第8話 THE FOOL ①【赤染アンリ視点】
そして気づけばまた私は、体育館にいた。
瞬間移動? セリカが何かしたのか……。
大量の死体は既に消えていて、私と、ヒコ助がそこにいた。
「……場所が変わってんな。いばら姫ん時の《自在転移》と似た感じだ。転移系異能力か。あのホワイト女にまだそんな力があったとは驚きだな……」
ヒコ助はギラついた目を細め、手首についた血を舐める。
「リリーとホワイト女、ブラコン女が見当たらねえってことは、バラバラに散ったようだな。だが、転移したのはリリーとホワイト女以外と見える。まさかリリーがしくじるとは思えねえが、リリーとタイマン張って殺る自信がねえと転移異能なんて使えない。あまり……時間は無さそうだな」
そう言ってヒコ助から迸る殺気とプレッシャーを前に、私はほくそ笑む。
「まぁ、こっちはこっちで愉しみましょうよ。ね?」
転移は突然のことだが、動揺はしていない。ジェネシスの異能は何でもありだ。いちいちうろたえていてはキリが無い。むしろ無限の可能性があるのだとポジティブに捉えるべき。結もセリカもいない。完全に私とヒコ助の一対一……か。
セリカとリリーはあの場に残っているとして、結は一体どこへ? 別の場所に転移したのか? いや、いない以上は戦力は私ただ一人と考えた方がいい。
まだ準備は整っていない。《執行人》の入り方、それは確かに私向きだけど、やはり快楽殺人鬼のSSに匹敵するほどの狂気が必要となる。目の前のこいつを踏み台にして、なるしかない。
「てめえに俺を愉しませることができんのかァ?」
血走った目で歯をむき出しにして、ヒコ助は微笑う。
「それはやってみないと分からないんじゃない?」
「Sランク如きが、吠えてんじゃねえよ……虫ケラがァァ!」
前かがみになり、両腕をクロスさせ、怒涛の勢いで真っすぐに飛び込んでくるヒコ助。
「ッ!」
速い。速過ぎて目で追えない。まるで時速200キロで走る2tトラックを正面から見据えるような迫力。
《百花繚乱》――ヒャッカリョウラン――
フッと息を吐き、花の形をした異能を放出する。広範囲で威力もあるこの異能に猪突猛進で突っ込めば多少はダメージを受ける筈。
《鎧袖一触》――ガイシュウイッショク――
ヒコ助の身体を、紫色のジェネシスが鎧となり覆い、《百花繚乱》をまるで石ころのようにはじき返す。
――――マズい!
やはりSでは話にならない。
「くっ!」
右足に力を入れて上へ飛ぶ。翼を即座に形態化で生やして跳躍!
ガァン! と耳をつんざくような音を立て、ヒコ助が体育館の壁にめり込んでいた。
壁には風穴が空き、外が見える。
「うわぁ……。あれマトモにくらったら即死ね」
思わず苦笑する。
ただジェネシスを鎧として身に纏い、真っすぐに特攻するだけ。
単調過ぎる攻撃。避けようと思えば避けられる。
――――が。
「……っ」
ズキンと、遅れて走る痛み。
命中はしていない。が、ヒコ助の特攻で起きた突風を、足先が掠った。それだけなのに、激痛が走った。こんな攻撃だけに特化したジェノサイダーもいるとはね……。
「それにしても……どいつもこいつもか弱い女の子への礼儀がなってないわよね」
首輪をつけて美味しそうだとかのたまうヒキガエルといい、問答無用で体当たりしてくるヒコ助といい、顔を合わせればおちょくってくる百鬼君といい。
「……Sランクの分際で今のを避けるか。《自在転移》持ちのいばら姫は別として、《赤い羊》でこれを見切ったのは花子と透さんだけだってのに」
驚いたように目を見開いて私を凝視し、ヒコ助は微笑う。
「ハハッ、愉しめそうじゃねえの。少しだけ勃っちまったぜ」
そして言葉遣いが下品……。まぁそれはなんとなく分かってたけど。
「あなた……合わないわね」
空中から、ヒコ助を蔑むように見下ろす。嫌いなタイプだ。
《百花繚乱》――ヒャッカリョウラン――
息を吹きかけヒコ助へ異能を飛ばす。
「ちっ、よええなぁ、おい!」
デコピンで私の異能を弾き飛ばし、ヒコ助は吠える。
「こっちから行くぞ! 一瞬でくたばんじゃねえぞ!?」
――――来る!
ヒコ助は両足にジェネシスを集中させ、助走をつけて勢いよく跳躍。
弾丸の如き速度で空中を駆け抜け、私めがけて突っ込んでくる!
頭の悪い攻撃。ただ真っすぐ愚直に特攻するだけ。
――――なのに。
全身がひりつく。死ぬ気で避けないと、一瞬であの世逝きだ。
空中浮遊状態では、足で大地を蹴ることができない。速度では圧倒的に不利。さっきの手は使えない。
《蛇王変幻》――ジャオウヘンゲン――
鞭を具現化し、体育館の二階の手すりに巻き付けて手繰り寄せ、勢いよく二階へ逃げる。
再び、轟音。ヒコ助が突っ込んだ天井に大きな風穴が空き、光が差し込んでくる。
「……っ」
その空を見て、気付く。
「消えている……《発狂密室》が」
紫と黒で二重に覆われていた《発狂密室》が、いつの間にか消えている。いつから? 死闘の連続で気にしている余裕なんて無かった。
透き通るような青い空が、ただただ今は目に眩しい。
もうこの学園は閉鎖空間ではなくなったのだ。少なくとも今は。
「……何故?」
リリーと西園寺さんが解除したという答えしかないが、そこに至る過程が空っぽだ。二人とも死んだ? いや、まさか。そんな筈――――
「よそ見とは余裕だなァァァ!」
右側の窓から、化け物がガラス片と飛ばしながら突っ込んでくる!
天井から飛び出して私の視界から外れて、瞬時に私のいる方向にあたりをつけ建物をぶっ壊して突っ込んできたのだ。そんな風に冷静に分析している頭が憎らしい。今は状況を解析している時間ではなく、対処しなきゃいけない時間!
「ッッ!」
《殴殺連打》――オウサツレンダ――
拳の、五月雨。
間合いに入られたっ!
こいつ、速い!
「ッ!」
防ぐという選択肢はない。防御すれば骨ごと粉砕される。見ただけで分かる。その理不尽なほどの威力。圧倒的な暴力という名の破壊の化身。
一瞬でも視界を外しただけでそれは即死に繋がる。
空も飛ぶし追撃もするし建物を破壊しながら自分のいる方向へ突破してくる新幹線を見ているような悪夢。
大量に振るわれる拳が目前に迫る。あまりにも量が多く、左右どちらに回避しても身体の半分はグチャグチャにされるだろう。それが分かる!
「キルキルキルルッッ!」
防ぐことはできない。回避も間に合わない。ならば!
即座に剣で背中にある邪魔な手すりを切り裂いて、後ろへ飛ぶ!
《蛇王変幻》――ジャオウヘンゲン――
左手で鞭を握り、右手の剣を軽く放り投げる。
「くぅッ!」
余裕が無さすぎる。だというのに、スローモーションのように滑らかに、緩やかに動きが見える。生死のギリギリに追い詰められ、集中力が格段に上がったのを感じる。
綺麗な放物線を描く剣を、左手の鞭で巻き付けて掴む。よし、成功。
射程範囲が広がれば、選択肢も増える。
ヒコ助が横に攻撃範囲を広げたので、私は縦、直線上の長さで攻撃範囲を広げたのだ。
「死ねェェェエエエエエエ!」
汚い唾を飛ばしながらヒコ助は吠える。
――――集中。
殺す。ただその一点のみに意識を預ける。
針の穴に糸を通すように。繊細に、丁寧に。
優しく、緩やかに。
ヒコ助の拳の嵐のほんの僅かな隙間。目を細めて捉える。ここが、相手の死角。
――――今だ。
一瞬の機。
《蛇王変幻》で巻き付いた剣が、拳の雨の隙間を縫うように、蛇のように滑らかに、竜巻のように素早くヒコ助の右の眼球から脳、頭蓋を勢いよく貫通した。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
鼓膜が破れそうなほどのヒコ助の悲鳴に、視界が揺れ、生理現象で涙が流れる。軽く脳震盪。
グラリと私はそのまま床へ落ちるが、すんでのところで翼で重力を殺し、床へ着地する。
「手ごたえ、アリかしらね」
思わず不敵に微笑う。《執行人》にはまだなれていない。
けど、確かに仕留めた手ごたえがあっ――――
「――――コロス」
静かな、それでいて心臓を握りつぶされるような殺気と死の宣告に寒気すら感じる。その寒気さが、少しだけ心地よく感じる自分がいる。
《無限再生》――ムゲンサイセイ――
ヒコ助の右目がグチャグチャと蠢き、ゆっくりと細胞を再生させる。
……仕留め切れていない。思わず顔をしかめる。この一撃で、仕留めたかった。攻撃に特化したこの化け物と長期戦は厳しい。
「……《絶対不死》並に厄介な異能をお持ちなのね?」
「俺の《無限再生》は死んだあとは有効じゃねえから、あれの劣化版だが、その辺の虫けらに俺は殺れねえよ。てめえはマジでコロス。一瞬では楽にしてやらねえ。歯を全部抜くなりぶん殴って壊すなりして、口を×××にして×してやる。この一撃で俺を殺れなかったことを死ぬまで死んでも後悔させてやっからなァァアアアア!!??」
白目のまま、ヒコ助は歯をむき出しにして獰猛に笑いながら吠える。
「……っ、最低ね」
少しだけ、鳥肌が立つ。
これが、恐怖という感情か。
今まで生きてきて私は、恐怖というものを感じたことが無い。
それは私に特別感情が欠落してるという要素もあるけれど、何より言えるのは安全な場所で生きてきたからだろう。
「……っ」
これが、生きるということか。
これが、戦うということなのか。
「ふ、フフッ」
面白くないのに、楽しくなんてないのに、思わず零れる笑み。
生きている。私は、生きているんだ、今……。
生の実感なんてものを、生まれて初めて私は感じた。
皮肉なことに。そう、皮肉なことに。
生の実感をして初めて、自分の命に価値を感じてしまう。
素直に、死にたくないと思える。平気で自死を選べるのは、自分の命や生に全く価値を感じていないからだ。ただそれだけのことだったんだ。何も特別なことなんかじゃない。ただただマヒしていただけ。命という当たり前のモノの、価値への認識が。
「……っ」
殺してしまったじゃないか。もう沢山の生徒達を。こんな思いをしながら殺されて死んでいったのか。そう思うと、少しだけ申し訳ない気持ちが湧いてくる。
でも、そんなことを考えてる時間は無い。
退路などない。目の前の死を死で片づけるしか、私に生は無い。
掌をじんわりと、しっとりとした汗が流れる。
ゆっくりと呼吸をして、心拍数をコントロールする。
集中しろ、集中。
「…………やるしか、ないみたいね」
生まれて初めての感情、恐怖と。
生まれて初めての衝動、生存欲求と。
螺旋状に私の心の中で暴れ狂う。
それらを無理やり押さえつけ、私は目の前の怪物に剣を向ける。
「キルキルキルル」
「……面白ェ。俺の殺気にひるむことなく剣を向けるか。そっちがその気なら、俺も付き合ってやるよ。キルキルキルル!」
私の赤い小さな剣に対し、ヒコ助は紫色の巨大な剣を構える。
「ぶっといのを口にぶちこんで内臓かき混ぜてやっから、覚悟しとけッ?」
「あら? 私の細いのでまたお目目をグチャグチャにされちゃうのが先じゃなくて?」
「――――ハハハッ! 面白ェ! コロォォスッッ!」
「ッッ!」
予備動作なしで、ヒコ助は剣を構えながら突っ込んでくる。
受けては駄目。また回避しなければ――――
――――いや、それではジリ貧。逃げの回避だけしていれば、タイミングをいつか必ず合わせられる。どこかで、そうどこかで必ずヤツの攻撃を受けなければならないタイミングが来る。
そしてそのタイミングをこいつに決めさせてはならない。こいつがそれを決めれば、必ず私は死ぬ。
……私だ、私が決めるんだ。
そして恐らく、”今”を逃せば永遠にその主導権はこちらにやってこない。直感的だが、確信。
まるで、何一つとして勝利のビジョンが無い。こんなことは生まれて初めてだ。
勝利のビジョンが無いまま、ほぼ死が確約されている攻撃を、勝てるかもしれないから受けろと私の脳が残酷な答えを出す。
自分の脳を信頼しつつも、勝利のビジョン無くしてそれを受け入れられない自分がいる。
それはかつてない自己矛盾だった。
今この攻撃を回避すれば、今は生きられるが”次”は死ぬ。命を無駄に延長していくだけ。
今この攻撃を受ければ今死ぬかもしれないが、生き残れれば”次”がある。勝てるかもしれない。
自分の脳がはじき出した答えが、あまりにも滅茶苦茶過ぎて笑う。なんだこれ。私、こんなに馬鹿だったっけ?
――――死。
愉しむ余裕なんてない。ただただ理不尽な目の前の死を目の当たりにして、生きたいという見苦しい欲望だけが心の中で暴れ狂うだけ。
それでも、一瞬でも気を抜けば、怠惰な絶望が心を蝕みそうになる。
もうどうでもよくない? 必死に戦ったって私にメリットなんてないでしょ? やっぱりあの時、百鬼君の口車なんかに乗らず、死んでおくべきだったのよ。なんで命懸けで戦うの? そこに意味なんてあるの? 退屈を排除したところで、死闘の連続をするだけ。そんなことして何になるの? 本当にこんなことしたかったの私は?
ヒコ助という死が眼前に迫る中、私の深く暗い部分で囁くような声。
ああ……これが、これが私のデストルドー。
それを自覚した瞬間、セリカの真っすぐな瞳と、その言葉を思い出した。
あの時、赤染先輩が透を殺せていれば、あなたが先陣を切る形で殺人カリキュラムそのものが崩壊していたかもしれない。そこまでのリスクを犯してまで真っ先に殺人行為に走り透を殺そうとしたのは、生徒会長としての“責任感”からなのでは?
持久戦じゃ守り切れない。二人とも、分断する。私はリリーを。二人はヒコ助を殺して。できるできないとか言い訳はいいから、やって! SSにでも何にもでもなっていいから!
何故だろう。その言葉を思い出すと、あらゆる精神の闇が晴れていく気がする。
諦めることが馬鹿らしくなる。戦おうと思える。なんて、不思議……。
自分だけの命ならば、私はここで終わっていたかもしれない。
でも、私が死ねばこいつはセリカのもとへ行くだろう。
そう思っただけで、その一瞬の思考だけで、暗く澱んだ怠惰な死への渇望は嘘のように消えていた。
私は、信頼された。任された。なら無心となり、その役割を果たすのみだ。
自分の主観や感情なんてどうでもいい。
望まれた役割を、完璧に果たす。今までずっとやってきたことだ。
それだけでいい。それだけが私の存在価値だ。
頭の霧が晴れ、再び私はヒコ助を正面から見据える。
もう恐怖も生存欲求も無い。厳密にいえば、置いてきたといった方が正しいかも。
――――この男を殺すのが私の役割なら。
ただただ一瞬の“機”を待ち、全身全霊で意識を研ぎ澄ませ剣を構え、そして―――
「――――死」「になさい」「ね」
――――勝つ。自己矛盾の螺旋を集中力で置き去りにし、私はその一歩を踏み込んだ。
赤と紫に光る死の刃が空間を吹き飛ばすかの如く轟音を上げながら、交差した。