第9話 禁断のタナトス①【百鬼結視点】
ふと気づくと、私は闇の中にいた。
瞬きをしても、変わらない。
瞼を閉じた時と同じ漆黒の景色が、そこにあった。
……ここは、どこなのだろう。
前後の記憶を急いで思い出そうとすると、セリカの必死な言葉が脳裏をよぎる。
「くっ、持久戦じゃ守り切れない。二人とも、分断する。私はリリーを。二人はヒコ助を殺して。できるできないとか言い訳はいいから、やって! SSにでも何にもでもなっていいから!」
セリカの発言から、何らかの異能力が発動したとしか考えられない。
口調、雰囲気、目つき、全てが一瞬で激変したセリカ。
ヒコ助とかいう男が言っていたが、透並の風格がセリカからにじみ出ていることは否定しきれない。
……これといってきっかけはなかったように思える。
兄さんを失ったことがきっかけなら、もっと早い段階で変わっていたはず。
まるで私の知らない場所、時間を過ごして帰ってきたような……そんな印象すらある。
何よりも決定的なのは、“転移系”の異能力を発動したこと。
異能力の中ではかなりレアな分類に入る。
この学園以外にも、透は今まで何千人もの人間にジェネシスを与え、殺人ランクの傾向、異能力の総数や種類を調べていた。
あらゆる実験をし、SS、SSSの素質が無いと判断すれば処分していたのを透の傍で見てきた。
いばら姫とか呼ばれていた女も《自在転移》という異能を使っていたが、いばら姫以外に転移系の異能力を発現した人間は過去に一人しか見たことが無い。
その一人は転移系異能力を発動したが、透はその異能力を“無効化”し、殺した。透にはFランクを彷彿とさせる“無効化”の異能力も持っている。
――――ぞわり。
背中に嫌な悪寒が走り、震えそうになる。
思えば、FランクとSSSランクには類似点が多い。
西園寺要の《堕天聖女》と、セリカの《守護聖女》は名前は違えど、全く同じ異能力だった。《殺人模写》でコピーしたからこそ、確信している。
私達人間が善だとか、光だとか呼んでいるものの“正体”の終着地点は、もしかしたらその対極なのだとしたら?
殺人ランクは”通常”は一つずつ段階的に上がっていくが、兄さんが一時的にSからFランクに変貌したことがある。この現象のおかげで、殺人ランクは段階性ではないことが分かる。
殺人ランクはSSSからFで終わる。なんとなくイメージでピラミッド型やツリー型の階層構造をどうしても想像してしまうが、殺人ランクの構造が階層構造ではなかったとしたら?
Fランクの”次”はEだと思い込んでいたが、もしかしたらFランクの”次”がEではないのだとしたら?
嫌な想像ばかりしてしまうが、それはこの闇のせいだ。
……闇?
一向に晴れる気配のない、闇。
いくらなんでも不自然だ。真夜中のような闇だが、私から発露しているジェネシスすら目視できない。ジェネシスは僅かに光る性質があるから、今の私のスカーレットジェネシスで赤い色がこの闇の中を照らす……筈……なの……に。
思考を中断せざるを得ないほどの、悪寒。
心臓を握りつぶされるほどの冷たいプレッシャーとともに、私はこの闇の正体にたった今、初めて気付いた。
この闇は……ジェネシスだ……。
信じられないことに、景色そのものが全てジェットブラックジェネシス……。
私は今、SSSのジェノサイダーの発するジェネシスの“中”にいる……っ。
考えられる人間は、一人しかいない。
「……そこにいるのか、西園寺要」
人の気配すらなく、残酷なほどの虚無を思わせる闇の景色。
方向感覚と精神を容赦なく蝕む黒。
死という恐怖を克服した筈なのに、私は今、恐怖を……感じている……?
《不眠不休》――フミンフキュウ――
ゆらりと、炎のように蠢くジェットブラックジェネシスは、突如として三色混合に変わり始めた。漆黒、紫、真紅の三色に。
三色のジェネシスは不気味な光を発し、私の視界を照らし、目の前にいる存在が明らかになった。
目は空ろ、胸に鋏が突き刺さり、だらんと椅子の背もたれに横たわる男子生徒。男子生徒からそのジェネシスは溢れ出していた。
投げ出された両腕と胴体から椅子に滴り落ちるのは、真っ赤な血。血だまりが緩やかに緩やかに広がっている。
椅子の前には、ピアノ。それを見て初めてここは音楽室なのだと気付く。
西園寺要……じゃない? そして、何故だ、死にかけている。
目の前の現実を理解するかしないかの瞬間、その男子生徒の空ろな目が私を見てニヤりと微笑んだ。
「初めまして! 百鬼結さん。……オメガさんの方がよろしいでしょうか。ファーストコンタクトがこのような見苦しい姿で恐縮です。かはっ、息が、苦しいですが……初めましてですね。紅茶でもあればよいのですが」
「誰だお前は」
即座に剣を凶器化して構えるが、目の前の男は動じる様子はなく、むしろ風を感じるが如く心地よさそうに目を閉じている。
「誰? とても……とても難しい質問ですね。副人格は私のことを”デルタ”と呼びますが、あいにく私はこの名前が嫌いで嫌いで。とっっても嫌いで、オゴッ、あ、もう……長くないですね。この身体は……意識が、遠のきます」
ボタボタと、胸のナイフから命という名の血が零れていく。
「……致命傷を負っているのに、随分余裕だな」
「あー、なるほど。確かに“この姿”だと、そう見えますよね? フフ」
明るく溌溂と天使のように上品に微笑みながら、男は言った。
「少し……待ってくださいね……今……もうすぐ……死にます……から……」
そう言って、男は目を閉じてダランと動かなくなった。
脈を測ってみると、完全に死んでいる。
ジェネシスも完全に霧散した。
「…………」
薄気味悪い。
この形容しがたい不気味さは何だ?
普通、死ぬ前にあそこまでふざけていられるか?
私はなるべく早くこの場を立ち去ろうと振りかえ……る……と――――
「――――っ!?」
言葉を、失う。
頭をハンマーで思い切り殴られたような、そんな衝撃すら覚える。
私の後ろには、西園寺要がいた。
両手を後ろ手に組み、少し背伸びをするような、あどけない動作は幼さを連想させる。
「私はね、誰かの身体に憑依して、その身体で自殺をするのが趣味なんです。自殺したあと元の身体に戻ってしまうのが最近の悩みでして……。新しい器を探しているところなんです! ねえ、オメガさん? あなたいかがでしょう」
純真無垢なお嬢様のように佇みながら、西園寺要と思われる”何か”は微笑った。
更新は不定期に変わりました(._.)