幕間 退屈という病⑥【赤染アンリ視点】
ふらふらと、あてもなく歩いた。
教室、廊下、中庭、死体が沢山転がっていて、生きている生徒の顔も既に狂人のソレに変わり果てていた。襲ってきた子は返り討ちにして、首を撥ねて殺した。他の子が回収しやすいようにという意味と、痛みを感じさせないようにという私なりの気遣い。それに、剣という武器はこの殺し方が一番しっくりくる。
殺すと死に顔は大体2パターン。驚愕に歪むか、安堵の笑みか。
私も、死ぬときはああいう顔をするのかな? そう思うとなんか笑えてくる。でも、こういう残酷な要素で素直に笑えると思えるのは、リリーと私の似ている部分だと思えてしまう。やはり同類の部分はどうしてもあるよね。
何がしたいのかも分からない。自分自身の本質が、分からない。
あてもなく歩きながら、私は体育館の檀上の上に立っていた。
眼下には首の無い大量の死体。中にはクラスメートのものもあり、友人と慕ってくる子、可愛い後輩の亡骸もあった。首は取れちゃってて分からないけど、身体の形で分かる。胸に手を当ててみても、チクりとすら痛まず、涙も流れない。
泣こうと思えば泣ける。そういう訓練をしたことはある。けど、白雪セリカを守ろうとする百鬼君をイメージした時だけ、ほんの少しだけ胸の奥が軋むような、痛いような感覚がある。
「謎だなぁ……」
くすりと笑う。自分の心が分からないことが、楽しいと思える。
「キルキルキルル」
凶器化を使い、右手に剣を握ってみる。
自分の首を撥ねるのは簡単だ。サッとこの剣を振りぬけばいいだけ。刹那とかからない。痛みを感じる間もなく死ねるだろう。
人が自ら死を選ぶ時。理由は、絶望や苦しみだけじゃないと私は思う。
生きることに“飽きた”時、人は死ぬ。そういう“死”もあると思う。
倫理的には恐らく最低に近い感情。命に絶対的な価値があると信じている人間には到底理解できないであろう心理。私にとって、生は常に危うい。生きていることや命にそこまでの価値を見いだせないから、簡単に人も殺せちゃうんだろうなぁと思える。そして私は私自身をも簡単に殺せる。それが分かる。
「自分の命にすら価値を見いだせないのに、他人の命なんて尊重できるわけないよね♪」
壇上の教壇に座り、足をブラブラさせる。
今までずっと退屈だった。なんとなく生きていた。あくびが出るような虚無感だけの世界は、平和という意味では天国なのだろうけれど、私にとっては牢獄のようなもの。
けど、今はどこか満ち足りたものを……幸福感に近い何かを感じている自分がいるのも事実。
そう思わせる原因は、二つしかない。
《赤い羊》を率いる透と、同類でありながら必死に何かを守ろうとする百鬼君。
私にとって他人は、道具か駒か資源か情報源でしかない。それは友人や家族も例外ではない。何の興味もない。
けど、あの二人の男にはそんな言葉で測れない“何か”がある。あの二人を見ていれば見ているほど、私は自分の本質を思い出せそうな、そんな気がしている。
彼らは今どこにいるのだろうか? 散歩をした限り見つからなかったので、プールにいる可能性が高いかもしれない。
《思念盗聴》――シネントウチョウ――
密かにプールに仕込んだ異能を展開し、私の予想は当たった。
勝負の行く末も最後まで見守ったものの、ほぼ相打ちのような結果にやるせない気持ちを覚える。
「うん、なんかもう面倒くさくなってきちゃったかな。そろそろ死のうかな」
右手の剣を振りぬく心の準備をする。心情としては、注射をする直前と似ているかもしれない。
もう私に“役割”はない。何かを演じる必要が無い。
生徒会長として振舞わなくていいし、ジェネシスや異能力に対してももう飽き始めている。《赤い羊》に入って人を沢山殺してもどうせそれもすぐに飽きそうだし、やっぱり私は、こんな地獄絵図で生き残ったとしても退屈を感じてしまうのだ。
「さーて、と」
声と同時に剣を振り抜――――
(――――なんだお前、死ぬのか? しかも面倒くさくなったからという理由で? なら丁度いい。いい退屈しのぎの方法を教えてやるよ、“生徒会長”)
――――く手が止まる。
あざ笑うような男の声が直接脳内に響いてくる。
人をおちょくるような、でもどこか真剣で、掴みどころがないこの男は……。
「……生きていたの、百鬼君? この感じ、チャネリング? あなたも使えたの?」
(さぁな? この状態が生きていると言えるかはかなり疑問だが、最期にお前に伝えたいことがあってな)
「……何? 愛の告白なら残念ながら、お断りなんだけど」
(お前に伝えたいことは一つだけだ。快楽殺人鬼と互角に渡り合えるもう一つのSSランク、《執行人》の領域。マゼンタカラーについて。その“入り方”を教えてやる)