幕間 退屈という病③【赤染アンリ視点】
「何、リリー。アンタ、透の真似事?」
花子がせせら笑うと、リリーは少しだけムッとする。
「ちゃかさないでよ花子ちゃん。私はいたって真面目だよ」
「悪の本質なんてくだらないよ。奪うことでしょ? 奪って奪って奪い尽くす。それでおしまい」
骨だけになった物体を投げ捨て、自分の手首をペロペロと舐めながらヒキガエルは言う。
「食べる、飲む、生きる、全て奪うこと。生きることそのものが悪。透さんの教え」
「珍しいわね、ヒキガエル。アンタが透の教えを話すなんて」
「透さんを一番理解してるのは僕だから」
「……それは聞き捨てならないな、ヒキガエル君」
リリーが頬を引きつらせると、ヒキガエルは落ちていた生首に手を伸ばす。
「僕は《赤い羊》の中で一番頭が悪いと思う。ヒコ助よりも。でも僕には“可能性”がある。透さんのお墨付き。キルキルキルル」
ヒキガエルは生首の額の部分を剣で切断し、異能を発動する。
《食物連鎖》――ショクモツレンサ――
ヒキガエルの右の手のひらに口が現れる。その右手を伸ばし、生首の額の中に突っ込む。
じゅる……じゅる……。脳みそをすする嫌な音を立てながら、ヒキガエルは微笑う。
「僕はジェノサイダーの死体の脳みそを食うと、そのジェノサイダーの異能を一つだけ自分の中に吸収できるんだ。知性すらも。頭もどんどん良くなる」
落ちている生首全てにその作業を淡々と繰り返していく。
「……」
ヒキガエル……。現時点ではそこまで強くないのかもしれない。でも、こいつは……こいつはいずれ透をも超えるポテンシャルを秘めているとでもいうのか?
「透さんを食おうとしたらその時点で終わらせるからね? ヒキガエル」
リリーは笑いながら言うが、部外者の私ですら身構えるほどの殺気が迸る。
「分かってるよリリー。透さんが生きている限りは食べない。完全に死んだとき、その死体は食べるかもしれないけど。それに透には《絶対不死》がある。生きているジェノサイダーを食べても異能は奪えないし」
つまらなそうにヒキガエルは言うと、翼を生やして上空へ飛ぶ。
「他の死体を見てくるよ。そこの生首は全部ハズレみたいだね。ゴミみたいな異能ばっかり。知能も低い。やっぱS以上じゃないと食べる価値ないっぽい」
そう言って飛びながらヒキガエルは私を見る。
「君は……オシシソウだね」
「……女の子には美味しそうではなく、綺麗か可愛いと褒めるべきよ。お医者様?」
「赤染アンリ……だっけ。君は透さんより美味しそう。でも今食べるより……もう少し待ってから食べたほうが、もっと美味しい気がする。予約しようかな」
《死体食堂》――シタイショクドウ――
ヒキガエルが異能を発動した瞬間、空間が捻じ曲がる。
生首プールは消え、洋風にデザインされた食堂が具現化する。
長テーブルに赤絨毯。顔の部分が黒く塗りつぶされたコック達がナイフとフォークを両手に持ってケタケタと笑っている。長テーブルの上には全裸の人間の死体が並んでいる。
花子達の姿も消え、私とヒキガエルの二人きりだ。
「こ……れは……?」
なんだこの異能は……? 《場》が変わった?
「《時》と《生命》に干渉するには“愛”が必要。でも、《場》そのもに干渉するには“究極的な破壊衝動”が必要。《赤い羊》で《場》に干渉するほどの破壊を具現化できるのは、僕と透さんだけ。本当の意味で飢えてない。だから破壊衝動も本当の意味では僕には届かない。人間はいつも食卓で笑ってる。死体を裁いて肉と血を啜って笑ってる。だから僕も笑う。美味しくて幸せなジカン」
「……歪んでるわね、あなた」
「赤染アンリを予約する」
ヒキガエルは飛びながら、私を真っすぐに指さして宣言する。
その瞬間、顔の無いコック達がナイフとフォークを捨て拍手する。
「君が死んだ時、君の肉を貰うよ。脳みそを貰う。死体がバラバラになっても、僕の力で再生させる。再生させてから食べる。ありがとうごちそうさま」
ヒキガエルが掌を合わせて、祈るように目を閉じる。
すると首周りに違和感を感じ、私はそっと首を触る。“何”か、ある。首輪のようなものに、大きな鈴がついている……。これは……まさか、カウベル?
家畜につける首輪。こいつ、よくもこんなものを私に……っ。
「それは僕にしか見えない。誰にも知覚できない。《死体食堂》解除後に透明になる。君にすら分からなくなる。でも僕には見えるし、分かる。君が今どこにいるのか。生きているのか、死んでいるのか。死んだときにその鈴は音を鳴らす。大きな音を鳴らす。僕にしか聞こえない特別な音。君は僕が食べる。誰よりも美味しそうだから」
ど、独特な話し方をする男だ……。子供っぽいというか、話慣れていない感じがする。
《死体食堂》――シタイショクドウ――《解除》
空間は再び歪み、景色は元に戻る。元の、生首プールに。
首元を触ると、そこには何の感触もない。あの男の言ったとおり……。
「じゃあね、みんな。御馳走を探してくる」
ヒキガエルはバイバイと手を振ると、どこかへ行ってしまった。
「……いやいや、相変わらず風来坊だねヒキガエル君は。それにしても随分気に入られたね、赤染ちゃん。ヒキガエル君が《死体食堂》を発動するところなんて前に一回した見たことないよ。透さんに使って返り討ちにあったことしか知らないけど。急に消えちゃうんだから驚いちゃうよね。んじゃ、邪魔が入ったけど質問には答えられそう? 悪の本質とは何か」
「……愉悦、ですか?」
悪の本質。考えたことなど無い。でも、即座にそれしかないと確信できる答えは、愉悦しかない。他者の幸福を奪い、それを愉しむ心。それが、それこそが、至高の悪。
「…………凄いね、その通りだよ。パーフェクト。同類だね、間違いなく君は。その若さでその答えをすぐ出せちゃうんだから、殺人鬼に年齢は関係ないね。花子ちゃんも異存はないかな?」
「……気に入ったわ、赤染アンリ。この殺人カリキュラムでSSになれなくても、生かしておいてあげてもいい。いずれは到達できる」
花子は愉しそうに微笑う。すると田森君がきょとんとした表情で尋ねる。
「え? あの、それってどういう――――」
「あ~いや、こっちの話。君には関係ないよ」
リリーが誤魔化すように言う。リリーは花子をジト目で睨んでから、唇を閉じたまま語り掛けてくる。
『花子ちゃん、駄目だよこの話をタモリンにしちゃ。タモリンごときじゃSS以上は間違いなく無理だし、このことを吹聴されると他の生徒達と連携されて面倒。赤染ちゃんはもう採用確定だから、ぶっちゃけると、どっちみちこの殺人カリキュラムで生き残らせてあげるのはSS以上のみって決めてんだよね。S止まりの凡人は条件達成しても処刑する予定なんだ』
「……」
頭の中に直接響いてくるリリーの声。これも、異能の類?
『今使ってるのはチャネリングだね。話したい相手を思い浮かべて声を思念を飛ばせる。これは異能化じゃなくて形態変化に分類されるけど、使えるかどうかは才能ってとこかな。着信なら才能無くても誰でもできる』
『リリー、アンタ、喧嘩売ってるの?』
花子がリリーを睨みつける。
……花子にチャネリングは使えないのか。
『さっきタモリンに口を滑らせた仕返しだよ。さて、赤染ちゃん。君はまだ“半分”は人間。でも“半分”はこっち側。完全にSSになる為には何が必要?』
『愉悦……ですか?』
『その通り。だから君に愉しみをあげよう。君が今一番殺したいのは、百鬼くんだよね?』
『……っ』
『フッ、アンタ如きが零を殺せるわけないから』
『まぁまぁ花子ちゃん。さて、百鬼くんも赤染ちゃんも今のところ同格。同じくらいってところ。切磋琢磨して二人ともこっち側に来る良いアイディアがあるんだけど、聞く?』
悪魔の微笑みを浮かべるリリーに、私は吸い寄せられるように頷いていた。