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±0  作者: 日向陽夏
第2章 殺人カリキュラム【後】 白雪之剣編
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幕間 退屈という病⑤【赤染アンリ視点】

――――あなたは結局、何がしたいんですか? 赤染先輩。


 なんてことのない結の言葉。でも、私の精神の根幹が軋むような、嫌な問いかけだ。

 自分の胸に問いても、答えは出てこない。

 期末試験だろうが模試だろうがどんな問題でも私は簡単に解いてきた。学校の学問というのはたかが知れていて、結局は“答え”ありき。用意された答えがある前提で問題が作られる。教師や試験の運営者がまず答えを用意する為に、問題を作成する。生徒や回答者はそれに合わせるだけ。

 答えのない問いほど嫌なものはない。

 ――――けれど。

 人の心というのは、“答え”を前提に設計されていない。

 問題も答えもありはしない。ただただ純粋な混沌。その混沌から目を背けるために、逃避する。仕事や交友や趣味や勉学や夢に、逃避する。それをしていれば、自分の心などというものを見ずに、考えずに済む。

 耐えられないからだ。心などという究極の混沌に、通常の人間は耐えられない。

 先人達はそれを深淵と呼んだり、闇と呼んだりする。

 決して覗いてはいけない闇。それこそが人の心の本質。混沌。

 自分の心の内側の深い場所に、それはある。

 私の、闇。

「……混沌、カオス。秩序、コスモス」

 あまり興味はなかったけれど、有名な哲学者の思想は何かの本で読んだから、大体全部知ってる。父親に、全ての学問の本を中学を卒業するまでに読むように命令されたからだ。哲学書もその一つ。当時は面倒だったけど、知恵ほど有効なモノはないと今なら分かる。

 書物に書いてある偉人なんて、歴史に名を刻みたいだけの承認欲求こじらせた痛々しい人としか思えず、どうでもよすぎて何の関心も湧かなかった。偉人の言葉を自分を大きく見せるためによく引用する人間がいるけど、未来に生きる私達がいつまで過去の死人の言葉に縋りつくのか? という反発心があり、そういう人種にも全く共感できなかった。

でも……今なら、少しだけ歴代の先人たちを素直に尊敬できると思う。

 法も倫理も“何もない”ところから始まった人類史の起源から、よくここまで辿り着けたものだと思う。

 現代における日本の刑法は、罪刑法定主義。明文化されていない法で人を裁くことができない。当たり前のことだけど、裁くための法律がなければ裁けない。また、刑法は類推解釈の禁止が絶対なので、法律を拡大解釈することができない。つまり“似た”法律で裁くことはできない。窃盗なら窃盗罪、暴行なら暴行罪、殺人なら殺人罪だ。明確に区分されている。

約100年前、明文化が間に合わず、電気を盗んだ者が“裁く法が存在しない”という理由で無罪になった判例もある。マヌケな話だが、当時は真剣に判事たちが議論していたというのだから笑い話にもならない。

 刑法200条、尊属殺も有名な話。親殺しは殺人罪より罪を特別重くするという法。けれど刑法より上位の憲法で規定されている法の下の平等に反するとして違憲になった。

 電気製品のソフトウェアアップデートは迅速なのに、法律のアップデートの遅さには驚かされる。何年、何十年、何百年単位でしか重大な部分は更新がかけられない。致命的な欠陥だと思うけど、それは法律を“外側”から見た者が抱く心理。“内側”から法律に携わる者の視点は、それがあまりにも当たり前すぎて、“そういうもの”だと思考を停止している。息をするときにわざわざ空気を感じたりしないのと一緒。

 人間が作ったものだから法も倫理もガバガバなところはあるが、それでも“何もない”よりはマシだ。

 透は、”何もない”状態に世界を戻そうとしている。

 全ての人間のバイアスの完全なる破壊。秩序の崩落。その手段として殺人を強要することで倫理観を崩壊させる。異能を与え、力と自由を与え内なる欲望にベクトルを与え、精神の混沌の奥深くに眠る怪物を引きずり出す。

「フッ、やっぱり駄目ね、私は」

 思わず自嘲する。透の思考が分かる。分かってしまう。

 それは、私と彼が同類だからだ。

 何のヒントもなく息をするように彼の思想を理解できてしまうのは、私の本質も彼とそう変わらないということ。

 だが恐らく、彼の“本質”は快楽殺人鬼とは別の所にある。

 そこ”まで”は分かるのに、私の手は彼の本質までは触れられない。その手前を掠るのみ。結いわく、百鬼君ならその本質まで手が届くらしいけど……。

 ふと、窓の外を見る。未だ《発狂密室》は健在だ。外に出ることはできない。

「……何もしたいことがないなら、生きていてもって感じよね」

 ため息を吐く。近くに転がっていた生首を蹴っ飛ばしてみても、何とも思わない。そこかしこに死体の残骸があって、この生首もその一つだ。私が殺したわけではなく、転がっていた。殺人ノルマは達成してるし、百万円にも興味はないからプールに持っていこうとも思わない。

 血や人間の乾いた肉の匂いにも、もう鼻が慣れてしまった。

 この先、生き残れたとして、私に何があるんだろう?

 ……何もない。それが分かる。

「必死に生き残って、その先にあるものって……何なんだろう?」

 それは、殺人カリキュラムが始まる前にも言えたことだ。

 親の言いつけ、学校の日常、くだらないルーティンを狂ったように繰り返して、死ぬまで生きる。与えられた役割を演じながら、“なんとなく”生きる。それは間違いではないし、むしろ正しい人間の在り方だ。


 ――――問題は、その事実を受け入れることができるかどうか? だ。


「生に疑問を持つようになったら、人の意識は死へと向かっていくだけ。これもまた、“もう一つ”の深淵ということかしらね?」

 自殺マニュアルを自作していた西園寺さんなら、この辺りは得意分野なのだろうけど。

 ふと、彼女に会いたくなった。

 まだ生きているだろうか?

 自殺に興味がある子だから、もう死んでいる可能性の方が高い。

「死、か」

 雨でわずかに湿った窓を、指でなぞる。透明な水が指先で少しだけ弾けるのを心地よく思う。

 死ねば、このくだらない思考の渦からも解放される。

 出口のない迷路などという最悪の設計をされた心などというものから、解放される。

 死という無。

 それはもしかしたら、生よりも甘美なのかもしれない。ある意味ゴールだ。

 自殺の理由は明確ではないけれど、デストルドーに呑まれて死んでいった有名な小説家も少なからずいると私は密かに思っている。内側を見過ぎたせいで……。

「ねえ、あなた。あなたは今、どこにいるの?」

 足元に転がっている生首に問いかけても、当然言葉は返ってこない。


 ――――何も語らない死体を眺めながら、私はそれを少しだけ羨ましいと思った。


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