第8話 THE FOOL ⑦【赤染アンリ視点】
「――――っ」
喉が、焼けるように熱い。
身体が、動か……ない。
意識がかすんで、思考が白く焼き切れそう。
瞼を開けようとしても、視界が開かない。
「かはっ、おえっ……」
口の中から、血だまりが噴き出す。
何が、起きた?
ヒコ助が自分の親指を切り離し、その親指が光ったのは覚えているが、それからの記憶が僅かに飛んでいる。《千変万化》で無理やり私の剣をヒコ助の《鎧袖一触》を模倣して鎧の形に変化して防御態勢に入ったことだけは覚えているが……。
立ち上がろうとするも、脚が動かない。
そもそも……ない。
脚の感覚が……ない。
手も、動かない。左腕はそもそも切り離されているが、右手の指の一本すら動かせない。息も、苦しい。かろうじて聴覚だけは機能しているが……。
「くっ、自分の異能だが滅茶苦茶いてえな、ったくよ。《無限再生》ありきの能力ってのも、どうなんだろうな?」
《無限再生》――ムゲンサイセイ――
ヒコ助の声が正面から聞こえる。少し距離はあるが、こんなものはあってないようなもの。身体が動かない以上、私にもう勝ち目は……ない。
「……」
嗅覚に意識を集中させる。何か、焼け焦げたような匂い……。
どこかで嗅いだことがある。これは、肉が焼けるような――――
「――――っ!」
気付いた瞬間、身体中に激痛が走る。
熱い、熱い熱い熱い!
全身の肌がヒリヒリして、ジンジンと痛みを訴えかけてくる。
反射的に涙が出るほどの痛み。私の身体中の肉が、焦げている臭いだ!
頭の中が、クラクラして、気絶した方が楽だとすら思える。
「…………っ」
意識を集中させ、無理やり痛覚を遮断する。
ジェネシスのチャネリングの要領だ。
無意識に左腕を斬られた時にやっていたのだと、今更気付く。
「おい、まだ生きてっか? マゼンタ女」
ヒコ助の声が聞こえるが、口が動かない。
「全身黒コゲじゃねえか……。唇も焼け飛んで歯がむき出しになってるぜ。ついでに瞼も無くなって目が飛び出してる。両足も、爆風で消し飛んでる。一瞬過ぎて、鎧の防御が間に合ってなかったんだな。つーか、その状態で、よくもまだ生きてるな? やっぱお前はスゲエよ。あの土壇場、爆発の直前に剣を鎧の形に変えて防御態勢に入ったんだからな。あの悪あがきがなければ即死していた筈だぜ。つっても、もってあと数分の寿命だろうがな」
「…………」
「喋れねえか。無理もねえよ。《支離滅裂》は俺の最強の異能力だからなァ。《絶対不死》持ちの透さんと、《自在転移》持ちのいばら姫と、《発狂密室》持ちのリリー以外の赤い羊なら確実に殺すことができるモノだ。俺の身体の一部を爆弾に変える異能力。あまりにも威力が強すぎるもんで、《赤い羊》から使うことを禁じられた技だ。つっても、使っちまったけど! ハハ! どうだ、この威力。親指だけで体育館がキレイに消し飛んだぜ? 腕一本使ったら、どうなるんだろうな!? つっても、目が見えてなさそうだなこりゃ……。いつもなら死ぬまで遊び殺すんだが、もうそんな体力も残ってねえし、お前は特別だ。できるだけ一瞬で殺してやる。ただ、お前の死体は飽きるまで使わせてもらう。俺は外道だが、強者に対しては素直に尊敬するんだぜ? 透さんのようにな」
そう言って、ヒコ助はケラケラ笑う。
……よく喋る男だ。
この男の言っていることは全て事実だろう。
痛覚は遮断したものの、身体中のダメージが致命傷なのは分かってしまう。
「…………」
ジェネシスは使えるか?
血は操作できるか?
何かできることはあるか?
目も見えず、身体も動かせず、死を待つだけの状態でも、私は行動する。
どうせ死ぬのだから、できることは全てやり通す。
――――けれど。
「おいおい、やめとけやめとけ。見ててこっちがいたたまれなくなってくるぜ? お前はもう終わりだ。確実に死ぬし、俺を道連れに殺すこともできねえ。何故なら――――」
《朱色満月》――シュイロマンゲツ――
《千変万化》――センペンバンカ――
《煉獄愛巣》――レンゴクアイス――
《曼珠沙華》――マンジュシャゲ――
異能力を試すが、発動すらしない。
身体が動かないのみならず、ジェネシスすらもう使えない……。
「お前が出した“赤い満月”は俺の《支離滅裂》の爆風で蒸発して消滅したし、そもそももうお前のジェネシスカラーは……“インディゴ”だ。マゼンタカラーは見たことのない異色だが、インディゴはスカーレットにすら劣るクソ雑魚ジェネシスだ。逆立ちしても俺に傷一つ付けられねえよ。諦めて、潔く死ねよ。まーあれだ。落ち込むことはねえよ。俺に《支離滅裂》を使わせたんだ。見た瞬間に視力すら閃光で焼き切れる死の爆発をな。これを受けて即死してねえだけでスゲエことだ。誇れ! 誇って死ね!」
「…………」
なる……ほどね。
本当の意味で……“詰み”みたいね。
身体のダメージを自覚した瞬間、諦めの感情が責任感を上回ってしまったらしい。
結局、何一つ果たすことができなかった。
何の成果も残せず、何の足掻きもできず、犬死に。
勝つことが全てだった私の死としては、あまりにも容赦も救いも無い終わり方。
しかも、こんな頭の悪そうなヤツに負けるなんてね……。
私が死んだら、こいつはセリカの所へ……行ってしまう。
駄目だ、思考が白く焼き切れて……今にも眠ってしまいそう。
……もうすぐ死ぬんだと分かる。
薄ぼんやりと……何故か私は小さな頃の記憶を思い出していた。
♦♦♦
「勝利とは義務だとこの前言ったが、その意味は分かったか?」
お父様に勝利の話をされて、暫く経った頃、私はまた書斎でお父様に呼び出された。
お父様は月に一回私を書斎に呼び出して、面談のようなことをする。私の心理状態や知能、コミュニケーション能力、成長具合を測っているらしい。
聞けば会社の重要な人物にも行っているらしく、私も例外ではないらしい。
何人かの友達に聞いても他の友達の父親はこんな事はしていないらしいから、私の父親は特別なのかもしれない。特別か異常かの差は、私には分からないけれども。
「……いえ。思い出した時に考えるようにはしていますが、実感としては分からないままです」
「そうか。アンリは賢いから、この話は抽象的過ぎてまだ分からないだけだろう。そうだな、もう少し突き詰めて話してみようか」
「はい」
「人間とは知能と道徳を持った動物だ。知能があるから難しい計算ができるし、発明による産業の発展、文明を開化させてきた。そして、道徳があるから罪と罰を定義し、良いことと悪いことを区別してきた。その一方で、動物であるが故に、衝動のままにいじめや犯罪、暴力、誹謗中傷など、非道徳的なことをし、無意識にヒエラルキーを構築し従ってしまう。ジレンマだらけの生き物だ。生物として何者にもなることができなかった中途半端な存在。そして、それらの課題がありながらそのどれをも歴史的に乗り越えることができなかった生き物。それが人間だ。ここまではいいかな?」
「……はい」
学校の教師では絶対に言わないであろう教えを平然とするお父様が、私はそれなりに好きだった。
「人間とは常に中途半端な生物だ。だから絶対に完全な存在にはなれないし、なりえない。個としてそうなのであれば、集合体としても必然的に同様だ。完全な組織も築けないし、なりえない。そして、人間とは常に二種類に分かれる」
「支配する側とされる側ですか?」
「無論、その二つにも分かれるが、もっと突き詰めると更に二種類の人間がいることに気付く。分かるか?」
「……いえ」
「割り切っている人間と、割り切れない人間だ」
「……というと?」
「人間が中途半端な存在であることを受け入れて割り切ることができる人間と、それができない人間。もっと分かりやすい言葉で言うのであれば、割り切れる人間は大人、割り切れない人間は子供とカテゴライズされる」
「……」
「先ほどまでの話はまだアンリには難しすぎたな。そうだな……例え方を変えるか」
そう言ってお父様は少し考え込んだ後、唇を開いた。
「子供という言葉は、何も未成年だけに適用される訳ではないんだ。どれだけ諦めて割り切ることができたか? その量が多ければ多いほど、大人になれる。逆に言えば、諦める量が少なければ少ないほど、子供ということだ。飽くまで精神的に、と言う意味ではあるが」
「ちょっとまだ難しいです」
「全員が全員プロ野球、サッカー選手になれるか? アイドル、俳優になれるか? 映画監督、芸術家になれるか? 未成年でも、夢というものに対して諦めることを覚える時期がある。自分にはなれない、才能が無い。到底無理だと」
「……そう、ですね」
「だが、勘違いしてはいけない。大人だから優れているという訳ではない。これは優劣の話ではないんだ」
「……?」
「夢を叶える人間もいるだろう? 何の挫折も絶望もなく、すんなりと夢を叶えてしまう“天才”という人種が。彼らは精神的には子供だが、特定の分野では誰よりも優れていると言える。優劣のどちらかという話であれば、優れているという答えになる」
「はい、そうですね」
「だが……アンリ。この話には続きがある。そして、お前はいずれ必ず人の上に立つ人間になる。私の子だからな」
「ここまでの話は、前振りだったんですね?」
「その通りだ。人の上に立つ人間は、”天才”であっては駄目なんだ」
「というと?」
「人間とは中途半端な存在。だが、必ずヒエラルキーを構築し、上下関係と横の関係を作る。そういう風にできている。つまり、中途半端な存在が中途半端な存在を従える構造、それが組織であり、それを根底から変えることは人類史上できないことが分かっている」
「また、難しくなりましたね……」
「では、聞き方を変えようか。アンリ、人の上に立つ人間に求められる最大の資質は何だと思う?」
「資質……ですか」
それはとても難しい質問。
小学生に問う質問ではないけれど、お父様は昔から私に容赦がなかった。
「それは――――」
♦♦♦
あの時、なんて答えたんだっけ……。
覚えてないや……。
もう死ぬというのに、思い出すのはお父様のこと。
そういえば、こいつとの死闘で、死にかけた時にさっきも思い出しちゃったな。
生きる為の道具だと割り切っていたのに、本当は少しだけ、父のことを大切に思っていたのかもしれない、なんて、今更になって思う。
「……何、笑ってんだ? 変なヤツだな、死ぬ前に笑う人間なんて見たことねえ。……いや、“一人だけ”いたな。透さんを殺したガキ。百鬼零。あのガキは、死ぬ前に笑っていた。そうか! お前が誰かに似ていて誰にも似ていないと思った理由が分かったぜ。百鬼零に、お前は似ていたんだな」
もうヒコ助の言葉すら聞こえない。
意識を、研ぎ澄ませる。
私は、最期の悪あがきをすることにした。
もう一度、もう一度だけ、最期に、《執行人》に到達し、こいつを殺す。
その為には、必要悪へと至らなければならない。
――――必要悪とは何か?
ずっと考えていたけど、たった今、初めて、本当の意味で私はそれを理解した。
人間とは中途半端な生き物。
そのうえで、どれだけ“諦めることができる”か。
正義は諦めてはいけないけど、必要悪の役割は“真逆”なんだ。
私は何でも人よりできてしまう天才型の人間だけれども、だからこそ父は私の弱点を幼少期から教えていたのだ。その意味が、この死ぬ直前でようやく分かった。
善よりも重厚で。
正義よりも苛烈で。
悪よりも残酷で。
――――私にしかできないこと。
それが、必要悪。
私だけの必要悪。
(セリカ、私の声、聞こえる? 返事はできる?)
チャネリングで問いかけるも、応答はない。
けど、チャネリングを開き、寝息が聞こえる。
生きていることは分かる。
少しだけ、安心する。
ごめんね、セリカ。
セリカであれば絶対にしないこと、できないことを、私はこれからする。
でも、こいつだけは必ず殺すから、許してね。
――――全意識を集中。
《思念盗聴》――シネントウチョウ――
殺人ランクが下がったから、この異能力が使える。
校内に残っている全生徒の所在を空気の振動のみで座標を捉え、場所を特定する。
《思念盗聴》だと死体と気絶している生徒までは動かないから、音が出ず分からない。
動いている、つまり生きている生徒だけしか判別できない。
……全部で三十五人。
戦闘中の音源は無い。全員が徒歩で移動している。
殺人カリキュラム、最後の生き残り。その位置を把握する。
ただ、その中でただ一つ。足音以外の音。
「ねえ、オメガさん? 私とオトモダチにならない? 私達、きっと上手くやれると思うんです。私の“新しい器”になれるのは、あなたしかいなそうですから」
聞き間違える筈もない、声。
けれども、聞き慣れない抑揚。少なくとも、学園生活でこんな声を彼女が出したのは聞いたことがない。
優しそうで、朗らかで、天使のような声。
――――西園寺要。
……意味が、分からない。
何故、西園寺要と結が一緒にいる?
……裏切り?
いや、今それを考える時間はない!
もうすぐ私は死ぬんだ。それまでに、カタをつける……っ!
「おいおい、まだ何かするつもりか? いいぜ! ますます気に入ったぜ! 見せてみろよ。お前の、最後の悪あがきってやつを!」
ヒコ助は勝手に盛り上がっているが、もはや私の意識はそこにはない。
ジェネシス、出なさい。
「……ル、……ル、……ルル」
ジェネシスを《腕》の形にし、背中から生やし、凶器化した剣をジェネシスの腕で握る。
自分の身体を動かせないのなら、ジェネシスにやらせればいい。
そして、自分の右腕を切断する。
当然、血が、噴き出す。
さっきは無意識に《執行人の領域》に入れたが、あれは殆ど偶然だった。
今度は意識的に入る。できなければ、このまま”終わり”だ。
――――“諦め”ろ。
全てを“諦め”て、勝て。
何を犠牲にしてもいい。
勝利とは正義ではなく義務。
負けることが悪なら、勝つことは必要悪だ。
それが、私の役割だ。
自己暗示よりも強く、私へ説く。
――――すぅ、はぁ……。
ゆっくりと心の中で息を吐いて、覚悟を決める。
「……ほぉ、またマゼンダに変わったな。どういうカラクリだ? 透さんといばら姫あたりは実験したがりそうだなァ、おいおい」
ヒコ助は余裕ぶっているが、それは確実に自分が生き残れると確信しているからだ。
だが、それは大きな間違いだ。
後悔する暇もなく、殺してやる。
《朱色満月》――シュイロマンゲツ――
月と呼ぶにはあまりにもおこがましい、豆粒のような小さな赤い球体を頭上へ浮かせる。見えないからイメージだけど。
右腕を切断した血液の1%しかこれには使わない。使えない。この月を大きくするメリットは、特にない。血液を沢山保存すればそれに比例して勝手に大きくなるだけという意味合いしかなさそう。まぁ、もうすぐ私は死ぬからどうでもいいか。
《千変万化》――センペンバンカ――
残りの血液の全てを、凶器化した剣の刃の部分に付着させ、身体能力強化で血を強化。
《曼珠沙華》――マンジュシャゲ――
剣の刃の部分に付着した血液に毒素に変える。
《千変万化》――センペンバンカ――
もう一度、《千変万化》を使う。同時でなく、交互であれば異能力は問題なく使える。
毒がついた凶器化した剣を、槍の形に変える。
「そんな槍が俺に通用すると思うか? あまりガッカリさせ――――」
ヒコ助が喋るより早く、私は槍を更に《千変万化》で変化させる。長く、細長く、ある位置へと一直線でひたすら伸ばす。思い付きだが、《千変万化》には伸縮という意味で形を変えることができる。
…………手ごたえがあった。
まずは一人。
次。
手ごたえあり。
次。
特定の座標へ刃を伸ばし、刃に付着した血液を、そうでない血液に混ぜていく。
たまに急所を外すが、毒が入るのですぐに動きが鈍くなる。鈍くなったあと、すぐにトドメをさす。
……あまり、時間がない。
スピード重視でその作業を迅速に行い、最短距離を計算しながら槍で貫いていく。
目が見えない分、感覚が澄んでいる。
…………終わった。
三十三回分の手ごたえを以て、作業は終了する。
結と西園寺要を除外したから、この数になった。
気絶してる子、死んでいる子の位置は分からないから、生きている子の分だけにはなるが……。
「……お前、何をしている?」
流石のヒコ助も不気味に思ったのか、怪訝な声で問いかけてくる。
何をしたかって?
三十三人の生徒をたった今殺害して、使える血を集めた。
《千変万化》で伸縮可能な槍で三十三人の罪のない生徒の頸動脈を貫いて切断を繰り返した。
血を集め、目の前のこいつを、殺す為に。
――――ただ、それだけの話だ。