借する。
「わ、私は……」
「あなたは人に寄り添い、共感し、理解することができる。それは思いやりという言葉で美化される長所かもしれないけど、SSの快楽殺人鬼に対して行うべきではないと思うわね。しかもこいつは……《赤い羊》の中でも最も下劣な存在。保身の為に透に迎合しておきながら、透とその仲間を保身の為に売り、自分の身の安全のことしか考えないタイプのクズ。私の一番嫌いなタイプね」
蔑むように、シスターはヒキガエルを氷の眼差しで見据える。
ヒキガエルは不快そうだが、事実だからか、否定の言葉は出なかった。
そう、その通り。それがFランクの考え方だ。Fランクの域を出ない、正し過ぎる思考。
ただ……Fランクを否定していれば、Gランクになれるというのも、違う。その考え方はあまりにも短絡的過ぎる。今の私は……確かに短絡的だった。
Fランクを否定すれば、SSS、SS、E、ランクとしての道が開かれるだけ。そういう可能性もある。いや、その可能性の方が……高い。
人間は成長や進化を目指してしまったが故に、逆に劣化し退化の道を辿ることもある。今の自分を否定した先にあるのが例外なく進化となる訳じゃない。大人がよく“あの頃は良かった”と言ったり、全盛期を懐かしむ理由が、何となく分かった。彼らに共通するのは、過去の自分への劣等感……。でも殆どの人間は意図的に劣化、退化、堕落を目指すようにはできていない。でも結果的にそうなってしまうのは、何らかの要因があるのだろう。
未来の自分の方が、現在の自分より堕落した存在になる場合もある。その発想に、思わず震えそうになる。それは、つまり――――。
現在と未来を捨て、過去に希望を託す《起死回生》は、間違った進化の軌道修正……という使い方ができる、ということだ……。
その仮説はあまりにも無茶苦茶だった。まず、私では思いつかないトリッキー過ぎる異能力の運用方法。その時点での自分の人格、命に対する執着が一切ない狂気……。
今の“私”は、未来の“私”によって調整された存在……?
あり……得る。
あり得ると思う。さっきから記憶にない記憶と頭痛に苦しめられている。
でも、私なんかにこんな異能力の使い方が思いつけるとは思えない。
偶発的な死によって時間を巻き戻す《起死回生》が私の思考の限界だ。やはり、私の発想は凡人の域を出ることができない……。
自分の死ぬタイミングを調整し、そこを起点として意図的に巻き戻す時間をも調整。まるで電子機器のソフトウェアをダウングレードするかのように、進化前の状態に自分の人格を調整するという思考。人の心に対する徹底した線引きができる冷酷さ。感情とロジックを完全に切り離し、ロジックのみを追究できる人だけが思い描ける、複雑怪奇な数式のような思考。
……狂ってる。無茶苦茶な発想。
でも、何故か痺れるほどの天才的な何かを感じる。
この運用を思いついたのは間違いなく、アンリしかいない。
未来のアンリが、私にくれた思考……なのだろう……か。
アンリが私にとってどうしても必要な理由は、型破りで自由自在に異能力の可能性を広げてくれる存在だから、だ。
《赤い羊》のSSがそれぞれ殺人に特化した天才なのだとしたら、アンリは異能力を扱う天才。恐らくその発想力は透と同格か、透をも凌ぐか。その領域にいる。
アンリの発想力は、Gランクへの足掛かりに必ず……なる。
「私にはGランクが分からない。でも、Fランクより下、ということだけは無い筈よ。分かるわよね、私の言ってること」
「…………うん、そう、だね」
噛み締めるように、頷く。
「目を覚ましなさい、セリカ。あまり私を失望させないで」
「うん、ごめん。でも、“必要な失敗”だったよ。お陰で、とんでもない収穫が手に入ったから」
人間は失敗を恐れる。けれど、失敗をしないと成長できないというジレンマがある。だから、失敗を恐れる大人よりも、失敗を恐れない子供の方が、成長する度合いが桁違いに大きいのだろう。
ヒキガエルも自分の死という失敗を恐れるが故に、自分の成長の幅を大幅に狭めている。極度のゼロリスク思考が到達する場所は、究極の停滞なのかもしれない。
「……?」
「私はもう、大丈夫。道が見えたよ」
そう言って、自分の心拍数が元に戻っていることも同時に感じ取る。
「ヒキガエル、色々言ってごめんね。さっきの話は忘れて。私は《赤い羊》と戦うよ。あなたも含めて、例外は無い。お互いに命を賭けよう。どちらかが滅びるまで、ね」
「…………腕は、どうするつもりだ?」
「腕は貰うよ。三日間停戦だっけ? それも受け入れてあげる。弱体化したあなた達を突け狙うなんて狡いマネもしないよ。全力のあなた達を全力で叩き潰す。誰の為でもない、自分自身の為に」
「…………後悔、するなよ」
「馬鹿だね、ヒキガエル。これは後悔しない為の決断だよ。生き方に正解なんてないけれど、少なくとも、後悔しない為に私は生きてる。シスター、これから契約するから、内容に穴が無いか確認してね?」
「分かったわ」
《一蓮托生》――イチレンタクショウ――
「おいで、ヒキガエル。握手しよう。そして三日後、正々堂々、殺し合おう?」
私は鎖を纏った右手を差し伸べる。鎖はもう一人の相手を求めるように、空中で鎖の先をゆらゆらと揺らす。
「…………っ」
ヒキガエルは怯えと怒りと打算の入り混じった独特の苦い表情を浮かべると、ジェネシスを消し、私の手を取った。
悪魔と取引するかのようなヒキガエルの態度が、少々心外だけど……。
「契約、成立だね」
そう言って、私は微笑んだ。