第9話 禁断のタナトス⑲【白雪セリカ視点】
あれから、どのくらい時間が過ぎたのかも分からない。
この部屋には時計がない。
だから、一秒、一分、一時間、一日の感覚が……分からない。
一年ぐらい経ったような気もするし、三十年ぐらい経ったような気もする。
窓もなく、真っ白な部屋なので空を見て時間を判断することもできない。
鏡もないので、自分の顔すら少しずつ思い出せなくなっていく。
お腹も減らないし、トイレにも行きたくならない。眠くもならない。
生理現象がないのは良いことなのか、悪いことなのか。
自分が生きている実感というものが、少しずつ曖昧になっていく。
初めは、足掻いた。
棺の中にあるナイフで壁を刺したり、削ろうとしたり、色々やったけれど、傷一つつかなかった。ジェネシスを出そうと何度も試したけど、これもダメだった。
途中、少しヤケになって自分の指をナイフで少しだけ切ってから、その血でドアを描こうとして、途中でやめた。
絵を描いている途中で、自分の頭がおかしくなっていることに気付いたからだ。同じ景色の日々とも言えない日々が続いて、私は自分が何をしているのかすら、分からなくなっていた。
話す相手もいないし、眠気も訪れないので時間の長さがただただ苦痛に思える。
抗うこと、歩くこと、立っていることに意味を見出せなくなり、私は棺の中で横になった。意外と寝心地は良く、安らぎを感じる。
「早く……終わらないかな」
思わず、そう呟いていて天井に手を伸ばす。
爪は伸びず、肌ツヤは今までとなんら変わりない。
鏡を見なくても、自分が老化していないのが分かる。つまり、老死することはないということ。自害することでしか、終われない部屋なんだ……ここは。
終わる……。
終わるって、何だろう?
「……このナイフは、そっか、その為に……あるんだね」
お守りのようにいつも握っていたナイフを、まじまじと見つめる。
この、“永遠に続く時間”という苦痛から逃れる方法は、死ぬしかない。
「…………せん、ぱい」
あまりにも膨大な時間の経過で、私は何のために戦い、ここに来たのかすら、忘れようとしていた。
でも、ふと呟いた言葉によって、意識がわずかに引き戻される。
「先輩……」
取り戻さないと。こんなことしてる……場合じゃ、ない。
私はナイフを投げ捨て、棺の中から出る。
「…………初心に、初心に……帰ろう。そうでないと、マザーの思うつぼだ」
もう一度ひたすら、部屋の中を歩き回る。
10周ぐらいして、足を止める。
「……本当に、何もない」
1K程度の部屋。棺とナイフしかない白い部屋で、途方に暮れてしまう。
電気も日の光もないのに、何故か密室の部屋の中は白と認識できる。
これは間違いなく、異能力で具現化された部屋。
いや、マザーの世界だ。
《白雪之剣》――シラユキノツルギ――
切り札の異能力も発動しない。
ジェネシス無しで……乗り切ることなんて到底できない。
――――けれど。
何か、何かある筈だ……。
どんな僅かなきっかけでもいい。考えろ、そして思い出すんだ。
これはマザーの異能力。
マザーを完全に理解すれば、この異能力の本質も自ずと紐解ける筈。
「……マザーは、私を自殺させたがっている。そこから逆算するしかない……か」
マインドコントロールの解き方は様々あるけれど、唯一無二の弱点と言ってもいい方法が、一つだけある。
――――それは、“誘導の逆算”だ。
相手が心理誘導していると理解した時点で、相手の心理誘導の終着点と、その過程の全てを逆算して相手の本質を突き止める。
いつかは忘れたけれど、一度だけ、先輩が教えてくれた。
♦♦♦
「お前は占いとかすぐ信じるし、友達とかテレビ、教師の言うことを信じやすい。だからこれは警告だが、マインドコントロールについて教えてやる」
「まいんどこんとろ―る?」
「悪人なら全員使える技術だ。頭の悪い犯罪者ですら、暴力や恫喝で相手を支配するというマインドコントロールを行っている。学校レベルで言うのなら、教室にいるスクールカースト上位の人間も全員使える筈だ。集団心理操作はコツさえ掴めば人すら殺せるからな。イジメという名のもとに。だから俺はコミュニケーション能力が高い傾向にある人間はあまり信用しないのさ。サイコパスが多いからな。……話がそれたな。この技術はクズどもの中では基礎と言ってもいい。だけどお前はきっと性格上、この力を上手く使えない。だから、この力と反対の力をお前に教えてやる。外道を上回る外道の技だ。俺は勝手にサイコパス殺しと名付けているが、この力を使えるのは恐らく一握りの人間になるだろうな。これを使えば、どんな弱者でも悪人どもの急所を握り潰すことすら可能だ」
「……えぇ、なんか悪そう。なんかお酒にそういう名前のなかったっけ?」
「鬼●ろしか。よく知ってるな」
「よくお父さんが飲んでるから……」
「ハハ、なるほどな。でも俺の苗字には鬼が入ってるから、大人になってもあんまり飲みたくないな」
「それで、その、なんとか殺しは悪いことに使う技術なの?」
「いや、監視カメラや防犯ブザーみたいなものだ。クズや外道にしか有効打にならないから、その点は気にするな」
「う、うん……。それで、まいんどなんとかって、何?」
「そこからか……」
呆れたように、でもどこか楽しそうに微笑む先輩。
♦♦♦
そんな面影は、いつの間にか遠い過去となってしまった。
「……マザーを洗い出そう。それから逆算しよう」
マザー。
西園寺要の複数人格の一人。
SSSランク、ジェットブラックジェネシス、真理に到達している。
その真理とは、“死の母”になること。
“死の母”の理念には複数ある。
その理念は驚くことに一つの人格から分離した関係からか、メアリー、アルファ、シスター、マザー、それぞれ異なっている。
マザーの“死の母”は“あるべき姿に正す”こと。
死の方が正しく、生の方が間違っているという思想を持つ。
人間の断末魔の叫びが、生の否定の象徴そのものであり、死の肯定そのものであるから。
苦しむことでしか死の価値に気付けないという独特な考え方をし、相手を苦しませて自殺に追い込むことで相手を自ら死に追いやる。自殺誘導に特化した殺人鬼。
生を肯定する私を敵対視している。
使える異能力は分かっているだけで、《思考盗撮》、《絶対不死》、《絶叫崩壊》、《時間停止》、《灼熱地獄》そして……《唯一無二》。
《唯一無二》について分かっていることは、異様な量のジェネシスを消費するということ。《時間停止》と同じぐらい、彼女は出し惜しみをしていた。
「それぐらい……強力な異能力なんだ」
ジェネシスを使えないのも、恐らくこれが強力な異能力だから。
そして、この異能力は、私を自殺させることだけが目的の異能力。
「…………」
辺りを見回してみる。
危害になりそうなものは、ナイフぐらいしかない。
私がこのナイフを使って自殺すれば、マザーの勝ちだ。
逆に言えば、それぐらいしか自殺の手段が無い。
でも……何か引っかかる。
それから、こんなことが前にもあったような気がする。
……思い出せ。これはかなり重要なことだ。
♦♦♦
私の“死の母”の理念はアルファとは対極。苦痛によってもたらされる死への渇望。それこそがデストルドーの正体だと思っています。人間は苦しめば苦しむほど死にたくなる生き物。だからなるべく苦しませるのです。苦痛の度合いが大きければ大きいほど、死への渇望は大きくなる。それが私の導きだした“死の母”の答えです。
リリー様は苦痛を与えた後自分で殺してしまいますが、私は相手が自分で死ぬまで苦痛を与え続けます。過程が殆ど同じなので、とても惹かれたんです。リリー様なら、もしかしたら私を理解してくれるかもしれない。
♦♦♦
マザーの言葉を思い出す。
マザーの理念はアルファとは対極。
アルファの“死の母“は相手の多幸感を導き出し、己の死に幸福感のある納得をさせて死に追いやる。幸福によって死へと導く存在。
そして、マザーはリリーと似ている部分がある。
“そこ”にきっと、答えはある。
私はリリーと戦っている。殺し合ったことで、私はリリーを理解した。
答えはもう、私の胸の中にある筈。
「苦痛による自殺誘導、幸福による自殺誘導、そしてこれは……虚無による自殺誘導」
――――《唯一無二》の本質は、《五感奪取》と同じだ。
相手から生を実感する要素の全てを奪い、虚無の中に閉じ込める外道の技。
あの時は、どうやって解いた?
どう、抜け出した?
……ああ、ダメだ。思い出して絶望する。
あの時、あの境地を突破できたのは、《守護聖女》を使えたから。
そしてそれができたのは、使われた異能力が《五感奪取》だったからだ。
《唯一無二》は言ってみれば《五感奪取》の上位互換。
ジェネシスすら奪われたこの状態で……私に、活路は、ない。
「……無駄、なの?」
全部……今までやってきたこと。
アンリの死も、リリーを殺したことも、マザーと対峙したことも。
全てが、無駄。
意味のないことだったの?
問いかけようにも、その問いに答える者はいない。
(……無意味なことにも意味を見出してしまえるのが、あなたの力であり、本質だと私は思っているわ)
どこからか聞こえる、声。
(久しぶり、セリカ)
「その声は……小さな私」
(やっと絶望したね。だいぶ待った。……長いよ)
「……絶望すれば、あなたの声が聞こえるようになるんだっけ」
(45年9か月2週間と11時間。よく頑張ったわね、セリカ)
「……よんじゅう、ごねん……?」
(おばあちゃんになっちゃうところだったね)
「……精神的にはもう、それぐらい行ってるかも」
久々に話す他人との会話に、思わず浮足立つ。
と言っても……この子は結局私の一部なのだけど。
(――――この異能力、《唯一無二》を突破する方法を教えてあげる)
「――――え?」
(何度も言わせないでよ。突破する方法、教えてあげるって言ってるの)
「……で、でも。希望なんてものを実現するつもりなら、私に頼らないで自分で道を切り開いてって言ったじゃん」
(根に持ってるの? 私が動けるのは、あなたが絶望した時だけとも言った筈)
「力を……貸してくれるの?」
(それはできない。私は死の象徴でもある。だから、選ぶのはセリカだよ。そこだけは間違えないでね)
「…………それでもいいよ。それで、《唯一無二》を破る方法は、何?」
(それは――――)
小さな私は、少しだけ躊躇いがちに、そして寂し気に言葉を続けた。
(私の声が聞こえる今の状態のまま、そのナイフで、あなたが自殺することだよ。そうすれば、自殺というトリガーという役割を果たしたこの《唯一無二》は解除される。主人格の楯、副人格という私という人格の消滅。その死によって)
「――――っ」
(この異能力は“死ぬ“ことでしか解除することができない。”死の母“の真理の一つと言ってもいい究極の異能力、《唯一無二》。これはマザーが持つ《時間停止》を凌駕する、永遠という名の牢獄を具現化した、最低最悪の異能力だよ)
――――そう、悲しげな声で、小さな私は囁いた。