第9話 禁断のタナトス③【百鬼結視点】
「……」
「……」
突然の問い。
即座に何かを言おうと唇を開きかけるが、直感的に私は言おうとした言葉を飲み込んだ。
喋って時間を稼ぎながら考えを巡らそうと思った。
だが、それは危険だと私の直感が告げた。
少しでも言葉を間違えればその瞬間に“終わ”る。それが分かる。
かといって、このまま黙り続けているわけにもいかない。
セリカめ……こんなところに転移させて、私を西園寺要に消させたいのか? 恨みたくもなるが、セリカの性格を考えるとその可能性はないとも思える。この展開はセリカも意図していなかったと……そう考えるべきだ。私はセリカが嫌いだが、セリカの善性だけは信頼している。
私とデルタの沈黙が続く。
静かな空間。掛け時計の針の音だけが響き、私はじっとデルタを観察する。
が、デルタもまた、アルカイックスマイルを浮かべながら私をじっと見ていた。
観察者の瞳。真っ先に連想するのは透だが、デルタは透とは“何か”が違う。
デルタは面白がるように、それでいてどこか関心したような目で、もう一度唇を開いた。
「ねえ、オメガさん? 私とオトモダチにならない? 私達、きっと上手くやれると思うんです。私の“新しい器”になれるのは、あなたしかいなそうですから」
「……何故、私の承諾が必要なんだ? お前なら、問答無用で身体を乗っ取れる筈だろう?」
「その通り。ですが先ほど言った通り、乗っ取った後、元の精神体を完全に抹消できるわけでないのがうら若き乙女の悩みなのです。何度かテストして元の精神体だけを消滅させることができないことが分かったのです。なのでずっと騒がれるとメンタルの弱い私はすぐに自殺してしまいます。つまりは宿主さんの心優しい清き善意が必要でして……」
「元の身体に居続けることはできないのか?」
「あと10分も表に出ていられなさそうなんですよねー。メアリーはもう半分以上回復してしまったし、マザーが起きれば私はまた棺に入れられちゃう。いじめられっ子のつらいところです」
「……棺?」
「あまりベラベラ話している時間はないのです。私、こう見えて焦ってます」
「…………何故、“私”なんだ? こう言ってはなんだが、もっと御しやすい人間はいくらでもいたはずだ」
「ズバリ、容姿です」
私を指さして、ニッコリと微笑むデルタ。
「……は?」
「あなたの容姿。個人的にドンピシャです。どうせ入るなら、美しい身体の方が良いでしょう?」
本気で言っているのか、ふざけて言っているのか判断がつかない。
「敢えて口に出すが、SSSのジェネシスを持つお前を前にして私に選択権は無い。お前に殺されるか、お前に身体を乗っ取られるかしかない」
「…………」
デルタは否定も肯定もせず、ふざけた笑みを引っ込めて不気味なほどの無表情で私を見据える。
「数えきれないほど質問したいことがあるが、時間が無いんだったな。なら質問は一つに絞る。これだけは聞かせてほしい」
「なんなりとどうぞ?」
「……私の持っている“全ての異能力”をお前は把握しているのか?」
「…………」
私の質問に、初めてデルタは人間らしい反応を見せた。
眉を顰め、不可解そうに首を傾げている。質問の意図が読めないのだろう。
他人格の《思考盗撮》によって私の思考は盗み見られた。
私の殺人ランクが変動しても常に発現できる異能力であり、私の“一度も使ったことが無い異能力”。その情報は少なくとも他人格は握っている。Eランクになっても消えることのなかった呪いのような私の異能力。
透が私をオメガと名付けた理由もそこにある。
だが問題は、他人格の持っている情報もデルタも持っているかどうか。その一点だ。
「…………それは、どういう意味ですか?」
デルタは問いかけながらも、余裕のない無表情で私を観察している。
……この反応。
私はある仮説を思い付き、デルタを試すことにした。
(私がお前に訊いた質問の意味はたった一つだ。私の持つ異能力はお前の存在そのものを完全に殺し得る可能性のあるもの。そのうえで私の身体を奪うリスクをお前は把握しているのか? とてもではないが、リスクとリターンが釣り合わないと思うが)
私にチャネリングは使えない。
ただ、心の中だけで思考する。今考えたことはブラフではなく、真実だ。
赤染先輩に能力の情報を開示してほしいと言われ、断らざるを得なかった最大の理由。
他人格の《思考盗撮》がリアルタイムで使える、あるいは他人格が《思考盗撮》して私の思考を覗いた記憶があるのなら、私の身体を乗っ取ろうという選択はあり得ない筈なんだ。
――――もし。
もしデルタが他人格の記憶を完全に持っていないのだとしたら……これは私にとって“西園寺要を殺害できる”最初で最後の好機かもしれない。
ただ、多重人格者のメカニズムがどうしても分からない。
人格が違えば記憶は共有されるのか、されないのか。
私のことをオメガと呼んでいることから、ある程度の記憶は共有されていることは分かる。
こいつの話しぶりだと、ある程度は共有されるようだが……“全て”とは思えない。人格交代のことを“眠る”、“棺に入る”という表現をしている。
全ては憶測の域を出ない。情報を集められるほどの時間的余裕はない。
だが、この質問でかなりの情報を集めることは可能だ。
もはや賭けだが、もともと勝機のない相手だ。
何度も捨てかけたこの命。今更出し惜しむようなものでもない。
透についていくと決めたあの日を思い出せ。
何を犠牲にしても、どんなことをしてでも、為すべきことを為す。それが私。私という人間だ。
たとえこの異能力で私という存在が消滅してしまったとしても、デルタをここで排除できれば少なくともセリカは生き残れる可能性は上がる。
西園寺要の全ての人格ではなく、デルタ一人しか破壊することができなかったとしても、こいつが一番ヤバい人格だということは分かる。
セリカさえ生き残れば、ジェネシスという闇を希望に変えてくれるかもしれない。
……やるしか、ない。
「黙ってないで何か言ってほしいのですが」
どこか余裕のない抑揚で、笑みを浮かべながらデルタは私を観察している。
私を観察するデルタを観察し、確信した。
デルタは《思考盗撮》を使えていない!
そして、他人格が私を《思考盗撮》した記憶を持ってもいない……。
「……いや、大したことではないんだ。他人にバレると恥ずかしい異能力で、少し気になっただけだ。私の身体を乗っ取られたら、どっちみちバレてしまうんだけどな」
取り繕うように言ったが、本心でもある。
だってこれは、自分が外道であることを否が応にも思い知らされる異能力だから。
「なるほど! うら若き乙女にはよくある悩み事ですね」
納得したようにデルタは微笑んだ。
その笑みを見て、私は先ほど実行した、透に教わったマインドコントロールを思い出して心の中で安堵した。
……やはり相手を信頼させたり、油断させる場合は本心を話すのが一番だな。
「さて、オメガさん。これからあなたの身体を借り受けますが、私はうるさくしない限り自殺したりしません。なのでそこは安心してください。私はトリプルカラーでちょっとカラフルな人になってますけど、カテゴリー的にはSSSランクのようなので、いろーんな能力が使えます。私に協調姿勢を見せてくれれば、あなたの願いも私が叶えて差し上げましょう! 叶えられそうなものであれば、ですけどね」
デルタは溌溂と微笑む。
……これは、本心なのか?
――――もし。
もし、この化け物の力を本当に借りられるのだとしたら?
《赤い羊》を皆殺しにして、兄さんを取り戻すことができたのなら……。
――――西園寺要を殺す必要性は、私にあるのか?
馬鹿が。
つい先ほど、私は本心でデルタを騙した。
デルタも恐らくは、私と同じだ。本心で私を騙そうとしている。
「それでは、能力を発動します。いきますよ?」
私の葛藤などつゆ知らず、デルタは愉しそうに微笑みながら――――
――――能力を発動した。
《表裏一体》――ヒョウリイッタイ――
デルタ……いや、西園寺要は目を閉じて膝から床へ崩れ落ちたのが見えると同時に、私からトリプルカラーのジェネシスがあふれ出し、強烈な睡魔が訪れる。
(……思った通り、脳のキャパシティーが広い。IQが高いのか? 容姿も優れ、高い知能を持っている人間。過去最高の肉体。フフ、フフフ……。ついに、手に入れた。これであの忌々しい身体とオサラバできる)
私は考えていないのに、私が考えている。
同じ脳を使っているから、か。
これが、憑依の感覚……。
憑依の異能力など見たことも聞いたこともない、が、異能力というものは発動直後不安定な傾向がある。全てではないけれども。
だが、もし、この《表裏一体》もそうなら……。
「もし君がこの異能力を発動したら、その時点で君は真理に到達するかもしれない。僕は君がこの力を自主的に使う日を楽しみにしているよ。オメガ、君が虫かごから羽ばたくその瞬間を、僕は誰よりも心待ちにしている。君の悪を、僕は愛しているよ」
何故か、私は透の言葉を思い出していた。
透と初めて出会った日。
透にジェネシスを与えられた日。
透が私にオメガと名付けた日。
透が……私の悪を引きずり出した日。
(オメガさん? あなた、何を考えてい――――)
さようなら、兄さん。
セリカ。
赤染先輩。
兄さんは私に善であることを最後まで望んでいた。
でも。
ごめん。
私は、善にはなれない。
私は、セリカじゃないから。
私は私の悪を受け入れよう。
さあ、全てを終わらせよう。
発動するよ。
――――私の悪を。
《自我崩壊》――ジガホウカイ――
視界と全ての意識は白で埋め尽くされ、私はそのまま崩れ落ちた。