第9話 禁断のタナトス⑭【白雪セリカ視点】
屋上のドアを開くと、白のジェネシスが空間を支配していた。
ジェネシスの中心には、白き翼を生やした少女が空中に浮いていた。
翼をはためかせることなく、空中に固定されたように存在するソレは、天使を連想してしまう。
――――超人。
人を超えた存在だ、西園寺さんは。そう思わざるを得ない……。
マザーを始めて見た時と同じ。
見た瞬間に、気圧されてしまう存在感がある。
私にとっての、壁だ。
でも、もし……。
Gランクというものが存在するのであれば。
西園寺要を超えた存在。
そういう存在になれた時、もしかしたらそれはGランクと呼べるものなのかもしれない。
「初めまして、になりますね。白雪セリカさん。いっぱいジェネシスを振りまいたから、気づいてくれてよかった。私は基本的に表には出ないのですが、あなたにどうしても会いたくて、少し無理をして出てしまいました」
ニコっと邪気の無い笑顔で、両手を後ろ手に組みながら、天使のような怪物はそう言った。
少女からはピュアホワイトジェネシスがあふれ出していた。
「…………あなたは、誰?」
表情を見ただけで分かる。マザーでもメアリーでもシスターでもない。西園寺要の器の中にいるのは、まだ会ったことがない誰か。ピュアホワイトジェノサイダー。
目の前の存在を見た瞬間、私は直感的に、“終わり”を感じていた。
何の……終わり?
「私は……アルファです。こっぱずかしいですね、完全な他者に自己紹介するのは。フフ」
ばつが悪そうにアルファと名乗った少女は微笑み、両手を挙げて敵意が無いことをアピールしてくる。
「そう身構えないでください。あなたと争うつもりはないのです。今のところは」
「……そう言われて信じられると思う? さっき、沢山の生徒たちがそこから飛び降り自殺をしたよね。彼らの死体はピュアホワイトジェネシスを身にまとっていた。“あなたの”だよね、あれは? 何か異能力を使ったの?」
「あれは救済ですよ。アンリさんの血の槍は音を出した人たちを皆殺しにしましたが、じっと息をのんで隠れていた子達はまだ生き残っていたので、私が全員送ってあげました。もうこの学校に残ってるのは私と、あなたと、百鬼結さんだけです。《発狂密室》が解けている間に学園の外に逃げた子達もマザーの力を使って連れ戻し、先ほどの飛び降り自殺で殺しましたから、正真正銘生き残りはもう三人だけ、です」
「……救済?」
「ええ。セリカさん、人は何故生きるのだと思いますか?」
「……」
その問いに答えるのは難しい。
どんな風に答えても、間違いのような気がしたから……。
「多幸感。それを得る為に、人は生きているのだと私は思います」
どこか遠くを見るように、アルファは言う。
「多幸……感?」
「ご飯を食べて、眠って、働いて、趣味に没頭して、自分の役割を果たして、それらを死ぬまで繰り返す。同じことを延々と死ぬまで。虫や動物なら、知能が低いのでなんの疑問もなく天寿を全うするのでしょう。けれども人には知性がある。知性がありながら死ぬことを約束された生にしがみつき続けることができるのは、多幸感があるからです。全ての生物にとっての業のようなものですね」
慈しむような、憐れむような眼で、彼女は微笑みのような表情を浮かべる。
「…………」
なんなんだろう、この子は。
今まで出会ってきたどんな人とも違う。
人間離れした雰囲気は透と似ていて。
なのに、少しだけ私に似ているような気もする。
「ご飯を食べて満足すること。眠ることで安らぐこと。働いた見返りにお金ややりがいを得て充足感を得ること。趣味に没頭することで快感を得ること。家庭や社会で自分の役割を果たすことで承認欲求を満たすこと。全ては多幸感へと繋がっています。生きることは多幸感の連続なのです。それが果たせなくなった時、人は死にたくなるのです。それこそが、デストルドーの正体だと私は思っています」
「あなたは、生きることが間違っていると言いたいの?」
「いいえ。死を肯定した時点で、生も肯定しなければなりません。逆に、生を肯定した時点で、死を肯定しなければならないのです。光と影を切り離すことができないように、どちらか片方だけを肯定することはできない。生きることそのものを否定するつもりはありません。どうせどう足掻いたところで、死に抗うことなどできないのですから……」
「……アルファ。あなたは、どうして……私の前に現れたの? それを伝えに来たの?」
「分かってほしいんです。セリカ、あなたに、私のことを……。もしかしたらあなたはこの世でただ一人、私を理解してくれる人かもしれない。そう思うと……居ても立っても居られなくなりました。デルタさんの気持ちが、手に取るように分かるようです。自分の理解者に巡り会うことができるなんて……こんな幸せなことは……ないでしょう」
「……っ」
アルファは、泣きそうな笑顔で私を見る。
アルファの抱える苦しみは私には分からない。
けど、アルファは苦しんでいる。
その苦しみから逃れる為に、死に縋っているのだと……なんとなく分かってしまった。
「死ねば、あなたは救われるの?」
「セリカ、本当は今日、私たちは死ぬつもりだったんです。主人格の存在しない肉体を、何の目的も目標もなくただただ守るだけの日々に諦念を感じていました。その主人格ですら、自らの破滅を望んでいる。生きることも死ぬことも放棄した結果、私たちは生まれてしまった。その生に、決着をつけたい。それを実行する日が、今日だったんです。今日は……主人格……西園寺要の、誕生日ですから」
「……?」
「透が現れようが、現れまいが、関係なく……今日、この日、私たちは自殺するつもりでした。それが何の因果か、透によってジェネシスを与えられ、それぞれの人格が暴走してしまった。そしてそれは私も例外ではありません。でも、間違っているとは思いません。これも運命というものなのでしょう。人は死を否定できない。でも生きてしまう。だから苦しみが生まれる。私は、全ての苦しみから解放されたい。そして、できることなら同じ苦しみを持つ全ての人を、この苦しみから解放してあげたい」
「“死の母”になる為に……?」
「はい。私は“安らぎ”によって“死の母”になることを決意しました。私は多幸感の全てを供給することによって、全ての人は生そのものへの未練を完全に断ち切ることができると考えます。人間はどうしても知能がありますから、約束された死に対して、言い訳を探すのです。自分の死に納得するための、自分だけの理由を、人生の全てを賭けて探すのです。それが生というものの、唯一の価値です。むしろ、そこにしか生に価値はありません。殺人が悪とされる理由は、その理由を探すその人だけの結果を、まだ見つけられていない状態で殺してしまうから。それは許されざる悪だと思います。でも、その理由を一緒に見つけてあげたうえで、未来に存在する全ての幸福を与えた上で死へと導くことは、むしろ苦しみから救うことだと私は考えます。だから私は、殺人を犯してもなおピュアホワイトなのかもしれません」
「……救うことが、殺すことなの?」
「《幸福昇天》と、《聖母抱擁》。私はたった二つの異能力しか使えませんが。《幸福昇天》は放った相手を強制的にピュアホワイトジェネシスのFランクにし、これから死ぬまでの未来で受けるであろう全ての多幸感を現在の一点に収束させ、胸に抱き、自殺させる能力です。これを受ければ、究極の幸福感に全てを導かれて、痛覚も遮断され、ただただ安らぎの中死ねます。私の思い描く“死の母”の姿。その象徴が《幸福昇天》です」
「でも、それでも……生きることが苦しいことだとしても、私はまだ死ぬわけにはいかない。前に……進まないといけない」
「セリカ、あなたは何故生きようとするのですか? その“答え”が持つ力が、私たちを上回らない限り、あなたは今日ここで死ぬことになります。あなたの未来には破滅しかない。良いことなんて一つもない。それでも何故、前に進もうとするの?」
「あなたがさっき言ったことと同じだよ。このまま死ぬなんて、自分の人生に納得できないから。理由なんてそれしかない」
「……私が言っても無駄なようですね。せめて、死に導く時だけは私があなたを殺します」
そう、悲しげな瞳でアルファは言う。
「……ねえ、アルファ。本当に、本当に、もうこれしか道はないの? 私は……あなたと戦いたくない。だって、初めて……初めて同じ色の人を……見つけたのに。あなたが私に思っているように、私もあなたのことを……失いたくない」
「フフ、アルファもあなたもまだまだ甘い」
一瞬で声の抑揚と、ジェネシスカラーが変わる。
ピュアホワイトから、ジェットブラックへと。
「結局、苦しむことによってしか死の価値に気付けないのだから、歩み寄ったところでお互いに傷つくだけ。無駄なことはよせばいいのに。セリカ様、私たちを殺す最後のチャンスを、棒に振ってしまいましたね。アルファが表に出ている間であれば、私たちのことを殺せたかもしれないのに」
この声の抑揚。思いつく相手は一人しかいない。
「殺し合う前に……。少し、喋りましょうか。セリカ様」
そういって微笑む彼女は、相変わらずどこか毒々しい。
「マザー……」
「あなたは私たちにとって、特別な人。まさかリリー様を殺してしまうとは思いませんでした。あの方の欲望とそれを体現する力は、私の目指す“死の母”にとって掛け替えのないものだったのに。惜しい方を亡くしました」
「……リリーだって、本当は……殺したくなかったよ。私は、誰も殺したくなんて、ない」
「あなたの本心、なんでしょうね、それも」
マザーは苦笑しながら私を観察している。
「なぜ、あなたはリリーに執着していたの?」
「私の“死の母”の理念はアルファとは対極。苦痛によってもたらされる死への渇望。それこそがデストルドーの正体だと思っています。人間は苦しめば苦しむほど死にたくなる生き物。だからなるべく苦しませるのです。苦痛の度合いが大きければ大きいほど、死への渇望は大きくなる。それが私の導きだした“死の母”の答えです。死とは本来肯定されるべきもの。それを無理やり否定しながら生きてしまう哀れな人々を救うには、苦痛によって気づかせてあげるしかないでしょう? だから私は一人でも多くの人間を徹底的に苦しめます。そして自ら死を選ぶようになるまで、その苦痛は私が続行します。死は生よりも尊いもの。そのことには苦痛でしか気づけない。リリー様は苦痛を与えた後自分で殺してしまいますが、私は相手が自分で死ぬまで苦痛を与え続けます。過程が殆ど同じなので、とても惹かれたんです。リリー様なら、もしかしたら私を理解してくれるかもしれないと……ね。まぁ、今となっては過ぎた話です」
マザーはなんとも言えない微笑を浮かべて私を見つめる。
「ねえ、マザー。あなた、言ったよね。シスターにはもう会えないって。あれは、あなたが私を殺すっていう意思表示?」
「ええ、まあ」
「なら。私があなたに殺されなかったら、シスターとアルファにもう一度会わせてくれる?」
「……ふっ、いいですよ。私のジェネシスを摩耗させることができたなら、シスターとアルファにもう一度会わせてあげましょう」
「それなら、握手してくれる?」
「……? まぁ、それぐらいお安い御用です」
私が差し伸べた手を、マザーは握り返してくる。
ニヤりと笑いそうになるのを、かろうじてこらえようとしたけど、多分失敗したと思う。
《一蓮托生》--イチレンタクショウ――
私の右手とマザーの右手を銀色の鎖が覆った後、瞬間的に破裂して弾け飛ぶ。
マザーは慌てて右手を私から振り払い距離を取るが、もう遅い。
「……何を、したんです?」
苛立たし気に私を睨みつけるマザーを、微笑みをもって見つめ返す。
「簡単だよ。約束を守らなければお互いにその時点で死ぬっていうおまじないの異能力。口約束じゃ信じられないから能力を使わせてもらったよ。握手と鎖がトリガーかな。もし約束を破ったら、その約束を破った方だけに、さっきの鎖がもう一度具現化して首筋を絞殺する力。もちろんそれは私も例外じゃない。あなたを退けることができなければ、私は自分の異能力で、ここで死ぬことになる。人格交代直後なら《思考盗撮》も展開してない可能性が高いからバレないかなと思ってやったけど、当たりだったみたいだね」
「……私には《絶対不死》があるのをお忘れですか?」
「もちろん、忘れてないよ。でも、不意の”交代”はもうできなくなる。《絶対不死》を持ってる異能力者に、あなた以外がいなければ、ね」
「なるほど、良い手ですね。飽くまでも私との一対一をご希望という訳ですか。ご指名とあらば、私もやぶさかではありませんが……それにしても、自分すら殺し得る異能力ですか。やはりあなたは今まで見てきた人間とは格が違うようです。その高潔さに敬意を表し、私も全力を出しましょう。といっても、ジェネシスを節約する縛りはありますがね……」
「あなた達はズルいよ。交代すれば異能力の総数は計り知れない。一対一じゃないと、私に勝機はないと思う」
「セリカ様には、メアリーが《処女懐胎》で生み出した”第二人格”を出す方法もあるかと思いますが? まぁ、”第二人格”が出たら強制的に自殺する精神トリガーが発動してしまう縛りがあるので、出せないのでしょうがね……」
「あの子は……私もまだ、図り切れてない」
「前に《思考盗撮》で少しあなたのイドを探りましたが、あなたの第二人格は……」
マザーは言うべきか言わざるべきか躊躇するように、言葉を止める。まるで、何かを恐れているかのように。マザーから恐れのような感情を感じたのは初めてのことで、私は戸惑う。
「何?」
「……いえ。セリカ様、第二人格はあなたに何か言っていましたか?」
「自分の名前が欲しいって。あと、私にSSSを超えて見せろって」
「…………ふ。奇跡と悪夢が交わりながら具現化したような方ですね」
「あの子のこと、あなたは理解できるの?」
「いえ。あなたの第二人格を理解できるのはこの世で”あなたしか”いませんよ。私達は唯一無二の理解者である主を失っていますから、羨ましい限りですね」
マザーは断言する。
「でも、そんな時間はもう与えません。あなたの第二人格がこの世に出る前に、あなたをあなたの第二人格ごと、何としてもあの世に送らなければなりません。”死の母”は私一人でいい。今、この時でなければ、手遅れになる。私たちの最大の誤算は、あなたという存在と出会ってしまったこと。メアリーの《処女懐胎》をあなたに発動してしまったことですね……」
まるで私を殺すのは、第二人格を殺す為の手段のような言い回しだ。小さな私はリリーのことを”SSごとき”と見下していたぐらいだから、もしかしたら”マザーより強い”のかもしれない。
「……でも、私は私の力だけで、あなた達を超えるよ。あなた達を超えない限り、未来なんて手に入らない。それが、私の覚悟だよ」
私は決意表明を示し、マザーを真っすぐに見据える。その瞬間、私からスノーホワイトジェネシスがあふれ出る。
「フッ、光栄に思いますよ。”死の母”となる巣立ちの日に、あなたという存在に出会えたことに。何の意味も価値もない人生でしたが、その幸運にのみ、神に感謝することにしましょう」
マザーは微笑を浮かべる。
「あなた達は自殺願望が凄いけど、“死の母”になる前には死ねないでしょう? 自分の死に納得できないから。それがあなた達の唯一の矛盾。“生きようとする原動力”だよ」
「……思考を読む異能力を使わずに、私達の自己矛盾の本質まで見透かすとは、ね」
「シスターの《未来予知》でも私の《一蓮托生》が把握できてないってことは、いろいろと穴はありそうだね? その辺りの実証もついでにできたことだし……」
私はそこで言葉を区切り、ゆっくりと息を吸いながら、
「始めようか。マザー」
私は《白雪之剣》を構え、そのままマザーの懐に飛び込んだ。