第9話 禁断のタナトス⑦【百鬼結視点】
「……」
そもそも勝機は……あるのだろうか。
相手はSSS。透に匹敵する怪物。
目の前にいるのは、多重人格者。
ダミー人格などという常人には理解できない産物まで使いこなす怪物。
……そしてここは、私の意識の中。
今の私はSランク程度の力しか使えないし、そもそもこの意識の世界の中でどこまでジェネシスが使えるかも未知数。
「キルキルキルル」
試しに剣を具現化してみると、普通に右手で掴むことができた。
「……駄目で元々だ、な!」
勢いよく目の前の怪物に投擲すると、綺麗に身体を斜めに切断し、煙のようにたゆたった後、すぐにヤツの身体は元に戻ってしまった。
「無駄です。精神世界においてジェネシスを含めた攻撃に意味はありません。ここで意味を持つ力は精神干渉の能力だけです。ここは、夢の中とそう大差ありませんから。私と戦う為に抗う。その思考もあなたにとっては重要なのかもしれませんが、そもそもあなたの行動原理は何でしょうか? 私の殺害ですか?」
デルタは無感動な、虚無的な眼差しで私を見つめながら、首を傾げてくる。
「…………私の思考が読めているのか?」
「私に《思考盗撮》は使えません。ただ、同じ脳を共有しているので、分かるだけです。あなたも私の思考を読める筈ですよ。自分の手足を動かすのと、感覚的には変わりありません」
淡々とデルタは言う。
私は言われた通りに、目の前の怪物が何を考えているかを考えてみる。
(…………)
確かに、自分の思考と同じようにデルタの思考を読むことができた。
だが、この感覚は……少しマズい気がする。
「ええ、そうですね。彼我の“境界線”が曖昧になってきています。元々私には主体性が希薄ですから、尚更なのでしょうね」
「……そのようだな」
ダミーデルタには自殺しながら他人を殺害することを愉しむという主体性があった。歪んでいるが、欲望というベクトルとしては確立していた。他人の精神を奪う快感に、ヤツは酔いしれていた。
……だが。
ダミーデルタを隠れ蓑にしていたこいつには……“それ”が無い。
欲望を……感じない。
「……あなたは、凄い人ですね。今まで色々な人間を影で観察してきましたが、この状況で冷静さを失わず、私を理解しようとしている。ダミーといえど、私から生まれた人格が選び抜いた人間……ということですか。メンタルの強さというよりかは、そもそも精神異常者……なのでしょうね」
感情を感じさせない印象だったが、デルタは少しだけ驚いたように目を丸くして私を見ている。
「さっきから言ってくれるな。私から見ればお前の方がよっぽど怪物だよ。だが私が錯乱していない最大の要因は、お前から、私に対する敵意、殺意が全く感じられないからだろうな。まだダミーの方が緊張したよ。お前は……私の身体を占有し、この先どうするつもりだ?」
(…………)
問うてみると、デルタの思考が自分の思考として読めた。だが、なんだこの……無責任というか、投げやりな感じは。
「ダミーの欲望とお前の欲望は違うもの……なんだな」
奇妙としか言いようがないが、ダミーデルタの欲望と目の前のデルタの欲望は全く異なるものらしい。
「元の身体に戻る気はないのか?」
「私は《表裏一体》を使えないので、戻れないです」
「……はっ、じゃあどうするんだ?」
「元の身体に戻る為には、もう一度ダミーデルタを作り直す必要があります」
「まどろっこしいヤツだな、お前は……」
「すみません」
素直に謝ってくるが、全く申し訳なさを感じない。
「何故自分で行動しない? ダミーなんて作るんだ?」
「方向性が私には何もないからです。生きるということができないので、欲望を人格として作り上げて代用しているんです」
「私を殺す気はないのか?」
「ダミーも言っていましたが、元の人格だけを綺麗に削除して身体を乗っ取る方法はありません。普通の人間は、自分の脳内に他者が入ることを受け入れることができないので、気が狂います。これがうるさくてですね、非常にストレスなんですよ。でも……何故あなたはそんなに冷静なのでしょう。不思議です」
「今、この身体はどうなっている?」
「睡眠状態にあります」
「覚醒したら、“どっち”が表に出る?」
「意志の強い方ですね。つまりはあなたということになります」
「…………お前はどうするつもりだ? 戦う気もなければ、乗っ取る気もない。欲望がなければジェネシスは使えない筈。ならば、お前の欲望は一体――――」
(…………)
「――――ッ」
頭の中にいる筈なのに、頭痛のような錯覚を覚える。
主体性はなくとも……欲望はあるのか。
だが、“その願いが絶対に叶わない”ことを悟ってもいる。
諦念……。私が兄さんへの想いにも似た諦念を……こいつから感じる。
「お前の他の人格は……“全人類の滅亡”を願っているが、“お前はそうではない”んだな?」
「……正確に言うのであれば、アルファも私と同じ願いですが……まぁ、無理でしょうね。私達には、希望がありませんから。“欲望”はあるのに“希望”は無い。それが私たちの本質。だからシスターは、白雪セリカの存在を許すことができないんでしょうね」
他人事のように語っているが、私は目の前の怪物を少しだけ理解できたような気がしていた。同じ脳を共有しているから、嘘が吐けない。
“真実しか語ることが許されない”という制約があるから、“信頼せざるを得ない”。こんな……こんな信頼関係があるとはな……。
この奇妙な事態に遭遇しなければ、恐らく一生気付くことのない体験だ。
……何より、似ている。
こいつと、私。
絶対に叶うことが無い願いを抱えながら、ぼんやりと無に帰りたいと、死にたいと、そう静かに願ってもいる。
「……お前の願いは分かった」
「……私も、あなたの願いが分かりました。似ていますね、私達」
「認めたくはないが、そのようだな」
「………ああ、そっか。やっと分かりました」
デルタは独り言を言って、静かに頷いた。
「本当は、あなたの《自我崩壊》で私は消えるつもりだったんです。シスターの“二度目の予知”で、あなたは自分の精神ごと三人のデルタを抹消し、廃人になる未来であることが分かっていました。私はそれを知っていたし、抗うつもりもなかった。生きることに意味はありませんから。なのに……私はジェネシスを使ってまで、自分の存在とあなたを守ってしまった」
「その理由が……分かったのか?」
「私はあなたとこうして、話がしたかったのかもしれません。あなたは……私を理解できる人間なんですね……だから……」
デルタは驚愕したように自分の両手を見て、無表情のまま涙を一筋流した。
「なあ、デルタ」
私は、目の前の小さな怪物に向かって、手を差し伸べていた。
その時、私は初めて……透の気持ちを理解した。その事実に驚愕しながらも、言葉は止まらない。
「ここで、私の中で、生きてみる気はないか?」
「……私を、受け入れるというのですか?」
「主人格の代わりとまではいかないだろうが、な」
「ふっ……」
初めて、デルタは微笑った。
もしかしたら……生まれて初めてこいつは微笑ったのかもしれない……。そう思えてしまうほどぎこちなく、悲しみとか寂しさとか嬉しさとか、そういうものを全部ぐちゃぐちゃにしたような……複雑な微笑だった。
「生きる……ですか。でも、それも僅かな時間です。シスターの二度目の予知で、白雪セリカは破滅的な最期を迎えます。《起死回生》という異能力を使ったとしても、ゼロによる一度目の死で白雪セリカは絶望の真理に到達し、至高のSSSとなる。彼女の真理は至高のデストルドー。全ての生命を否定するジェネシス。だからどの道、どう足掻いたところで、私たちは死ぬんですよ」
「…………」
デルタの記憶が、僅かだが流れ込んでくる。
♦♦♦
ハハハ! 俺を止めたいなら、力で俺を支配するしかないぞ? 白雪セリカ。
ぐちゃぐちゃだなァ、グチャグチャだなぁ、血と肉と臓物のニオイだなァ。
花子、その女はさっさと始末しろよ? そいつを焼き殺すところを俺に見せてくれ。ミディアムレアでな!
透、お前の世界と俺の世界、どっちの方がより真の悪なのか競おうぜ?
赤染アンリ、お前弱すぎるな? 生前の俺のライバルだったんだろ? もっと見せてくれよ、力をよぉ。
お前を殺すことで、俺は生前の俺を超えたことになる。だから……お前は俺が殺すよ、白雪セリカ。
お前は俺の未来に邪魔だ、死ね。
ケタケタと笑う男の姿。その未来。
♦♦♦
ハハ、ハハハ、ハハハハハハ……。
意味なんてない。
そうだね、シスターの、マザーの言った通りだった。
意味なんてない。
赤ずきんの言った通りだった。
意味なんてない意味なんてない意味なんてない意味なんてない。
なら……もう……いいや。
全部……いいや……。どうでも。
ハハ……アハハハハハハ!
虚無と狂気しか感じない、少女の哄笑。
♦♦♦
ケタケタ笑う男の笑い声が反響した後、小さな少女の笑い声が闇の中へ消えていく。
……これが、未来だというのか?
嗜虐的に笑う男を前にして、震えながら白い剣を構えるセリカの後ろ姿。
あまりにも小さく、弱さしか感じられない……セリカの姿。
そしてそのセリカは男に心臓を剣で貫かれ、ジェネシスカラーが変貌する。
その瞬間、セリカは”SSSとして完成”する。
《未来予知》ができるシスターという人格が見た未来を、私もそのまま自分の記憶として見ることができた。
「セリカ……が……私達を殺すのか?」
にわかには信じられないが、シスターの二度目の予知ではそうなるらしい。
「彼女はGランクというものを目指しているそうですが、そんなものは存在しません。その事実に気付いた時、その絶望が正義のジェネシスを死のジェネシスへと反転させる。そういう未来です」
「…………」
「もし本当に“生きたい”と願うのであれば、《赤い羊》より先に、白雪セリカを殺すべきです。少なくとも、透の描く“完全自由な世界”の方が、白雪セリカの”死の世界”の方があなたにとっては都合が良い筈ですから」
「お前ではない人格は、セリカを殺そうとしているようだが、そもそもセリカが人類滅亡を行うのであれば、セリカは放置すべきではないのか? 人類滅亡はお前たちの願いでもあるだろう?」
「さあ。どうでしょうね。私にとってはどうでもいいことです」
デルタは自虐的な笑みを浮かべる。
「私は……私はどうしたらいい……」
それはデルタへではなく、自分への問いだ。
兄さんは「セリカを頼む」と言った。
だが、セリカはいずれ人類を滅ぼすほどのジェノサイダーとなる未来があることが分かった。
兄さんは死体を操る異能力者によって蘇生されているらしいが、精神と人格まで綺麗に《赤い羊》の快楽殺人鬼が蘇生される訳もない。
次に会う兄さんは、化け物になっている。
そう……断片的だが、私も未来を見てしまった。
ジェットブラックジェネシスを身に纏い、笑いながらセリカを刺し殺す男の姿。
ゼロという男を、兄さんの形をしていたナニカを……。
「私は……」
……どうするべきかなど、決まっている。
ただ、その答えを受け入れたくないだけだ。
「何も……知らなければよかったな」
未来など、見えてもロクなことがない。
何も知らなければ、何も知らずに死ぬことができたのに。
自分の役割を全うするという幸福に酔いながら……。
「もし」
デルタが唐突に言葉を紡いだ。
「もし、どうせすぐに死ぬことになるという点を踏まえてでもいいのであれば、私をここに置いてくれますか? どうせ暫く帰れませんしね。たとえ帰ってもまた、棺に戻るだけ。それも悪くありませんが、不思議とあなたの精神の中は棺の中よりも落ち着きます」
「……私は」
未来を知ったからこそ、それを止めることができるのも私だけだ。
「……お前は、未来を変えたんだよな? 私に滅ぼされる未来を」
「はい。ただ、シスターは私より下位の人格ですし、私が行動すれば未来は変わります」
「…………お前の願い、私に託さないか?」
「叶わないのに? それをあなたも知っているのに?」
「私に力はないが、主体性はまだ残っている。そして、お前には力があるが主体性がない。私たちは単一では恐らく何も為せない不完全な存在だ。だが、私の主体性とお前の力が組み合わされば、もしかしたらもう少しマシな未来を描くことができるかもしれない」
「希望を……語るのですか?」
「そう……だな。希望は、私にとっては病気みたいなものだ。生きている限り、希望に縛られる。“絶望していたいという欲求”も、結局のところ希望を恐れている無意識の反動に過ぎないと私は思っている。現にお前もこうして、“まだ”存在しているだろう? 死にたいという人間は、結局のところ死にたい理由が無ければ生きたいのさ。それが人間というものだ」
「……不可思議な人ですね、あなたは。分かりました。それでいいですよ」
「宿を貸すのは私なんだがな……」
苦笑しつつも、私はデルタと共生関係を結ぶことになった。
「ただ、一つだけ条件があります」
「……ここまで来てなんだ?」
デルタは少しだけ子供っぽい笑みを浮かべ、こう言った。
「私の主人格の代役を名乗るのであれば、私より下位ランクでは困ります。あなたにはこれから、SSSになってもらいます。その道を、これから示してあげますよ」