第9話 禁断のタナトス⑳【白雪セリカ視点】
「“死ぬ“ことでしか解除することができない……異能力」
(死は救い。生こそ苦しみの本質。人間は、生物は、死ぬことでしか楽になれない。それが……マザーの真理。そして、その真理を具現化した異能力。それが、《唯一無二》。苦痛も幸福もない、自分自身しか存在することが許されない世界。そして、無味無臭の永遠の時間。この空間にいれば、どんな生物も死を選ぶ。ううん、死ぬまでこの世界は続くの。だから、セリカ。あなたは“死ぬしかない”の)
「…………」
死ぬことでしか……解除することが、できない。
それを聞いて、湧いてくる感情は“安心”だった。
終わることができる。終わりが、ある。
この空間で唯一恐れていること、それは、“終わりがない”ことだった。
でも、終われる。終われるんだ……。
苦しみも悲しみも無い代わりに、喜びも楽しみもない無の世界。
他者が存在せず、自己だけで完結する世界。
何もない、という地獄……。
これは……否定しようがない。
マザーの真理。こんな残酷な真理は……否定しようが……ない。
マザーから見た私は、きっとどこまでも滑稽で、愚かで、救いようがなく、哀れな存在だったのかもしれない。
(安心しなよ、セリカ。私が“あなたの代わり”に死んであげる。《唯一無二》には本来、弱点になるような急所は無いし、抜け道もない。どんな人間でも、たとえSSSのジェノサイダーでも、これを受けたらジェネシスを封じられて死ぬしかない。でも、たった一つ、マザーだからとも言えるジレンマとでも言えばいいのか、たった一つだけ、この異能力を解除して生き残る方法が存在するの)
「……っ」
(マザーは自分のことを一つの生命だと考えている。主人格でないけれど、自分を一つの生命だと。そして、《唯一無二》は”一つの生命”に対してしか命をカウントしない。この部屋にいる人間は、絶対に一人でなければならない。でも、“私”がいる。“私”が死ねば、この異能力は閉じ込めた相手が消滅したと認識し、自動的に解除してしまう。主人格のあなたを生命としてカウントせずにね)
「でも、それは……」
(《唯一無二》を解除できれば、あなたは元居た世界に帰れる。《唯一無二》で経過した時間は、現実の時間とは切り離されているから。そこは心配しないでいいよ。だから、あなたは今度こそマザーを倒して、“その先”に行けばいい)
「……そんなこと」
(やるしかないんだよ。それ以外に選択肢はない。それとも、何、主人格であるあなたが死ぬの? でも、どうせ私が表に出たら、自殺することになるんだよ? 意味がないよね?)
「…………」
(私はきっと、この為に生まれてきたんだ。この時の為に)
そう小さな私は言うが、私はどうしてか“違う”と強く思った。
けれど、それを口にするには、どうしてもその根拠を思い描くことが、私にはできなかった。
「時間はまだある。焦ることはないよ」
(嫌な決断を引き延ばしたいだけでしょ? どうせ無駄なのに……。ジェネシスも使えないんだよ? 私のジェネシスもアテにしないでね。使えないから)
「……一つ聞かせて。どうしてあなたは、《唯一無二》をそんなにも理解しているの?」
(私は、メアリーから生まれた存在。西園寺要を介した異能力は全て理解してるよ)
「……じゃあ、私は?」
(どういう……意味?)
「あなたは私でもある。だから、私のことも理解してると思っていいの?」
(…………)
「私の持つ全ての異能力を理解してる?」
(ここではジェネシスは使えないのに、それを言っても仕方ないでしょ?)
「答えて」
(理解、してるよ)
「じゃあ、あなたを犠牲にする以外の方法も、思いついてたりするんじゃないの?」
(どうしてそう思うの?)
「あなたは私を、あなたが犠牲になる道に誘導しようとしていた。誘導していたということは、それ以外の選択肢を思いついているからじゃないかなと思って」
(…………どういう考え方をしたらそうなるの?)
「誘導から逆算しただけだよ」
(逆算……)
忌々しそうに、小さな私は呟く。
それを聞いて、確信する。
“ある”んだ。小さな私を犠牲にする以外の方法が。
「教えて、くれないかな?」
(…………あまりにも)
小さな私は、躊躇いがちに、呟くように言う。
(あまりにも、リスクが大きすぎる。むしろ、失敗する可能性の方が高い。それに、メリットがない。あなたが未来を描くのであれば、私はいない方がいい。ここで私を犠牲にして、現実に帰るのが一番の最善策だよ)
「……死にたいんだね」
彼女の言葉を聞いて、私は理解する。
私のデストルドーから生まれた存在。
死にたい、という根底的な感情。それを生命として具現化した存在。
今、この場所で主人格の私の為に死ぬことが、彼女にとっては幸福なのだろう。
「……ねえ、もし……もし私が、希望と幸福だけの真理に到達したら、“あなた”はどうなるの?」
(――――っ!?)
「夢にも思わないって反応だね。私のデストルドーから生まれたあなただけど、私からデストルドーが無くなったら、あなたはどうなってしまうの?」
(そんなの、あり得ないよ)
力強く、小さな私は言う。
(人間からデストルドーが消えることは無い。人間は人間を殺す。直接的でも、間接的でも、他人でも、自分でも。そういう動物なの。ここまで同種を殺せてしまえる欠陥だらけの生物は、生物史でも人間だけ。神の失敗作だよ。戦争、犯罪、差別、支配、私欲。知能と理性を持ちながら、よくもまぁここまで残酷になれるよね。人間は人間以外の生物を見下しているけど、実は人間こそ史上最低の生命体だよ。皆殺しにして、次の生命体にこの星を託すべきだと思う。人間という存在の根絶こそ、至高の善だよ)
侮蔑的に、小さな私は吐き捨てる。
「人間なら、ね。でも、人間でなければ?」
(……人を、超えるというの?)
「それが多分、Gランクなのかもしれない」
(…………。仮にあなたからデストルドーが無くなれば、私という存在は消滅するか、あなたに取り込まれて一つになるかの、どちらかだと思う)
「……そっか」
私は、この絶望しかない部屋で、Gランクの道筋を僅かに見た。
それはクモの糸よりもか細くて頼りない、小さな小さな光だけど。
それでも、希望であることに変わりはないから。
そして、今の会話で、私は気付いてしまった。
小さな私が言わなかった、もう“一つの選択”を。
これは、“死後”に発動する異能力。
ポイントは、“死んだ後”という点だ。
私が死に、《唯一無二》が解除された“後”に、《起死回生》が発動すれば、私も、小さな私も、死なずにこの部屋を出られる。
……でもこれは、机上の空論。絶対じゃない。仮定の空想でしかない。
小さな私が敢えて言わなかったのも、頷ける。
――――でも。それでも。
私は――――
「――――《起死回生》を使おう。それでダメなら、諦めよう」
この道しか無いと、そう思った。